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音楽番組

2015年6月 9日 (火)

題名のない音楽会 2015年6月7日

テーマは「お悩み解決します!~音楽DE生活向上委員会」

注目のアーチスト3組により、3つの悩みを解決すべく即興の作曲と演奏を行って披露するという企画。3つの悩みとは、

  1. 赤ちゃんの泣き声に安らぎを
  2. モノがよく覚えられない
  3. トラウマを克服したい

それぞれの作曲家によって1曲ずつ、計3曲が演奏された後に、一緒になって「こんにちは赤ちゃん」が演奏された。1つめの「悩み」に引っかけたものだ。

出て来た中でギターの押尾コータローは知っていたが、あとの2名は知らなかった。演奏はそれなりに面白かったが、テーマ設定に無理があり、その、テーマと出来た曲の関連付けもコジツケに他ならない。

企画に無理があり、評点3.

尚、高嶋ちさ子が、佐渡と共に感想を言う立場として出演したが、自分で演奏することはなかった。どう使いたいのか、また彼女自身何がしたいのか。

2015年6月 3日 (水)

題名のない音楽会 2015年5月31日

テーマは「大竹しのぶが魂で歌う、エディット・ピアフ」

だいたい、この「魂で」というタイトル。佐渡時代になってからこの番組で時折見かけるような気がするし、音楽番組全体としても使われる機会が多くなっていると思う。
この表現自体、全く好きになれない。
これは、「技術的には劣るけど何とか作品の本質に迫ろうと試みてみました」みたいな表現だと思うのである。

知らなかったのだが、大竹しのぶって、エディット・ピアフが当たり役になっているのだそうだ。

エディット・ピアフが作詞した「バラ色の人生」「愛の賛歌」を1曲目と4曲目に配し、初めて聴く「群衆」と「見ずに流して」の計4曲が披露された。

何れも、意外に聴かせはしたが、如何せん、全て日本語訳。
こけでは、シャンソンとしての曲の価値を致命的に損なうのだ。大竹しのぶには無理か?

そもそも大竹しのぶ、余り好きではない。企画はいいのだが、原詩でやらなかったことを含め、演奏を(演奏者も)全く評価できないので、評点は3.

意外に聴かせる歌唱だったが、

2015年6月 1日 (月)

題名のない音楽会 2015年5月24日

「名曲百選」の第25回として、ブラームスの交響曲第4番が採りあげられた。

 

ドイツ古典音楽の集大成として書いた、として楽章ごとに次の各点について挙げていた。

 

    • 第1楽章 ブラームス自身を象徴する音型として、3度の下降音型

 

    • 第2楽章 ルネッサンスの象徴として、教会旋法であるフリギア旋法の採用

 

    • 第3楽章 舞曲の象徴

 

  • 第4楽章 尊敬していたバッハの象徴として、カンタータ第150番のシャコンヌの音型を採り入れ、ブラームスとしてのシャコンヌを構築

 

まあ、大体知っていることだが、いささか無理があると思ったのは、ドイツ古典音楽の集大成と言いたいがために、ルネッサンス音楽まで含めてしまったことだ。むしろ、温故知新といった、当時の風潮によって・・・といった説明で良かったのではないか。

 

カンタータ150番は聴いたことがない。かなり持っている方だが、なかった。しかし、そのことは、今回DTM制作のため改めてミニスコアを見たら、ちゃんと説明されていた。

 

まあしかし、よくぞこうした地味な曲を採りあげたものである。また、全曲演奏したのは第4楽章で、これも良かった。

 

私がこの曲に接し始めた頃、第1楽章の哀しく寂しげな曲調に惹かれたのだが、それ以降は中々聴く気になれないことが多かった。
しかし、あるとき第4楽章の凄さに気付き、ブルックナーなどとは違った意味で、巨大な曲だと分かったのである。
それを、この番組で第4楽章の全曲を演奏したというのは、中々のセンスだ。

 

番組内では他に、エジソンが、発明直後の蝋管蓄音機を携えてブラームスの処に立ち寄り、ブラームスも大いに喜んだというエピソードが紹介された。これは知らなかった。

 

