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2011年9月 5日 (月)

N響アワー 2011年9月4日 フォーレのレクイエム

「永遠の名曲たち」シリーズの5回目として、フォーレのレクイエムが登場。先週の予告でこの曲目を知らされてから、楽しみにしていた。

このシリーズの「こだわり」なのか、曲の切れ目ごとに解説を挟む方法が採られた。
解説→第1曲→解説→第2曲、第3曲→第4曲、第5曲→第6曲、第7曲の順である。

解説では、通常レクイエムに含まれている「怒りの日」が、この曲にはないこと、第4曲の単純な旋律がフォーレの和声づけによって深い響きを醸し出すこと(西村がピアノで弾いて説明)、発表当時は酷評されたこと、それでもその後人気を博してきたこと、などが説明された。
発表当時は「誰のための曲か」と言われたが、結局フォーレは自分のために書いたと思われ、それが却って普遍的なものとなり得たこと、などにも言及された。

演奏はデュトア指揮による2004年1月の録音。
確かこれは聴いたことがある。彼が音楽監督を務めていたのは2003年までだから、既に時代は変っていきつつあったのだが、まだまだデュトアの音が残っている頃でもあった。名演だ。

私はこの曲、若い頃にクリュイタンスの演奏で聴いて、一発で参ってしまった。とくに第3曲「聖なるかな」と第7曲「楽園にて」は絶品。

マーラーにドップリ浸かっていた頃、交響曲第9番を、「もし自分が死んだら、かけて欲しい曲」だと思っていた
永らくそれは続いたが、モーツァルトのレクイエムを知ってからは、その曲になった。
しかし、モーツァルトの曲全体として、例えようのない哀しみを帯びているものが多いことが分かってからは、とくにレクイエムとなると、聴くのが辛くなってしまった。

で、結局現在は、このフォーレのレクイエムがいいと思うに至っている。
私は死んでいるので何も聞こえないと思うが、残った人たちに、これを聴いて泣いて欲しいのだ。

さて、番組の内容について、幾つかコメントしておきたい。

まず、字幕に出る歌詞。ちゃんと文語文のままでやったのは良かった。従って、「汝」という語もそのまま残っていた。
しかし、「主よ、汝に」という使い方は絶対におかしい。主に対して「汝」呼ばわりするのは失礼千万な話だ。ここは「あなた」でなければならない。原文がどうなっているのか知らないが、少なくとも日本語訳は「あなた」であるべきだ。日本語の典礼文が「汝」となっていたとしてもだ。
聖書の口語訳もそうだが、実に奇妙な訳になっていて、文章としておかしく醜い訳が多すぎる。

もう一点。
もちろんの曲は「怒りの日」が入っていないことでも有名なのだが、第6曲で僅かな間、「怒りの日」の歌詞が出てくる。だから、フォーレは「怒りの日」を全く省いたわけではなく、順序を変えて「怒りの日」の力を弱くし、むしろ「楽園にて」で描かれる世界に行くべきだと主張したとも言えるのだ。これに関する言及はなかった。

また、これは説明し出すとややこしい話になるのだろうが、通常のミサ曲とレクイエムの違いについて、簡単でいいから触れて欲しかった。少なくとも、「入祭唱」の冒頭で「レクイエム・・・(永遠の安息を与えたまえ)」と歌われるので、曲全体が「レクイエム」となった、という程度には。

私のベスト盤はデュトアがモントリール交響楽団を振ったもの。ソプラノがキリ・テ・カナウというのも豪華。
尚、上記のクリュイタンス盤もベストだが、デュトアの方が新しいだけに録音も優れているしオルガンの音も良く入っている。
できれば両方聴いてみて欲しい。

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