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2012年10月

2012年10月23日 (火)

題名のない音楽会 2012年10月21日 大阪市音楽団(2)

前週10月14日に引き続き、大阪市音楽団が登場。

アキラさんと大阪市音楽Dahhhhhn ! と題して2010年からアーティスティックディレクターを務める宮川彬良の編曲により、「ゲバゲハ90分」「スーダラ節」「私のお気に入り」「大ラッパ供養」の4曲が採り上げられた。

「ゲバゲバ90分」は、ご父君宮川泰の作曲。「スーダラ節」は、萩原哲晶作曲。私の・・・」は、ご存じ「サウンド・オブ・ミュージック」の中の曲で、R・ロジャーズ作曲。「大ラッパ供養」は宮川彬良自身の作曲。
指揮は、「私の・・・」が佐渡。他3曲は宮川彬良だった。

「ゲバゲバ90分」は、私は番組そのものをリアルタイムで見ていたのだが、そのテーマ音楽がこれだとは全く記憶になかった。と言うより、このよく耳にする音楽がそれだとしうことに全然気付かなかった。最近では発泡酒のCMで使われている曲である。

「スーダラ節」。これは今一の編曲だった。

「大ラッパ供養」とは、年月が経つとともに価格がつり上がって行くことの多い弦楽器に対して、金属が錆びたりして価値が落ちて行き、やがて捨てられてしまうという金管楽器を「供養」するという主旨で作った曲だそうで、近畿大学吹奏楽部と共演。彼らが参加して鳴らされた冒頭と終りの部分の音楽がローマオリンピック(だと記憶する。東京オリンピックの前の大会)のファカファーレによく似ていると思ったが、それ以上の感想はない。

凄くいいと思ったのは、「私の・・・」である。宮川彬良曰く、アレンジ人生で最も時間をかけた曲とのことだったが、確かにアレンジも巧妙だったし佐渡の指揮も良かった。
ただ、もっと言えば、曲そのものが断トツなのだと見るのが正しいのではないか。

ロジャーズって、音楽を聴き始めの頃は、クラシック中心だったということもあり、どちらかと言えばバカにしていたというのが率直な処である。また、「サウンドオブミュージック」に親しむようになっても、他の魅力的なナンバーと比べて、どうしても落ちると考えていた。

ずっとそのように考えていたのだが、段々とその価値とか魅力が分かるようになって行き、決定的だったのはジョン・コルトレーンのよる演奏に触れた時である。
少し調べると、これって「私の・・・」を採り上げることによって曲の魅力に迫れるということにいち早く気付いたジョン・コレトレーンのセンスの賜物としてできたアルバムだそうた。

一旦魅力が分かると、「サウンドオブ」の中の他の曲のどれにも負けない価値があると思うようになって行く。少なくとも、今回採り上げられた曲の中では断トツだ。

とは言え、その魅力を減殺することなくアレンジしたという点で、宮川彬良の、アレンジャーとしての才能も、結構なものだと分かる。
で、佐渡が言っていたのが、「素晴しい作曲家でありアレンジャーでもある宮川彬良さんをアーティスティックディレクターに迎えている大阪市音楽団という団体は、今まさに次のステージに上がろうとしているということ。

誠にその通りなのだろう。
私は、宮川彬良という作曲家・編曲家の、才能はそこそこ認めるが、もの凄く光るというレベルではないと思うし、オリジナリティがどうかというと、まだ評価は留保しておきたいと思っている。

しかし、「座付き」の作曲家・編曲家を持つというのは実にゼイタクなことである。古くは、ルロイ・アンダーソンを専属アレンジャーとして抱えていたボストン・ポップスが、彼の編曲によってクラシック音楽のオケでどんどんポップス系も採り上げるようになり、やがてアンダーソン自身の曲も、このオケのためにどんどん書かれて行った。

大阪市音楽団が、そのようにして新しい曲も生み出して行くことができたら良いことだ。
心配なのは、文化と全く縁がないと推察できる市長が、どこまで抱え切れるかという点である。この団体が発足した当時と現在では、状況が違い過ぎるから。
吹奏楽団が殆ど唯一に近い、クラシック系も含めた音楽を聴かせてくれる存在だった頃と、オーケストラだけで幾つもの団体が存在する現在では、聴衆の求めているものの幅が広くなっているからである。