企画良し、解説良しで評点5。

 

DTMで制作した、第1楽章冒頭19小節分と、第4楽章冒頭40小節分である。
第4楽章は、主題と第4変奏までにあたる。第3変奏まではパッサカリア主題が割と聴き取れるが、第4変奏(弦が悲愴感に満ちた主題を奏でる箇所)となると明確ではなくなって行く。

 

http://tkdainashi.music.coocan.jp/brahms/symphony4_1stMvt.mp3

 

http://tkdainashi.music.coocan.jp/brahms/symphony4_4thMvt.mp3

 

 

 

また、CDは私がよく聴いていたワルター盤を挙げておく。

 

 

 

 

 

 

2015年5月21日 (木)

題名のない音楽会 2015年5月17日

「なんてったって」シリーズの一環として、ヴィオラを採りあげた。題して「なんてったってヴィオラ」。

日本のオケを代表する3人のヴィオラ奏者と佐渡、そして青島によるトーク。

一般の人々にヴィオラという楽器が如何に知られていないか、と言った観点からの自虐トークが面白かった。3曲演奏したが、2曲は初めて聴く曲。1曲は「美しきロスマリン」。

元々ヴァイオリンをやっていて途中からヴィオラに変更した人ばかりだそうだ。変更したあとは、オケの響き全体を支えているという誇りと、調和した音が出たときの悦びで、どんどん好きになっていった由。

色々と興味深い話や演奏で、評点5とする。

ただ、欲を言えば、ヴァイオリンとヴィオラの違いについて、5度低いことによって、さらに1オクターブ低いチェロと合うことも多くなることや、音部記号もヴァイオリンと変わることなどにも触れて欲しかった。

私はヴィオラという楽器に、さほど疎くない方だと思う。
幼い頃にヴァイオリンを習っていた。メインの先生は関西交響楽団(現在の大フィル)の女性ヴァイオリン奏者で、そのご主人が同じオーケストラのヴィオラ奏者だった。
私の中学受験勉強と、お2人とも日本フィルに転勤されたことからレッスンはそれっきりになってしまったのだが、それだけに、その後起こった日フィルの労働問題に関する紛争に心を痛めたし、渡辺曉雄を監督に迎えて再スタートの狼煙を上げたときの「復活」の演奏は、東京にいたこともあって駆けつけ、大きな感動を得ることができたものである。

さて、ヴィオラの独奏で始まる交響曲というものがあって、その好例としてよいと考える曲。この半年で一番繰り返して聴いた曲てもあるのだが、その例を挙げておきたい。
15小節に及ぶ長々とした前奏がヴィオラ独奏というこの曲は、マーラーの交響曲第10番。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/mahler/mahler_sym10.mp3

お時間があれば、この曲についてはホームページ中の記事と、2015年4月13日付けの記事を参照下さい。

第1楽章しか認めないというバーンスタイン盤と、補筆完成版としてはかなりの完成度となったインバル盤とハーディング盤の紹介も、再掲しておく。

2015年5月19日 (火)

題名のない音楽会 2015年5月10日

テーマは「朝からスウィング!ジャズで聴く人気アニメソング」

「妖怪ウォッチ」から「ゲラゲラボーのうた」「ようかい体操第一」。エリック・ミヤシロ編曲。
「美少女戦士セーラームーン」より「ムーンライト伝説」。挾間美帆編曲。
「巨人の星」より「ゆけゆけ飛雄馬」。中川栄二郎編曲。
「ルパン三世」より「ルパンのテーマ」。エリック・ミヤシロ編曲。
何れもエリック・ミヤシロ スペシャル・ビッグバンドによる演奏。

「妖怪ウォッチ」の音楽は聴いたことがなかった。中々面白い曲であり、編曲。

一番退屈だったのは「巨人の星」。
一番優れていると思った編曲は「セーラームーン」。面白いナと思ったら、挾間美帆の編曲で、彼女の才能の突出していることに改めて感じ入った。

企画よし、アレンジよし。演奏よしで、評点5.

