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2012年4月19日 (木)

名曲探偵アマデウス 2012年2月29日 モルダウ

生れ育った寒村を振興させるため、テーマパークの建設を計画する、建築会社の社長がクライアント。
村の殆ど全員が賛成してくれたが、小学校の恩師がどうしても賛成してくれない。工事を始めようとすると、決まってピアノで、ある音楽を鳴らす。「この曲を聴いて、よく考えなさい」と言う。この曲にどんな秘密があるのか教えて欲しい、という相談。

その曲が、「モルダウ」というわけである。
曲の解説と、並行して進む「謎説き?」の推移は省略。
次のような点が説明された。

  • 始まりのハープの音は、モルダウの川の源流の1滴を表わす。ヴァイオリンのピツィカートは、水のはねる音。フルート、次いでクラリネットで2つの源流を表わす。
    (ここまで、N響のメンバーにより実演)
  • それらが1つになって出てくる主題は、ホ短調の音階を上下するだけだが、クレッシェンド(cresc. )で上昇し、ディミュネンド(dim. )で下降する。一気に上昇し、ゆっくり下がることにより、哀愁感が出る。音階と音量の曲線と、心理的な曲線が一致する。
  • この主題は、日本でも中学校や高校の音楽の教材にもなり、合唱曲として親しまれている。
  • 元は、チェコの古い民謡。
    (「コチカレゼディーロウ」という曲だそうで、チェコの人が歌ってくれた。本当にそっくりだった)
    それを主題とすることにより、チェコ文化への誇りと、勇気を持つように伝えたかったのだろう。
  • 他に何点か、流れとともに変って行く場面についての説明があった。
  • 最後の処でホ長調になり、テンポも速くなる。
    苦悩の歴史から、勝利=独立へ、という構成。
  • チェコの民族主義を表わす曲だが、実際にチェコが真の意味で独立を果たしたのは、「モルダウ」の作曲から約100年を経過した、1989年のことだった。

結局、恩師である音楽の先生のメッセージは、「失ってしまった村の誇りを取り戻し、自立せよ」というメッセージだと推察され、それは即ち、リゾート施設などを作るのではなく、村に元々ある「水との暮し」を取り戻せということなのだろう、ということから、村に古くからある「カッパ伝説」をベースとしたものに変更する、ということになり、解決。
後日、「カッパリゾートランドの建設が、順調に進んでいる」という礼状が届く。但し、ホンモノのカッパが中々出てこないので、「当面これで乗り切ります」と添付したポスターの中には、クライアントがカッパのコスプレをした写真が・・・というオチ。

さて、幾つか私の考えを書いておく。

  • フルートとクラリネットが2つの源流を表わす、というのはスメタナが自分でスコアに書きこんだ説明にも書いてあり、その通りだと思う。しかし、最初のハープの音が「源流の1滴」だというのは、深読みしすぎだと思う。
  • ヴゥイオリンのピツィカートが水のはねる音、というのも、そうとしか聞こえないので同意する。
    スメタナはここで、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンに分けて書いている。
    ここは留意すべきことで、作曲の意図に一層近づけるには、2つのヴァイオリン・パートを左右に分けて配置するのが正しい。これについては、「題名のない音楽館」内の「演奏例に関する補足」に「音源(演奏例)におけるオーケストラの配置」という項目に記した。

番組内の演奏例は、抜粋だった。
ここでは、DTMで作成した、冒頭からメイン主題の登場までを入れておく。ヴァイオリンのピツィカートが左右に分かれて聞こえることによって、効果を高めているのがお分かり頂けるはずだ。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/smetana/moldau_opening.mp3

さて、あと1点。
この主題が「教科書にも載っていて」「合唱曲としても親しまれている」というので、改めて教科書に関するページを中心に色々と調べてみた。結論として、載っているのは確かである。

しかし、ついでにその、合唱としての演奏例を幾つか聴いたのだが、これが余りにも下らないので呆れてしまった

  • まず、歌詞がダサい。古くさい。
  • 原曲の、2つの源流が次第に勢いを増し、大きな流れに・・・という部分の殆どが省略されている。
    この導入部で、気分の高揚がもたらされ、大きな流れとなってそれが最高潮に達するのに、そこを省略すると、曲の価値が殆どなくなってしまう。
  • 歌詞をつけた主題部の伴奏が、原曲と違いすぎる。簡単にしすぎている。
    ここは、主題の背後に、木管から弦楽器に移って、同じ川の流れがずっと続いているのである。その、流れの音型の上にあのメロディーが載るので、曲の価値が高まるのである。

これ、やっぱり歌詞をつけて合唱曲としてしまったこと自体、間違いなのではないか。こんな歌詞など付けなくても、原曲を聴かせれば十分ではないのか。
全曲通して聴いても、比較的分かりやすい曲である。
最初の主題からして、十分、心に響くものがあることを感じるはずだ。それでいて奥行きもある。

ウェブを色々と見ていると、合唱の練習が厳しかったのでこの曲が嫌いになった、とか、元々合唱曲だと思っていたなどの記載を随分見受けた。これ、合唱曲として接するようにしていることの弊害以外の何物でもない。

さて、私のオススメ盤だが、フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルの演奏をまず聴いてみて欲しい。これは文句なしに「凄い」としか言いようのない演奏だ。ここで鳴っている音は、もはや「川」という概念を遙かに超えた、巨大な空間を思わせるものだ。
あとはカラヤンのものあたりだろうが、できればウィーン・フィルを振った盤を。
何れも新品は入手できないかも知れない。
他にも多数出ているし私も何種類か持っているが、フルトヴェングラーを聴いてしまうと、どれも物足りなくなってしまうのも事実だ。

尚、クーベリック指揮チェコフィルが名演とされたりしているが、私には全く理解できない。ベルリンの壁が崩壊し、クーベリックがチェコフィルに復帰して云々の背景は尊敬するが、それと音楽は別だということだ。彼の演奏を高く評価する人は、彼の持っている「歴史を背負った人」ということを通じて聴くことにより、耳が曇って(変な表現だが)しまっているとしか思えないのである。

さて、ここまで続けてきた「名曲探偵アマデウス」ないしその「セレクション」に関する記事だが、「あと2曲」という段階になって「熱情ソナタ」を書くこととなり、計3曲となり、2曲分書き終わったのでいよいよ残り1曲となった。
記事のネタとして大きくなり過ぎる可能性があり、どうするか迷っている処である。

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