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テレビ放送、ラジオ放送

2013年11月 6日 (水)

最近の音楽番組について(3) 題名のない音楽会

「題名のない音楽会」は、黛敏郎が司会であった頃から、ほぼリアルタイムで視聴し、多くを得てきた番組である。番組オープニングの際に、各楽器が順次入場しながら「聖者の行進」を演奏していた時代、と言えばおわかりになるだろうか。
そもそも、テレビ東京系列で放送が始まり、確かその頃だったか、何年も続いたあとで一旦番組が終了したことも覚えている。その後ほどなくして再開したのとテレビ朝日系列に移行したのと、何れが速かったか。

黛敏郎の没後、「新・題名のない音楽会」なる、どうしようもない番組がとって代わり、やがて羽田健太郎が司会となって「題名のない音楽会21」に。
そして、羽田健太郎が急逝したあと、元の番組名に戻って佐渡裕が司会になった。

当初は大いに期待し、それを喜ぶ記事も書いた。(「題なし復活万歳!N響アワー立て直し万歳!」ご参照)

我が家にビデオが導入されて以降、N響アワーは殆ど毎回録画保存し、黛敏郎時代の「題名のない音楽会」も、殆ど毎回録画保存してきた。後者については、彼の余りの右翼的主張がイヤで消去した回があり、また双方とも、ビデオの保管場所がまずく、半数以上にカビが生えてしまって廃棄を余儀なくされたりしたが、それでもかなりの回数が手許に残り、それらを、このほど全てDVD化する作業を終了した。

その後「新・題名のない音楽会」は一切録画せず、「題名のない音楽会21」は、興味の沸く回のみ何回か残した。
N響アワーも「題名」もいつの日だったか、媒体がDVDに変わった。

そして、佐渡裕司会による「題名のない音楽会」が始まったのである。
佐渡裕司会となって以降、全ての回を録画保存している。
いや、「していた」とすべきか。

何となく番組の内容に浅いものを感じ始めてはいたが、余りにひどくて見る気にも録画する気にもならなかった回があり、現在までたった1回だが、録画保存しなかった回がある。

ジミー・ペイジを採りあげた回だ。

未だに分からない。これ、何のためにやったのか。
佐渡裕が好きで・・・というなら分からないではない(それでも、自ずからこの番組で採りあげるジャンルには制限があって然るべきだとは思うけど)。それが、別に佐渡が好きだというのではなかったのである。

そういう内容の番組は、あっていいと思う。
しかし、それをこの番組でやって欲しくない。
いや、やるべきではない。

そして、メモを取りながら視聴するということを続けてきいていのだが、そんな回をキッカケに、またブログの記事のためだったとは言え、メモが溜まり過ぎてしまったこともあって、内容の「ふり返り」を極力省略して、簡単に、点数と1行程度の評で済ませる回があっていいな、と考えるようになったのだ。

さしずめ、上記の、ジミー・ペイジの回は0点である。批評に値しない。

(この稿続く)

2013年11月 5日 (火)

最近の音楽番組について(2) クラシック音楽館

NHKの音楽番組では、「らららクラシック」とこの番組を録画して視聴している。
「ららら」の方は、前稿に書いた通り、単に時間をずらせて視聴したいのと、このサイズの番組が中々ないので「飢え」をしのぐためで、視聴したあとは即刻消去している。

で、今となってはN響アワーのアトガマと言えなくもない、この「音楽館」である。
これも不思議な番組である。N響アワーのアトガマでも何でもない。時間も構成も、どうしようもない低レベルだ。何点か思いつくままに列挙する。

