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2012年5月

2012年5月18日 (金)

大植英次指揮 大フィル マーラー3番 2012年5月10日

私は決して「ナマ演奏至上主義者」ではない。昔ならレコード、また今ならCDで、あるいはFMでもTVでも、十分に楽しめるし、曲の価値も分かると思っている。

しかし、どうしてもナマ演奏でないと経験ないし体験できなしことがあるのも事実だ。

マーラーの交響曲というのは、価値が分かれば分かるほど、聴くと疲れるものだと分かってくるし、殆どの場合、疲れるほどの演奏でないと曲の真価が分からない、という困った存在である。

しかし、3番はちょっと違う。当初この3番の第7楽章として構想されていた「天使が語ること」を終楽章に据えた4番とともに・・・・だから3番と4番は双子みたいな存在だと言えるのだが・・・聴いていて精神的に疲れることは余りなくて済む曲だと考えている。
そして、マーラーのナマ演奏というのは、まだ3曲しか接していないのが実情だ。

5番は若杉弘がドレスデンだったかの常任たせったときの凱旋公演で聴いたし、2番は日本フィルが渡辺曉雄を常任に迎えて再出発したときの記念公演で聴いた。何れも名演だった。7番は朝比奈隆指揮の大フィルで聴いたがつまらなかった。

大植英次が音楽監督になってから、マーラー・チクルスを始めたときは、現役だった私には時間的な制約のため行きたくても行けなかった。ようやく現役を卒業し時間的に何とかなるようになって、気がついてみるとしかし、彼が音楽監督引退・・・ということになってしまった。

今回の演奏会は、彼が桂冠指揮者となってから初めてのマーラー演奏だとのこと。私にとっては、初めてナマで聴く3番ということになった。

100分もかかる長い長い作品だが、続けて6楽章を演奏するので、途中休憩ナシと予めアナウンスされた。

とは言っても、第1楽章が終ったあとには合唱団がステージに上がる時間があったし、第3楽章が終ったあとにはメゾ・ソプラノが入場する時間があり、楽章間のスキマがなかったわけではない。メゾ・ソプラノ入場のときは拍手も起きた。

さて、演奏だが、第1楽章冒頭の、8本のホルンによる開始部で、少しテンポをさわったのが気になったのと、メゾ・ソプラノが、私の思う声質よりは豊かすぎ・・・むしろワーグナー歌手としてふさわしい・・・という辺りが気になった程度で、概ね良かったと思う。
メゾ・ソプラノは、当初アルトでゲルヒルト・ロンベルガーが体調不良のため出演不能となり、代役としてメゾ・ソプラノのアネリー・ペーボが出演した由で(会場で変更告知のビラが配られた)、その辺りの事情も、私が違和感を覚えた理由の一つとなったのかも知れない。

ナマで聴いて良かったというのは、まずオーケストラが大規模であること、そしてその大編成を活かした凄まじい音が出る曲だということ、そして第3楽章で舞台裏で奏されるポストホルンの音などである。ポストホルンの出る第3楽章は、この曲の中でかなり退屈な楽章だと思っていたのだが、ナマで接するポストホルンの音色は、「この音でこのフシを鳴らして聴かせるのが、この楽章の狙いか・・・」と思わせ、殆ど退屈しないで済んだ。

4階席だったので(高くで怖かった・・・)オケの全貌を見下ろす形となって、全ての音が一度にドン!と押し寄せる感じとなった。この膨大なオケと凄まじい音響、どこかで見聞きしたことがあるナアと思ったが、つい先だって、同じ大フィルを井上道義が振った「惑星」がそうだった(5月11日付けの記事)。

しかし、そこはマーラーだ。似たような規模のオケを使って、比較的単純で聴きやすいメロディーを、繰り返し繰り返ししているうちに、いつの間にか強烈なクライマックスに辿りついて行く。何度も同じことを繰り返しているようでいて、そこには、変形されるたびに力がみなぎり、聴く者を圧倒するパワーが込められて行く。
全て、こんなことは分かっているし知っていたことだ。
しかし、ナマで聴くと、分かってはいても、まさに筆舌を尽くしがたい体験がそこに待ち構えていることが、改めて分かるのである。

中でも私が「この曲の価値、ここにあり」と考えているし当日の演奏も素晴しかった第6楽章まアタマ。
DTMで作成してみたので聴いてみて頂きたい。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/mahler/mahler_sym3_6thMv_1st.mp3

そして、上記引用の箇所も含めた、この曲全体についての評論は、私の「題名のない音楽館」内の「マーラー 交響曲第3番」の稿を是非とも。

2012年5月15日 (火)

題名のない音楽会 2012年5月13日 なんてったってドビュッシー

今年はドビュッシーの生誕150年にあたる由で、その特集という内容。
オケの曲は採り上げず、ピアノ及び歌曲を紹介した。

ゲストとして、ドビュッシーのピアノ曲をメインのレパートリーとしている藤井一興、エッセイシストでピアニストでもあり、ドビュッシーもよく採り上げる青柳いずみこ、AKB48のメンバーで現役音大生の松井咲子、ソプラノの吉原圭子を呼んだ。

