大フィル 青少年のためのコンサート2011 続々
大フィルのこと。上記の記事、とくに6日付けの記事で思いのたけを書いて、もう書き尽くしたかとも思ったのだが、まだ書き足りなかったこと、そして色々と書いているうちに気がついたことが出てきた。
そこで、この両者を交え、2点だけここで挙げておきたい。
まず、「文化は行政が育てるものではない」という発言のこと。
これは論旨のすり替えに他ならない。
よちよち歩きに近いもの、または生れたぎかりのものを生長させて行くまたは伸ばしてゆくことを「育てる」と言う。
既に根付いて育っているものを、「育てる」とは言わない。
あの文化音痴がやろうとしていることは、オーケストラという文化ないしは多くの人の共通財を「破壊」しようとしていることに他ならない。
また、「行政が育てる」というのを、「行政が介入する」と誤解されやすい処で使い、「それはそうかも・・・」と思わせようとしているようにも私には見える。であれば、それは更に始末が悪い。
確かに「行政が介入」すると、ロクなことにはならない。
旧ソ連が、作曲家の自由な意志による創作活動に「介入」することによって、どれだけ多くの人が命を奪われ、または奪われなくても恐怖に怯えながら活動を続けることを強いられたか・・・多くの人がスグに思い出すのはショスタコーヴィチの例だ。
まあ、彼の場合は、シタタカに、当局に迎合しているかのように見せたり、或いは実際にも妥協せざるを得ないとハラを決めたことによって、却って我々にとって聴きやすく、それでいて内容の深さで例のない曲を残してくれるという結果になったのも確かだが・・・。
(私の「題名のない音楽館」内の「ショスタコーヴィチ論」に縷々書いた。また、「偽書」だとされたが、下記の本が有名。そうした曲の1つである「第5交響曲」は次の二種類の演奏がオススメ。)
しかし、必要なのは「育てる」ことではなく、ましてや「介入」でもなく、補助金を継続することなのである。継続を打ち切ることによって、根付いた文化を破壊するなどということは、知事の権限でも市長の権限でもない。権限だと思い込んでいるのであれば、とんでもない思い上がりだ。
さて、オーケストラの財政というものがいかに厳しいものか、ということを書いてきたのだが、そのために音楽監督や事務方はカネ集めが仕事の大きな部分を占めることになったりする。
朝比奈隆の時代、大フィルの設立当初から、朝比奈隆がどれだけ自分で走り回ってカネ集めをしたか、ということは割と知られていることだ。
彼は音楽を専門に勉強したことはなく、京大の法学部に進学し、最初は阪急電車に就職し、駅で切符切りをしていた、という異色の経歴を持つ。
これが、後になって大いに役立つのである。
京大の法学部というと在阪の大会社に就職先を選ぶ人も多い。その人たちが「エライさん」になって行くにつれ。同級生や同窓生のよしみで朝比奈が協賛の依頼に行くと、企業側は応ずるほかない、ということになった。それがその企業にずっと受け継がれて行った。
かくて協賛した会社は「協賛会員」としてコンサートのパンフレットの末尾に社名を連ねて行く。
住友系を中心に(阪急も住友系だ)そうした社名が並ぶと、そこに載るのがステータスのようになり、他の系列や系列と関係ない会社にも広がりを見せて行く。
私が勤めていた、大阪に本社のある会社は、私が勤めていた殆どの期間、そこに社名を載せていなかった。「こういうことにはカネをかけないのか。かけられないのか」と寂しい思いをしたものである。
しかし、「卒業」してから行ったコンサートで配られたパンフレットを見ると、ちゃんと載っていたのである。こんな嬉しいことはなかった。
ああ、ようやく、ここに社名を連ねるようになったか、大きな会社になったなあ、と。また、ようやく、社内のエライサンにも、こうした文化を理解する人が存在するようになったのかなあ、と。
もし、府の支援取りやめに続いて市の支援も取りやめとなると、そのアナを企業からの寄付だけで賄うのは極めて困難になる。
オケとしては何としてでも続けて行くだろうが、待遇の低さに不満を持ってガマンできなくなり、実力も備えた団員は、国内でも東京にあるオケ、さらには海外のオケへの移籍にチャレンジして行くかも知れない。
オケのサウンドは、団員の持っている楽器の値段でかなりの部分が決まると思っている。
優秀な団員が出て行くこととなると、彼が持っている高価な楽器も流出することとなる。
そうすると、サウンドのレベルはどんどん落ちて行くことになりかねない。すると、そんなオケを聴き続けるのはイヤだというファンも出てきて、集客力が落ちる。
やがて(または、市の支援がなくなった段階ですぐに始まるだろうが)、企業からの寄付も集まらなくなって行く。
企業だって経済状況が深刻化している中、「メセナ」という名目だけでこうした支援を続けるのは至難の業だ。所詮「メセナ」なんて、そんなものだ。
さて、各地のオケの抱える問題は、かなり共通している処があると思っている。
そうしたオケの経済状況を、綿密な取材をもとに楽しい物語に纏めた小説を最近読んだ。
よく取材しているなあ、と感心し読み終えたら、巻末に、「取材協力」として大フィルの名前が挙がっていた。
本来は「書評」の方に書くべき処だが、ついでにここで紹介しておく。