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2012年4月 8日 (日)

題名のない音楽会 2011年9月25日 「第九」のジンクスを越えたか!?

日付は間違いではありません。2011年放送分の落ち穂拾いです。

掲題のテーマで、「マーラーのアダージオの秘密」ということで、マーラー9番の終楽章のアダージオが演奏された。

その前に、「マーラーの交響曲は、バーンスタインが紹介し人気が出た」とか、「今や不動の人気」だとか言う前振りがあった。
これ、私は2点とも異議がある。だからこそ、昨年のメモを取り出して落ち穂拾いの記事にするわけだ。

まず、バーンスタインの云々である。
確かに、バーンスタインが全曲をニューヨーク・フィルを中心に全曲を録音したことによって、マーラーの交響曲の全体像が、日本でも幅広く知られることとなった。しかし、それによって「人気が出た」という認識、私は持ち合わせていない。それよりも、ワルター指揮コロンビア交響楽団による第1番「巨人」こそが、日本におけるマーラー再評価の出発点だったはずである。そして9番も。

で、「不動の人気」だが、これ、私は現在に至るまで一部の曲については「人気」かも知れないが、「不動」ではないと思う。
何よりも、私がN響アワーでマーラー生誕記念として紹介された演奏を聴く限り、ろくな演奏がなかったし、つまらない演奏が殆どだったし、にも関わらず会場で拍手が起こり「ブラボー」という声までもが聞こえるの様子から、「分かってるんかいなー」と嘆息することの方が多かった。

表面的に音を鳴らすのは、マーラーの場合執拗に速度や強弱の変化や表情記号をスコアに書き込んでいるから、さほど難しいことではない面がある。スコア通りに忠実に鳴らせば「音」にはなるし、一応サマにもなる。

しかし、深さとか陶酔させるメディーとか、ある種の病的な側面まで表現するには、スコアに記されている指示だけではダメなのである。

今回の演奏も、まず第5交響曲の第4楽章の抜粋を採り上げたのだが、佐渡だったか、指揮した金聖響だったか、「ロマンチックな曲で、母親の胎内にいるような心地よさもある」という発言をした。
「母親の胎内に・・・」は、アホかと一蹴すべき、たわいもなく的外れすぎる発言だが、それ以上に「ロマンチック」というのにひっかかる。

この楽章、確かに妻となった(または、まだ婚約中のとき)アルマに対するラブレターだという説もあるくらいだから、全く間違いだというわけではない。
しかし、マーラー自身がアルマをこう見ていたというのにもっとふさわしいのは第6交響曲 第1楽章の第2主題、或いは第7交響曲 第1楽章の第2主題である。これらの方が「マーラーは、アルマを、すごく愛していたのだ」と感じさせるのであって、(結婚したあとだが)ラブレターとしても、よりふさわしいと思う(それぞれの音は、私の「題名のない音楽館」内の「マーラー 交響曲第6番」と、「同 第7番」に収録)。

むしろ私は、この第5交響曲 第4楽章のテーマには、もっと静かで深く、そして寂しい雰囲気を感じるのである。
このテーマ、ご存じの方も多いとは思うが、私のページ「マーラー 交響曲第5番」に収録してある。このメロディーの、どこが「ロマンチック」なのか。

そして、本題の第9番である。
マーラーが、ベートーヴェンが9つしか交響曲を作曲しなかったから、「9番の交響曲を書いたら自分は死ぬ」と考えて、何とかその番号から逃げたいと思った・・・という説明があり、さらに第4楽章の開始部が、ブルックナーの第9交響曲 第3楽章の始まりと似ていることも説明された。

「9番」へのこだわりは、ベートーヴェンのあとに続いた作曲家の多くにとって大きなものだった。その中でもマーラーのこだわりは特異な形と変遷があり、現在我々が知っている姿ないし番号となったわけである。この番組を見るまでもなく私は知っていたので、先ほどのページの関連ページ「交響曲 大地の歌」に記載。

ブルックナーの「第9」第3楽章の開始部とマーラーの「第9」第4楽章の開始部の類似については、よく言われることである。音として聴かせる、という試みは私も計画していたのだが、番組で先行されてしまった。
しかし、必要だと思うので、この番組のあと、「マーラー 交響曲第9番」の2011年10月の改訂稿で付け加えた。

しかし、その改訂稿でも少しだけ触れているが、これ、たまたま音型が似てしまっただけのことではないだろうかとも思っている。これらの冒頭の音型のあとに続く音楽の雰囲気が、ブルックナーとマーラーでは全く異なるものとなっているからである。
私の場合、マーラーの、この終楽章を聴くたびに心をかき乱されずにはおれない。極めて人間的だ。しかし、ブルックナーには、人間世界を超越したような処があるのだ。

さて、番組内での第9番 第4楽章の演奏だが、金の演奏ということで殆ど何の期待もせずに聴いた。
処が、これが意外と「まし」だったのである。ゆったり目のテンポで、それなりの出来だった。

しかし、こんな音楽、朝から聴きたくはない。
皮肉なことに、この曲は名演であればあるほど、アトに引くし毒気に当てられた感じになる。暫くの間は呆然として何も手につかなくなってしまう。その意味では、金の演奏、そこまでは行かなかったので「それなり」というレベルに留まったとも言える。
しかし、それでも朝っぱらから聴く音楽ではないと思う。

上記のページにも紹介しているが、私のオススメ盤は、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのものにトドメを指す。
バーンスタインは何度もマーラー全集を出していて、もっといいオケとやったものもあるが、まず、最初に出たこの盤を聴いてからでも遅くない。

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