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コンサート

2012年5月18日 (金)

大植英次指揮 大フィル マーラー3番 2012年5月10日

私は決して「ナマ演奏至上主義者」ではない。昔ならレコード、また今ならCDで、あるいはFMでもTVでも、十分に楽しめるし、曲の価値も分かると思っている。

しかし、どうしてもナマ演奏でないと経験ないし体験できなしことがあるのも事実だ。

マーラーの交響曲というのは、価値が分かれば分かるほど、聴くと疲れるものだと分かってくるし、殆どの場合、疲れるほどの演奏でないと曲の真価が分からない、という困った存在である。

しかし、3番はちょっと違う。当初この3番の第7楽章として構想されていた「天使が語ること」を終楽章に据えた4番とともに・・・・だから3番と4番は双子みたいな存在だと言えるのだが・・・聴いていて精神的に疲れることは余りなくて済む曲だと考えている。
そして、マーラーのナマ演奏というのは、まだ3曲しか接していないのが実情だ。

5番は若杉弘がドレスデンだったかの常任たせったときの凱旋公演で聴いたし、2番は日本フィルが渡辺曉雄を常任に迎えて再出発したときの記念公演で聴いた。何れも名演だった。7番は朝比奈隆指揮の大フィルで聴いたがつまらなかった。

大植英次が音楽監督になってから、マーラー・チクルスを始めたときは、現役だった私には時間的な制約のため行きたくても行けなかった。ようやく現役を卒業し時間的に何とかなるようになって、気がついてみるとしかし、彼が音楽監督引退・・・ということになってしまった。

今回の演奏会は、彼が桂冠指揮者となってから初めてのマーラー演奏だとのこと。私にとっては、初めてナマで聴く3番ということになった。

100分もかかる長い長い作品だが、続けて6楽章を演奏するので、途中休憩ナシと予めアナウンスされた。

とは言っても、第1楽章が終ったあとには合唱団がステージに上がる時間があったし、第3楽章が終ったあとにはメゾ・ソプラノが入場する時間があり、楽章間のスキマがなかったわけではない。メゾ・ソプラノ入場のときは拍手も起きた。

さて、演奏だが、第1楽章冒頭の、8本のホルンによる開始部で、少しテンポをさわったのが気になったのと、メゾ・ソプラノが、私の思う声質よりは豊かすぎ・・・むしろワーグナー歌手としてふさわしい・・・という辺りが気になった程度で、概ね良かったと思う。
メゾ・ソプラノは、当初アルトでゲルヒルト・ロンベルガーが体調不良のため出演不能となり、代役としてメゾ・ソプラノのアネリー・ペーボが出演した由で(会場で変更告知のビラが配られた)、その辺りの事情も、私が違和感を覚えた理由の一つとなったのかも知れない。

ナマで聴いて良かったというのは、まずオーケストラが大規模であること、そしてその大編成を活かした凄まじい音が出る曲だということ、そして第3楽章で舞台裏で奏されるポストホルンの音などである。ポストホルンの出る第3楽章は、この曲の中でかなり退屈な楽章だと思っていたのだが、ナマで接するポストホルンの音色は、「この音でこのフシを鳴らして聴かせるのが、この楽章の狙いか・・・」と思わせ、殆ど退屈しないで済んだ。

4階席だったので(高くで怖かった・・・)オケの全貌を見下ろす形となって、全ての音が一度にドン!と押し寄せる感じとなった。この膨大なオケと凄まじい音響、どこかで見聞きしたことがあるナアと思ったが、つい先だって、同じ大フィルを井上道義が振った「惑星」がそうだった(5月11日付けの記事)。

しかし、そこはマーラーだ。似たような規模のオケを使って、比較的単純で聴きやすいメロディーを、繰り返し繰り返ししているうちに、いつの間にか強烈なクライマックスに辿りついて行く。何度も同じことを繰り返しているようでいて、そこには、変形されるたびに力がみなぎり、聴く者を圧倒するパワーが込められて行く。
全て、こんなことは分かっているし知っていたことだ。
しかし、ナマで聴くと、分かってはいても、まさに筆舌を尽くしがたい体験がそこに待ち構えていることが、改めて分かるのである。

中でも私が「この曲の価値、ここにあり」と考えているし当日の演奏も素晴しかった第6楽章まアタマ。
DTMで作成してみたので聴いてみて頂きたい。

そして、上記引用の箇所も含めた、この曲全体についての評論は、私の「題名のない音楽館」内の「マーラー 交響曲第3番」の稿を是非とも。

2012年5月11日 (金)

マチネシンフォニー 井上道義指揮 大フィル 2012年4月18日

掲題の組み合わせによる演奏会について。
曲目は、ヨゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」とホルストの「惑星」。

何れも、以前から大好きな曲でありながらナマで聴いたことがなかった。井上道義の指揮なら私は信頼できると考えているし、午後2時開演というのも足を運び易かった。

このプログラムであれば、「天体の音楽」と「惑星」の間に休憩を入れるというが普通だろうが、今回は宇宙学者の松井・東大名誉教授(現・千葉工業大学惑星探査研究センター所長)を招き、井上とのトークをプレトークに入れ、さらに「惑星」は「水星」が終った処で休憩とし、「木星」を始める前に後半のプレトークを入れるという、少し変った順序だった。井上が続けてシリーズ化している「マチネ・シンフォニー」シリーズならではの構成である。

この松井教授は、あの「はやぶさ」の後継機の開発にも関わっている人だそうで、宇宙全般から太陽系に至るまで、井上からの素朴な質問に答える形で楽しく興味深いトークを展開してくれた。

