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芸能・アイドル

2013年11月 1日 (金)

カセットやレコードを整理していて再発見(10) カナダからの手紙

平尾昌晃と畑中葉子によるデュエット。

畑中葉子は、このレコードを出してすぐに、イメージダウンになるような案件が発生し、その後の芸能生活では余り活躍した記憶がない。

しかし、この曲は発売当初から高く評価していて、そのためレコードもずっと持っていた。
レコードを処分するにあたり、自分でCD化する手間と時間を少しでも省きたいということと、音が少しでも良いものを手許に残したいので、CD化されたものを探した。

結果、「ベストヒット!デュエット歌謡」というCDが見つかった。

この曲を含めて16曲入っていて、私が現役当時、呑みに連れていってもらった際に会社仲間や上司が歌っていた曲もある。

しかし呑みに行った際に彼らの歌によって聞かされた曲の殆ど全てが、デュエットとは言っても単に男女が同じフシを歌うものであって、緊張感も面白さも感じないシロモノだったと記憶する。
私が「カナダからの手紙」を発売当初から高く評価し、現在に至っているのは、当時余りなかったはずの、男と女が別のフシを歌い、それも女がメインのメロディー、男が楽譜上ではそれより高いメロディーで歌う・・・実音としては男が1オクターブ低いので、得も言われぬ効果を発揮し、それが緊張感と喜びをもたらすためだ。

実際、当時から現在に至るまで、飲み屋でこれを歌うのを聴いたことが殆どない。
ならば・・・ということで私は密かに練習を積み、2度ほど機会があり・・・相手がいなければ不可能なので・・・1回だけは何とか成功した。他の人のを聴いたことは一切ない。自分で言うのも気がひけるが、「おっ!」という驚いた反応があったし、他の人の例を知らないのは、それだけ難しい曲なのだろうと思う。

しかし、本当はそうでもなかったようなのだ。単に男女が同じフシを・・・というのは私の思い込みだったかも知れない。
というのは、「カナダからの手紙」1曲が欲しくてこのCDを入手したので、思いがけず他の曲も何曲か聴いてみると、別のフシを男女が歌っている曲が意外に多いことに気付かされたのだ。
殆ど単なるユニゾンで終始する曲もないわけではないが、限定された部分では結構別のフシを歌っているのだ。

ということは、単に男女が同じフシを歌うものばかり聞かされてきたのは、同僚や上司の、音楽的センスの問題だったのかも知れない。実際、別々のフシを歌って面白い効果を挙げていたことが全くなかったのだから。

2013年10月24日 (木)

カセットやレコードを整理していて再発見(8) 浅田美代子

「浅田美代子って、ヘタだねえ。よくあれでプロだ歌手だと言ってテレビに出てるよな」
「いや、ヘタには違いないけど、可愛いから許せる。テレビなんだから」
などと、知人と議論したことがある。「ヘタでも可愛ければいい」という私の考え方は、現在も変わっていない。テレビなんだから。

もちろん、芸術音楽となると全く話は違ってくる。

けれど、そんなにヘタだっただろうか。巧いとは言えないかも知れないが、いい「味」を出していたのではないか。
私も、それほど浅田美代子を聴いていたわけではない。しかし、「じゃあまたね」は好きで、カセットに録ってあった。カセットをCD化して行くにあたり、やはり手許に置いておきたいと思い、ベストアルバムを購入したわけである。
そうそう。カセットには録ってなかったが、シングル盤では「虹の架け橋」を持っていたことがある。

もちろん、殆どの人が耳にしたことがあるに違いない「赤い風船」も収録されている。そして、私が強く押す・・・というか、殆ど、この曲が欲しくて買った・・・「じゃあまたね」も。

「じゃあまたね」の節回しと歌詞を聞いて「吉田拓郎の世界だ!」と感じた人もおられるのではないか。
大正解だ。その後2人は結婚するが(離婚もするが)、私などは、この曲がきっかけで交際につながったのではないか、と勝手に想像している。
ちなみに、吉田拓郎が浅田美代子に楽曲を提供したのは、この1曲だけ。また、浅田美代子が結婚したのは、現在まで吉田拓郎をおいて他にはいない。

それにしても、そんなにヘタだヘタだと言うほどヘタだっただろうか。確かに、自分でも歌手としての限界を感じたのかも知れないし、だからこそ女優業に絞った活動を行うようになって行ったのかも知れない。私が見る限り、それなりに良い歳の取り方をしていると見受けるし、天然キャラもあって、今でも、トシなりの可愛さがある。