  • 時間帯がおかしい。
  • N響の公演を中心に、一つのコンサートを殆ど垂れ流し状態で放送するだけ。
  • であれば、公演開始の19時にスタートして、もさにリアルタイムで放送する方が、遙かに気が利いているというものだ。現に、FMでそれをやっているではないか。21時開始なんて、リアルタイムで視聴するには遅すぎるし、所要時間もあって遅くなっては困る人も多いはずだ。勤め人なんて、まさにそうだ。
  • かと言ってあとで見ようと思っても、長いからなかなか時間が取れない。
  • 結果、録画だけ溜まっていって収拾がつかなくなる。
  • FMでほぼリアルタイムで放送している方は、解説なり感想を言う評論家なり作曲家なりがいて、彼らのコメントが思わぬ参考となることもある。音楽館は、それもない。単なる垂れ流し。
  • メインのコンサートのあとに、「余韻をさらに深めるために」と称して、違うときの演奏会の録画を流すのだが、これって、蛇足以外の何物でもない。コンサートの余韻というのは、演奏会場から出てきたあと、独りで反芻したり、分かり合える人が一緒に行っていたならば、そのコンサートについて語り合うとかによって深まるもののはずだ。そもそも、そのコンサートで圧倒されたのであれば、静かな処であれこれと思い返すしかなく、何も語りたくなく、暫くの間は何も聴きたくなるはずだ。こんなことも分からないのが、この番組の企画者なのか。
  • 司会として岩槻里子が出てきたときには、「あ、戻って来てくれた」と思った。しかし、同時に「N響アワーに戻ってきて欲しかったなあ」とも思った。恐らく本人も、産休中にN響アワーが消滅しているなど、夢にも思わなかったのではないか。役割ということもあるだろうが、司会ぶりは精彩を欠く。
  • 少し前に放送した、「ほっとコンサート」で、そのコンサート自体の司会も岩槻が担当したのを見ることができた。活き活きしていたし、指揮を務めた山下一史とのやりとりも良かった。ある程度以上は音楽全般について分かっている、という彼女ならではの受け答え、そして山下とのやりとりであった。

そんなわけで、録画はするが、自分なりに興味の持てない回のときは、見ずに即刻消去するようになった。
現に、この番組は土曜だったか日曜だったかにBSで放送していた「特選オーケストラライブ」(名称は何度か変わっている)を、日曜の夜に移動しただけのものと見受けるのだが、朝にやっていたときも、興味のもてる回を除くと、即刻消去していたものである。

単に時間帯を移動しただけで、その分朝の時間帯からは消滅したので、総時間数は減っているのではないだろうか。

これを、音楽番組の貧困と言わずに、何と言うのか。
NHKたる者が、自ら養成してきて視聴者の耳を養ってきた文化水準を地に貶(おとし)めて何とするのか。

全ては、N響アワーの廃止という暴挙・愚挙に端を発するのだ。全ての要素が狂ってきた。

VTRの整理にあたって、改めて、岩城・阿木耀子が司会であった時代のものから、中村紘子時代、池辺時代にかけて、何本かを見なおす機会があった。
池辺晉一郎が司会の時代、相手が壇ふみのときはまだしも、若村麻由美、さらに大河内菜奈々子と換わっていったとき、この二人が揃いも揃ってなってないと批判したが(私の「続・音楽番組の貧困」ご参照)、改めて何本かを見なおすと、それぞれ、それなりにいい雰囲気で務めているではないか! 何れも交代して直後のときの放送なので、最初は良かったが・・・ということなのかも知れないが。

例えそうであったとしても、N響アワーという番組そのものが消滅してしまった現在と比べて、アシスタントはどうであってもN響アワーという番組が存在していたことの方がいいに決まっている。

N響アワーのアシスタントに岩槻里子が就任し、「題名のない音楽会」の司会に佐渡裕が就くことになったとき、大いに喜び「題なし復活万歳!N響アワー立て直し万歳!」という記事を書き、「音楽番組の貧困」から始まる一連の記事にピリオドを打ったのだったが、まさか今になって、その続編を書く可能性に言及せねばならぬとは、不愉快なことだ。

というのは、佐渡裕によって復活なった「題名のない音楽会」なのだが、どうにも首をかしげざるを得ない回が散見され、その頻度も多くなってきているように感じるのである。
NHKに期待できなくなった以上、「題名のない音楽会」には、よりしっかりしてもらいたいのだが、期待過剰なのかも知れない。

VTRを整理するにあたって、N響アワーだけでなく、黛敏郎が司会だった時代の「題名のない音楽会」も見なおす機会があった。
その頃に比べると、かなり内容に重みも深さも欠けている、というのが現在の「題名のない音楽会」だと言わざるを得ないのである。

これでは、NHKも民放も、クラシック音楽番組の柱たるものがなく、総崩れだ。
これを、「音楽番組の貧困」と言わずして何と称するのか。

そもそも、「音楽番組の貧困」を書いたときは、NHKはまだしも民放は・・・という主旨だったのである。
それが、よりしっかりと取り組んでもらいたいNHKがこの体たらくとなってしまうことになるとは、実に情けないことだ。