さて、1点だけ脱線して言及。

WindowsのPCをお使いの多くの人が必ず目にしている、「お気に入り」。
これは、原曲の「My Fovorite Things」を、「私のお気に入り」と邦訳したことに由来しているはずだ。もし「My Fovorite Things」を別な訳にしていたり、和訳自体を諦めて英語の片仮名読みにしていたら、「お気に入り」という名前をつけるヒントがなかったのだから、違う名前になっていたはずである。「お気に入り」という前例があるからPCでも「お気に入り」になったのだろうが、そのために、命名したメーカーにとっては良かったとしても、ユーザー側にとっては、今一シックリ来ない名前になってしまったと思う。

だって、「そのサイト、お気に入りに入れとくといいよ」「そうしよう。お気に入りにいれとこう」なんて会話が時々為されるが、これって実に変な会話だと思わないか。少なくとも、日本語の会話としておかしくないか。
和訳を諦めて英語の片仮名読みが主流となってしまった多くのソフトやアプリのように、「フェイバレット」とでも名付けた方が、どれだけシックリくるか分からないではないか。

何でもかんでも英語の片仮名読みで済ませるという風潮に、私は大いに批判的なのだが、ことPCについては、ある程度やむを得ないのか、またその方が却ってシックリくるかなとも思うのである。

そうそう、もう1点。
この番組だが、佐渡時代になって以降は、毎回録画して保存するようにしている。内容の善し悪しに拘わらずだ。
どうせ保存するなら、ということで僅かに含まれている番組前と後のCMをカットすることと、今回の番組と次回予告の間にチャプターを切るくらいの編集は行っている。

今回の放送も、そうして編集していたのだが、どういうわけか、編集中に誤って消去してしまった。こうなってしまうと後の祭というものである。PCには必ず UNDO 機能(やり直し、取り消し)が付いているのに、何でDVDやBDにその機能が付いていないのだろうか。何か難しい技術が必要なのだろうか。
2番組録画とか3番組録画とか、キーワードによる自動録画とか、最近では3D対応とか、BDレコーダの機能競争は激しい。しかし、私ならそんな機能追求よりも、レコーダとしての使い勝手の良さを磨いて行くことに意義を感じる。

とくにBDレコーダは、10回までしかダビングができないという制約が加わったことによって、どれだけ分かりづらく、使いにくいものになってしまっていることか。

ユーザーインタフェースにウルサイと思っている、天下のパナソニックの製品にしてからが、そんな惨状である。私の使っているのがまさにそれなのだが、電源が入っているのかどうかさえ分からないのだ。電源のインジケータとしてのLEDランプを欠いているのだ。コスト削減のためだと言うのかも知れないが、あんまりではないか。これだから、アンドゥ機能の開発なんて、望むべくもないということだ。

尚、アンドゥ機能については、この記事を書いている2012年10月時点で搭載していない機種ばかりだと認識しているが、電源インジケータについては、上掲の機種では搭載している可能性はある。これは一応お断りしておく。私の使っている機種が既にラインから外されているようだし、次に挙げる機種は私の使っているものと違うので。
しかし、電源インジケータの有無は、他のメーカー、他の機種を検討されるとき、必ず確認しておくことをお薦めする。

こんな機能を一々確認せねばならないなんて、パナソニックたるものが、機種づくりってどうしちゃったのだろうか。

・・・って、しかし安くなったものですねー。上掲のために探していたらこの価格。見てたら私自身、2台めとして欲しくなってきた。

2012年10月20日 (土)

らららクラシックを断ず

音楽番組に関する評論を書いてきたこのページだが、N響アワーを廃止するという暴挙をNHKが冒してしまったがために、愕然としかつガッカリし、かなり書く気をなくした日々があった。NHKからは、代わりにこんな番組があるから・・・と主としてBSプレミアムでやっていた番組の案内が回答代わりに来たが、それらでは代わりになり得ないからこそ、クレームをつけたのだ。多くのN響ファンから、同様のクレームが行ったはずだ。

案の定、代わりに始まった「ららら」などと言う番組は、愚にもつかない内容で収支している。たまに、余りにも他局の番組が下らなさすぎるときは見てみたりすることもあるのだが、見ているうちにハラが立ってきて、続けて見る気を失ってしまうものだった。

そもそも、MC2人が二人とも、持ち味を出せていない。職業としての特技を活かせていない。折角萩原麻未という逸材をゲストに招きながら、「月の光」だけを演奏させ、しかも加羽沢美濃との弾き比べなど、幾らでも職業としてのMCの特技を活かすこともしない。
このことは、2012年7月25日付けの記事に書いた。
断っておくが、私は、加羽沢美濃って好きだし、評価もしている。手許にあるアルバムを紹介しておく。通常こうした編曲モノには食指を動かされないのだが、彼女の編曲には光るものがあるのだ。

