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2012年7月

2012年7月25日 (水)

らららクラシック 2012年7月15日 萩原麻未を何と言う使い方!

らららクラシックなどという番組、全く見たくないのだが、この時間帯に放送される他の局の番組、とくに民放関係が、余りにもくだらないものが殆どなので、ついチラ見や途中から見る、ということをしてしまうことがある。

そして・・・・結局ハラが立って仕方なくなるのである。

確か、音楽の都パリ、というテーマだったのか、バリで活躍した作曲家の作品を幾つか採り上げて紹介する、というもの。
途中からなので、されまでに何をやつていたのかは、よく分からないのだが、ゲストが萩原麻未(まみ)である、ということで、ジュネーブ国際コンクールで日本人で初めて優勝したときの映像がホンの一瞬流れた。
そう言えばそんなニュースが新聞に載っていたような記憶があり、その一瞬の演奏で結構聴く価値がありそうだ・・・・として見ることにしたのだ。ラヴェルのP協だった。

で、パーヴォ・ヤルヴィが2010年からパリ管の音楽監督を務めているということで、「ペトルーシュカ」の第1部が流れた。これは名演だった。
しかし、幾ら第1部だけと言っても、余りというか殆ど曲の間に切れ目がないその曲、第1部が終った箇所なのか、ブツッと切ってしまったのは呆れた。せめてフェードアウトするとか、工夫して然るべきだろうに。こんなことも配慮できないのか・・・この時点で早くもハラがたち始める。

で、お目当ての萩原麻未だが、いつまで立っても演奏する様子がない。
かといって、パリでの生活や音楽の現場の様子を深く突っ込んで聞き出す様子もない。

結局、最後近くになって、演奏したのは「月の光」1曲だけ。

・・・って、散々待たせておいて「月の光」はないだろう。
見ていなかった嫁さんにこれを説明したら、「何それ」と、私と同様に呆れていた。

私たちの感覚が間違っていないことを確認するため、全音のピアノピースで難易度を確認した。

ご存じの方も多いと思うが、該社のピアノピースは、易しいレベルから順にAからFまでのランク付けが為されている。
「月の光」はCとされている。中級だ。ピアノを学び始めて何年か立つと、トライしたくなるレベルだ。要はアマチュアでも、少しずつ頑張って練習すれば弾けないことはないレベルだ。同じドビュッシーで同様にCなのは、「2つのアラベスク」や「亜麻色の髪の乙女」など。

「沈める寺」だとEで、上級。「水の反映」はFで、上級の上。
ラヴェルでは、「亡き王女のためのパヴァーヌ」のピアノ版がCだ。
この曲だ。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/ravel/pavane_piano.mp3

何もプロだから難しいのを弾かせてみろ、と言っているのではない。ゲストに呼んで、たった1曲だけ弾かせて、それがCレベルで、しかも余り情感を込めて演奏しなくてもよい「月の光」だけというのはないだろう、と言っているのだ。
早い話、「月の光」ならば、加羽沢美濃が弾いたっていいのだ。または、加羽沢美濃と萩原麻未が弾き比べてもいい。
つまり、萩原麻未がどんなピアニストなのか、もっと端的に分かりやすい例になり得る曲にすべきだと言っているのだ。

ラヴェルになるが、上掲の「亡き王女」など、結構どんな傾向の弾き方をするピアニストなのか、分かりやすい曲だと思う。
ドビュッシーなら、上に示した例の中でも「沈める寺」もいいだろうし。

こんな放送をするから、見る気になれないのだ。

2012年7月24日 (火)

2012年7月9日放送 ベルリンフィル ワルトビューネ2012

この日の放送は、ベルリンフィル特集みたいな形で毎年夏にやっているもので、前半がヨーロッパコンサート、後半がワルトビューネ2012。
前半のコンサートについては7月22日付けの記事で「ダメコンサート」と評すしかないものだったが、後半のワルトビューネは結構良かったのではないか。

