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2012年10月 1日 (月)

題名のない音楽会 2012年8月26日 ウェスト・サイド物語

VIVA ! バーンスタインというシリーズの6回目。
映画版が公開されてから50年になるということで、「ウェスト・サイド物語」を採り上げた。シ

リーズ6回目にして、ようやく「ウェスト・サイド物語」が採り上げられたことになる。

バーンスタインの娘さんと、バーンスタインの死の直前の15年間マネージャ?としてサポートしてきたグレイグ・アークハートという人が登場。「ウェスト・サイド物語」からの音楽を所々に挟みながら佐渡とトークを進めて行くという構成。

興味深かった話として、このミュージカル、最初は「イーストサイド物語」として構想されていた、ということだった。内容も、プロテスタントとカトリックの抗争がテーマだったとか。
しかし色々な事情で頓挫していた処、プエルトリコからの移民の少年ギャング団と、ニューヨークの少年ギャング団との抗争に変更するということになった由。

私が思うに、プロテスタントとカトリックの抗争というテーマでは、少年ギャング団どうしの抗争(及び、アメリカ領であるプエルトリコからの移民に対する差別)よりも一層テーマとして重すぎ、それこそ色々と支障があったのだろう。

番組内では、この他にグレイグの誕生日にバーンスタインからプレゼントされた曲というのがグレイグ自身のピアノによつて紹介されたり、バーンスタインの娘さんが「佐渡さんの指揮を見ていると、父を思い出します」なんてことを言ったり、なごやかな感じで進んだ。
まあ、父を云々は多分にリップサービスの感じだが。

なごやかなのはいいが、どうしても気に入らない点があった。
「ウェスト・サイド物語」の中からの曲を所々の挟みながら・・・と上に書いたが、これが、管楽器の5重奏による、極めて退屈な演奏だったのである。どういう処のメンバーなのか、紹介もなかったと思う。

いったい、何がしたいのか。ゲストの2人が大物すぎて、ギャラが高くて予算がくなったのか。それとも、管楽器の5人を紹介したかったのか。
オケを雇うための予算が飛んだのであれば、まだピアノで演奏する方がましだ。

さて、「ウェスト・サイド物語」の映画は、もう何度も何度も繰り返して見てきたし、サントラのCDも持っている。

そもそも、LDの時代から、これを見たくてAVシステムを構築した、という人が何人も現にいたし(噂だけでなく、現にそういう人にインタビューしたこともある)、私もそれに倣(なら)って、既に持っていたオーディオシステムを、LDを軸に据えたAVシステムに変えていったものだ。LDが廃(すた)れ、DVD、さらにBDになっていったのは時代の流れというものだ。DVDまではソフトも追いかけた。
BDになってから、まだ私は持っていないが、発売はされているので、並べて紹介しておきたい。

で、何が言いたいかというと、何度も繰り返し見てきたにしては、この番組をボケツと見ながら、音楽そのものではなく、あることに初めて気がついたのである。

ヒロインである女性の、「マリア」という名前である。

欧米では、キリスト教がメインであることも相俟(あいま)って、聖書から採られた名前を子どもにつけることが多い。日本だと発音が同じでも漢字で書き分けたりするが、欧米では、同じ発音は同じまたは類似した書き方をするしかない。
だから、似たような名前が多いという結果となるのだが、それでも「マリア」という名前は象徴的だと思うのである。

英語の本来の名前は「メアリー」または「メリー」と日本語なら表記される名前のはずだ。イギリス王家の女性につけられている名前のメアリー、ビートルズが「レット・イット・ビー」の中で歌っている「マザー・メアリ-・カム・トゥ・ミー」の「メアリ」などがすぐに思い起こされるだろう。

では「マリア」とはどんな由来か。
「メアリー」も同じで、上記の「マザー・メアリ-・カム・トゥ・ミー」の「「マザー・メアリ-」は、文字通り「聖母マリア」である。「マザー」が付いていない場合、聖母マリアと必ずしも関係はないが、ある程度はそれを意識して付けたのだろう。

「メアリー」は、ラテン系の言語では「マリア」となる。
言い替えると、「マリア」は、ラテン系の言語における名前であることを、強烈に示す名前でもあるのだ。即ち、移民のコであるということを。
プエルトリコの公用言語はスペイン語と英語だが、スペイン語がメインだし、「ウェストサイド物語」でプエルトリコからの移民の子たちの言葉は、強烈にスペイン語なまりのある英語だ。

だから、トニーがマリアに出会った直後に歌う「マリア」で、その、母音が多く美しい響きを持つ「マリア」という名前に感動して歌っているのは、同時に、英語圏では新鮮に響くそのことに驚いている、ということでもある。さらには、所詮そこには悲劇的な結末をも暗示していることになるわけだ。

しかし、本来の「ロミオとジュリエットでは、ヒロインもその相手も死んでしまう、という結末だが、「ウェスト・サイド物語」では、ヒロインだけは生き残る。だから幾許(いくばく)かの救いはあるわけだ。

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