で、MCという特技のもう一方として、2012年8月5日の放送では、「青少年のための管弦楽入門」を採り上げ、そのナレーションを石田衣良が作ったという話になり、アホかと思った。こんなにシャシャり出るのを誰も評価しないっつーの。

これ、もともとブリテンがスコアに説明書きをつけていて、それに沿った内容で単純な日本語訳を施すべきものである。さもなくば、ナレーションなしの演奏とするとか。
名曲探偵アマデウスに出ていた黒川芽依がナレーションを担当するからというので、彼女がこれをどう料理するか、という関心だけで我慢して聴いたが、新作のナレーション自体が極めてつまらないものだったので、ヤッパリナーと改めて思ったのである。

ナレーションなしの演奏としては、例えば作曲者自身による演奏がある。

この中で唯一評価してもいいかと感じたのは、2012年7月22日放送で、「メリーウィドウ」をやったこと。抜粋だったが、かなりの部分をやった。
もちろん、このワルツもやった。
ここに挙げるのは私がDTMで制作したもの。最初の部分は、愛の語らいをする部分。途中でハープが入ってややテンポが速くなる箇所が、踊り出すシーンである。
これ、単純に楽譜通り入れただけなのだが、演奏スタイルをウィンナワルツスタイルと指定するだけで、結構「らしく」できてしまうのがfinaleのスゴイ処だ。

尚、この演奏は途中でリピートを入れた。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/lehar/merry_widow_walz.mp3

ただ、ゲストに幸田浩子を呼んでいたのに、ロクに話をさせなかったのが怪しからん。
どういう規準でゲストを迎えているのか。
どんな企画でどんな番組にしたいのか。
どんな台本を書いているのか。

もう、アホらしくて、その後は見ていない。

こうなると朝6時からBSブレミアムでやっている番組だけが、「題名のない音楽会」を除いたときの、音楽ネタ仕入れの番組ということになる。
ところが、この時間帯のこの番組だが、改編によって番組の名称がコロコロ変り、しかも3月頃に変ったので、ワケが分からなくなった。ようやく最近になって、ウィークデーにやっているのが「クラシック倶楽部」で、日曜のは「特選オーケストラライブ」らしい、と理解したものの、それまでにやつていた番組について、番組内容や評論のためのメモの整理が付かない状態でこんなことが起こったので、相当に書く気が失せた。

それでも、折角メモしていたので、少しは活かして記事化するつもりだ。
実は2011年秋頃からのメモが残っていたのだが、自分でも内容が思い出せなくなっているし、書こうとしていた内容が古くなったり、また時間をおいて眺めてみると書く価値がないと判断できたりするものも多く、2012年分についても同様の規準が適用できるものは、この際思い切って破棄することとした。

もともと、朝6時からのこれらの番組、記事化することを前提としていなかったし、朝一番に聴くにはふさわしくない曲てせあることも多いから、録画であとで見ることが多い。あとで見るというのが、ついつい億劫となっていったこともあって、溜まってしまったのである。

しかし、中には、是非ともこのコンサートについては書いておきたい、という回もあった。一時、「題名のない音楽会」に関する記事のメモをひどく溜めてしまってチンタラと「落ち穂拾い」を続けていたことがあるが、その類で、この、現在朝6時にやっている番組についての「落ち穂拾い」をしばらく断続的に進めることとしたい。
上記のように番組名が変ったりしたこともあったので、記事化にあたって、番組名は正確でないかも知れない。

不幸なことに、N響アワーについて書くことが永遠になくなってしまったので、こうしたことも可能となるわけである。

2012年10月19日 (金)

題名のない音楽会 2012年10月14日 大阪市音楽団

こうした楽団を、文化音痴のアホ市長につぶさせてはならない。絶対につぶさせてはならない。

今回の番組を通じて、改めて楽団の歴史を知り、演奏を聴いたあと、また聴いている途中にも、つくづく思った。そういう意味で、好企画だったと考える。

紹介された「歴史」の概要は次の通り。

  • 1888年(明治21年)、イギリスの指導のもと、薩摩藩にできていた吹奏楽団が、陸軍第4師団軍楽隊として日本陸軍に組み込まれる。
  • 1923年(大正12年)、不況のあおりで廃団が決定するも、存続を求める大阪市民の要望に押された形で、「大阪市音楽隊」として存続。
  • 1934年(昭和9年)、大阪市の直営楽団となる。
  • 1946年(昭和21年)、現在の「大阪市音楽団」に改称。

