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2012年1月 9日 (月)

N響アワー 2011年10月23日 アシュケナージによるショスタコーヴィチ

この日は、「音に込められた真意 ショスタコーヴィチの『革命』」ということで、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を、アシュケナージの指揮によって採り上げた。
全曲やったが、第3楽章の前に解説が入り、西村曰く、「第4楽章にショスタコーヴィチの真意が表われている。冒頭の重たいテンポのメロディーは、『喜べ、喜べ』と後ろから急(せ)き立てられているように聞こえ、またこれは『カルメン』のハバネラでコーラスが『ご用心、ご用心』と歌っている部分と同じ」と説明していた。なるほど、カルメンねえ。
そう言われたら、そう聞こえる。

ところで、ゲストとしてNHKの元・モスクワ駐在の小林なる人が出てきていて、アシュケナージがチャイコフスキーコンクールで優勝したときの組織委員としてショスタコーヴィチがいたことなどを話してくれたのだが、曲の内容について西村よりも出しゃばった解説をするような場面があり、実にイヤだと思った。
なまじ聴きかじっている人をゲストに呼ぶと、どうも、こうしたことが起こることが多いようだ。解説委員をやったことがあるかどうか聞き漏らしたが、NHKの解説委員・・・ニュースの内容を教えてやる、という語調の、エラそうな、それでいて何の結論も方向性も示さない・・・然とした感じで、私の嫌いなタイプの人だ。

そんな、曲の内容に関することは西村に任せて、もっと、モスクワ在住のときに出くわしたかも知れない、「とっておきのエピソード」みたいな内容を披露してくれる方が良い。そんな話が聞きたいからゲストに呼んだのではないのか。
こう感じたのは私だけではないと思う。

これは西村が紹介したはずだが、ロストロポービィチはショスタコーヴィチを「先生」と呼び、プロコフィエフは「友人」と呼んだそうである。ロストロポーヴィチにとってはショスタコーヴィチの方を、より尊敬していたということになる。興味深いし、これを知ると、私が何度か推薦盤として採り上げている、ロストロポーヴィチによる演奏も、聴き方が少し変るというものだ。

さて、演奏だが、アシュケナージのショスタコーヴィチは少し厳しさに欠けると思っていて、CDは持っているが、今では殆ど聴かない。
それでも、今回改めて番組で採り上げた演奏を聴くと、普通に聴くには十分な出来だったと考える。
いや、佐渡裕がベルリン・フィルを振ったときの演奏と比べると、オケの違いを越えた、内容も深みもある、遙かに優れた演奏だったと思う。
佐渡も、まだまだこれからだ。

最後に一言。

ショスタコーヴィチの5番が、表面的な賛歌ではなく、音の中に「真意」をひそませたもの・・・という解説をしていたのに・・・それは、ソ連崩壊によって、ますます強まっている解釈だが・・・「革命」という呼称は、やめてもらいたい。いや、やめるべきだ。

この曲が「革命」と呼ばれていた理由については、推論を交えた説明を私の「題名のない音楽館」内の「ショスタコーヴィチ論 交響曲第5番」に書いた。

また、そこには書いていないが、そもそも、私がこの曲を聴き始めた頃、「革命」などという名前は付いていなかった。買い求めたレコードにも、レコード雑誌にも、そんな名前を付けたものは見たことがない。
「革命」という名前を見かけるようになったのは、学園紛争のまっただ中の大学に入ってから、左翼系の団体が配っていた、この曲の演奏会の案内パンフレットが初めてである。

しかし、私はどうも「革命」という呼称に違和感を持っていた。後出し智恵だと思うかも知らないが、事実である。
違和感の正体が何であるか、その後ずっと聴き進み、上掲のロストロポーヴィチの演奏と「ショスタコーヴィチの証言」という本に出会って、ようやく理解できたわけである。

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