浅田美代子って決してそんなにヘタではなかったのかも・・・と思うに至ったのは、色々な場面でAKBの歌を耳にするようになり、その余りの下手さに辟易しているからかも知れない。少々ヘタでも、もっとヘタな人たちよりは、相対的には巧いということになるからだ。

2013年10月23日 (水)

カセットやレコードを整理していて再発見(7) 太田裕美

この人と言えば何と言っても「木綿のハンカチーフ」ですよね。

ありがちな内容の歌詞で、どちらかと言うとクサい内容でもあるのだが、古今共通のテーマだとも言えるだろう。「東へ・・・」は明らかに東京のこと。
しばらく付き合っていた人に、2ヵ月ほどの東京出張を終えて大阪空港まで迎えに来てもらった日もあった。
その当時は、まだこの曲は出ていなかった。

処が、今度は東京に転勤ということになり、その頃付き合っていた人にそのことを告げる日がやってきたとき、まさにこの曲の世界を思い浮かべることとなった。結果的に振ったことになるのだが、後で、仲介の労をとってくれていた人に「何で、ついて来いと言わなかった!」と、こっぴどく罵倒されたものである。
けどね。そんなことを言わずとも、「私、ついて行きたい」と言うほどの人でないと私にとっては物足りなかったとも言えるし、「ついて来てほしい」と言いたくなるほど好きではなかったとも言える。

と言った、近いような近くないような経験。或いはまさに太田裕美が示したのと殆ど同じ経験。そうした経験は、結構多くの人が体験しているのではないだろうか。
だからこそ、後世に残る曲となっていったのではないか。

処で、私の本来のお目当て・・・CDを買う動機となった曲・・・は「恋愛遊戯」。この曲だけをカセットに録音してて、整理するにあたってCDで持って置くことにしたのである。
しかし、何と言うことか、別の形ではあるが、既に同趣旨のCDを持っていた。
また、やってしまった!
とは言え、そのCDよりも上掲のCDの方が内容は充実しているようだから、良しとしておこう。そっちのCDは入手しにくいようだし。

このCDはジャケ写真もいいし・・・。
って、これ、篠山紀信だそうだ。サスガですね。
太田裕美ってこんなキャラではないと勝手に信じているのだが、何とも色っぽい表情を引き出すものだ。

2013年10月22日 (火)

カセットやレコードを整理していて再発見(6) あべ静江

デビュー曲の「コーヒーショップで」の新鮮な節回しが気に入り、妙な言い方だが素人くさい歌唱も気に入り、続く何曲かも追いかけていたことがある。
私は小柳ルミ子のコンサートもアグネス・チャンのコンサートも聴きに行ったことがあるのだが、一番接近し握手までしたのは、あべ静江だけだ。

今でも、こんなことをやるのだろうか。当時、自宅に近い処にスーパーが新しくオープンしたのだったか、単なる集客イベントだったのか、屋上でライブがあり、新発売となったLPレコードのお披露目があり、買うと握手してくれるということだったので、その列に並んだというわけだ。
テレビで見ていた印象よりも小柄で、小顔で、手も小さく、とても愛らしい人だった。
どういう機会だったか、ポスターも手にすることがあり、社員寮にいたとき部屋に貼っていたこともある。
自宅にはしょっちゅう帰っていたが、そこに貼らなかったのは、既に日野てる子のポスターがあったからだ。私が日野てる子のファンだったことは親も友人たちも公認していた。今でもそれは続いていて、「日野てる子って知ってますか」という記事を書いたほどである。また、その記事にもあるが、彼女が亡くなったあとも新たにCDを買ったりしているほどだ。

けど、あべ静江については、少なくとも親には秘密。

こんな経験があるので、AKBの握手会に並ぶ人たちの気持ちは大いに分かるつもりだ。

しかし、しかしですよ。
必ずしもあべ静江って、歌がうまいという印象を持つことはなかったのだが、それでもAKBよりは遙かにマシだ。
批判する以上は、テレビで聞こえてくる音だけによるのではなく、ちゃんとした装置で聴こうと思い、AKBのCDも2枚ばかり買って聴いた。その上での結論である。

明らかにAKBはヘタだ。
これ、どう聴いても学芸会レベルだ。
少なくとも、3枚目のCDに手を伸ばすことはないだろう。

AKBのコアなファンって、結局音楽というものを全く分かってないのではないか?
ヘタだということを、少なくとも分かった上で押しているのか?