こうしたビッグバンドの演奏を、テレビだけでそれなりに楽しむには、それ相応の音づくりがテレビでも必要なのであり、前回まで縷々述べた通り、買い換えたテレビ単体では全くどうしようもなく、「テレビボード」(私の場合、デノンの「テレビスピーカーボード」)なるものを導入して、やっと何とか我慢できる範囲になった、という次第である。

繰り返すが、価格競争に巻き込まれてゆくがままにして、商品の質を落としてしまうという愚を冒してしまった経営の責任は重い。「価格競争に負けた」という論をよく聞くが、価格競争に自ら巻き込まれて行くのが悪いのだ。
トップシェアに拘って行ったからでもあるだろう。32とか40とか、まあ普通の家庭でも比較的導入されやすい分野では価格競争に入っておき、もっと大型のタイプとか、3Dだとか、4Kだとか、そちらで利益を確保する積もりだったようにも見える。

しかし、テレビなんてものに、多くの人はさほど関心がない、という事実が見えなかったのか。自分たちは関心もあるだろうし、一般のひとよりは大きな家に住んでいるだろう。だからより大型のタイプも設置できるだろう。
また、確かに薄型テレビが飛ぶように売れた時期があった。しかしあれは、地デジ化というものに付き合うべく、庶民がやむなく買ったという側面でしかなかった、ということに何故何時までも気付かなかったのか。何故、作り過ぎては危ない、ということに誰も警鐘を鳴らさなかったのか。
シャープって、管理面が厳しい会社だったという側面がある。どこでそれが狂ってきたのか。

2015年5月18日 (月)

テレビの薄型化と音の関係 続き

愛用してきていた37型の旧型機だったが、地デジユニットの騒音が大きくなりすぎ、買換をすることにしたのだが、いざ届いて設置してみると、余りの音のひどさに失望する日々が暫く続いて・・・という話の続きである。

色々とウェブでも調べ、また私の家にある他の何台かのテレビ(全てアクオス)をよくよく観察してみると、亀山製であるか否かとは別に、どうも、額縁部が薄く細くなっていった結果、スピーカーを前面に配置しづらくなり、後ろ向きに配置した結果、モゴモゴした音しか出せなくなったということもあるようだ。
アクオスだけでなく、最近の薄型テレビについて各社製とも同様な問題があるようで、かなり評判が悪いのだ。

結果として、オーディオ用のアクティブスピーカーなる製品のカテゴリーが市場を形成しつつあるようなのだが、メーカーによって商品名も形状も色々とあるようで、

  1. 棒状のものでテレビの前に設置するもの
  2. 薄い台状のものでテレビの下に敷くもの
  3. テレビラックに組み込んだもの。当然ラックごと丸々という形態
  4. 上記とは全く別に、PC用のアクティブスピーカーをそのまま使う人(場合)もある

暫く迷ったが、音楽番組がそのまま視聴するには耐えがたいレベルでしかなかったことに加え、バラエティなどを含むトーク番組で複数の人がしゃべり出すと、誰が何を言っているのか分からなくなるという「解像度」の悪さもあることが分かってきた。聞いているうちに頭痛を覚えるほどなのである。
これではテレビの前に座ることが苦痛でしなかくなってしまう。

このため、余計なカネはかけたくなかったのだが、私にとっての現実解として、上記2のタイプのものを使うことにした。価格もピンキリだったが、「安物買いの銭失い」を避けたかったので、このタイプとしては僅かだけど張り込んだクラスのものにした。まあ、未だに健在なるオーディオメーカーですな。
本当はテレビメーカーごとに自社のテレビに対してベストマッチングな音を出すようにしているはずなので、これもアクオスが選択肢の第一だったのだが、上記の4のタイプ(ラック)しか用意されていない。愛称は「アクオスオーディオ」。

一体何を考えているのか。今さらラックから買う人なんていないっての。しかも取説がひどくて、かなり読み込まないと、アクオスオーディオしか使えないようにしか読めないのである。ARC対応の色々なメーカーのものが使えるという説明は全く載っていない。
そのくせ、外付けHDDへの録画・再生について相当なページを費やしている。こんなもの要るのか? 録画したい人はレコーダを買うのではないか?

