題名のない音楽会 2012年1月15日 牛牛
「進化し続ける14歳のピアニスト 牛牛(にゅうにゅう)」という特集。
演奏したのは「ラ・カンパネラ」、ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番から第3楽章と第4楽章、そして中国人作曲家の呂文成による「平湖秋月」。
牛牛の演奏、率直に言って、どこがいいのか、私は分からない。題名のない音楽会には2年半前に登場していたと言うので、ちょうどその頃だと思うが、日本各地で演奏していてモテ囃(はや)されていた記憶がある。
だいたい、14歳=若いのにスゴイ、または前回来日当時だと12歳ほどだろうか、12歳=幼いのにスゴイ、幼かったり若かったりするだけで、スゴイ=天才・・・と称しすぎではないだろうか。
この程度の「天才」なんて、クラシック音楽の分野では、ザラに居るのだ。問題は、1つには、それが歳をとるにつれてどのように伸びて行くか、または深まって行くかということである。
それと、中国人のピアニストに対して、日本の聴衆の多くは(多いとして)、甘すぎないか。ユンディ・リなど一度も良いと思ったことがないし、ラン・ランはテクニックはスゴイと認めるが余りにも浅いし。
かなりマシだと思ったのは、ユジャ・ワンだけだ。
ユジャ・ワンについては2009年4月1日付けの記事で私は初めて書き、次いでデビューCDのレポートを書くなどし、その後も何本かの記事を書いた。
それでも、デュトアとN響とのコンビで聴いたときの曲である「パガニーニ・ラプソディ」のCDを聴くと、「あれ??」と思う程度の出来でしかなかった(2011年5月13日付けの記事)。このCDが発売されたとき、このブログの右欄に、「常時推薦盤」として追加したいと期待したのだったが、結局そこに追加できなかったのである。
牛牛の演奏だが、「カンパネラ」は下手ではないがさほど巧くもない。そりゃ、一部にどういうわけか熱狂的な支持者がいるらしい、フジ子・ヘミングよりは巧いでしょう。だけど、それは牛牛に対して失礼と言うものだ。
ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番だが、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は2曲とも、彼の他の作品ジャンルに比べて屈託なく明るめの印象があるので若手にも適しているかも知れない。だけど第1番はちょっと変則的な編成であり、「ピアノ協奏曲を聴いた」という満足感は得られない。私はむしろ第2番の方が好きだ。
私の「題名のない音楽館」内の「ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番」と「同 第2番」の記事に詳しく書いた。
それらの記事にも2~3枚の推薦盤を挙げたが、その中から1種類だけ、ブロンフマン盤を再掲する。第1番も第2番もこの中に収録されている。
さて、この日もう1曲演奏されたのは上記の通り「平湖秋月」という曲。日本語の意味として「穏やかな湖面に映る秋の月」と併せて紹介されていた。この曲、キレイだとは思うが、いまイチよく分からない。というか、私は、中国的なセンスがよく分からない・・・だからこの曲も分からないのだと思う。
こうした番組が「新しい才能」にスポットライトを当てるのことには反対ではないが、中々「これ」と思う才能に巡り合わないのも事実だ。
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