次には、「題名のない音楽会」の現状について書く。

2013年11月 4日 (月)

最近の音楽番組について(1) らららクラシック

かつて、主として民放における音楽番組で殆ど見るべきものがなくなっていた時期に、私のホームページ内の「題名のない音楽館」の中に「音楽番組の貧困について」という記事を書いたことがある。1994年4月に初稿を載せ、その後続編も書きながら2回ほど改訂を加えている。

この初稿の頃は、黛敏郎が他界したあと「題名のない音楽会」が「新・題名のない音楽会」と改称し、どうしようもない方向に迷走して行っていた時期で、全般に、民放における音楽番組「貧困」について書いていて、NHKはまだましだけど・・・という論調でもあった。

しかし、時は巡り、N響アワーを軸としたNHKの音楽番組でさえも、どうしようもないレベルに堕ちてしまう・・・という状況となってしまった。ここまで堕ちてしまうということは、想像の域を遙かに超えてしまったことである。
これでは、「再び、音楽番組の貧困について」といった記事を書かざるを得ないだろう。
ただ、一気に書くのは中々大変で疲れるので・・・1994年初稿の時に比べてトシもとったので・・・まずは、少しずつここに書きつつ、考えを纏めて行くことにする。

で、まずは「らららクラシック」である。

当初1時間でスタートした時は、それでも「つきあい」も兼ね、また批判するためには一応見てやろうという気もあって、何度か見たし、このブログに批判も書いた。何回かはそうして付き合ったのだが、とても付き合うだけの価値のある番組ではないという結論が出て、見るのをやめてしまったという経緯がある。

30分に短縮されてからは、コンパクトにまとまった点と、加羽沢美濃がピアノを鳴らしながら楽曲分析をする時間が増え、かなり良くなったと思った。そのこともあって、しばらくは、メモを取りながら視聴することを続けた。その後、色々なことがあって随分メモだけが溜まってしまったのだが、このブログの本来の目的の一つである、音楽番組評として活かせるかも知れない時に備えてのことだった。

しかし、毎回視聴し続けることにより、次第にイライラすることが多くなって行った。次第に、メモを取りながら聴くのがアホらしくなっていった。

私は、加羽沢美濃は作曲家としても編曲家としても即興演奏家としても評価するし、好きだ。好きだから評価は甘くなるかも知れないが、30分に短縮されてからは、いい役割を果たしていると思う。
しかし、石田衣良との対話がいけない。毎回のゲストとの対話がいけない。ゲストのレベルが総じて低い。
石田。暗い感じの表情で、まず元気を失わせる。
そして、毎回「この曲を読み解く3つのキーワードは・・・」なんてセリフを吐くのだが、何でもなんでも3つのキーワードに纏めるというのは、余りにも単純すぎ、幼稚に過ぎる。
恐らく台本にそう書いてあるのだろうが、従って、台本作者の問題でもあるわけだが、これ、無理が多いのではないか。3つに纏めるという手法は古すぎるし単純すぎるし幼稚なのではないか。
それは、ひいては視聴者をバカ扱いにしていることに他ならない。このことに恐らく気付いていないのではないか。そう推測してしまうので、救い難いなあという思いが募り、毎回イライラするということになる。

そして、少し長めの曲を扱ったとき、演奏例として短縮したものを聴かせる。
短縮版を聴かせて、即ち、一部でもいいから纏まった塊を聴かせることをせずに、その曲の解説をしたことになるのだろうか。

このため、半年経った時点で、メモを取りながら視聴するのは止めてしまった。
半年の間、いつか纏めてブログに・・・と思って書いてきたメモだが、今にしてみると、読み返してみても、たいしたことは書いていない。この際、処分してしまうこととした。いつか書こうと思ってのメモが溜まる一方なのは精神衛生上良くないし。

で、本来は毎回の内容を振り返りながら、個々の点について批評記事とするはずだったのを、全てまとめて、総括記事として本稿をアップすることで替えることにしたのだ。

実は、メモを取るのは止めたが、録画して視聴すること自体は続けている。それは、こうしたサイズの番組が殆どなくなってしまったことによる「飢え」を満たすためと言っても差し支えない程度のものである。録画も、時間を少しだけズラせて視聴したいからであって、1回視聴したら即刻消去している。