肝腎な説明が抜けている。だから、デノンの本機に決めて接続するまでは、ヒヤヒヤの連続だったのだ。
しかも、接続当初、「これはやはり繋げないのか?」と絶望しかけたことがあった。つないだ途端にデノン機からとんでもない大雑音が発生したのだ。これは遂にダメかと思い、念のためにコードをシッカリ繋ぎ直したら、アッサリ改善。

無事に音が出るようになり、これでかなり改善された。

アクオスからの音声出力はARC(オーディオ・リターン・チャンネル。HDMIからオーディオの出力を返すもの)とイヤホンジャック(ステレオ)しかない。
一方の、デノンのスピーカーベースは色々な入力端子が備えられているが、ARCに対応していない。少し前の規格なのだろうか。
ARCの方が良い結果が得られそうだったが、こんなわけで、やむなくイヤホンジャックでの接続となった。それでも、効果は思いの他、テキメンだった。
とにかく、音が前面から出てくるというだけで、どれほど自然に聞け、どれほどストレスがないか、改めて実感したのである。

こうなると、オーディオについて少しは詳しい身としては、欲が出てくる。
イヤホンジャック用のコードである。
デノンの付属品で接続してそれなりの効果もあったわけだが、オーディオテクニカの製品に繋ぎ変えてみることにした。
まずは下記の中、「ベーシック」というクラスのもので・・・。

これが、凄いのである。コード1本で音がガラッと変わることは知っているし経験もしているのだが、まさかイヤホンジャックから取る音でこんなに変わるとは想像していなかったのだ。イヤホンジャックの音声回路なんて、碌なものではないと思っていたし、現に音の余りにプアなテレビの音声回路である。それが、マサカの大改善。

ここに至って、初めてある程度満足できるレベルに戻った。もちろん、旧機の37型よりは堕ちる。

尚、ついでにオーディオテクニカ製で「ファイン」というレベルのものも試みたが、これは「ベーシック」と殆ど変わらない。

しかしまあ、余分に2万円以上かかってしまい、高くついてしまった。
ただでさえオーディオ関係の配線のし直しを要したのでコード類に費用がかかったのだが、テレビでこんなに費用と時間がかかるとは思ってもいないので、かなり厳しかった。

・・・って、そもそも幾らコストダウンが必要だからといって、また額縁を薄くしていかないと競争に勝てないからといって、音を、聞きがたいまでにプアにしてはいかんだろ! 
限られた成約の中で作り込んで行くものでしょ。
そうした作り込みができるのは、国内で生産した場合に限られるのは、分かりきっていることでしょ。
テレビは、昔、「絵が見えるテレビ」と言った。音と映像があって初めて「テレビ」なのだ。

しかも、取説の説明、ARC対応のラインナップのいい加減なこと。

こんなことをしているから、テレビで世の中を席巻したことがありながら、結果的に競争に惨敗し、また同様なことを繰り返して再度のリストラに結びつくことになり、存続の危機にまでつながってしまうこととなったのだ。
生産過剰だけでなく、商品力の絶望的な低下が、この会社の真の病なのだと私は考えている。

2015年5月16日 (土)

テレビの薄型化と音の関係

本稿は昨日(2015年5月15日)の記事の続きだが、番組の内容からは少し離れるので、別のタイトルにした。

「テレビの薄型化」と書いたが、正確にはテレビの画面の周り、所謂「額縁」が薄くなることと音の関係である。

私はずっとアクオスを使っていて、概ね各部屋に設置される処まできている。
その最初の機械(以降、旧機)は、規格が古い頃のもので、フルハイビジョン仕様ではなく、チューナーが別付けであるだけでなく、地デジを受信するためには別売の地デジユニットを付ける必要があった。テレビの地デジ化がまだまだ「予定」されている頃のものだった。