番組には、2010年からアーティスティック・ディレクターに就任している宮川彬良、全国一の高校吹奏楽部を作り上げた、淀川工科高校の丸谷先生をゲストに迎え、この大阪市音楽団を指揮したことがあるという佐渡と、トークを交えながら演奏。

東京佼成ウィンド・オーケストラ、シエナ・ウィンド・オーケストラと並んで、日本の3大吹奏楽団と言うだけあって、演奏は素晴しいものだった。いや、「3大」云々は自称かも知れないが、間違いなく巧い。

おなじみの「マツケンサンバⅡ」を作曲者宮川自身の指揮で演奏したのには特に驚いた。私はこの曲、実にクダラナイ曲だと思っていた。しかし、本当はこんな曲たせったのだ、とよく分かる演奏だった。まあ、演奏に歌を入れなかったのが幸いしたかも知れない。

佐渡の指揮によって演奏した「ウェスト・サイド・ストーリー抜粋」も良かった。「トゥナイト」を入れた抜粋で、この曲、やはり「トゥナイト」を入れないと何だかシックリこないのだが、珍しく納得できるものだった。

丸谷先生指揮による、「Oh ! Namihaya」は、大阪にゆかりのある曲のメドレーだと言うことだったが、私は、番組中の字幕なしにはよく分からなかった。知っている人には分かるのかも入れないが・・・と思って改めて曲目リストを見ると、「王将」とか「雨の御堂筋」が入っていたりして、またビックリ。ちょっと懲りすぎたアレンジだったかも。

丸谷先生の思い出話の中で、昔この楽団を朝比奈隆が指揮したこともあったらしい。

こうした楽団を持っているのは、大阪市の誇りである。それを、財政難を理由に放り出してしまうという愚挙は、絶対に許してはならない。
自分が関心がないから、と言ってつぶさせてはならない。
何かと言うと「民意だから」とする。「民意」というのは、決して「白紙委任」を意味するものではない。「まだまし」だから投票した人が大多数だったはずで、「民意」をタテに何でもアリというのは、独裁者がのし上がって行く手法に他ならない。
ナチスの台頭とヒットラーの登場は、民主的な選挙の結果としてであった。

一刻も早く、こういうトップには鈴を付けに行くべきである。

2012年10月18日 (木)

題名のない音楽会 2012年10月7日 天童よしみと森麻季 美しい日本のうた

天童よしみと森麻季に、普段余りやっていない曲に挑戦してもらおうという企画。

4曲を、1曲ずつ交互に歌ったあと、最後の5曲めで、デュエット形式で歌うという内容。アレンジは、服部克久と前田憲男が、この日のために新しく書いたものだとの由。

アレンジャーも歌い手も私の好きな面々である。ただ、アレンジャーとしての才能の光は前田憲男が抜きんでて上だと思っているし、歌い手は、森麻季大好きという立場だ。

順に聴き進んでいるうちに、森麻季は、大好きというのを超えて、演歌歌手とはレベルが違うということを見せつけるばかりとなった。天童よしみは中田喜直の曲などに初めて取り組んだとのことだが、サスガと思う反面、聴いていると程なく、それ以上聴き続けるのが辛くなった。

森麻季は、初めてマイクを持って歌うことに挑戦し、「からたちの花」と野上彰作曲の「落葉松(からまつ)」を歌ったが、後者が特に良かった。アコーディオンをフィーチャーしたアレンジも良かった。服部克久のアレンジによるものだが、彼のアレンジは国籍不明ないしシャンソン風の感じを出すのにうってつけだ。

デュエットによる最後の曲は「花」。「花」は花でも滝廉太郎作曲の「花」(春のうららの隅田川・・・)ではなく、嘉納昌吉作曲の方だ。最近よく耳にするが、私などは「花」と言えば滝廉太郎のものを思い出す。

ついでに言うと、Wikipediaによれば嘉納はバリバリの反戦活動家だそうで、その線から私が連想してしまうのは ピーター・ホール アンド マリーによる「Where Have All The Flowers Gone」である。「花はどこへ行ったの」という邦題で、日本でも多くのフォークシンガーによってカバーされた。
またついでに言うと、ユーチューブで聴き比べた処、嘉納自身による歌唱よりも、石嶺聡子による歌唱の方が、方言がキツクなく聞きやすいし歌そのものも巧い。