11月2日の放送は、モーツァルトの40番だった。珍しくマトモな曲を採りあげるのだなあと少し感心もした。しかし、次回は「乙女の祈り」だと言う。
これ、呆れてモノも言えないというのはこのことだ。呆れるよね。
1オクターブに指を広げることさえできたら、バイエル程度で弾けるはずだ。初心者向けの曲だ。モーツォルトの40番の次にこれ、って長さも、深さも、奥行きも、陰影感も、音楽的価値も、音楽史上後世に与えた影響も、全く違うのに・・・。

一体、この番組は、何がやりたいのか。この調子だと、バイエルまで扱いかねない。いや、そのレベルの曲ばかり扱うのは、それはそれでアリだし、そんな番組は、あってもいいだろう。しかし、モーツァルトの40番と乙女の祈りを並列して扱うというセンスが、どうしようもない。どんなセンスをしているのか。

こんなことは、この番組では今始まったことではない。何曲か、「何でこの曲を?」というものが、これまでにも採りあげられていた。
こんなこともあって、「メモを取りながら聴く価値はない」という判断に至ったのである。

以前にも書いたが、再度言う。

何で、こんな番組のために「N響アワー」を止めてしまったのか!
楽曲分析中心なのであれば、「名曲探偵アマデウス」という面白い番組があった。何でそれを続けなかったのか!

さて、N響アワーを押しのけてこんな番組をつくってしまったわけだが、さすがに悪評タラタラでどうしようもなくなったのだろうか。この番組を「リニューアル」と称し、時間短縮の上、日曜には「クラシック音楽館」なる番組を持ってきた。
これはこれで、何で?ということが多いのである。
次の(2)で、これについて書く。

2013年10月21日 (月)

カセットやレコードを整理していて再発見(5)フラッシュダンス

この曲を最初に聴いたのは、テレビだったような気がする。

堀ちえみ。今ではすっかり、貫禄のある大阪のオバチャンになってしまったが、まだアイドルだった当時、TBS系で1983年下期に放送された「スチュワーテ゜ス物語」で主演を務めた。その番組で使われた曲としてである。

しかし、程なくそれがオリジナルな歌唱ではないことを知る。
ドラマでは日本語で歌われていたが、元は英語で、しかも歌唱力が全く違う。

レコードとして私は両方持っていたが、整理するにあたって英語版だけで十分だと判断し、それをCDで入手した。
レコードではシングルで持っていたが、サントラとしてアルバムで買うことになった。

この中の最初の曲「ウォット・ア・フィーリング」がお目当ての曲だ。試聴されたら「ああ・・・」とすぐおわかりになるだろう。アイリーン・キャラが歌っている。
これは巧い。

サントラだが、元になった映画も、レンタルビデオで後日見る機会があった。
まあしかし、ストーリーが単純すぎて面白いとは思わなかった。だからLDで買うには至らず、DVDで買う予定もない。
ただ、ブレイクダンスのテクニックは現在見ても相当なものであると思える。関心ある方はどうぞ。

ついでに、冒頭のドラマからは、「ドジでのろまなカメ」というのが流行語大賞の候補とされたこともあり、一世を風靡した。

また、ドラマの原作は深田祐介著「スチュワーデス物語」である。但し、原作にはないようなエピソードが多く、別の作品と考えた方がいい。
新品は入手しにくいかも知れない。

これもまたついでになるが、冒頭の「スチュワーデス物語」が最初に始まったとき、私はもっと前に、もっともっとカッコよくスチュワーデスを扱ったドラマとして「アテンション・プリーズ」をよく見ていた。紀比呂子主演。だから、どうしても比べざるを得ず、「スチュワーデス物語」を作品としては余り評価できなかった。

驚いたことに、これ、DVDで見ることができるんですね、懐かしいなあ。

2012年3月11日 (日)

震災の日に演奏したマーラー

本日2012年3月11日は東日本大震災満1周年にあたり、本日も含めて数日前から、テレビ番組の殆どが震災関連一色だ。

関心を持ち続けなければならないことは承知しているが、どうしてもそんな内容ばかりテレビで流され続けていると、陰鬱な気分になってしまう。だから、何か別の番組はないかと、あちこちチャンネルを変えながら流していたら、たまたま、震災当日に新日本フィルがハーディングの指揮でマーラーの5番を演奏していた、という話題に行き当たった。(NHK総合 3月10日23時~ )