採り上げた曲と演奏は次の通り。

  • 「亜麻色の髪の乙女」を藤井一興
  • 「月の光」抜粋を藤井一興
  • 歌曲の「月の光」を吉原圭子と青柳いずみこ
  • 歌曲「ピエロ」を同上
  • 「子供の領分」の「小さな羊飼い」を松井咲子
  • 「花火」抜粋を藤井一興

歌曲版の「月の光」という曲の存在は、初めて知った。ピアノ版と全く違う曲なので驚いた。また、AKB48のメンバーの中に現役の音大生がいる、ということも初めて知った。

というわけで、まあ収穫のあった方に属するが、次の2点を指摘しておきたい。

  • まず、短い曲ばかりだったのに、殆どが抜粋だったこと。
    歌曲は2曲とも初めて聴いたので分からないが、ピアノ曲は、上記に「抜粋」と書いている曲に加え、番組内でも番組のホームページでも「抜粋」とは書いていないが、「亜麻色の髪の乙女」も少し飛ばした。全て抜粋だというわけだ。
    これ位の曲、なぜ全曲やらないのか。
  • AKBの松井咲子。
    今ののコとしては「子」がつく、正統的な名前で、この点だけは好感が持てたが、ピアノは今一。
    きっちり弾いてはいるが、音がモゴモゴした感じだし、表情づけが平板に過ぎた。
    同じようなメロディーが何度も出てくるが、殆ど同じように弾いた。楽譜が手許にないので確実なことは言えないが、楽譜の指示がどうであっても、普通は少しずつ表情を変えて演奏すると思う。
    それによって曲に陰影が加わり、子供向けの曲としてだけではなく、幅広く愛聴される曲となったはずだ。

もう1点。これはこの番組の限界なのかも知れないが、しかし「その気」さえあれば出来るはずだと思うので敢えて書くが、これらの音楽が、どのように新しいのか、と言う説明が欲しい。
番組内で、ドビュッシーによってアジアに対する目が広がり、クラシック音楽が大きく変って行くことになった、という説明をしていたが、それは具体的にはどう変ったというのか。
音階や和声がどう変ったのか。

N響アワーは、こうしたことを知ることのできる貴重な番組だった。現代音楽の作曲家として、ドビュッシーをどう見ているのか、どのように音階や和声が新しくなったのか、など、それこそ西村にせよ池辺にせよ、ピアノを叩きながら説明してくれたのではないだろうか。

「ドビュッシー生誕150年」ということ自体、ドビュッシーをメインに聴いているわけでもないし音楽雑誌など購読していない私は、この番組で初めて知ったのだ。私だけではないはずだ。

なぜあんな大切な番組を終了させてしまったのか。
返す返すも、とんでもない暴挙・愚挙をしでかしたものである。

・・・と書いていたら、またハラが立ってきた。この件についてのNHKの対応、私は絶対に許さない。

2012年5月13日 (日)

題名のない音楽会 2012年4月29日と5月6日 歌ってみまSHOW

2回に分けて、「第3回歌ってみまSHOW」が放送された。

結論を先に書くと、殆ど収穫はなかった。7歳の女の子から87歳の女性まで幅広い年齢層が参加したが、子供の歌は子供の歌以上のものでも以下でもないし、高齢の参加者は、やはり年齢のせいと言うべきか、高い音が出ないし伸びない。

その7歳の女の子が「かぜよふけふけ」で審査員特別賞、87歳の女性が「この道」でグランプリを穫った。この審査結果は意外だったし、ふさわしくないとも思った。
審査員は森公美子、山口智充、高嶋さち子の3名が務めたが、3人とも全ての批評が甘すぎ、とくに子供と高齢者に対しては大甘に過ぎた。これでは、ちょっとゼイタクなカラオケ大会か、精々「のど自慢大会」レベルだ。

実際、どうにもならないヘタクソな参加者もいたし、私がまあ許せるか・・・場合によっては入賞するか・・・と目していた参加者は別にいた。

まず、「私のお父さん」を歌った77歳の女性。子供の頃に「オーケストラの少女」を観て、オーケストラをバックに歌えたらいいナとは思っていたが、応募は子供と孫が勝手に出した由。年齢の割には高音も伸び、音程も確かだった。

もう1人は、カウンターテナーで「オンブラ・マイ・フ」を歌った、23歳の整体師の人。
歌い始めたとき、佐渡と森の顔色が変ったのに、入賞せず。

こうしてみると、審査員のレベルも、出場者のレベルも、「振ってみまSHOW」に比べて遙かに劣る、と断言せざるを得ない。

2012年5月11日 (金)

マチネシンフォニー 井上道義指揮 大フィル 2012年4月18日

掲題の組み合わせによる演奏会について。
曲目は、ヨゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」とホルストの「惑星」。