あべ静江については、上記デビュー曲の「コーヒーショップで」の加えて、「みずいろの手紙」と「秋日和」が印象に残った。とくに「秋日和」は好きな曲でもあった。それで、カセットにダビングしてあったのだ。
これらが収録されているアルバムが入手できるので、再び手許に置くことにしたのである。

後で気がついたのだが、今回ではなくかなり前に、別の形で既に手許に置いていたのだ。
時々こういうことがあるのは、トシのせいか?
両方並べて上に掲げた。

処で、「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」「秋日和」のあと、余り印象に残る曲が出ず、歌手としての活動もフェィドアウトして行ったように見受けた。
で、調べて見ると、何とこの3曲、3曲とも阿久悠作詞、三木たかし作曲による作品だったのである。しかも、この3作品のみなのだ。むべなるかな、だ。
こういうとき、自分の鑑賞眼の確かさを覚え、1人でニヤニヤしたくなるのだ。

阿久悠については、私のホームページ内の「題名のない音楽館」の中に、「阿久悠論」という記事を載せている。私が深くレスペクトする作詞家である。
その記事でも採りあげているが、彼の作詞した曲集とというものもある。

阿久悠の世界に比べて、秋元康の世界の小さなこと、小さなこと。折角「川の流れのように」といった名曲を持っているのに、もう少し後世に残る詞を書いたらいいのに・・・。余程金儲けが好きなんだろうねえ。

ついでに驚いたのだが、この記事を書くにあたって調べていたら、あべ静江って、私の嫁さんと同じ歳なんですよ。しかも、星座も同じ。

どうでもいいことだが、ちなみに、私も同じ星座。
星占いなんてものを信じているわけでは決してないけど、こんな例があると、何かあるのかな、と思ってしまうのである。

尚、現在でも地元(三重県松阪)を中心に、個人事務所を東京に持ち、活動を続けているようだ。公式ホームページを見たけど(興味ある人は調べてください)、写真も載せているけど、トシとったなあ。。。

 

2013年10月21日 (月)

カセットやレコードを整理していて再発見(5)フラッシュダンス

この曲を最初に聴いたのは、テレビだったような気がする。

堀ちえみ。今ではすっかり、貫禄のある大阪のオバチャンになってしまったが、まだアイドルだった当時、TBS系で1983年下期に放送された「スチュワーテ゜ス物語」で主演を務めた。その番組で使われた曲としてである。

しかし、程なくそれがオリジナルな歌唱ではないことを知る。
ドラマでは日本語で歌われていたが、元は英語で、しかも歌唱力が全く違う。

レコードとして私は両方持っていたが、整理するにあたって英語版だけで十分だと判断し、それをCDで入手した。
レコードではシングルで持っていたが、サントラとしてアルバムで買うことになった。

この中の最初の曲「ウォット・ア・フィーリング」がお目当ての曲だ。試聴されたら「ああ・・・」とすぐおわかりになるだろう。アイリーン・キャラが歌っている。
これは巧い。

サントラだが、元になった映画も、レンタルビデオで後日見る機会があった。
まあしかし、ストーリーが単純すぎて面白いとは思わなかった。だからLDで買うには至らず、DVDで買う予定もない。
ただ、ブレイクダンスのテクニックは現在見ても相当なものであると思える。関心ある方はどうぞ。

ついでに、冒頭のドラマからは、「ドジでのろまなカメ」というのが流行語大賞の候補とされたこともあり、一世を風靡した。

また、ドラマの原作は深田祐介著「スチュワーデス物語」である。但し、原作にはないようなエピソードが多く、別の作品と考えた方がいい。
新品は入手しにくいかも知れない。

これもまたついでになるが、冒頭の「スチュワーデス物語」が最初に始まったとき、私はもっと前に、もっともっとカッコよくスチュワーデスを扱ったドラマとして「アテンション・プリーズ」をよく見ていた。紀比呂子主演。だから、どうしても比べざるを得ず、「スチュワーデス物語」を作品としては余り評価できなかった。

驚いたことに、これ、DVDで見ることができるんですね、懐かしいなあ。

2013年10月19日 (土)

