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2011年12月29日 (木)

N響アワー 2011年9月18日 尾高尚忠 交響曲第1番

「尾高尚忠が残したもの」と題し、ゲストにご子息の尾高忠明氏を迎え、ご父君のフルート協奏曲と交響曲第1番を演奏した。

何れも私は初めて聴く曲だったが、優れた作品だと思った。
とくに交響曲第1番は、1楽章だけの曲と思われていたが、最近第2楽章と思われる部分のスケッチが見つかったということで、第1楽章と第2楽章を通して演奏した。
また、忠明氏が、ご父君の交響曲第1番の自筆譜を持参し披露してくれたのは興味の沸くことであった。

忠明氏も言っていたが、今ならコンピュータで書く処だろうが、まさにされをそのまま手書きでやった、みたいなキレイな譜面だった。
今ならコンピュータで・・・と言うのは、finaleなのだろうか、sibeliusなのだろうか。

フルート協奏曲は、西村曰く、20世紀のフルート協奏曲として代表的な曲と言ってよいだろうとのこと。

さて、交響曲第1番だが、第1楽章の激しい処はプロコフィエフの初期のような激しい響きで、途中ヴァイオリンのソロで奏でられるメロディーは「トリスタン」を思い出させるような処があったりして、本当の意味でのオリジナリティはどうかと言うと、率直に言って私には分からなかった。

忠明氏によると、「第1番」としていた以上、続きの番号の交響曲を書く気はあったと推察されるし、ひょっとすると、それこそ9番まで書くつもりがあったのではないか、ということだった。

また、忠明氏によると、日本人の指揮者にとって一番大切なのは日本人の作曲家の手になる作品であり、それがあって初めて世界に打って出ることができる。だからこそ、西村さんも、これからも沢山の人に聴いてもらえるよえな作品を書いてくれ、とのことだった。

確かに、日本人の指揮者が海外で演奏するとき、武満が殆どであり、黛でさえその機会は決して多くないように見受ける。国内の演奏の場合も然りだ。外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」なども、決して多い方ではないかも知れない。

また、山田耕筰の手になる「交響曲」など、その存在は知っているがちゃんと演奏した例を、少なくとも私は知らない。
確かに今にして思えば、彼らの作曲技法たるや拙(つたな)いレベルだったのかも知れない。それは明治になってから急に本格的に西洋音楽を受容し始めたのだから仕方がないことである。

今回演奏された尾高尚忠の作品、決して聴きにくいものではなく、何回か聴いていたら親しいものとなって行くかも知れない。
こうした、比較的聴きやすいが演奏機会の殆どなんなった日本人作曲家の曲、これからも紹介する時間をもっととって欲しいものだと思った。

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