今回の番組での天童と森麻季による歌は、それ以上に素晴しかったのだが、前田憲男によるアレンジも冴えていたし、むしろ森麻季の巧さの方が目立った。

誤解なきように付言しておくが、私は決して天童よしみをけなしたくはない。むしろ演歌の分野の第一人者として認めるし、美空ひばり以来だと思っている。
私は美空ひばりが嫌いだが・・・そのことに関する記事を、書こう書こうと思いつつ何年も杉だのだが・・・美空ひばりの声に含まれる一種独特の「品のなさ」を感じることなく、歌の良さだけを抽出したように聴けるのが天童よしみのアルバムだと思っていて、ここに挙げるものと全く同じというわけではないが、現に手許にある。

思い起こしてみると、「題名のない音楽会」では、黛時代から、このように分野の違う歌い手に初めてのジャンルに挑戦してもらうという企画があった。
上述のように私は美空ひばりが嫌いだが、彼女がオペラのアリアに挑戦した会があった。嫌いだし、そのときもオペラの歌い方ではなかったが、独特の巧さには感心させられたものである。登場した歌い手は、美空ひばりだけだった。

今回の企画も、天童よしみと森麻季を別々の会に別々の企画で登場させた方が良かったりではないだうか。最初に触れた通り、4曲は交互に単独歌唱で進めたのだし、余り2人並べて出場してもらう意味もなかったのではないか。

・・・とここまで書いてきて気がついたのだが、この11月に、森麻季による日本の歌が発売されるらしい。予約受付しているみたいなのでどうぞ。
私も買う・・・かも知れないが未定。ちょっとこの処物入りなので・・・。

2012年10月 9日 (火)

題名のない音楽会 2012年9月30日 なつかしの海外テレビ音楽

デーブ・スペクターをゲストに迎え、佐渡とのトークを挟みながら、海外のテレビ音楽をメドレーで演奏し懐かしむという企画。

「海外」と言っても、1960年代の、テレビの「黄金期」とされる頃のものが主で、それも「サンダーバード」がイギリス製である他は、全てがアメリカのテレビドラマだ。かつては、アメリカのテレビドラマが、日本のテレビのゴールデンタイムの多くを占めていた時期があったのだ。韓流が多い現在の状況を見ると、まさに隔世の感がある。

採り上げられたドラマと音楽だが、私がリアルタイムで見たものは殆どない。自分の部屋で勉強しているとき、父が隣の部屋でかけていてチラと見たり、音楽に聴き覚えがあるという程度。だから、ドラマにも音楽にも、思い入れのあるものは余りなかった。

で、ボーッと聴いていてふと「オッ」と耳を傾けたのは、1958年の「ピーター・ガン」の音楽だった。この頃我が家にテレビはまだなかったこともあり、ドラマ自体も知らないので音楽も初めて聴いたと思う。サスガと言うべきか、素晴しい音楽なのだ。作曲家の名前はヘンリー・マンシーニ。

初めて聴いたと「思う」と上に書いたのは、映画音楽作曲家の中で私はヘンリー・マンシーニとフランシス・レイが大好きで、とくにヘンリー・マンシーニはレコードの時代から今のCD時代に至るまで何枚も持っている。だから、聴いたことはあるはずだったのである。
現に、ここに挙げたCD・・・私が持っているものとは曲の内容が違うはず・・・「ベストアルバムにも、収録されている。

ちなみに、この中で私が一番好きなのは「ムーン・リヴァー」。次いでは「シャレード」だ。

今回放送した海外テレビ音楽の中で、佐渡が賞賛したのは、「奥様は魔女」の音楽。ミュージカル音楽としても成り立つものだと言う。
そして、「スパイ大作戦」の音楽。私は言われて初めて気付いたのだが、3プラス2拍子で、変ったリズムなのだがワクワク感が出る、と言う。

最後にこれを演奏する前に、クラシック音楽を使ったドラマと、その曲のメドレーがあった。「ローン・レンジャー」での「ウィリアム・テル序曲・・・正しくは、そのスペイン騎兵の行進、だったっけ・・・の部分・・・などだ。
知らなかったのは、グノーの「あやつり人形の葬送行進曲」が、「ヒッチコック劇場」のテーマだったこと。そして、これはクラシック音楽ではないが、「鬼警部アイアンサイド」のテーマの後ろの方が、「ウィークエンダー」のテーマだったこと。

いや、「ウィークエンダー」のテーマだったということは、忘れていただけだった。クインシー・ジョーンズが作曲したものであり、何かの機会にクインシー・ジョーンズのアルバムを聴く機会があり、その中にあってナルホドと思ったことがあったのだ。
私は持っていないのでいささか自信がないのだが、多分これに入っているものだろうと思うので挙げておく。但し、新品の入手は困難かも知れない。