何れも、以前から大好きな曲でありながらナマで聴いたことがなかった。井上道義の指揮なら私は信頼できると考えているし、午後2時開演というのも足を運び易かった。

このプログラムであれば、「天体の音楽」と「惑星」の間に休憩を入れるというが普通だろうが、今回は宇宙学者の松井・東大名誉教授(現・千葉工業大学惑星探査研究センター所長)を招き、井上とのトークをプレトークに入れ、さらに「惑星」は「水星」が終った処で休憩とし、「木星」を始める前に後半のプレトークを入れるという、少し変った順序だった。井上が続けてシリーズ化している「マチネ・シンフォニー」シリーズならではの構成である。

この松井教授は、あの「はやぶさ」の後継機の開発にも関わっている人だそうで、宇宙全般から太陽系に至るまで、井上からの素朴な質問に答える形で楽しく興味深いトークを展開してくれた。

で、演奏だが、実に良かったという一言に尽きる。
そして、とくに「惑星」だが、ナマで聴いて・・・ということはナマで見て、という意味でも・・・本当に良かった。
2階席だったので、オケのメンバーが入る前に、その配置を一望できたのだが、実に巨大な編成であり、それはもちろん「惑星」のための配置なので、まずは大いに期待が膨らんだ。

で・・・どうもすぐに記事を書かなかったので、当日行かれていた「りんどうのつぶやき」さんのページを参考にさせて頂いたら、「天体の音楽」と、「惑星」の間には休みがなく続いていたようなのだが、すると、最初からフルメンバーが揃って始めたのか、それともトークを入れているうちにメンバーを増やしたのか・・・。何れにせよ、「天体の音楽」から始まり、「火星」「金星」「水星」まで進んで休憩となった。

「天体の音楽」。
これ、サントリー・オールドのCMに使われていたことがあり・・・てなことを記憶している人はトシが分かるというものだ・・・CMで聴いて好きになり、やがて曲名と結びつけることができ、何度も聴いているうちにどんどん好きになっていった、という曲である。

曲の初めから第1ワルツまでは、こんな感じ。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/JosefStruss/sphaerenklaenge_intro_to1stWalz.mp3

曲の初めから、いきなり広大・深遠な宇宙空間に連れ出されたような感じの音が鳴り、たちまち聴く者を惹きつける。実にツカミがいい。そして、ヨゼフ・シュトラウスの才能の凄さを感じざるを得ない。ここを聴く度に、ヨゼフって、ヨハンよりも遙かに優れた才能を持っていたのだ、と私は改めて思うのだ。
その序奏からごく自然に第1ワルツに滑り込むアタリも、凄いと思う。

別の意味で凄いと思ったのは、上掲の通りDTMを制作し「ウィンナ・ワルツ」と指定すると、結構、ウィンナワルツらしく演奏すること。改めて、finale を使っていて良かったと思った。

その点、大フィルはどうだったか、本当の処はよく分からない。私のリズム感なんて所詮その程度なのだが、何か違っていたような・・・。

で、「惑星」。
実の処、このコンサートの日から今日の記事執筆まで間が空いてしまった大きな理由のひとつが、この日の演奏を聴いて益々好きになり、ブログの記事をふくらませる代わりに既掲載の記事・・・「題名のない音楽館」内の「惑星」・・・に手を加える方を選んだからである。DTMによる演奏例を幾つか入れ、文章も書き直した。
DTMは「木星」の、例の有名な部分だけのつもりが、どんどん欲が出ていって、何カ所も示すことになったのである。ここには「木星」のその例の箇所のみ入れておきたい。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/holst/jupiter_bars193to233.mp3

大編成による凄まじい音響、随所に入るオルガンの地響きなど、ナマでないと体験できないことを十二分に堪能した。

しかし、1点だけ難を言うが、「海王星」で聴こえる舞台裏の女声の声が、合唱ではない5名ほどのメンバーで演奏されたことである。
何か声が薄いな、深みがないな、と思っていたら、最後のメンバー紹介で5人だけ出てきた。そもそも舞台裏・・・チケットオフィスの窓口があるので立ち寄ることが多い・・・で目にしていた合唱グループ用の名札が、少ししかなかったので多分そうなのだろう。

アンコールとしては「マ・メール・ロア」から「妖精の園」が演奏された。

さて例によって私のリファレンス。
「天体の音楽」は幾つかあるが、カラヤンが1987年にニューイヤーコンサートで振ったときのものがベストだと思っている。但し、現在は新品の入手は困難かも知れない。
また「惑星」は、上記の記事にも書いたが、これもカラヤンのもの、しかも若い頃にウィーンフィルを振ったときのものに尽きる。こちらは安価になっているので、騙されたと思って、ぜひ聴いてみて欲しい。私はこの盤で聴き馴染んでいるのだ。そして、これ以上の演奏に中々接し得ていない。

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