ハーディングが新日本フィルの「ミュージック・パートナー」に就任する、その記念のコンサートということで、券は完売していたが、いざ準備にかかろうとしたとき、大震災発生。しかし、会場(すみだトリフォニーホール)の安全が確認されたので予定通り開催を決定。

決定はしたが、交通障碍のため、団員も観客も集まらない。それでも「1人であっても、わざわざ聴きに来て頂けるのであれば、開催する」としていた。最終的には数十人しか集まらなかったが、予定されていたマーラーの5番が演奏された。

葬送行進曲の様相を示す第1楽章を持つこの曲のままでいいか、という論議もあったらしいが、この曲だからこそ、却ってふさわしいとハーディングが考え、予定通り演奏された由だ。
余震の続く中、団員は恐怖と、何人かは親戚知人の安否が不明のままでいたことに不安も感じながら、渾身の演奏を披露。
第1楽章の冒頭を示す(これはDTM)。

観客は定期会員の人も多く、交通手段がなくなっていたので徒歩で会場に向かった人もいた。

演奏会が終了したあと、観客の多くは帰宅が困難になり、ハーデング゛をはじめ団員たちと、会場で一夜を明かしたそうである。
あとからハーディングから、会員にはメッセージが届いたとのことで、彼にとっても忘れられない演奏会になり、マーラーの5番を振るたびに、この日のことを思い出すことになるだろうという主旨のことが書かれていた由だ。

その全文が、新日フィルのページに掲載されている。

観客がたまたま演奏会の模様を音声を録画していたことから実現した番組と見受けたが、音楽番組ではないためか、演奏の様子は各楽章とも途切れ途切れにしか聴かせてくれなかった。
しかし、断片的にしか聴けなかったのだが、凄まじい演奏だったことは分かった。こんな時でないと可能とならないような、超名演だったのではないだろうか。

また、ハーディング指揮マーラー室内管弦楽団の演奏会に行ったときの記事に書いたが、ハーディングって結構スゴイ指揮者なのかも知れない、とそのとき思ったのだが、その前にこんなことがあったということは全く知らなかった。
地震のあまりないイギリスの出身であるハーディングにとって、恐怖と驚き、そして不安は、日本人のそれを遙かに上回るものだったはずだ。
それを乗り越えてあのときに演奏会をやったということで、指揮者としても大きなものとなったのかも知れない。
新日フィルのページに載っているメッセージの内容から、彼が1人の人間としても素晴しい人であることが分かる。

マーラー室内管弦楽団の大阪公演のとき、いつまでもいつまでも拍手が鳴りやまなかったのは、こうした経緯を知っていたファンが大阪にも多数いた、ということであれば説明もつきそうだ。

ただ、残念なのは、観客の一人の証言によると、当日こうした演奏会に行ったということを口外するのが憚られる月日が続いたとのこと。居るんだよねぇ、こういう人。
当日の観客だった人たちが、ようやく発言する気になり、こうした番組か成立したのだろう。

だって、マーラーの5番って、確かに葬送行進曲で始まるが、哀しみだけでなく、怒りとか寂しさとか慰めとか、色々な要素が詰め込まれているのだ(マーラー全般に言えることでもあるが)。
楽しい音楽の演奏会ならともかく(私はそれでもいいと考えるが)、哀しみも怒りも詰め込まれた曲である。

そして、有名なアダージットの楽章(もちろん、これもDTM)

で慰められたあと、喜びが優勢となる最終楽章に至るのだ。

震災の本当の深刻さを観客も団員もハーディングも本当に知ることになるのは翌日以降ということになるが、当日、あんな状況であの曲を聴いた、演奏した、という経験は、震災被害の深刻さに向き合うとき、大きな支えになったのではないだろうか。

と、ここまで書いたが、この曲が、こうした時にも、むしろふさわしい曲だというのは、全く気付かなかった。
上記のDTMを引用した私のページに書いた通り、マーラーの中では少し落ちると私は思っていて、余り何度も聴いてはいないが、過去に1年で2回も名演に接したことがある(若杉弘がケルンを引き連れて凱旋公演した年、テンシュテットによるレコードが出た)。
今回も、断片的だがそんな経験ができた。どういうわけか、聴くときには名演にあたる確率が高いかも。