さてさて、これらのアメリカテレビドラマ全盛の頃というのは、まさに今は昔ということになってしまった。
ドラマ自体も優れていたものが多かったように思う。出来が違った。

そして、何と言っても、ドラマに出てくるシチュエーション・・・主として生活水準・・・は、憧れの的だったのである。テレビで見る豊かな生活の憧れて、何とか追いつきたいと頑張ってきたのが、私の上の世代であり、私の=団塊の 世代だったのだ。

見るテレビドラマが下らないレベルに落ちて行ったことと比例して、日本文化のレベルまで下がってしまったように思うのは、私だけではないだろう。

かつてのように、欧米のテレビドラマの類をもっと放送してもらいたい。現在適したものが見あたらないなら、昔の、それこそ今回採り上げた頃のものでもいい。
憧れも、目標も、高く持たないとロクなことはないのだ。

2012年10月 8日 (月)

題名のない音楽会 2012年9月23日 未来の大器 学校編

佐渡の出身校である、京都市立京都堀川音楽高等学校を佐渡が訪問し、後輩たちの指導にあたる、というのがこの日の放送。「未来の大器シリーズ」の一環という位置づけ。

佐渡の経歴等から、この高校の存在は知っていたが、中の様子やオケの練習風景は初めて見聞きするものであり、非常に参考となった。

何とこのときの目玉は、題名のない音楽会の人気シリーズである「振ってみまSHOW」に出演していたコが、本格的に指揮の勉強をすべく在籍していて、佐渡との再会、そして佐渡から直接教える、という場面だった。

私は、ベルリンフィルを振ったときの演奏や、前後の状況から佐渡はまだまだ超一流にはほど遠いと考えている。
しかし、こうしたオケを指導するにあたっては、やはりスゴイものだと感服した。彼の指導によって、アマオケなのに音楽がどんどん変って行くのだ。ちなみに、指導していたのは、ドヴォルザークの9番。

こうした指導もあてのことだが、仕上がった段階での演奏会での演奏水準は、中々の出来だった。そんぞじょそこらの、大学などのアマオケとは出来が違う。音楽を高校という段階でミッチリ学び、練習するというのがいかに素晴しいことであるのかを知らされるものだった。

さして、番組のあとで思ったのだが、こうした高校を「市立」として持っているというのは、やはり京都というのは文化というものに対して、凄味とさえ言える骨格・品格を備えたマチだということ。アホ市長が全ての文化を破壊しようとしている、すぐ近くの都市とは雲泥の差がある。

もう1点は、なるほどこうして、先輩から後輩への受け継ぎができ、伝統に重みをつけていくのか、ということ。佐渡と、題名のない音楽会を通じての、後輩との繋がり。指揮者希望のコだけでなく、オケのメンバーも、偉大な存在ともなった先輩から直接指導してもらった時間を持てたというのは、生涯記憶に残ることだろう。

ついでに私など老婆心から発するのだが、音楽でメシを喰うというのは大変なことだ、ということを、どう分からせ、分かっていくのかという点だ。とくにクラシック音楽という場では。

2012年10月 7日 (日)

題名のない音楽会 2012年9月9日 富士山から響け(2)

2012年9月2日の放送に続き、シエナと佐渡による、河口湖からの演奏。

この日はもう1人の主役がいて、和太鼓奏者にして作曲家である林英哲という人。この人とシエナの共演が2曲と、地元の和太鼓保存会と林による共演が1曲。

林という人は初めて知ったし、演奏も初めて。鬼太鼓座(おんでこざ)や鼓童(こどう)という太鼓演奏集団の創設に関わったことがある由なので、ひょっとすると鬼太鼓座の演奏を通じて聴いたことはあるのかも知れない。時々聴いていたことがあるから。

林は活動の場を海外にも広め、カーネギーホールで演奏したり、ベルリンフィルと共演したりしたそうだ。また、タングルウッド音楽祭で、バーンスタインと共演したこともある由。このことで佐渡と話が盛り上がり、「河口湖を、日本のタングルウッドにしよう」などと言っていた。
これ、実現の見込みはともかくとして、ちょっと違うんじゃないかな。

率直に言うと私は、タングルウッド音楽祭の全貌を知っているわけではない。だから、あくまでも断片的に知っていることから推察する、というレベルなのだが、タングルッドでは、オーディション的な要素や、一流の演奏家によるレッスンプログラムもあるはずだ。それに付随して、演奏会もある、ということではないのか。
それと、演奏会にしても、吹奏楽はサブの位置づけで、あくまでもオーケストラがメインという印象がある。吹奏楽だけ集めた音楽祭というのも、当然あり得る話だが。
どうも、話が軽くていけない。