で、演奏だが、実に良かったという一言に尽きる。
そして、とくに「惑星」だが、ナマで聴いて・・・ということはナマで見て、という意味でも・・・本当に良かった。
2階席だったので、オケのメンバーが入る前に、その配置を一望できたのだが、実に巨大な編成であり、それはもちろん「惑星」のための配置なので、まずは大いに期待が膨らんだ。

で・・・どうもすぐに記事を書かなかったので、当日行かれていた「りんどうのつぶやき」さんのページを参考にさせて頂いたら、「天体の音楽」と、「惑星」の間には休みがなく続いていたようなのだが、すると、最初からフルメンバーが揃って始めたのか、それともトークを入れているうちにメンバーを増やしたのか・・・。何れにせよ、「天体の音楽」から始まり、「火星」「金星」「水星」まで進んで休憩となった。

「天体の音楽」。
これ、サントリー・オールドのCMに使われていたことがあり・・・てなことを記憶している人はトシが分かるというものだ・・・CMで聴いて好きになり、やがて曲名と結びつけることができ、何度も聴いているうちにどんどん好きになっていった、という曲である。

曲の初めから第1ワルツまでは、こんな感じ。

曲の初めから、いきなり広大・深遠な宇宙空間に連れ出されたような感じの音が鳴り、たちまち聴く者を惹きつける。実にツカミがいい。そして、ヨゼフ・シュトラウスの才能の凄さを感じざるを得ない。ここを聴く度に、ヨゼフって、ヨハンよりも遙かに優れた才能を持っていたのだ、と私は改めて思うのだ。
その序奏からごく自然に第1ワルツに滑り込むアタリも、凄いと思う。

別の意味で凄いと思ったのは、上掲の通りDTMを制作し「ウィンナ・ワルツ」と指定すると、結構、ウィンナワルツらしく演奏すること。改めて、finale を使っていて良かったと思った。

その点、大フィルはどうだったか、本当の処はよく分からない。私のリズム感なんて所詮その程度なのだが、何か違っていたような・・・。

で、「惑星」。
実の処、このコンサートの日から今日の記事執筆まで間が空いてしまった大きな理由のひとつが、この日の演奏を聴いて益々好きになり、ブログの記事をふくらませる代わりに既掲載の記事・・・「題名のない音楽館」内の「惑星」・・・に手を加える方を選んだからである。DTMによる演奏例を幾つか入れ、文章も書き直した。
DTMは「木星」の、例の有名な部分だけのつもりが、どんどん欲が出ていって、何カ所も示すことになったのである。ここには「木星」のその例の箇所のみ入れておきたい。

大編成による凄まじい音響、随所に入るオルガンの地響きなど、ナマでないと体験できないことを十二分に堪能した。

しかし、1点だけ難を言うが、「海王星」で聴こえる舞台裏の女声の声が、合唱ではない5名ほどのメンバーで演奏されたことである。
何か声が薄いな、深みがないな、と思っていたら、最後のメンバー紹介で5人だけ出てきた。そもそも舞台裏・・・チケットオフィスの窓口があるので立ち寄ることが多い・・・で目にしていた合唱グループ用の名札が、少ししかなかったので多分そうなのだろう。

アンコールとしては「マ・メール・ロア」から「妖精の園」が演奏された。

さて例によって私のリファレンス。
「天体の音楽」は幾つかあるが、カラヤンが1987年にニューイヤーコンサートで振ったときのものがベストだと思っている。但し、現在は新品の入手は困難かも知れない。
また「惑星」は、上記の記事にも書いたが、これもカラヤンのもの、しかも若い頃にウィーンフィルを振ったときのものに尽きる。こちらは安価になっているので、騙されたと思って、ぜひ聴いてみて欲しい。私はこの盤で聴き馴染んでいるのだ。そして、これ以上の演奏に中々接し得ていない。

2012年4月11日 (水)

京都市交響楽団 大阪特別演奏会 2012年4月8日

京都市交響楽団を聴くのは、実に40余年ぶりのことである。最初に聴いたのは、京都の大学に通っていた頃のことだと記憶する。曲目も指揮者も忘れたが、弦のアンサンブルが悪く、二度と聴く気がしなかったことだけ覚えている。

当時既に海外の名だたるオケが来日していて、その幾つかは聴いていたし、大フィルもまあまあ聴いていた。テレビではN響の演奏会もあった。そして、まだレコードの時代だったが、レコードではそれこそベルリン・フィルだとかウィーン・フィルをはじめとする超一流の音に、それなりに(数は少なかったので「それなりに」)親しんでいた。
それらの、どれとも比べるべくもなく、とにかくダメなオケだという印象だった。そもそも、国内のオケの水準というものが、現在とは比較にならないほど、レベルの低いものだった。

それが、大友直人の指揮の頃だったか、広上淳一が常任指揮者になってからだったか、「オーケストラの森」だったかにより、最近結構いい演奏をするようになったなあと感じ、もう一度ちゃんと聴いておきたいと思うようになっていた。

広上淳一の指揮は、このブログのどこかに書いた記憶があるのだが、プロコフィエフの7番の最終部を当初のピアニシモでなく改訂(改悪!)後の、コーダを付け加えた版でやったという1点で私の評価はキッチリとは定めるに至っていないのだが、マーラーの「大地の歌」などは素晴しい演奏をしていたし、概(おおむ)ねは、評価していいと思っている。

