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2013年11月 5日 (火)

最近の音楽番組について(2) クラシック音楽館

NHKの音楽番組では、「らららクラシック」とこの番組を録画して視聴している。
「ららら」の方は、前稿に書いた通り、単に時間をずらせて視聴したいのと、このサイズの番組が中々ないので「飢え」をしのぐためで、視聴したあとは即刻消去している。

で、今となってはN響アワーのアトガマと言えなくもない、この「音楽館」である。
これも不思議な番組である。N響アワーのアトガマでも何でもない。時間も構成も、どうしようもない低レベルだ。何点か思いつくままに列挙する。

  • 時間帯がおかしい。
  • N響の公演を中心に、一つのコンサートを殆ど垂れ流し状態で放送するだけ。
  • であれば、公演開始の19時にスタートして、もさにリアルタイムで放送する方が、遙かに気が利いているというものだ。現に、FMでそれをやっているではないか。21時開始なんて、リアルタイムで視聴するには遅すぎるし、所要時間もあって遅くなっては困る人も多いはずだ。勤め人なんて、まさにそうだ。
  • かと言ってあとで見ようと思っても、長いからなかなか時間が取れない。
  • 結果、録画だけ溜まっていって収拾がつかなくなる。
  • FMでほぼリアルタイムで放送している方は、解説なり感想を言う評論家なり作曲家なりがいて、彼らのコメントが思わぬ参考となることもある。音楽館は、それもない。単なる垂れ流し。
  • メインのコンサートのあとに、「余韻をさらに深めるために」と称して、違うときの演奏会の録画を流すのだが、これって、蛇足以外の何物でもない。コンサートの余韻というのは、演奏会場から出てきたあと、独りで反芻したり、分かり合える人が一緒に行っていたならば、そのコンサートについて語り合うとかによって深まるもののはずだ。そもそも、そのコンサートで圧倒されたのであれば、静かな処であれこれと思い返すしかなく、何も語りたくなく、暫くの間は何も聴きたくなるはずだ。こんなことも分からないのが、この番組の企画者なのか。
  • 司会として岩槻里子が出てきたときには、「あ、戻って来てくれた」と思った。しかし、同時に「N響アワーに戻ってきて欲しかったなあ」とも思った。恐らく本人も、産休中にN響アワーが消滅しているなど、夢にも思わなかったのではないか。役割ということもあるだろうが、司会ぶりは精彩を欠く。
  • 少し前に放送した、「ほっとコンサート」で、そのコンサート自体の司会も岩槻が担当したのを見ることができた。活き活きしていたし、指揮を務めた山下一史とのやりとりも良かった。ある程度以上は音楽全般について分かっている、という彼女ならではの受け答え、そして山下とのやりとりであった。

そんなわけで、録画はするが、自分なりに興味の持てない回のときは、見ずに即刻消去するようになった。
現に、この番組は土曜だったか日曜だったかにBSで放送していた「特選オーケストラライブ」(名称は何度か変わっている)を、日曜の夜に移動しただけのものと見受けるのだが、朝にやっていたときも、興味のもてる回を除くと、即刻消去していたものである。

単に時間帯を移動しただけで、その分朝の時間帯からは消滅したので、総時間数は減っているのではないだろうか。

これを、音楽番組の貧困と言わずに、何と言うのか。
NHKたる者が、自ら養成してきて視聴者の耳を養ってきた文化水準を地に貶(おとし)めて何とするのか。

全ては、N響アワーの廃止という暴挙・愚挙に端を発するのだ。全ての要素が狂ってきた。

VTRの整理にあたって、改めて、岩城・阿木耀子が司会であった時代のものから、中村紘子時代、池辺時代にかけて、何本かを見なおす機会があった。
池辺晉一郎が司会の時代、相手が壇ふみのときはまだしも、若村麻由美、さらに大河内菜奈々子と換わっていったとき、この二人が揃いも揃ってなってないと批判したが(私の「続・音楽番組の貧困」ご参照)、改めて何本かを見なおすと、それぞれ、それなりにいい雰囲気で務めているではないか! 何れも交代して直後のときの放送なので、最初は良かったが・・・ということなのかも知れないが。

例えそうであったとしても、N響アワーという番組そのものが消滅してしまった現在と比べて、アシスタントはどうであってもN響アワーという番組が存在していたことの方がいいに決まっている。

N響アワーのアシスタントに岩槻里子が就任し、「題名のない音楽会」の司会に佐渡裕が就くことになったとき、大いに喜び「題なし復活万歳!N響アワー立て直し万歳!」という記事を書き、「音楽番組の貧困」から始まる一連の記事にピリオドを打ったのだったが、まさか今になって、その続編を書く可能性に言及せねばならぬとは、不愉快なことだ。

というのは、佐渡裕によって復活なった「題名のない音楽会」なのだが、どうにも首をかしげざるを得ない回が散見され、その頻度も多くなってきているように感じるのである。
NHKに期待できなくなった以上、「題名のない音楽会」には、よりしっかりしてもらいたいのだが、期待過剰なのかも知れない。

VTRを整理するにあたって、N響アワーだけでなく、黛敏郎が司会だった時代の「題名のない音楽会」も見なおす機会があった。
その頃に比べると、かなり内容に重みも深さも欠けている、というのが現在の「題名のない音楽会」だと言わざるを得ないのである。

これでは、NHKも民放も、クラシック音楽番組の柱たるものがなく、総崩れだ。
これを、「音楽番組の貧困」と言わずして何と称するのか。

そもそも、「音楽番組の貧困」を書いたときは、NHKはまだしも民放は・・・という主旨だったのである。
それが、よりしっかりと取り組んでもらいたいNHKがこの体たらくとなってしまうことになるとは、実に情けないことだ。

次には、「題名のない音楽会」の現状について書く。

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