とは言え、私のリファレンスはバーンスタイン指揮ニューヨークフィルのもの。

ただ、今回放送された秘蔵?音源によるものがもし出たら、リファレンスとは異なった意味を持つ、特別なものとして手許に置くことになるだろう。

(追記)
番組内でも紹介してていたような気がするし、上掲のハーディングのメッセージにも書かれているのだが、当日会場に来れなかった人たちのため、チャリティコンサートとして、同じマーラーの5番を中心としたコンサートが催された。それが6月20日のこと。
上記に引用した、マーラー室内管弦楽団大阪公演の8日後のことだと気が付いた(気付くのが遅い・・・)。8日しか経っていない。

その、20日のコンーサトに行かれた方の、素晴しいレポートを見つけた。

nailsweetさんのLangsamer Satsというブログに書かれている。昨年の記事だが、紹介しておきたい。

2011年2月19日 (土)

関西テレビ よ~いドン ! 2011年2月15日 続き

(前稿からの続き)

グラミー賞を受賞した日本人4名は、クラシックピアニストの内田光子、ジャズピアニストの上原ひろみ、箏曲の松山貴子、そしてB'zのギタリスト松本孝弘である。

このニュースは、2月15日のニュースやワイドショーで採り上げられ、この「よ~いドン」でも「懐メロ紅白歌合戦」のコーナーに付けて話題にしていた。

しかし、ニュースでもワイドショーでも、4名といっても松本孝弘の話題が中心で、他の3名については、ホンの付けたり程度にしか触れられなかった。CDのセールスが膨大なB'zのメンバーだから仕方のないことなのかも知れないが、大きな偏りを感じ、不満に思った。
私は、B'zの名前は知っているしCDも聴いたことはあるが、率直に言ってよく分からないのである。ただ喧しい音楽だとしか思えなかった。

CDが売れていると言っても、近年は各世代にわたって幅広く売れるということは余りなく、ホンの僅かの客層に熱狂的に支持されて売れているのである。それぞれの番組のコメンテーターを含め、B'zをよく聴いて支持もしているという人がどれほど居るのだろうか。

そんな不満を持っていたので、「よ~いドン」で、司会者が「色々な番組でB'zばかり採り上げているけど、他の方も凄いのであって・・・」と言い出したときは、オッと思った。
しかし、続く言葉にはガクッときた。

「上原ひろみさんなど、国内では余り知られていない人だけど・・・」

最近の司会者やコメンテーターの、モノを知らないことには辟易し、遂には諦めの境地にさえ立つようにしているが、久々にガクッときた。
ジャンルは違うが、同じ音楽業界に身を置いている司会者なのに、これである。

上原ひろみは、デビュー盤がいきなりゴールドディスク賞を獲得するという鮮烈なデビューを果たしており、少なくともジャズファンなら知らない人はいないはずだし、クラシックを中心に聴いている私などもよく知っている。
上原彩子がチャイコフスキー・コンクールで優勝したとき、テレビに二人揃って出演したり、二人でトークをしたりして、二人で「ダブル上原」などと自称していたものだ。だからクラシック中心に聴いている私でも知っているわけである。CDも多数出していて、私も何枚か持っている。ここではデビュー盤と、2枚目のものを挙げておく。

さて、こうして、4名とは言ってもB'zが話題の中心になってしまっているのだが、ここでもう一人、是非とも採り上げたい。内田光子だ。
尚、箏曲の松山貴子はよく知らないので触れない。

アメリカにおけるコンチェルトの演奏が、受賞理由の大きな部分を占めているらしいが、内田光子と言えば何といってもモーツァルトとシューベルトである。
私は、彼女の演奏によって初めて、モーツァルトの独奏曲も協奏曲も、またシューベルトのピアノソナタの凄さを知ったのである。

例えば、映画「短くも美しく燃え」で第2楽章が使われたことによってその愛称で呼ばれることもある、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」。この第2楽章は、ずっと、安っぽいムード・ミュージック程度の価値しかないと思っていたのだが、内田光子のCDで、深い哀しみが漂っているのを感じ、泣けてしまったのである。
モーツァルトの音楽が、常に哀しみと共にある、ということを知った瞬間でもあった。
イギリス室内管弦楽団との演奏と、ついでに、私は見ていないのだが映画も挙げておく。

