最近の音楽番組について(1) らららクラシック
かつて、主として民放における音楽番組で殆ど見るべきものがなくなっていた時期に、私のホームページ内の「題名のない音楽館」の中に「音楽番組の貧困について」という記事を書いたことがある。1994年4月に初稿を載せ、その後続編も書きながら2回ほど改訂を加えている。
この初稿の頃は、黛敏郎が他界したあと「題名のない音楽会」が「新・題名のない音楽会」と改称し、どうしようもない方向に迷走して行っていた時期で、全般に、民放における音楽番組「貧困」について書いていて、NHKはまだましだけど・・・という論調でもあった。
しかし、時は巡り、N響アワーを軸としたNHKの音楽番組でさえも、どうしようもないレベルに堕ちてしまう・・・という状況となってしまった。ここまで堕ちてしまうということは、想像の域を遙かに超えてしまったことである。
これでは、「再び、音楽番組の貧困について」といった記事を書かざるを得ないだろう。
ただ、一気に書くのは中々大変で疲れるので・・・1994年初稿の時に比べてトシもとったので・・・まずは、少しずつここに書きつつ、考えを纏めて行くことにする。
で、まずは「らららクラシック」である。
当初1時間でスタートした時は、それでも「つきあい」も兼ね、また批判するためには一応見てやろうという気もあって、何度か見たし、このブログに批判も書いた。何回かはそうして付き合ったのだが、とても付き合うだけの価値のある番組ではないという結論が出て、見るのをやめてしまったという経緯がある。
30分に短縮されてからは、コンパクトにまとまった点と、加羽沢美濃がピアノを鳴らしながら楽曲分析をする時間が増え、かなり良くなったと思った。そのこともあって、しばらくは、メモを取りながら視聴することを続けた。その後、色々なことがあって随分メモだけが溜まってしまったのだが、このブログの本来の目的の一つである、音楽番組評として活かせるかも知れない時に備えてのことだった。
しかし、毎回視聴し続けることにより、次第にイライラすることが多くなって行った。次第に、メモを取りながら聴くのがアホらしくなっていった。
私は、加羽沢美濃は作曲家としても編曲家としても即興演奏家としても評価するし、好きだ。好きだから評価は甘くなるかも知れないが、30分に短縮されてからは、いい役割を果たしていると思う。
しかし、石田衣良との対話がいけない。毎回のゲストとの対話がいけない。ゲストのレベルが総じて低い。
石田。暗い感じの表情で、まず元気を失わせる。
そして、毎回「この曲を読み解く3つのキーワードは・・・」なんてセリフを吐くのだが、何でもなんでも3つのキーワードに纏めるというのは、余りにも単純すぎ、幼稚に過ぎる。
恐らく台本にそう書いてあるのだろうが、従って、台本作者の問題でもあるわけだが、これ、無理が多いのではないか。3つに纏めるという手法は古すぎるし単純すぎるし幼稚なのではないか。
それは、ひいては視聴者をバカ扱いにしていることに他ならない。このことに恐らく気付いていないのではないか。そう推測してしまうので、救い難いなあという思いが募り、毎回イライラするということになる。
そして、少し長めの曲を扱ったとき、演奏例として短縮したものを聴かせる。
短縮版を聴かせて、即ち、一部でもいいから纏まった塊を聴かせることをせずに、その曲の解説をしたことになるのだろうか。
このため、半年経った時点で、メモを取りながら視聴するのは止めてしまった。
半年の間、いつか纏めてブログに・・・と思って書いてきたメモだが、今にしてみると、読み返してみても、たいしたことは書いていない。この際、処分してしまうこととした。いつか書こうと思ってのメモが溜まる一方なのは精神衛生上良くないし。
で、本来は毎回の内容を振り返りながら、個々の点について批評記事とするはずだったのを、全てまとめて、総括記事として本稿をアップすることで替えることにしたのだ。
実は、メモを取るのは止めたが、録画して視聴すること自体は続けている。それは、こうしたサイズの番組が殆どなくなってしまったことによる「飢え」を満たすためと言っても差し支えない程度のものである。録画も、時間を少しだけズラせて視聴したいからであって、1回視聴したら即刻消去している。
11月2日の放送は、モーツァルトの40番だった。珍しくマトモな曲を採りあげるのだなあと少し感心もした。しかし、次回は「乙女の祈り」だと言う。
これ、呆れてモノも言えないというのはこのことだ。呆れるよね。
1オクターブに指を広げることさえできたら、バイエル程度で弾けるはずだ。初心者向けの曲だ。モーツォルトの40番の次にこれ、って長さも、深さも、奥行きも、陰影感も、音楽的価値も、音楽史上後世に与えた影響も、全く違うのに・・・。
一体、この番組は、何がやりたいのか。この調子だと、バイエルまで扱いかねない。いや、そのレベルの曲ばかり扱うのは、それはそれでアリだし、そんな番組は、あってもいいだろう。しかし、モーツァルトの40番と乙女の祈りを並列して扱うというセンスが、どうしようもない。どんなセンスをしているのか。
こんなことは、この番組では今始まったことではない。何曲か、「何でこの曲を?」というものが、これまでにも採りあげられていた。
こんなこともあって、「メモを取りながら聴く価値はない」という判断に至ったのである。
以前にも書いたが、再度言う。
何で、こんな番組のために「N響アワー」を止めてしまったのか!
楽曲分析中心なのであれば、「名曲探偵アマデウス」という面白い番組があった。何でそれを続けなかったのか!
さて、N響アワーを押しのけてこんな番組をつくってしまったわけだが、さすがに悪評タラタラでどうしようもなくなったのだろうか。この番組を「リニューアル」と称し、時間短縮の上、日曜には「クラシック音楽館」なる番組を持ってきた。
これはこれで、何で?ということが多いのである。
次の(2)で、これについて書く。
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