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2012年2月15日 (水)

名曲探偵アマデウス 2011年9月24日 ラプソディ・イン・ブルー

事業団野球チームの監督がクライアント。
最近実績が上がらず、監督をクビになりそうだとのこと。会社の外国人オーナーがチームのテーマ曲を変えた。この曲を聞いたら勝てるようになるのか?という相談。

相談と、曲の推移につれて語られる「解決(?)」プロセスは省略する。
説明されたポイントは概略次のようなことだった。

  • ラグタイムのリズム(「後打ちが主体。ジャズの前身)を効果的に使用している。アメリカ ニューヨークの活気と多様性を表わしているように聞こえる。
  • フルーノートを使用。元々底辺で生活する労働者の歌っていた音階によるもので、労働の苦しさ、哀しさ、明日への希望などを感じることができる。
  • ポール・ホワイトマンがガーシュウィンと出会ってできた曲である。これにより、アメリカが誇る、アメリカの音楽が1つ加わることとなった。
  • 中間部のメロディーについて、ガーシュウィンは後に、「鍵盤に指を触れたとたん、メロディーが上から降りてきた」と友人に語ったと言う。(演奏例の途中、字幕解説で)
  • ピアノのカデンツァを、ジャズ的な即興演奏で弾くことも多く、それによって、益々名曲として定着していった。中間部のメロディーが、内声部が変って行くことに注目したい(演奏例で登場した、小曽根真による)

まあ、小曽根が言及していることは、近現代の作曲技法としては当たり前のことだ。
ブルーノートが労働者の云々は、そうなのかも知れないが、現在この曲を聴くにあたっては大した問題ではないだろう。考えすぎだ。

中間部のメロディーについてガーシュウィンが語ったとされる言葉、天才というものは大したものだと、このことについても感慨を新たにせさせるを得ない。
私はむしろ、この曲が名曲たり得たのは、この中間部の存在が最も大きいと思っている。
こんな音楽だ。

http://tkdainashi.music.coocan.jp/gershwin/rhapsody_in_blueRR28.mp3

この部分だけを採り上げてジャズ風にアレンジして自分のバンドのテーマ曲とした楽団もあったし(何という楽団だったか・・)、曲名の「ブルー」というのを(ブルーノートという用語とは必ずしも関係なく)最も感じさせてくれる、素晴しいテーマである。
ピアノソロの終りの部分から、テーマの提示、そして少し落ち着いた感じの部分まで。ピアノソロ、そしてテーマの途中、独奏ヴァイオリンの音、終りの、いったん静かになる部分、何れも言葉では説明し難い素晴らしさだ。最も私がこの曲の中で好きな箇所である。

番組内の説明で、私がどうしても賛同できないのは、ジャズピアニストがピアノパートを即興演奏で弾くことによって益々名曲として定着した、というクダリである。

この曲は、ガーシュウィンが何とかクラシック音楽の分野でも一旗揚げたいと願って作曲したものであり、私は、純然たるクラシック音楽だと思う。ジャズの曲ではない。
ジャズピアノのように弾くのは勝手だが、その奏法で弾くのであれば、それはジャズでしかない。上原ひろみがこの曲を弾いているのをテレビで聴いたことがあるが、あくまでもジャズである。

クラシック音楽の場合、作曲者がカデンツァを書いているのであれば、作曲者が書いた通りに弾くべきものなのだ。
そして、ガーシュウィンの書いたピアノパートが実に素晴しいのである。余程のセンスがないと、それを凌駕するピアノソロなんて、出来るわけがないのだ。

ジャズ的に即興演奏したときに思いがけない名演となることもある。それは否定しない。しかし、多くの場合は、ガッカリするだけだ。作曲者が書いた通りに弾いているものを聴き慣れているから、途中で妙な脱線をされると・・・しかも、長く長く脱線するケースもある。・・・殆どの場合イヤになるだけである。

尚、番組での演奏例は小曽根真のビアノ、大植英次指揮の大フィルによるもの。小曽根もイヤな予想通りジャズ的な脱線をしたが、まあまあ許せる範囲で止めたので、まあ良しとしよう。

さて、ガーシュウィンはこの曲を作った当時、自分でオーケストレーションをする自信がだ持てず、グロフェ(組曲「大峡谷」の作曲者)のオーケストレーションによってこの曲を世に出すことができた。
その他に、ピアノ独奏だけで演奏する形、そしてジャズバンドと少数のオーケストラで演奏する形で残っている。

処が、その何れの形においても、聴き慣れたものとは妙に異なる、部分部分をカットした演奏があるのだ。
これを不思議に思っていたのだが、手許にグロフェの編曲のスコアを取り寄せてみると、「場合によっては、カットしてよい」と指定されている箇所が、合計4箇所、合せて169小節分存在することが分かった。全曲で、繰り返しの部分を除いて510小節なので、最大で33パーセントほどのカットが容認されていることになる。
(尚、このスコアはまだ国内版が出ていないようなので、ここには紹介しない)

しかし、これはグロフェが指定したのかガーシュウィンが指定したのか分からないが、なるべく短くして聴衆を飽きさせないようにするため、または、当時は確かまだ「ピアノロール」の形での録音のため、ロールの本数を減らして(つまり、できるだけ少しでも安くあがるようにして)、売りやすくまた買いやすくするための配慮だったのではないか・・・と私は考えている。
だからできるだけ510小節全てを演奏している盤を選びたいものだが、省略について何も記載されていない場合が殆どなので、買って、聴いてみて判断するしかないだろう。

その中で、バーンスタイン指揮ニューヨークフィルで、バーンスタインの弾き振りによるものは、確か全部やっていたはずだ。バーンスタインのものでも、渡欧してからの盤は、カットがあった。

併せて、ティルソン・トーマスによる、ジャズ編成を主体としたもの。そしてガーシュウィン自身が残したピアノロールを復元した演奏にティルソン・トーマスが合せた演奏を挙げておく。

尚、少し調べただけだがアマゾンでは見つけられなかったので挙げないでおくが、ガーシュウィン自身がピアノ独奏で弾いているバージョンも、どこかにあるはずなので入手できれば是非とも手許に置くことをオススメする。
私は、その演奏を自宅のピアノの自動演奏装置で成らすことができる状態にあり、ガーシュウィンの自作自演のピアノで一杯やるのを極上の楽しみとしている。
いや、楽しむというよりは、ガーシュウィンのピアノテクニックって、結構スゴイのではないだろうか。鍵盤の動きに、いつも圧倒されているのだ。

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