また、シューベルトの即興曲集。
私は色々な人の演奏で聴いてきたのだが、内田光子の演奏には驚いた。例えば、4番。
4番は、子どものピアノの発表会などで採り上げられることも多い曲で、技巧的にはさほど難しいものではないはずだ。
しかし、内田光子が演奏すると、中間部でどんどん深みにはまってゆくような恐ろしさがある。この演奏を聴いたあとでは、どんな演奏も軽すぎて聴くことができない。
併せて、ロ長調のソナタの入ったCDを挙げておきたい。

まあ、今回のグラミー賞の扱い方を見ていると、クラシック音楽の裾野というのは狭いんだなあ、とつくづく思う。

地道に色々と活動し続けるしかないのだろう。

2011年2月17日 (木)

関西テレビ よ~いドン ! 2011年2月15日

関西ローカルのバラエティ番組である。平日の毎朝10時頃から始まっている。
当初は何となく全部流して見ていたが、ある時から火曜日だけ、それも「懐メロ紅白歌合戦」というコーナーだけ見るようになった。
これは、毎週決めたテーマに関して、年代別に街頭で思い浮かべる曲を取材し、男女別に各々上位5曲を紹介しながら、パネラーの半田健人と、司会者やゲストがそれについて予想したりトークを進めるというものである。

私も、予想しながら「当たった」「外れた」と、一緒に楽しんでいるのだが、1位に来る曲を当てたことが何度もある一方、殆ど予想がつかないテーマのときもある。

今回のテーマは「人生ソング」ということで、これは予想のつきにくい部類であった。第一感としては「マイ・ウェイ」だったが、この番組では洋盤は対象外なので予想から外さねばならない。まあ、美空ひばりの「愛燦燦」か「川の流れのように」のどちらか、または両方が入るのかな、と思っていた。

結果、美空ひばりは2曲とも入ったが、「マイ・ウェイ」も入ったのには驚いた。実は布施明が歌ったことがあり、それが入ったのである。
布施明の歌による「マイ・ウェイ」は、発売された当時、歌謡番組などでよく放送もされていたし、その記憶が蘇った。

しかし、その後本家本元の、英語による「マイ・ウェイ」を耳にするに及び、またそのCDを手元に置くようになって以来、布施明が日本語で歌っていたこと自体、忘れてしまっていた。
この曲は、ちょっとエエカッコシイの部長クラスの人がカラオケで好んで歌う曲としても知られている。私も何度か聞いたことがあるが、英語だったか日本語だったか、忘れてしまった。

本家本元の「マイ・ウェイ」。それは、フランク・シナトラの歌によるものである。これしか価値はないと断言して良いだろう。

また、付言すると、以前から私は「川の流れのように」は、「マイ・ウェイ」の日本版、または美空ひばり版ではないかと思っている。パロディと言ってしまうと語弊があるが、「マイ・ウェイ」を意識して作ったと思えて仕方がないのである。
さらに付け加えると、私は美空ひばりは大嫌いだし特に晩年の歌唱は全く評価しないが、この曲に代表される、彼女独特の歌い方には心底脱帽せざるを得ない。嫌いだということと、評価するということとは、別なのである。

さて、このコーナーの最後に、日本人のアーティスト4名が、グラミー賞に輝いたという話題を付けていた。各局のニュースやバラエティは朝からこの話題を必ず入れていて、当然この番組でも少しだけは扱うことにしたのだろう。

聞く処によると、これまでに日本人のグラミー賞受賞者は合計で4名。それが今回一挙に4名受賞ということで、まさに快挙だというわけである。

(この稿続く)

2011年1月23日 (日)

NHK-FM2011年1月23日 大フィル青少年コンサート2010

記事を書こう書こうと思いながら、FMチューナーのアンテナを替えたことに伴う受信チェックにかかった処、標題の番組に出会い、聴きこんでしまい夕方になってしまった。

これは14時から18時までのワイド放送で、前半は京阪神の主要オケが代わる代わる出てきて演奏するという主旨のもの。NHKならではの贅沢な企画である。

実は後半から聴き始めた。後半は「大フィル青少年コンサート2010」である。2009年の青少年コンサートは聴きに行ったのだが2010年は行かなかったので、どんな具合か聴いてみようと思っているうちに聴きこんでしまったのである。

