N響アワー もう見ないし聴かない 廃止という愚挙、絶対許さない
色々と考えたし悩んだが、N響アワー、もう見ないし聴かないことにしました。
3回分ほど録画が溜まっていましたが、身ずに消去しました。タイマー予約も当然、解除。
廃止という愚挙、絶対に許さない。NHKが自ら築いてきた伝統を、自らの手で破壊するとは何たるアホをやらかしてくれるのか。
残り2回分には、過去から関わってきた人たちをゲストに迎えるらしい。その前の1回、2012年3月4日は「永遠の名曲たち」の「最終回」だということで、「春の祭典」をやるとのこと。
「ハルサイ」が「名曲たち」の最終回ってことはないだろう。まだまだラインアップが用意されていたはずだ。1年ほどでたった10曲ほどで「名曲たち」を終えてしまうということ自体、不自然極まりない。
まだまだ続けるつもりで昨年、このシリーズを始めたというのが目に見えている。
問い合せを送信し、2回とも回答は来たが、何ら答えになっていない。裾野を拡大したいとか別のジャンルのものもやりたいからと言って、もしそう考えるのであれば、別枠で増設するのでなければスジが通らない。何が「別枠による増設もチャレンジしましたが」だ。
絶対そんなのウソだ。最初に「廃止」ありきだったのであり、増設へのチャレンジなんてしていないとしか思えない。テレビだけでゼイタクにも4つものチャンネルを持っていて、増設できないなんて、あり得ない。もし増設によって何か1つ番組が消えるとして、消えても殆ど影響なさそうな番組、どれとは言わないが幾らでも見かける。
そもそも、こんなことをしてまで「裾野拡大」や、ジャンルの拡大なんてする必要を、私だけでなく多くのブロガーは認めていない。N響アワーのレベルで丁度良いのだ。あれの水準を落としてはならないし、落とす必要は全くない。あの番組こそが、「入門者に分かりやすく、ファンにも満足して頂ける」番組そのものなのだ。あの番組でクラシック音楽の深みなどを知り、レベルアップしてきた、と言う人が多いのだ。
また、あれによって、N響の演奏の内容や水準を知り、良かったと思えば現在BSプレミアムでやっている、コンサート全曲を改めて聴いたり、また曲目は変るが別の機会にN響を聴きに行く、というサイクル出来ていたはず。
「ららら」のNCとして作家の兄さんを前面に出していたNHKが、2回目の回答で突然、加羽沢美濃を強調したのだが、彼女はクラシック畑の本流ではない。
大体想像がつくのだ。
オーケストラの曲をピアノでチョッチョイと即興で弾いてみせたりするのは得意だから、それによって十分に「クラシックに詳しい人にも満足頂ける」とか思っているのだろう。
違うのだ。
うまく説明できないのが自分でももどかしいが、それはクラシックをネタに遊んでいるのに過ぎない。曲の成り立ちや構造、作曲家としてのサウンドの作り方、メロディーの特徴などを説明し繙いて行く、というのとは違う。
しかし、そんな風になってしまうはずだ。やはりこれは決定的に違う。
才能があると言っても、加羽沢美濃のような才能は、こうした番組には向かない。彼女を私は好きだし、評価もしているが、だからこそ向いていないと断言できる。
それも、もし西村氏と組んで、というのであれば別の面白さが生じるかも知れないのだが、少し詳しいとされる作家の兄さんと組んで、どんな説明になるのか、想像しただけでゾッとする。
誰がそんな番組を見るものか。
日曜の夜9時代って、他の局でバラエティやドラマなど、興味を引きそうで楽しそうな番組が目白押しなんだ。そんなことくらい、知らないとは言わさない。そんな時間帯に、リアルタイムであれタイムシフトであれ、わざわざ時間をとって見てやろう、と考えるのは、それこそ従来NHK自身が育ててきた、N響アワーの視聴者に他ならない。
そして、今後も、ゆっくりではあろうが、そうしたファン層は厚くなり続けたはずだ。
こんな「廃止」などという愚挙をやらかさないでいたら!!
そして、こんな時間帯にこうした番組を見ようと思う人は、そうしたファン層を除き、殆ど存在すらしない。
また、もし「ららら」を見る人が少しでもいたとして、また、もしそれだけを見て育つ人がいたとして、どんなレベルのファン層が育つというのか。
そんなこんなで、この話を知ってからの精神的なダメージは甚大で、かなり色々とやる気を失っているのが実情だ。
そして、終ることが分かっているこの番組の録画を見る気には到底ならなくなったのだ。
岩城-阿木時代のVHSをDVD化するという作業も、少し残っているのだが、そんな作業を思い立ったのも、現在に至る、そして将来とも続く番組で、以前、こんな風にやっていたという記録と思い出のためである。番組自体が消滅してしまったら、そんな意味は半減してしまう。もう、この作業を続ける気力も失った。
私は黛敏郎時代の「題名のない音楽会」のビデオをDVD化するのも少しずつ進めている。あれも、あのまま消滅していたらどうなったかと言うと、N響アワーほどのことはなかっただろう。黛敏郎時代の「題名」は、もしあのまま終っていまったのだとしても、もの凄い価値があるからである。文化財といっていいほどの価値があるからである。
繰り返すが、N響アワーの廃止という愚挙、絶対に許さない。
むしろ、怒りを通り越して、ひたすら悲しく、またひたすら寂しいのだ。
そんな形で残された放送を、もう私は見る気がしなくなった。録画する気もなくなった。N響アワーの番組評も、もうやめる。
これで、あの番組のファン、い-ち ぬ-けた、というわけだ。ザマア見ろ。
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