オールチャイコフスキープログラムで、指揮はネルソンス。最初の「交響曲第5番」と最後の「1812年」が核で、中間に樫本大進によるソロとの共演曲目を配した構成。

ネルソンスという指揮者は初めて見たのだが、Wikipediaで見たら、1978年生れにして既に錚々たる経歴の持ち主で、2010年には小澤征爾の代役でウィーンフィルを振ったこともあるらしい。30代の指揮者の1人として注目して良さそうだ。
少なくとも、こと今回のチャイコフスキーに関する限り、面白い演奏を聴かせたと思う。

何しろ往年のロシアの大家を思い起こさせるほど、やや大げさなテンポの揺れ、表情付けなどをやってのけたのである。ラトビア出身とのことで、バルト3国のひとつだから、ロシアの指揮者ではない。

例えば、ここに引用する部分。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/tschaikowsky/tchaiko_sym5_barsfrom170.mp3

これは、交響曲第5番の第1楽章の、第2主題からの発展から派生的に出てくるもの・・・と私が使った全音のスコアで解説しているが、私は第3主題としていいと考える。

チャイコフスキーという稀代のメロディーメーカーは、こんな「派生的」と称される程度の箇所に、こんな素晴しいメロディーを惜しげもなく配するのだ。やはりメロディーメーカーの交響曲作曲家であるドヴォルザークも、似たような処がある。

で、ここはかなり大げさに演奏しても許容される箇所だろう。

あとは、「1812年」、大砲の箇所をどう演奏するかと期待したが、大砲もどきの花火の筒? を上に向けてブッ放すという方法で、ステージ上は煙が立ちこめてもの凄い状態に・・・。

樫本大進のソロも中々のものだったし、全体として楽しむことができたのだが、最大の、しかも致命的な難点は、ひどい雨の中でやったこと。とくに樫本大進のソロのときには、ヴァイオリンの音がかき消されるほど。
毎年ウァルトビューネは、少々演奏に不満があっても、録画し保存しているのだが、今回ばかりは許容範囲を超えたもので、到底保存する気にはなれなかった。

それにしても、野外音楽堂なのに、雨でも演奏会を強行するというのは驚いた。観客も、雨にも拘わらず例年と殆ど変らない人数が集まっていたようだった。
で、オケも、よくやるよなあ、と思った。

だって、雨の中・・・いくらテントが張ってあるといっても・・・楽器にかなりのダメージがある。とくに弦楽器と木管楽器。
楽器の調子゛万全でなかったためか、アンサンブルの乱れが相当見られたし、音の通りも悪いという印象を持った。

で、もう一つ感じたのは、ドイツの人って、チャイコフスキーが好きなんだなあ、ということだ。ベルリンフィルによるチャイコフスキーの録音というのは昔からよく出ている。
現に私が自分の小遣いで最初に買ったのは、カラヤン指揮の交響曲第4番だ。
多分、ここに挙げた1966年録音版だったと記憶する。

そんなこんなを思い起こさせてくれ、久しぶりに、それなりのチャイコフスキーが聴けたコンサートだった。

2012年7月22日 (日)

ベルリン・フィル ヨーロッパコンサート2012

夏の今頃になると楽しみなのが、ベルリン・フィルのコンサートが2組、BSプレミアムで放送されることだ。今年は2012年7月9日(月)午前0時から、前半はウィーンのスペイン乗馬学校でのコンサート、後半がワルトビューネコンサート。

ここでは前半について書くが、率直に言ってダメコンサート。
2012年5月1日の公演。
カプソンをチェロ独奏に迎え、指揮はドゥダメル。
ブラームスのハイドンバリエーション、ハイドンのチェロ協奏曲、ベートーヴェンの5番というプログラム。