その広上が、手兵を引き連れてザ・シンフォニーホールに来る。で、曲目に「シェエラザード」が含まれているというので急遽チケットを入手し聴きに行ったのである。(私は奈良在住だが、京都より大阪の方が距離的に近いので)

ドヴォルザークの「スラブ舞曲第1番」で始まり、次いでドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(独奏=パヴェル・シュポルツル)、そしてリムスキー・コルサコフの「シェエラザード」という順。
協奏曲の後に「ユモレスク」の協奏曲形式編曲版(原曲はピアノ独奏)、パガニーニの「奇想曲」、バッハの無伴奏パルティータから「ガヴォット」と3曲ものアンコールがあり、「シェエラザード」の後にも1曲のアンコールがあり(曲目分からず)、大いに盛り上がった演奏会だった。

京響の、40余年前に感じた「弦の汚さ」が、現在どれだけ改善され進歩しているのかは、残念ながら限りなくバックステージに近い2回席だったので・・・つまり、オケに向き合う席でなく指揮者に向き合う席だたので・・・私からは弦が遠い位置となるため、確認できなかった。しかし、シェエラザードを担当したコンマスのレベルからしても、往時と比べて格段の進歩を遂げたことは、容易に推察できた。

そんな席だったので、金管楽器と打楽器の音量の凄まじさには半ば閉口したが、当然ながら、広上の指揮ぶりや表情が手に取るように分かる、というメリットもあった。
テレビで放送されていたときも然りだが、力の入れ処は大きなアクションで指示を飛ばす一方、手を抜いて構わないと判断したのであろうという箇所はオケに勝手にやらせる、という手法。力を入れる処では意気込みの声もハッキリ聞こえた。指揮棒は3曲とも手にしなかった。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は余り聴いていない。また、チェロ協奏曲ほどには有名でもないはずだ。聴きながら「この差はなぜ出来たのか」と考えていると、やはり深さとか奥行き感の問題なのだろうと思うに至った。ドヴォルザークだから懐かしく美しいメロディーには事欠かないのだが、「最高の傑作」と呼ぶには何かが足りないのである。ヴァイオリン協奏曲の中にあっても、もっともっとヴァイオリンという楽器の特性を活かした名曲はあるわけだし。

アンコールの「ユモレスク」は、実に良かった。こんな協奏曲形式でやるのは珍しくないだろうか。しかし、その形式も相俟って「こんないい曲だったのか」と再認識させられる演奏だったし、演奏形式だった。

さて、「シェエラザード」である。
近代管弦楽法の祖と言うべきリムスキー・コルサコフの曲は、一度はナマで聴いておくべきものだと思っていたので、それがようやく達成されたのである。
この曲、聴けば聴くほど、実によくできた曲だと思うようになってきている。かなり好きになってきた曲でもある。

第一、曲の話から少し逸(そ)れるが、アラビアンナイトの語り手である、このシェエラザードという女性、話を聞き続ける残虐無比(だった)王様でなくても、惚れてしまうのではないか。実に知的であり聡明であり、かつカワイイ女性というイメージになる。だからこそ、リムスキー・コルサコフも、独奏ヴァイオリンに、あれほど魅惑的なメロディーを持たせたのであるはずだ。
尚、私のこんなイメージを確定したのは、かなり前にテレビでやっていた、イギリスだったかの映画作品である。中々DVDで見つからないのでここにも挙げられないのだが、その主役が実に上記のイメージにピッタリだったのである。

さて、こうした曲となると私はどうしてもデュトアの演奏にトドメを差すと思っている。こうした曲を振らせると、まず期待を裏切られることはない。
あと、当日のプログラムとは異なるが、広上-京響による「名曲シリーズというCDが発売されている。比較的安価だし、手許に置いてもよさそうだ。

蛇足だが、題名のない音楽会の2011年7月3日の回で「ご当地オーケストラ」というのをやったことがある。ブログは書いていないしメモも残っていないのだが、また、京響は出演していなかったのだが、佐渡が「ご当地オーケストラ」の存在意義について、

「僕にとって一番身近でいつでも聴きに行けたのが京響だったし、憧れでもあった。N響もベルリンフィルも、ウィーン・フィルも勿論聴いていたが、レコードやテレビの中の世界だった。それよりも、身近にあった京響が、僕の大切な存在だった。だから、それぞれの「ご当地オーケストラ」も、地元の人たちの身近な存在であり続けて欲しい」

と言っていた(これだけは、メモが残っていた)。
そのとき、「エッ?京響が彼のベース?!」と、半ば呆れもしたのだが、それはまだ40余年の歳月を経ても尚、最初に聴いたときの芳しくない演奏の記憶が残っていたからでもある。
彼の年齢からして、大友や広上が常任になるようも以前のことのはずで、どんなレベルの演奏だちたのかは想像もできないが、それでもナマで聴く機会を増やすということだけでも、地元に根付いたオーケストラというものは、大きな存在意義がある。

会場では、どういうわけか中高生らしい観客が結構目立ち、休憩などに「ああ、もっともっとオーケストラ、たくさん聴きに来よう」などと、臨席の友人と思われる人と話をしているのを耳にした。

こういう人たちが、クラシックファンとして根付いて行くのであるはずだ。

N響だって、若い人たちを主なターゲツトにしているコンサートを何度もやって、多くの若い聴衆を集めてきている。そんなこと、NHKそのものだって知っているはずじゃないか。それを知っていて、どうして「N響アワー廃止」などという暴挙・愚挙をやらかしてしまったのか。

