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2013年10月25日 (金)

カセットやレコードを整理していて再発見(9) リリー・クラウスのモーツァルト

私がまだモーツァルトの凄さというのが分かっていなかった頃、その音楽はただ美しいだけの音楽だと思っていた。
そんなことを思っていた時期に、たまたまイングリッド・へブラーの演奏会に行く機会があり、彼女の演奏がまさに美しさにウェイトを置いた演奏だと感じ、我が意を得たりという思いをしたものだ。
丁度そんな頃、何の番組だったか、または単に伝聞だけだったのか、中村紘子が、「モーツァルトは、粒を揃えて、粗くならないよう、きれいに、優しく弾くようにしましょう」と言っていたという話を聞いた。

それでますます、モーツァルトは美しく優しいだけの音楽だと思い込んでしまっていた。

勿論、そうではない。モーツァルトには厳しさも激しさもあり、暗さもある。比較的最近、モーツァルトを集中して聴く機会があり、既に現在となっては、分かっているつもりだ。

しかし、もっと早くに、へプラーのような演奏でいいのかも・・・と思ったすぐあとに、レコートで掲題のリリー・クラウスの演奏に接し、それまでずっと思っていてへブラーの演奏や中村紘子のコメントで「それでいいのだ」としていたモーツァルト観が根底からひっくり返されたのだった。
リリー・クラウスによるK.310の演奏だった。この曲だけカセットに録ってあったが、レコードは処分したきりだったことに気づき、ベスト盤と言えるこのCDを手許に置くことにしたのである。

全体として、美しさよりも激しさ・厳しさが前面に出た演奏だ。ウィキで見ると、シュナーベルに師事したことがある由で、まさにナットクナットク、という処。

とくにこの中のK.545。
これは、「ソナチネ集」にも「ソナタ集」にも掲載されていて、ピアノを少しでも勉強したことのある人にはご承知の曲。そのため、優しい曲というイメージも強いはずだ。
しかし、リリー・クラウスが演奏すると、すごく良く書けている曲だということを再認識させられる。何の屈託もないように始められる第2楽章で、途中、突然影が差し、暗く暗くなっていく箇所など、同じ後期の、交響曲にも共通しているようだ。

K.331。これはご存知ない方は少ないだろう。第3楽章はとくに。念のため私がDTMで制作したものを・・・。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/mozalt/PianoSonataK331_3rdMvt.mp3

尚、私がよく拝見するブログの一つであるJIROさんのページに、色々な演奏者によるこの第3楽章の演奏が集められているので、関心ある方は是非。
JIROさんのが紹介されている演奏を聴くと、リリー・クラウスの演奏は所々で音が飛んでいたりして、古さも感じるし、衰えも感じる。でも、それ以上のものもあると思えるのだ。

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