1曲目と3曲目は、もとより、よく知っていて、よく聴いていて、好き嫌いは別にしてもとにかく偉大な曲だと思っていて、私なりに「こうあるべき、こうあって欲しい」と考える演奏スタイルがある。
この番組での演奏は、ブラームスは、構造が曖昧で盛り上がりに乏しく、ベートーヴェンはとにかく軽い、というもの。

会場のせいか、音も悪かった。極めて悪かった。ベルリンフィルのアンサンブル自体が乱れていたのか、会場に残響がないのか判別できなかったが、これはダメ。

唯一、確かちゃんと聴いたことは殆どないのだが、ハイドンのチェロ協奏曲が、それなりに聴けた。
ただ、途中から、この独奏者カプソンのボウイング(弓使い)が実に綺麗であることに目が行き、併せて「何で、チェロ奏者って、こんな不自然な体勢で弾けるのだろう」などと思い始めた。
音楽を聴いているうち、突然あることが気になり始め、集中して聴けなくなることがある。私の悪いクセだ。

だって、考えてみて欲しい。ヴァオイリンも確かに不自然な体勢で弾くのだが、引力に逆らうほどのことはない。力を入れたいときは、腕から下の体重を、真下ではないが、一応かけることができる。
チェロは、引力に逆らって重そうな弓(自分で持ったことはないので)を支え、重力とは90度違う方向に弓を走らせて音を出す。力を入れるときも、重力の助けを借りることは全くできず、自分の腕力だけが頼りだ。

こんなわけで、曲の価値や演奏の内容について、ハイドンの曲だけは論評をしないでおく。悪くはなかったと思う。
しかし、1曲目と3曲目がダメだったので、ダメコンサートと断じておきたい。

2012年7月21日 (土)

「題名のない音楽館」を更新しました

題名のない音楽館」内の「作品論」に「この曲大好き」として「サン・サーンス 交響曲第3番」を新規掲載しました。

「ハ短調交響曲の系譜」といった観点を入れて書いています。是非ともお立ち寄りください。

そこで使用しているmp3ファイルの一つをここに引用しておきます。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/saint_saens/symphony3_secondhalf_of2ndMvt.mp3

これは、「finalle」にバンドルされている「Garritan Personal Orchestra for finalle」で鳴らしたものをwavからmp3に圧縮して作成したものです。
作曲家の著作権が切れている音楽を使うにせよ、演奏家には演奏に関する権利がありますので、色々な権利関係をクリアするには、この方法しかないと考えています。

このニーズに対応するため並行して自分用に構築・作成していたページを、「題なし 音蔵館」として公開します。多数の曲を収録しています。是非ともお立ち寄りください。サイドバーにも追加しました。

2012年7月14日 (土)

題名のない音楽会 2012年6月3日 東京佼成 続き

(前稿の続き)

さて、東京佼成ウィンドオーケストラの演奏だが、題名のない音楽会では佐渡の関係でシエナウィンドオーケストラの演奏が流されることが多いのでシエナとだけの比較になるが、明らかにシエナよりも遙かに上だ。

もともと佐渡にとって思い入れのある楽団だそうで、その理由は、1986年の全日本吹奏楽コンクールで龍谷大学吹奏楽部を指揮した佐渡は、東京佼成の模範演奏を何度も何度も繰り返し聴いて、龍大を3位に導いたのだとか。
そのためもあってだろう、佐渡が随分振りたがっていてアピールしていた。

巧いというのもそのはずで、この楽団を指揮してきた人たち(客演含む)の名前としては、秋山和慶、山田一雄、アルフレツド・リード!!、フレデリック・フェネル!!、井上道義、岩城宏之、トーマス・ザンデルリンクなど、錚々たる面々が並ぶ。
クラシックオケの指揮者も多く並ぶが、特筆すべきは、私が!を付けた二人である。吹奏楽の分野では大者中の大者。