さらに、大阪にとっての「ご当地オーケストラ」は、何と言っても大フィルだ。私は阪神間に住んでいたが、国内のオケを聴きに行くのは殆ど大フィルだった。
その大フィルを存亡の危機に立たせるという、文化音痴の市長には、直す薬もない、という処だ。

ああ、またハラが立ってきた。

さて、「題名のない音楽会」の、2011年放送分の落ち穂拾い。上記に活かすことにより、これが最後となった。あとは書いたり書かなかったりしているが、当時はまだ全ての回について記事にすると決めていたわけでもないので、これをもって「落ち穂拾い完了」とすることとした。

2012年3月27日 (火)

小林愛実 ピアノリサイタル 2012年3月24日 於ザ・シンフォニーホール

ザ・シンフォニーホールから毎月パンフレットが届くようにしていて、そのパンフレットに「アルゲリッチやキーシンも絶賛」と書いてあるピアニストがいて、気になっていたのだが、新聞広告にも出たので思い切って出かけた。
「キーシンが絶賛」とだけ書いてあったら、行かなかっただろうが、「アルゲリッチも絶賛」とあったので、アルゲリッチの感性を信じたわけだ。

それが掲題のコンサートである。小林愛実。1995年9月生れだそうなので、当年とって16歳。
前半がオール・ショパンで、スケルツォの1番と2番、ノクターン20番遺作、そしてバラードの1番。
後半がプロコフィエフの3番のソナタとベートーヴェンの「熱情」。
そしてアンコールに、ショパンの(多分)マズルカの1曲と、シューマン「子供の情景」のアタマ3曲、さらに「トロイメライ」。

行って良かった。一言で「素晴しい」の一語に尽きる。
プロコフィエフの3番のソナタ、私は初めて聴いたし、それなりに面白く、また比較的聴きやすい曲だと思った。
その他は、私にとって何度も何度も聴いてきた曲である。他の人々も程度の差こそあれ、同じようなものだったと思う。

そして、弾く側にとっても、色々なピアニストが色々な演奏をしてきた曲だ。それだけに、他の人とは違う個性を出したいと思ったりもして、少しずつ、またはかなり変えて演奏する人も少なくない。

小林愛実の演奏は、そうした、奇を衒(てら)ったような処は全くなく、言わば正統的な演奏だという印象だった。そして、ショパンもベートーヴェンも、「何といい曲・・・」と感じさせるパワーがあった。1本1本の指に集中力を凝集し、完璧にコントールしているのも良く分かった。

これはスゴイ・・・と思いながら休憩中にプログラムを読み返すと、既に錚々たる経歴の持ち主である。
そして、何と「題名のない音楽会」に出場したことがある、と書いてあるではないか。

帰宅して手許のメモを確認すると、2011年7月10日の回に出ていて、8月3日付けの記事としてアップしているではないか。道理で「アルゲリッチも絶賛」という触れ込みに、何か見覚えがあると思ったのだ。そして、その記事に「番組の企画はつまらなかったが、小林愛実というピアニストを知ったのは大きな収穫」と書いてある。
物忘れをするようになったと少しガックリする一方、だからどんな記事をいつアップしたかはメモしておくものだ、と改めて思った(2009年の9月から実行している)。

もうこれで小林愛実、忘れることはないだろう。上記の記事にも書いた通り、注目して行きたい。

さて、このコンサート、久しぶりにスタインウェイの音に浸ることができたコンサートでもあった。ヤマハも決して悪くないが、やはりスタインウェイは違う。音の輝き、音の粒建ちが違う。前から4列目の席だったので、まさに「堪能した」の一語。

そして小林愛実、既にメジャーレーベルからデビューしている。
DVD付きのがデビュー盤。CDのみのものが、この日のプログラムの内容にほぼ近いものだ。私もそのうち手許に置くことにしたい。

2012年3月 7日 (水)

N響特別演奏会2012年2月27日 ラフマニノフ2番とラプソディ

2月27日の掲題のコンサートは、N響の大阪スペシャル公演で、NHK大阪ホールでなく、ザ・シンフォニーホールで行われた。みずほ銀行の協賛によるもの。
曲目がラフマニノフの交響曲第2番とパガニーニ・ラプソディということと、N響がNHK大阪ホールで演奏したのは聴いたことがあるが、ザ・シンフォニーホールでは聴いたことがなかったので出かけたのである。指揮は尾高忠明。

実は不安が半分ほどあった。パガニーニ・ラプソディは大好きな曲でホームページにも載せているほどなのだが(「題名のない音楽館」内の「パガニーニ・ラプソディ」のページ)、それだけに思い入れも強く、なかなか「これ」という演奏に廻り逢えないでいる。
まして、ピアノが小曽根真というので・・・。まあ、交響曲第2番をナマで聴いたことがない、というのでなければ、パスしたかも知れない。

小曽根真はジャズを軸足に置き、クラシックのコンサートにも出演する機会が増えつつある人で、N響アワーなんかで聴いたことがあると記憶するし、最近では「名曲探偵アマデウス 2011年9月24日放送」で、「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏したのを聴いたことがある。
その記事にも書いたが、「ラプソディ・イン・ブルー」はガーシュウィンがクラシック音楽の入り口に立つために書いた曲であり、自分でもピアノが弾けたから、とくにピアノパートはかなり書き込んである。そしてクラシック音楽として書いたのだから、ジャズピアニストが勝手に料理するのは間違っていると私は考えている。まあそれでも「アマデウス」の演奏例として弾いたときのものは、ジャズのアドリブへの脱線は最小限に留まったので「まし」だったのだが。