曲も初めて聴く曲ばかりだったが、中々面白いと思った。

しかし、林のパワーによってだけ成立し得た音楽会であり、曲ではなかったか。
こうした曲の、演奏に関する継続性ということについて、改めて考えさせられた演奏会でもあった。

2012年10月 5日 (金)

題名のない音楽会 2012年9月2日 富士山から響け(1)

毎年夏の恒例とするつもりなのか、去年と同趣旨の音楽会で、佐渡指揮のシエナが河口湖畔でやったものを2回に分けて放送することとし、その1回目が今回の放送。

率直に言って、リードの曲の良さを感じ、「のってけのりリズム」という副題にしてはノリが悪すぎたし、昨年もやった「マンボNo5」に至っては、何をか況んやであった。

ノリが悪い例は、「シング・シング・シング」。単に譜面通りに演奏しているだけで、スウィング感の全くない、凡庸な演奏。結局はシエナって大したことがないのか、それともまだトレーニング次第では望みがあるのか。

マンボNo5について、昨年の同趣旨の番組に関する記事に書いたことを繰り返すと、「ウー」という合いの手。合いの手だからと言って、素人にそうそうできるものでない。音楽の流れを止めることなく出さねばならない。単なるかけ声ではなく、音楽の一部なのである。聴衆の間を回って、マイクを突きつけてそれをやらせる、というのは止めるべきだ。

私が書いていることの意味が分かりづらい方は、是非とも、ペレスプラードのCDを聴いてみることをお薦めする。何枚か出ているので、ここに挙げたのが、昨年と同じ盤か否かはよく分からない。しかし、改めて聴き返してみると、これもそれこそシエナのはノリが悪すぎると断言できるというものだ。

2012年10月 3日 (水)

クラシック倶楽部 2012年10月2日 パク・キュヒ ギターリサイタル

まったく、こんな演奏を聴いた日には、こんな人を知った日には、竹島の問題など、どうでもいいという気にさえなってくる。

この番組は朝早いこともあり、またできるだけBDレコーダのHDDを空けておきたいので録画していないこともあり、たまたま朝早く目が覚めたときだけ見ることにしている。
そして、アタリもハズレもある中、今回はアタリだった。

交響曲とか協奏曲、ピアノ独奏曲などをメインに聴いてきたので、ギターの演奏に関しては余り論ずべき言葉を持っていない。そもそも、知らない曲が多い。
それでも、ギター曲を全く聴かなかったわけではなく、ナマ演奏に接したこともあるし、何人かのギタリストのレコードを持っていたし、CDになってからも何枚かは持っている。

その中では村治佳織のものがベストだと思っているが、ひょっとしてこのコ(あえて「コ」と書く)を加えてもいいかな、というほどの、優れた演奏だった。
それにしても、クラシックギターでメシが食えるというのは相当なものだ。ニーズも機会もさほど多いと思えないのだ。

幼い頃、母君が趣味で通っていたギター教室で先生に認められ、あちこちのコンクールを総なめにし、小澤征爾に認められ幾つかのオケと共演。ご父君の仕事の関係で、拠点を日本と韓国の間を行き来していたが、改めて日本に拠点を置くことにした由だ。
もっとも、演奏会は2011年2月10日に行われたらしいので、その後どうしたのだろうか。大震災よりも前だし、日韓で竹島問題がややこしくなる前である。

何だか、ファッションリーダーの益若つばさに似た容貌で、親しみも湧いた。華奢な手から出てくる音楽は、一言でいうと優しい感じがある。

アンコールとして演奏されたのは、お馴染み、「アルハンブラ宮殿の思い出」。すごく良かった。
村治佳織に注目するようになったのも、何かの番組で彼女がこれを弾いたときだった。

忘れていたが、日本に拠点を持ち、日本で活動していて、親日家でもあるという音楽家の大物中の大物に、チョン・ミュンフンがいるではないか。
在日のひとだけでなく、こうした人たちによる交流の歴史がある。その人たちも含めて居にくくなりかねないアホな行動をする大統領がいるというのは、いかにも気の毒なことである。

2012年10月 1日 (月)

題名のない音楽会 2012年8月26日 ウェスト・サイド物語

VIVA ! バーンスタインというシリーズの6回目。
映画版が公開されてから50年になるということで、「ウェスト・サイド物語」を採り上げた。シ

リーズ6回目にして、ようやく「ウェスト・サイド物語」が採り上げられたことになる。

バーンスタインの娘さんと、バーンスタインの死の直前の15年間マネージャ?としてサポートしてきたグレイグ・アークハートという人が登場。「ウェスト・サイド物語」からの音楽を所々に挟みながら佐渡とトークを進めて行くという構成。