カセットやレコードを整理していて再発見(3) 増田けい子 すずめ

いやー、人生って分からないものですねー。
2013年6月13日付けの記事で、それまで長く休載していたことについいて、決して持病の悪化等によるものではない、と書きました。
ところが、そう書いた次の日から、急激に体調に不調を覚え、また入院か・・・と思うと、どんどん気分が落ち込み、何もやる気がしなくなり、それがまた体調の悪化を招き・・・と悪循環を始め、堪りかねて、予約日より早く病院に駆け込む事態となりました。

処が、検査だとか言って色々と病院内を歩き回っているうちに、なぜか元気になって行き、結果、先生からは持病の悪化ではないと言われ、よく分からないままに帰宅。「よく分からない」というのは、現に体調が最悪となり、食欲も全くないという状態だったに、いくら質問しても「持病の悪化ではない」の1点ばりだったこと。

とまれ、少しずつ元気を取り戻していって今に至るということになりました。

それでも中々色々とやる気になれず、細々とDTM制作などを行っていたのですが、長く続けていてずっと懸案VTRのDVD化を進めることにして、ようやく昨日、レーベルプリントも済ませた処です。

そこでようやく記事を書く気になり、前回まで続けていた標題の記事の続きから取りかかることとしました。

まず、増田けい子の「すずめ」
ご存知ピンク・レディーの1人。ソロ活動に入った直後にリリースされた曲だ。シングル盤で持っていて手放したきりだったが、ベストアルバムで買えることが分かったので早速手許に置くことにした。

増田けい子と書いたが、上記のアルバム表記では恵子となっている。芸名としての表記は色々と使い分けているらしいので、関心のある人はウィキなどで調べるのもいいだろう。

これ、上記のリンクからアマゾンで試聴できるので一聴をお薦めするのだが、結構いい曲だと思う。そして、ピンク・レディーというユニットが、今にしてみると歌唱力について結構いい線を行っていた2人によるユニットだったのかということを再認識させられた。

そして、この記事を書く段になって改めて思ったのは「これ、中島みゆきの世界に似ているなあ」という点だ。
調べたら、本当に中島みゆきの作詞作曲によるものだった。

正直言って、ベストアルバムで買ったのだが、この「すずめ」1曲しか聴いていない。
けど、この1曲だけを聴くのでもいいと思う。この曲が入っているだけで、このアルバムを買う価値は大いにある。

2013年6月15日 (土)

カセットやレコードを整理していて再発見(2) 伊藤咲子

どちらかと言うと、「忘れられたアイドル」とでも称するべきか。

1974年、「ひまわり娘」で彗星のごときデビューを果たしたのが、この伊藤咲子。
Wikipediaによると、桜田淳子、森昌子そして山口百恵と同様、「スター誕生」の出身。その3人から一文字ずつ採った「森山桜」でデビューする計画もあった由だが、結局は本名でデビューすることとなったのだそうで、伊藤咲子がその本名。

私は当時、桜田淳子、森昌子そして山口百恵の何れも好きで、レコードもそれぞれのものを持っていたのだが、伊藤咲子には、この3人にはない、明るくて歌がうまく、懸命に歌っているという感じを持っていて、シングル盤を集成したアルバムを買うに至った。

あちこちで触れているが、CDというものが世の中に出てくるとき、レコードの将来を見切ってかなりのレコードを処分したのだが、その中に含んでいた。
その後久しくCD化されなかったのか、私がウォッチし続けなかっただけのことなのか、CDで買い直す機会は失っていた。

ところが、カセットをCD化するとき、当時私が好きな曲を集めて作ったカセットの中に、伊藤咲子の「きみ可愛いね」を含んでいるものがあった。
そこで、改めてCDのリストを見ると、あるじゃないですか。ここはもう買うだけのこと。

何種類も出ているが、一番エッセンシャルなものを上に挙げた。新品

尚、一時活動休止していたが、2004年から再開したらしく、新しいアルバムも出ている。

2013年6月13日 (木)

カセットやレコードを整理していて再発見(1)わらべ

別途「ミニ書評」の方に雑感として書くつもりだが、何やかやで結局17cm盤レコード・・・45回転のものは「ドーナツ盤」と言ったり「シングル盤」と称したが、33回転盤もあってややこしいので、以下、統一して「17cn盤」と書く・・・もCD化することにして、その作業や並行してのDTM制作に没頭した結果、かなりの日数を要してしまい、このブログの休載となった。
以下17cm盤と書くと宣言した直後だが、習慣上「シングル」と書いてしまう場合があるかも知れない。そけは45回転17cm盤・・・いわゆるドーナツ盤・・・のことなので、用語のバラツキがあるかも知れないことをお断りしておく。