そもそも、ウィンドアンサンブルという形を整えたのがフェネルだそうで、団体によってバラバラだった編成を、あるべき理想形に整理した由である。

また、リードと言えば吹奏楽の名曲を数多く作曲したそうで、初来日して東京佼成を振ったときは、一大センセーションだったそうだ。

ちなみに私も中学高校と吹奏楽の経験はあるのだが、コンクールに出場するほどのレベルでなかったのか、コンクールなどまだなかったのか、そうした経験はない。リードなどの曲も、当時は全く知らなかった。まだ作曲家として注目されていなかったのか。
おきまりの行進曲、校歌などの他にはクラシックの曲を吹奏楽用に勝手にアレンジしたものを演奏したりしていた。

番組内で演奏したのは4曲で、何れも名曲・名演だった。

この団体が立正佼成会の吹奏楽部がモトになつているという話は、番組内では言っていなかったが、番組ホームベ゜ージには記載されている。私はそれを見る前に分かったのだが、やは番組内で新宗教との関わりに言及するのは、放送コードに引っかかるのだろうか。
もしそうなのだとしても、今回を手始めに、もっと何度も出演して欲しいウィンドオーケストラだ。期待したい。

2012年7月13日 (金)

題名のない音楽会 2012年6月3日 東京佼成ウィンドオーケストラ

このウィンドオーケストラの名は、吹奏楽のCDなどで良く見かけるし、私も、とくに意図はせずに、それらの何枚かを持っていると思う。

しかし、じっくりと演奏を聴き、楽団として歩んできた歴史などの説明を聞いたのは、初めてである。

まず驚いたのは、日本吹奏楽コンクールの課題曲の、模範演奏のCDを作っているのが、このウィンドオーケストラだということ。いや、それよりも、東京佼成ウィンドオーケストラと交代で模範演奏のCDを作っているのが、大阪市音楽団だと言うことであった。

文化音痴の独裁者市長が、自立できないと解雇だとして斬捨てようとしている楽団である。そうか、それほどレベルの高い楽団だったのか・・・。確か私は聴いたことがあるはずだが、それほどのレベルとは知らなかった。今年度か翌年度か忘れたが、とりあえず補助金は、カットはするが1年継続となったが、どうなることか。

では、東京佼成ウィンドオーケストラは、真の意味で自立しているのか。
自立している可能性はある・・・関連するウェブをあちこち見た限りではよく分からないのだが・・・しかし、私は自立はしていないと見ている。

宗教、とくに新宗教に関心を持つ人ならピンと来るはずだが、「佼成」という、余り使われない漢字にヒントがある。
もともと、右派日連宗系の新宗教の一つである、立正佼成会の吹奏楽部が独立したのが、このオーケストラなのである。ここまでは確実に分かった。
それが、現在でも立正佼成会と関係があるのか、支援を受けているのかは、良く分からなかった。
しかし、私は、関係はあるし支援も受けていると見る。

でなければ、「佼成」などと言った、余り使われない漢字の名称を、そのまま保持している理由がないはずだ。

題名のない音楽会への出演は初めてだと言う。
これに関して佐渡が、「この番組と何かあったのか」と、半ば茶化して言っていたが、私は、「何かあった」というのが正しいと推察する。
新宗教の名前に由来する名称を持つ団体の出演ということは、いやでもナイーブになる処だ。況(いわ)んや、創価学会の人がスタッフや責任者の中にいたら、まず出演はない。

こんなわけだから、もし「東京佼成が自立しているのだから、大阪市音楽団も自立すべき」などと考えるのであれば、全くの間違いだということである。

(この稿続く)

2012年7月12日 (木)