フルハイビジョン規格ではないので、我が家にある他のアクオスに比べて画質は少し落ちたが、まあ我慢できる範囲ではあった。
これまでにも、時折受信不能の表示が出て、スイッチを何度かオン・オフすると改善・・・ということはあった。
画面が突然ブラックアウトするという症状は、これまでに2回修理している。それでも使い続けたのは、音がかなり良かったからだ。
私はオーディオシステムにも並行して音声信号が行くようにしていて、当初はLDやDVDの音楽ソフトなど(自分で録画したものを含む)はオーディオシステムから音を出すようにしていたのだが、アクオスからの音もかなり聴ける音質だったので、次第に配線の切替が面倒になって、音楽ソフトの類いもアクオスの音で済ませるようになっていた。

地デジユニットに冷却用のファンがついて、その回転音が気になることはあった。それでも使い続けたのは、繰り返すが、音が良かったからである。

そのファンが、最近、キーキーと大きな音で鳴るという症状が始まり、暫く使い続けたが遂に我慢がならなくなった。とうとう買換という選択肢が現実化してしまった。

旧機は37型で50万円ほどした。置き場所や予算の関係で、現在の現実的な選択肢は40型しかなく、このクラスの対象モデルは32型に次いで多いようだった。
で、40型の安めの機種を選んで置き換えたのである。

箱に「メイドインチャイナ」と記されていたのでイヤな予感はしたのだ。
けど、組み立て・設置を終えて音を出してみると、悪い予感が的中したのは、余りにも音がヒドイ代物だったのである。旧記の音に遙かに及ばないどころか、家中のアクオス全てに比べて悪い。
代表的には、32型が「世界の亀山製」というシールが貼ってあり、それなりに音も聴けるレベルだ。

まあそれでも折角買ったのだから・・・と数日はそのまま使い続けたのである。
NHKの「クラシック音楽館」は録画したものをオーディオから音を出せば済むし、「らららクラシック」はトークが殆どなので、我慢すれば良い・・・と自分に言い聞かせて。

しかし、「題名のない音楽会」を視聴して、やはりこれはどうにもならない。何とかしたいと思い知らされたのた゜。

(この稿続く)

2015年5月15日 (金)

題名のない音楽会 2015年5月3日

テーマは「佐渡裕ウィーン案内(1)名所に名曲あり」。

何でも、ことし佐渡が「ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団」の音楽監督に就任するとかで、その記念として始める企画だそうだ。
ちなみに、今年はウィーン市内の「リング通り」が完成して150年。またより歴史的に影響のあったのは「ウィーン会議」から200年という節目にあたるらしい。

「ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団」なんて聞いたことないなあ、と思っていたが、番組内で「楽友協会大ホール(ウィーンフィルがニューイヤーコンサートをやる場所)」を本拠地にすると言っていたので、それなりの格式はあるのだろうか。

ともあれ、佐渡は益々忙しくなり、国内ではPACなどの面倒を見なければならないだろうし、題名のない音楽会の司会をどこまで続けてくれるのか少し不安でもある。
この「佐渡裕ウィーン案内」も、今回が(1)で来週はその「(2)」ではなく別の企画だそうだから、少し手抜きをして永く使って行こうという感じがしないでもない。

4曲演奏されたが、幸田浩子の歌唱がさいたものが2曲。それは何れもドイツ語で歌われた。変な和訳をしないのが正解だ。
中でも「春の声」が絶品で、私がこれまでベストとしてきた、カラヤン指揮で1987年のニューイヤーコンサートでキャサリン・バトルとやった演奏と並ぶ、または超えるかも知れない。2枚並べておく。カラヤン盤は新品の入手は困難かも知れない。幸田浩子についているオケはウィーンフォルクスオーパーなので、佐渡が音楽監督に就任するオケよりも、少なくとも名前は知られているというものだ。

企画よし演奏よしで、評点は5.

私が日本で一番好きで演奏も評価しているのは森麻季だが、幸田浩子の歌っているときの表情がすごく良く、ファンになってしまいそうだ。

ただ、番組の内容とはあまり関係ないのだが、こうした番組を普通に視聴するのにも、テレビの音が余りにも貧弱であると思うに至ったのだ。

これついては続きを。

題名のない音楽

題名のない音楽

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