約1年ほど前には、持病が突然悪化したことによる入院が3週間にも及んで、ブログ更新が滞っていたのだが、今回は、決してそのようなことではありません。もし心配下さる方がいらっしゃったのなら有り難いことですが、ご心配をかけたことをお詫びします。

そこで、まずは掲題の内容で、再発見したことによってCDで買い直したり、新たに手許に置くことにしたCDを紹介して行きたい。
中には、懐かしくなって・・・というものもある。それは最近、未明に目が覚めてしまうことが多く、その未明に放送されている「音楽のある風景」という番組で、懐かしい音楽を纏めたものが売り出されていてその宣伝でながされている音楽が懐かしくなってのことである場合もある。それと、その番組をはじめ、当時は余り関心がなかってのだが、改めて聴くと歌のうまさに感心することもあって・・・というものも含む。

加えて、これらの殆どはアマゾンで入手したものだ。本来私がCDを購入するためのサイトはHMVなのだが、中古も含めて視野に入れると、圧倒的にアマゾンが使い勝手がいいのだ。中古の場合、出店者の自己申告とは言え「状態」もある程度推測できるようになっていて、私の経験上では、さほど外れた物は来なかった。

また、ハードやPCソフトは「ミニ書評」で扱うことにする。

そんなことで、まずはわらべ。
シングル盤を2枚持っていた「めだかの兄妹」と「もしも明日が」である。

これ、2曲とも名曲だ。今どきには見られない凝った曲でもある。
CD化するよりもいい音で残したいので市販品を求めた。

その後、3人の「わらべ」の中の1人が、スキャンダラスな写真が雑誌に載り、芸能界を干されてしまった。当時は、現在よりも遙かに、アイドルとなった少女に対して、こうしたことには厳しかったのだ。

今頃どうしているのやら。

2012年4月23日 (月)

題名のない音楽会 2012年4月22日 佐渡とシエナのビートルズ

先週のこの番組で、同じ佐渡とシエナの組み合わせで、ディープパープルの曲を演奏した。それについては4月21日付けの記事で書いた通り、「失敗企画」だったと思う。
①シエナのメンバーのリズム感がおかしいのと、②取りあげた曲のそれぞれが「名曲」の名にふさわしいとは思わないこと。そして、③エレキベースを使用しないことによる、ロックな感覚の徹底的な欠如である。

今回はビートルズということで、少しの期待はあった。
結論から言うと、曲の良さが際立っているのでごまかされるが、同様に「失敗企画」だったと考える。
つまり、先週の3つの問題の中、②は問題ないが、①と③は改善されているはずもなく、それは②だけでは到底カバーしきれないからである。

とくに、①は、救いがたいと言えるレベルだ。ドラムこそロックのリズムを叩いているのだが、他の奏者のノリが悪すぎるのだ。

演奏された曲の個々について触れるのはやめるが、そんな中でも却って一番面白かったのが、金沢明子による「イエロー・サブマリン音頭」だった。
これ、歌詞の変更を伴うカバー曲としてポールが認めた曲だそうで、発表された1982年当時は衝撃だった由である。

また、金沢の言によると、当時、金沢が在籍していたレコード会社の部長だった飯田久彦氏が、「手拍子で歌えるビートルズの曲はないか」と探していて、行き当たったのが「イエローサブマリン」だった由。なるほど、それなら演歌風に歌えるし、ロックのビート感がなくてもいいわけだ。
尚、この飯田久彦という人は、1962年に「ルイジアナ・ママ」という曲でヒットした元・歌手で、私がウェブで調べると、後にテイチクレコードの再建に関わったりして経営者として優れた業績を挙げ、現在はエイベックスに所属しているらしい。で、金沢明子にこの曲を当てた1982年当時は、日本ビクターの制作部長だったと推測される。

この「音頭」の、番組での編曲は、前田憲男だった。
これは実に楽しいアレンジで、「錨を上げて」や「軍艦マーチ」の片鱗を紛れ込ませたもの。

で、関連して佐渡が「ビートルズはメロディーと歌詞に力がある。とくにメロディーが良いので色々なアレンジに耐える」と言っていた。
これは、誤りとは言わないが不十分な説明だと思う。