それで、まさかラフマニノフでは脱線するまいなーと不安だったのである。

そして、不安は、不幸にも的中してしまった。初めのうちほどおとなしくしていて「おっ、まともに演奏する気でいるのか」と見守っていたら、曲が進むにつれて少しずつ脱線して行き、脱線の度合いが大きくなり、遂には例の第18変奏を、キッチリと終らずに要らないアドリブを付け加えて長く引っ張るという愚挙をやらかした。
あの第18変奏は、いつまでもメロディーの素晴らしさに浸っていたい処を断固として打ち切って次に進むからこそ価値が大きいのだ。しかも、全体にわたって然りなのだが、とくにその後の部分から終りにかけて、全然弾けていないのである! 音の粒立ちがなく、隣の音どうしが繋がってしまっているのだ。

こんな演奏は絶対に認めない。ラフマニノフこそ、ジャズではなくクラシック音楽だ。ちゃんと弾けもしないのにアドリブで遊ばんでほしい。オモチャにしないでもらいたい。
また、こんな演奏で拍手する人がいるんだ、これが。この演奏が気に入らなかった人は私だけではないはず(周りから聞こえてくるヒソヒソ話しで分かる)。なのに殆どの人が拍手する。私は断固拍手を拒否した。

アンコールとして1曲披露した。
何を演奏しているのか初めは分からなかったが、協奏曲第2番の第2テーマを、ジャズ風にしたものだと気がついた。まあ、これは許せんでもない。一応これは拍手しておいてやった

不満が残ったまま前半を終え、後半が一番聴きたかった第2交響曲。

この曲、ピアノ協奏曲の2番とか3番のあとに聴き始めたこともあり、何か二つの協奏曲の影を引きずるというか、ピアノ協奏曲だったらもっと巧く書けただろうに、という思いのすることが多かった。
しかしその後何度か聴いているうちに、これはこれで、独特の魅力のあることが分かってきたのである。一種、ハマる要素がある。

そして、ナマで聴いて良かったと思ったのは、この曲が・・・当たり前のことなのだが・・・大編成のオケを駆使し、チャイコフスキーを彷彿とさせる凄まじい音響を伴う曲だった、ということである。音響だけではない。チャィコフスキーの曲に多く出て来そうな音型も処々に登場する。

ラフマニノフは20世紀の作曲家としては古風な作風を採っていったが、反面、チャイコフスキーという偉大な先達の影に脅かされ続けた人だった、と言うこともできそうだ、と改めて思った。
尾高の指揮も中々良かった。というか、最近安心して聴ける指揮者の1人だと私は考えていて、その期待を裏切らない出来だったと思う。

さて、「ラプソディ」については先に挙げたページに詳しく書いてあるので、ここでは交響曲の、私のリファレンス盤について。
余り幅広く聴いては来なかったのだが、プレヴィン盤を挙げておく。

2012年2月20日 (月)

兵庫芸術文化センター管弦楽団 第49回定期 カムのシベリウス

オッコ・カムという指揮者は、「終った人」だと思っていた。

久しぶりにコンサートに行くことにして予約していたのは、しかもそれが兵庫芸術文化センター管弦楽団(以下PACと略す)の定期だったのは、3年前の2009年7月19日、リントゥ指揮PACでシベリウスの5番を聴き、中々良かったからである。
しかも今回は7番と2番ということなので、指揮者は率直に言って誰でも良かった。同じオケでシベリウスの実演を、また聴いてみたかったという要素の方が大きかった。
少しは期待もあったが、同時に、カムの指揮だと言うことで、むしろ不安の方が大きかった。冒頭に書いたように、「終った人」だと思っていたためである。

この人は1969年の「第1回カラヤン・コンクール」で独学で指揮を学んだという経歴ながら優勝してしまい、その勢いに乗って(優勝者のための特典だったらしい)、翌1970年、ベルリン・フィルでシベリウスの2番を振ってDGG(ドイツ・グラモフォン)からデビューした。
この録音(当時はLP)、私はCDになってから聴いたのだが、どうも今一だったのである。むしろ失望した、というのが近い。

「レコード芸術」などという雑誌を読んでいるわけではないので情報は限られるのだが、その後の活動も、少なくとも華々しい活動は、よく知らないでいた。
会場で貰ったパンフレットによると、フィンランドの幾つかのオケを中心として常任だか音楽監督だかを勤め、日本のオケにも客演したことがあるらしい。N響での客演が挙がっていないので、私が知らないはずだ。

私の情報源のメインはN響アワーに他ならなかったのだから!!!
誰だ、N響アワーを廃止するなんて決めたのは!!!
情報源の多くをN響アワーに頼っていたという人、私以外にも相当おられるはずだ。これは文化だ。
NHKたる者が、こうした文化破壊をやって平気でいる、という神経がもはや信じがたい。時たま良い番組があるし、何よりも現在であれば災害情報などは一番だから仕方ないが、そうでなければスグにでも受信契約を解除したい処だ。

・・・と、また怒りと哀しみが沸き起ってくるのだが、それはさておき・・・

N響にゲストとして招聘されないということ、それはN響の見識というものだと大きく評価してきた(今後はどうか知らないので、過去形)。話題になりそうであれば、あのド素人同然のF・Hなどという輩でも呼んでしまう「題名のない音楽会」との、大きな違いだ。