興味深かった話として、このミュージカル、最初は「イーストサイド物語」として構想されていた、ということだった。内容も、プロテスタントとカトリックの抗争がテーマだったとか。
しかし色々な事情で頓挫していた処、プエルトリコからの移民の少年ギャング団と、ニューヨークの少年ギャング団との抗争に変更するということになった由。

私が思うに、プロテスタントとカトリックの抗争というテーマでは、少年ギャング団どうしの抗争(及び、アメリカ領であるプエルトリコからの移民に対する差別)よりも一層テーマとして重すぎ、それこそ色々と支障があったのだろう。

番組内では、この他にグレイグの誕生日にバーンスタインからプレゼントされた曲というのがグレイグ自身のピアノによつて紹介されたり、バーンスタインの娘さんが「佐渡さんの指揮を見ていると、父を思い出します」なんてことを言ったり、なごやかな感じで進んだ。
まあ、父を云々は多分にリップサービスの感じだが。

なごやかなのはいいが、どうしても気に入らない点があった。
「ウェスト・サイド物語」の中からの曲を所々の挟みながら・・・と上に書いたが、これが、管楽器の5重奏による、極めて退屈な演奏だったのである。どういう処のメンバーなのか、紹介もなかったと思う。

いったい、何がしたいのか。ゲストの2人が大物すぎて、ギャラが高くて予算がくなったのか。それとも、管楽器の5人を紹介したかったのか。
オケを雇うための予算が飛んだのであれば、まだピアノで演奏する方がましだ。

さて、「ウェスト・サイド物語」の映画は、もう何度も何度も繰り返して見てきたし、サントラのCDも持っている。

そもそも、LDの時代から、これを見たくてAVシステムを構築した、という人が何人も現にいたし(噂だけでなく、現にそういう人にインタビューしたこともある)、私もそれに倣(なら)って、既に持っていたオーディオシステムを、LDを軸に据えたAVシステムに変えていったものだ。LDが廃(すた)れ、DVD、さらにBDになっていったのは時代の流れというものだ。DVDまではソフトも追いかけた。
BDになってから、まだ私は持っていないが、発売はされているので、並べて紹介しておきたい。

で、何が言いたいかというと、何度も繰り返し見てきたにしては、この番組をボケツと見ながら、音楽そのものではなく、あることに初めて気がついたのである。

ヒロインである女性の、「マリア」という名前である。

欧米では、キリスト教がメインであることも相俟(あいま)って、聖書から採られた名前を子どもにつけることが多い。日本だと発音が同じでも漢字で書き分けたりするが、欧米では、同じ発音は同じまたは類似した書き方をするしかない。
だから、似たような名前が多いという結果となるのだが、それでも「マリア」という名前は象徴的だと思うのである。

英語の本来の名前は「メアリー」または「メリー」と日本語なら表記される名前のはずだ。イギリス王家の女性につけられている名前のメアリー、ビートルズが「レット・イット・ビー」の中で歌っている「マザー・メアリ-・カム・トゥ・ミー」の「メアリ」などがすぐに思い起こされるだろう。

では「マリア」とはどんな由来か。
「メアリー」も同じで、上記の「マザー・メアリ-・カム・トゥ・ミー」の「「マザー・メアリ-」は、文字通り「聖母マリア」である。「マザー」が付いていない場合、聖母マリアと必ずしも関係はないが、ある程度はそれを意識して付けたのだろう。

「メアリー」は、ラテン系の言語では「マリア」となる。
言い替えると、「マリア」は、ラテン系の言語における名前であることを、強烈に示す名前でもあるのだ。即ち、移民のコであるということを。
プエルトリコの公用言語はスペイン語と英語だが、スペイン語がメインだし、「ウェストサイド物語」でプエルトリコからの移民の子たちの言葉は、強烈にスペイン語なまりのある英語だ。

だから、トニーがマリアに出会った直後に歌う「マリア」で、その、母音が多く美しい響きを持つ「マリア」という名前に感動して歌っているのは、同時に、英語圏では新鮮に響くそのことに驚いている、ということでもある。さらには、所詮そこには悲劇的な結末をも暗示していることになるわけだ。

しかし、本来の「ロミオとジュリエットでは、ヒロインもその相手も死んでしまう、という結末だが、「ウェスト・サイド物語」では、ヒロインだけは生き残る。だから幾許(いくばく)かの救いはあるわけだ。

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