「スポーツに関する音楽」ということで、行進曲がメインかと思っていたら、チャイコフスキーの「花のワルツ」など、強引にスポーツに結びつけてしまったりしていたのだが、「トランペット吹きの休日」など実にうまいと思った。とにかく、コンサート全体を通じて安心して聴けるのである。

大植英次になってからの大フィルの音を聴いたことがなく、朝比奈の末期のときの音は一緒に聴きにいったことのある妻に、聴くように勧めたら、やはり良くなったとの感想だった。

「安心して聴ける」ということは、意外と、オケの常任指揮者として求められるにふさわしい大きな要素なのである。

2010年3月19日 (金)

広上淳一のプロコフィエフ N響アワー2010年2月21日 続き

(前稿から続く)

広上の演奏はそれなりに面白かったのだが、最悪の選択をしてしまった。彼がどのように考えて選んだのか定かでないが、改訂版を使用したことである。

これも「ショスタコーヴィチ第15番」の稿に書いたのだが、この曲の初版は、最終楽章が、静かに消えて行くように終わっていた。しかし、初演後、「当局」から終わり方が気に入らないという意向を示され、華々しく終わるコーダを付け足した改訂版を出したというエピソードが伝わっているのである。

華々しいコーダがついているのと初版のままであるのとは、曲全体の趣きが全く異なったものとなってしまう。この曲が愚作だとしても、静かに終わるのであれば、そこはかとない後味が残って全体が救われるのだが、華々しく終わると、非常に薄っぺらい印象が残るだけで、「愚作の、つまらない終わり方」となってしまうのだ。

こんな選択をするということで、広上に対する私の評価は保留せざるを得なくなった。

静かに終わる初版を採用した演奏のCDを参考までに挙げておきます。

交響曲全集のジャケットを掲載したが、現在入手しづらくなっているようだ。これも現在入手しづらいようだが第2交響曲とのカップリング盤もある。驚愕・恐怖の音が轟く第2と、第7の落差に唖然とする盤である。

2010年3月18日 (木)

広上淳一のプロコフィエフ N響アワー2010年2月21日

この日放送されたのは、N響第1666回定期(2010年1月20日 於 サントリーホール)からプロコの7番。この曲は、この定期がBSシンフォニーアワーで放送されたとき(2010年2月19日)も聴いたのだが、改めて聴き直してみて、また別の演奏とも聞きくらべてみて、自分の感覚が正しいと信ずるに至った。

「やっぱり、これはプロコの曲の中で最大の愚作のひとつだ」ということ。また何よりも、「こんな終わり方はないで!」ということである。

最大の愚作というのは、「題名のない音楽館」の「ショスタコーヴィチ第15番」の稿に書いたことがあるのだが、この曲につけられた「青春」という標題と、余りにも大衆受けを狙ったようなメロディーと曲調についてゆけないことである。

当時のソ連はまだスターリンが生きていて・・・というより、プロコフィエフはスターリンが死んだ、同じ年に死んだので、スターリンの死後に少しだけ明かりが見え始めたときのことを知らないままこの世を去ったことになるのだが・・・「社会主義リアリスムに則した音楽を書け」という圧力がずっとかけられていた。簡単に言うと、「もっと大衆に分かりやすく、明るい、元気になる作品を書け」ということである。言うことを聞かないでいると、そして一度「言うことに従わないヤツ」として睨まれると、容赦なく活動の場を奪われ、多くの場合は死刑に処せられてしまう。物理的にも芸術家としての生命を絶たれる結果となるわけだ。

だから、プロコフィエフとしては、最後の交響曲となるこの作品で、彼なりの「答」を出したわけである。しかし、プロコフィエフはショスタコーヴィチのように、「当局」に従っているように見せて実はとんでもなく強烈な皮肉を込めたものを書くことはできず、真っ正直に「答」を作った。ソ連で生きた二大巨匠の性格の違いだろう。

しかし、余りにもこの「第7」は拙劣としか思えない。上記の「ショスタコーヴィチ第15番」の稿にも書いたが、私は「青春交響曲」と言うと昔から真っ先に思い出すのはマーラーの第1交響曲であった。広上の演奏はそれなりに面白かったが、やはり作品じたい愚作だという思いを強くした。

(この稿続く)

2016年4月
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