その意味でも、つまりN響に客演したことは挙げられていなかったので、パンフレットを見ても不安は解消されないでいた。

ところが、である。

プログラムの1曲目は「組曲 カレリア」で、これはまあこんなものだろうと思って聴いていたのだが、2曲目の「7番」で、「ああ、聴きに来て良かった」と思うに至ったのである。この曲って、こんなにいい曲だったのか・・・。

シベリウスの交響曲を集中して聴いた時期があったので、「全集」として、またはバラ売りで何種類か持っているし、当然「7番」も何種類か手許にあるが、カム指揮のものは、冒頭に書いたように「終った人」だと思っていたので対象外にしていたのだ。
手許にある演奏のどれよりも素晴しいというわけではない。しかし、良い曲だとは思いながら、私にはまだ何となく、曖昧模糊としてメリハリが少ない、という印象が残っていたこの曲、ひょっとしたらシベリウスの交響曲で一番の傑作かも知れない、と思わせてくれたのである。

曖昧模糊とした雰囲気は残るがメリハリもあり、起伏もあり、ああ、これこそがシベリウスの到達した境地なんだ、とも思わせてくれたのだ。ひょっとしたら、本来彼が描きたかったのはこちらの系統の曲なのであって、初期の「2番」あたりは愛国者的な作曲家として持ち上げられ、本人も結構その気になって熱情に燃えて書いてしまった、いわば気の至りの曲、というのが正しい見方なのかも知れない、とも感じた。

そんな気持になったあとに他ならぬ「2番」が演奏されたので、いつもとは違って、曲が始まってから、中々乗れなかった。

ようやく気を取り直して第3楽章から真剣に聴きだした。短めの第3楽章が、やがて第4楽章に繋がる、不思議だがダイナミックな推移部に入り、そして第4楽章の冒頭へ・・・。冒頭主題のテンポは・・・・。
これが、私の感じているテンポ感に殆どピッタリだったのである。

シベリウスの「2番」の第4楽章の第1主題。音階では「ド-レ-ミ-シ-ド-レ-ド」という、およそメロディーとも何ともつかないような音型である。シからミまで4度の範囲内でうごめくだけの音型。これが感動的に響くようにするには、後で何度も出てくるのを待つまでもなく、最初に出てくるときから存在感を持たせているべきだ、というのが私の感じなのだが、それがピッタリの入り方だったのである。
ここが巧く行ったら、あとはもう成功したと言っていいはずだ。
事実、この演奏もそうだった。

どっこい、オッコ・カムは「終っていた人」ではなかった。

若い時にデビューしているのでもっと年齢が進んでいるかと思っていたのだが・・・それも「終った人」だと思っていた原因の1つだが・・・1946年生れということだから65歳か66歳だ。指揮者としてはまだまだこれから。

会場でよくCDショップが出て、そのときの演奏者のCDを売っている。私は殆どそうしたコーナーに立ち寄ったことはないのだが、今回は立ち寄ってみた。
まあ、私は最近ネットで買うのが殆どなので、会場では手を出さずにきた。
で、改めて2番または7番の入ったものを探したのだが、新品はデビュー盤しか見あたらない(会場で売っていたのもそれだったのか??)。代わりに、私がよく聴くコリン・デイヴィス盤を挙げておく。

尚、定期でアンコールをやらないN響のような楽団もあるが、PACはアンコールをやる。フィンランドの指揮者だから「フィンランディア」をやらないと収まらないかも、と思っていたら、外れた。演奏したアンコールは、多分「悲しきワルツ」だったと思う。曲と曲名が一致しないので「多分」ということで。

2011年11月 9日 (水)

サンクトペテルブルクアカデミーバレエのロミオとジュリエット

2010年10月23日(日)、兵庫県伊丹市にある「いたみホール」で、掲題の公演があった。
娘から、都合が悪くなったので・・・と差し出されたチケットを、好きな作品だしナマでは観たことがないのでホイホイと貰ったのだが、パンフレットを見ると、オケはナマではなく、録音を使うとのこと。S席で6500円だったし(安い)、また「アカデミー」と入った団体だったので、まあそんなとこか、と納得した。

開演前に、ファジェーエフという芸術監督のプレトークがあり、新しい演出による日本初演だと言う。ここでちょっとイヤな予感がした。パンフレットを改めてよく見ると、確かにその旨の記載があった。
とは言え、余り新しいものを拒否してばかりといいうのも良くないと思い、お手並み拝見、という心づもりで臨んだ。

始まると、この新演出のキモだとのことで、「時の女神」なるキャラクターがまず姿を現し、早速面食らったのだが、次いで肉襦袢(にくじゅばん=肌にピッタリと付けて着る、肉色のじゅばん)をまとった男女が何組も現れ、その中にロミオとジュリエットが登場するに及び、拒否反応を覚えざるを得なくなった。
余りにもワイセツな感じだし、ロミオとジュリエットが・・・死後の世界で、とのことだが・・・最初から出会ってしまっているようになり、本編中での劇的かつ運命的な出会いの意味が薄れてしまうではないか。

そして、この肉襦袢の男女数組は、このあとも時折登場するのである。

余り多くはない人数で演じたようで・・・予算の関係? ・・・例の最も有名な音楽が鳴る「騎士たちの踊り」は華やかさがなく、そのシーンで最後に鳴らされるガヴォット(古典交響曲の第3楽章と同じもの)は省略された。そしてバルコニーのシーンも、バルコニーなしで演じられた。