メロディーだけでなく、コード進行の巧みさにも言及すべきだ。
確か黛時代も、何度かビートルズを採り上げたと記憶するが、彼らのコード進行の斬新さにも言及していたはずだ。また、昔からのビートルズのファンで、ビートルズのコード進行を絶賛する声を何度も聞いている。私はコード進行のことについて殆ど分かっていないし聞きわける力も殆どないのだが、一部の譜面を見た経験からして、単純な進行だけで曲ができているのではないことは見て取れたものである。

本来、こうしたことに言及するのが、クラシック音楽とポップス系音楽の橋渡しに資することであり、双方の音楽の聴き方の幅と奥行きを深めさせてくれるものであるはずだ。
「名曲探偵アマデウス」や「N響アワー」こそ、そんな役割を果たしてくれていた。

双方ともなくなり、とくに後者がNHKのアホ編成者によって打ち切りとなった現在、「題名のない音楽会」にそうした役割を期待してもよいはずだ。

2011年7月 5日 (火)

題名のない音楽会 2011年6月26日 歌い継ぎたい歌謡曲

「歌い継ぎたい歌謡曲」を、「継ぐ」に掛けて歌詞の「尻取り」で次々に歌って行こうという企画。

歌うのは、天童よしみ、加山雄三、ジェロ、サーカス等に加え、お笑いタレントの友近。友近はパラエティ番組などで歌唱力に定評があるので、特別に、佐渡の要望もあって加わったもの。

番組が進んで行くと、前の曲の終りの歌詞の文字を、次の曲のアタマの歌詞の文字で継いでいて、うまく作ったなと思っていたのだが、やがて次の歌の歌詞の途中の文字で繋ぐものも増えてきて、少し制約をゆるめてしまった。

多くの曲をやるためもあり、友近は歌手としてはプロでないから当然としても、歌手陣も、持ち歌ではない他人の歌を歌う場合が殆どということになる。
持ち歌ではない歌を歌うときこそ、その歌手の歌唱力の本当の力が分かるもので、その点からも天童よしみとジェロの歌唱力には改めて感心した。

とくに天童よしみは、美空ひばりの曲をカバーしたCDを何枚か出していて、私も、ここに挙げたものと同じものではないが手許に置いている。私は美空ひばりは嫌いだ。とくに晩年の、やたら深刻で暗く悲劇的に歌うようになった頃のものは大嫌い。
しかし天童よしみが歌うと、曲の良さと、美空ひばりがまだ若くて元気に歌っていた頃のことがオーバーラップする感じの、豊かな気分にさせてくれる。天童よしみの声が、若い頃の美空ひばりに似ているためもあるだろう。
「悲しい酒」など、晩年の極めて遅いテンポで歌っていた頃の美空ひばりで聴き慣れた人は戸惑うかも知れないが、最初にリリースされた当時は、むしろ天童よしみのテンポに近かった。晩年の美空ひばりのように遅くはなかったし、そのため、「悲しい」し言っても、もっと後味のスッキリしたものだった。

さて、私が注目したことはもう一点。
番組のテーマとして「歌謡曲」という言葉が使われたことである。これは実に珍しいことだ。
私は、「歌謡曲」という言葉は阿久悠の他界とともに死語になったと考えているが(これについては、「題名のない音楽館」内の「阿久悠論」に詳しく記載)、そうは言っても、まだまだ「歌謡曲」と称せざるを得ない曲がまだまだ現在でも出ている。また、「歌謡曲」というジャンル名で呼ぶほうが、幅広い傾向の曲を包括できる。

何と言っても今回歌われた歌は、それこそ「歌謡曲」というジャンル名で呼ぶのが最もふさわしい曲ばかりだったし。

阿久悠が作詞した曲の中からピックアップした「阿久悠を歌った100人」というCDが出ている。これは上記のページでも紹介しているが、このラインアップを一瞥するだけでも、「歌謡曲」というジャンルが如何に幅広い傾向の楽曲を指していたかが分かる。
この中で、私の最大のお奨めは、「ざんげの値打ちもない」というタイトルのもの。このCDの冒頭の、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を是非とも聴いてみて欲しい。痺(しび)れますよ。編曲のカッコ良さとリズム感の良さ、そして若い頃の和田アキ子の巧さに。

この「歌謡曲とは何か」という問題について、また「今、歌謡曲という分野はどうなっているか」についても、一言二言、番組の中で言及して欲しかった。敢えて番組のテーマに「歌謡曲」という言葉を使ったのには、それなりの企画意図があったと推測するからである。

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