題名のない音楽会 2012年5月27日 イタリア貴族養成講座

番組タイトルだけを見て、何をやるのかと思ったら、ルネサンス音楽だった。

音楽と音楽の間に、当時のハウトゥ本やマナー本の内容を、髭男爵の漫才で紹介した。
「ルネッサーンス」がネタだから。

今回も失敗企画だ。
ただ、アイドルのヒット曲を交響曲にしようなどと言う的外れで志の低い企画ではなく、ルネンス音楽を採り上げるというのは、志の高いことであり、その意気は認めたい。
ただ、このジャンル、どうしてもちゃんと聴く気にならないのである。少しでも親しみおすいように、と髭男爵をかませたというのであれば、それは間違い。髭男爵の漫才って、売れていた頃からずっと、全く面白いと思ったことはない。今回も、音楽の部分にからませることができたらまた異なった展開ができたかも知れないが、何も関連のないことで出していて、何の意味もない。
ルネサンス音楽をこれから聴いてみようという人は、こんな面白くない漫才など興味がないだろう。

私は、これからもルネサンス音楽を聴く気になることはないだろう。私にとって、何度耳にしても、余りにも退屈だ。退屈で退屈でならない。

それよりも、こうした音楽から18世紀、19世紀に至る中、クラシック音楽というものが如何に発展し成熟し精緻なものとなっていったか、改めて思いを馳せるのだ。

2012年7月11日 (水)

題名のない音楽会 2012年5月20日 あのアイドル名曲が交響曲に

録画したきり見ずにいたものを「消化」しようとして、この日の題名のない音楽会から始めた。不幸にしてN響アワーが廃止された現在、題名のない音楽会だけが「宿題」だと言える。

結果として、この日の番組から見始めたのは、失敗だったかも知れない。まさに脱力するばかりで、一向に元気になれないのである。

そもそも、中々新しい交響曲が生れない現状に鑑み、アイドルのヒット曲を題材にした「交響曲」を作ろう、という主旨だ。問題設定自体、誤りだ。現在でも「交響曲」の灯火を消さないように頑張っている作曲家は、幾らでもいるはずだ。その中には比較的親しみやすい曲もあるのではないか。まず、そうした例を何曲か採り上げることから始めるべきなのではないか。
N響アワーが廃止された現在、題名のない音楽会に、そこまで期待するのは、決してゼイタクな望みではないと思うのだが。

番組内では、ベートーヴェンの第九をベースに、各楽章に共通して出てくるモチーフを「世界にひとつだけの花」として、第1楽章は「ポリリズム」、第2楽章は「あいたかった」、第3楽章は「ミスター」をネタに、交響曲「らしく」作って行くものだった。
各楽章には「第九」の片鱗を引用したりしていた。

一言で言って、完全な失敗だ。
第九の片鱗を出したりすると、第九の方が音楽的な力が巨大であるだけに、今回やろうとしていたことの殆どを背景または雑音と化してしまうのだ。「ミスター」はKARAのデビュー作とのことだが、私は初めて聴き、全く評価できない。こんな曲、ポップスの分野としても、後世に残るだろうか。他の2曲は私も好きな曲ではあるが、ポップスとして名曲かどうか、微妙な処である。
そんな曲と「第九」をかみ合わせようなど、愚の骨頂だ。

ところが、第4楽章は、それなりに聴けた。「世界にひとつだけの花」を前面に出す構成で、こんな曲があってもいいかも、と思った。

これは、第九の中の第4楽章が、ベートーヴェンとしては必ずしも最上の出来映えではない、ということにも由来しているかも知れない。
私に限らず、ベートーヴェンの第九の中で、第4楽章は不出来というか、音楽的にレベルが落ちると指摘する人は結構いる。私の記憶に新しい処では、朝比奈隆がそうした考えを持っていた。

結果、「世界にひとつだけの花」のレベルと相対的に近ずき、今回の企画の中では「まし」な内容たり得たのかも知れない。

2012年7月10日 (火)

再開します

5月18日、持病が突然悪化し、入院するハメとなってしまいました。
6月7日には退院することができたのですが、3週間も入院していると体力も気力もかなり損なわれ、中々もと通りにはなりません。薬の副作用もあってか、けだるい感じが取れません。

やっと書く意欲が戻ってきたようですので、再開します。

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