録音による演奏とのことだったので、劇場の音響システムがどのようなものかと思っていたのだが、到底オケを鳴らすにはふさわしくないレベルの音。
プロコの曲では、こんな作品でも時折耳をつんざくような不協和音が大音響で鳴らされることがある。ナマの音ならガマンできるが、レベルの低い再生音だと、ただやかましいだけで、とても聴けたものではない。

時間を追うにつれて違和感がつのり、2幕構成だったのだが、1幕が終った時点で1度も拍手する気になれず、ここで帰ってしまおうか、とかなり迷った。

まあ何とか残って観続けたのだが、「時の女神」が相変わらず妙な処に出てくるし、二人だけの結婚式を挙げさせる修道僧は出てこないし、殺し合いのシーンで本来は怒りの余り我を忘れて剣をとってしまうロミオに剣を渡すのが「時の女神」だったり、かなりイヤになった。

それでも、最後近く、ジュリエットが、ロミオの死んだ姿を見て嘆き悲しむシーンだけは、迫真の演技と言えるもので、思わず心を動かされてしまった。ここだけは拍手した。ただ、ここは音楽の持っている力が余りにも大きいことが、イヤでも心を動かされることに繋がる、ということはあるだろう。

まあ、自分ではまず買わないチケットだっただけに、良い経験をさせてもらった、ということだ。

それにしても、全体として大したことのない演技だったし、新しい演出で違和感があったし、こういうものを観ていると・・・会場で観ながらその思いを強くしていったのだが・・・どうしても、オーソドックスな演出で踊りのレベルも高い第一級の公演が、いかにスゴイものであるか、ということを改めて感じざるを得なかった。

会場には、地もとの会場ということもあってだろうが、いかにも「バレエを習わしてます」「習ってます」然とした母子連れが目立った。
もしかすると既にオーソドックスなものを観ているのかも知れないが、もしこれを最初に観ているのだとすると、どう思ったのだろうか。
やはり最初にDVDなどでオーソドックスなものを見せておくべきだろう。

2011年6月23日 (木)

ハーディング指揮 マーラー室内管弦楽団 ブラームス

2011年6月12日(日)。於ザ・シンフォニーホール。ブラームスの2番と4番。

コンサート会場に足を運んだのは、およそ2年ぶりのことだ。2009年は毎月のように何らかの演奏会に行ったものだが、2010年は、これといった演奏会を見つけることができず、また出かけるのが億劫にもなっていて、遠のいていた。

このコンサート、娘が「早めの『父の日のプレゼント』としてくれたもの。私の好みを完全に知っているわけでもないので、どちらかと言うと私が敬遠しているブラームスの演奏会のチケットをくれたのである。
100%喜んでやれなかったもう一つの理由は、ハーディングが、私の嫌う「ノン・ビブラート奏法」の人だからだ。

それでも折角くれたのだし、2年も遠のいていたコンサート会場に行くのもいいと思ったし、何よりも、ブラームスとは言っても、比較的好きな2番と、最高傑作と考えている4番をナマで聴いてみたい、という思いもあった。

行って良かった。実に良かった。

実は標題に「マーラー室内管弦楽団」と書いたが、正しくは「マーラー・チェンバー・オーケストラ」とすべきなのだ。過去からの慣習もあり、また他に適切な訳語もないからだろうが、「チェンバー・オーケストラ」を「室内管弦楽団」と訳すことになっているので仕方ないのだが、60名~70名という陣容から見て、決して「室内の」楽団ではない。
ハーディングによると、「室内楽的な響きを大切にしたオーケストラ」というほどの意味だそうた。

さて、2番から始まったのだが、冒頭、低弦が主題を奏で始めたとたん、「何といい曲なのか、これがドイツ音楽の真髄だ・・・」と唸らされ、続いて「1番を出して高い評価を勝ち取って、ようやくベートーヴェンの頸木(くびき)から脱することができたんだねぇ」と思い、さらに続いて「何でブラームスは、この曲のような明るい曲を書き続けなかったのか」と思った。

ところが、団員の入場と音合せを見ていて、弦がビブラートをかけない・・・ことはなかった。あれ? ! 練習のときだけビブラート?
そればかりか、曲が始まっても、キッチリとビブラートをかけているではないか。

そう言えば、何時のことだったか、N響に振りにきたとき、練習風景で、彼が最初に「ビブラートはどうしますか?」と聞いていたシーンがあった。そのときはコンサートマスターが即座に「かけないで演奏しましょう。問題ないです」と答えたのでノン・ビブラートで演奏したのだ。
で、何の曲だったか忘れたが、私は、ノン・ビブラートは嫌いだが、それなりに良い演奏だ。結構スゴイ指揮者なのかも知れない、と思ったものだ。

とすると、マーラー・チェンバー・オーケストラは、ノン・ビブラート奏法を拒絶しているのか。それとも、ノン・ビブラート奏法は音程を厳密に合わせないと響きが汚くなるので、技術的に自信がなかったのか・・・。

しかし、こんなことを考えながらも曲が進んでゆくうち、そんなことはどうでも良くなってしまった。ああ、この曲、ブラームスの中だけではなく、かなり好きなんだなあ・・・。もともとは、ブラームスの交響曲の中で一番最初に聴いた曲であり、即座に好きになった曲でもあった。
モントゥー指揮ロンドン交響楽団が来日したときの放送で、同じ組み合わせのレコードも比較的すぐに入手した。

とくに、第4楽章の、喜びが爆発するような感じは、ブラームスはブラームスなりに(ベートーヴェンとは違う書法で)喜びの表現を見いだしたような処があり、それでいて少しは自制もある(ベートーヴェンの曲における「喜び」の表現は、悪く言うとキチガイじみた処がある)。
なぜ折角こんな表現手段を見つけたのに、そのあと、二度とこんな曲を書かなかったのだろう。

・・・という思いに捉えられながら、4番の演奏に入った。これはこれで傑作だし、最高傑作だと認める。しかし、曲の雰囲気は・・・、あれ? !
第1楽章からして、全然重苦しさがない。ひょっとして、重苦しい曲だと思っていたのは、過去の演奏でそうしたものが多かったためか? これがこの曲の本当の姿に近いのか? ちなみに、私のよく聴いていたのはワルター盤だ。

そして、第4楽章。これは誰がみても最高傑作の曲の中でも最高の楽章である。演奏も良かった。

ひょっとすると、ハーディングという指揮者は、ルイージと並んで、ドイツ音楽の伝統を大切にした本格的な指揮者なのかも知れない。まあ、そんなことは私が言うまでもないことで、ラトルやアバドに認められ、21歳でベルリン・フィル、29歳でウィーン・フィルを振り、28歳でこのマーラー・チェンバーオーケストラの音楽監督、32歳でロンドン交響楽団の首席客演指揮者とスウェーデン放送交響楽団の音楽監督・・・という華々しい経歴を重ねてゆくことなど、余程の才能に恵まれていないと不可能だ。

聴衆の多くにとってもそんなことは先刻承知なのか、とくに2番の終った直後の拍手とブラボーの声は凄かった。

アンコールは3番の第3楽章。大嫌いな曲・・・いやだなー。
しかし、これも「あれ?」だった。悪く言うと軽いのだが、良く言うと重苦しさがなくスッキリした演奏。この曲も、本当の響きはこうなのか?

「!」や「?」は余り多用すべきものではないのだが、それほど、私にとっては発見と驚きのあった演奏会だった。
団員が、アンコール曲を終って引き上げ始めるとき、夫婦か恋人どうしらしきカップルが何組も抱き合ってキスするというシーンがあり驚いた。

また、団員が去った後、もう一度指揮者がステージに現れ挨拶する、というシーン、そのときの聴衆のスタンディングオーベーションというのも初めて見聞した。
人気あるんだなあ。

2011年1月23日 (日)

NHK-FM2011年1月23日 大フィル青少年コンサート2010

記事を書こう書こうと思いながら、FMチューナーのアンテナを替えたことに伴う受信チェックにかかった処、標題の番組に出会い、聴きこんでしまい夕方になってしまった。

これは14時から18時までのワイド放送で、前半は京阪神の主要オケが代わる代わる出てきて演奏するという主旨のもの。NHKならではの贅沢な企画である。

実は後半から聴き始めた。後半は「大フィル青少年コンサート2010」である。2009年の青少年コンサートは聴きに行ったのだが2010年は行かなかったので、どんな具合か聴いてみようと思っているうちに聴きこんでしまったのである。

「スポーツに関する音楽」ということで、行進曲がメインかと思っていたら、チャイコフスキーの「花のワルツ」など、強引にスポーツに結びつけてしまったりしていたのだが、「トランペット吹きの休日」など実にうまいと思った。とにかく、コンサート全体を通じて安心して聴けるのである。

大植英次になってからの大フィルの音を聴いたことがなく、朝比奈の末期のときの音は一緒に聴きにいったことのある妻に、聴くように勧めたら、やはり良くなったとの感想だった。

「安心して聴ける」ということは、意外と、オケの常任指揮者として求められるにふさわしい大きな要素なのである。

2010年11月13日 (土)

N響アワー 2010年11月7日 続き

(11月11日付の前稿からの続き)

「アイーダ」によって漸く、ヴェルディはヴァーグナーと同等に位置に立つことができたのでないか、という私の考えについて、このN響アワーの放送を機に手元の「クラシック音楽作品名辞典」で確認してみた。

ヴェルディは1813年生れ。「アイーダ」の初演は1871年にエジプト カイロで行われたので、生れ月を考慮しない単純計算で、このとき58歳。ヴァーグナーもヴェルディと同じ年に生れているので、同様に単純計算で58歳である。

この1871年までにヴァーグナーは、「トリスタンとイゾルデ」(初演1865年、ミュンヘン)以降「歌劇」から「楽劇」へと名称を変更したあと「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(初演1868年、ミュンヘン)を経て、「指環」の序夜である「ラインの黄金」(初演1869年、ミュンヘン)と、「指環」の第1夜である「ヴァルキューレ」(主演1870年、ミュンヘン)まで発表を終えている。

従って、ワーグナーの始めた新しい手法に対して、「アイーダ」に取り組んでいたヴェルディは十分知っていたと推測できる。いや、私は、知っていたというレベルを超えて、衝撃を受けたのではないかとさえ思う。

この辞典によると、ヴェルディの作品はこの「アイーダ」から後期と区分されるのだそうで、その後期は、ヴァーグナーの影響を色濃く受けたものとなった、ということである。私が推測し感じていたことは当を得ていたのである。
ちなみに、プッチーニは1858年生れであり、「アイーダ」初演の1871年時点では、単純計算で13歳。

プッチーニはその後、単純計算で35歳のとき「マノン・レスコー」(初演1893年、トリノ)そして38歳のとき「ラ・ボエーム」(1896年、トリノ)そして「トスカ」(初演1900年、ローマ)を発表する。
ヴェルディは1901年まで生きていたので、これらを見ることができたであろう。半世紀近く年下の、新たな才能を、ヴェルデイはどのように受け止めたことだろうか。

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