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2011年7月23日 (土)

N響アワー 2011年7月17日 パパ・ハイドンの栄光

前週7月10日のN響アワーの最後に、17日の予告として「パパ・ハイドンの栄光と題して、ブラームスもプロコフィエフも出てくる」と言っていたので、「『ハイドンの主題による変奏曲』と『古典交響曲』をやるな」と予想していたら、ピッタリ的中した。

これらの曲の前に、当のハイドンによる交響曲第104番の第1楽章が演奏された。指揮はホグウッド。この人はピリオド奏法で演奏を行うと認識していたので弦楽器奏者の左手を見ていたのだが、どうもビブラートはかけていたように見受けた。

これは好ましいことだ。
基本的に私は「ノン・ビブラート奏法」という演奏スタイルは嫌いだし、間違っているとさえ思っている。
それもあって、同じくノン・ビブラート奏法を採り入れているノリントンがN響を指揮したときの記事(2011年5月11日付)に書いた通り、私は彼の演奏を受容する気には到底なれない。大嫌いな指揮者で大嫌いな演奏スタイルだとも思う。
また2011年6月23日付の記事に書いた通り、ハーディングの演奏は、それなりに楽しめたのだが、どうもノン・ビブラートに拘って演奏させているようには見えなかったし、N響をノン・ビブラートで演奏したときも、余り嫌な演奏ではなかったと記憶していた。

さて、続く「古典交響曲」では、演奏の前に、第3楽章の「ガヴォット」が、古いスタイルを採りながら、いかに新しいリズム感や和声感覚で作曲されているか、という点を、西村がピアノで鳴らして解説してくれた。

この第3楽章は、この4月10日から番組オープニングの曲となったばかりの曲である。番組オープニングの曲について語ったり演奏を紹介するのは、これまでは司会者が交代するときとか、少なくともだいぶ経ってからのことだったはずだ。まだ3ヵ月ほどしか経っていないのに、ここで採り上げるのは異例のこと・・・って、まさか西村が交代? 来週の24日には西村の作品を採り上げると言っていたし、31日は「オーケストラの森」があってN響アワーは休みで、現時点で先の予告は見ることができない。怪しい、というか心配ではある。中々西村のような解説者には恵まれないと思うから。

古典交響曲では、楽器編成がハイドンの104番と殆ど同じであることも、総譜を見せながら説明された。

続く、ブラームス作曲「ハイドンの主題による変奏曲」は、ブラームスの作品の中では私が好きな数少ない曲の1つである。
ブラームスはベートーヴェンを尊敬していたのに、なぜベートーヴェンの曲で変奏曲を作らなかったのか、という黒崎アナの質問は当を得たものだった。西村の回答は、「ベートーヴェン自身も変奏曲作曲の達人で、自分の曲で既に変奏曲を幾つも書いているから、ブラームスとして手を加えるものがなかった」というものだった。

そうかなあ。
私はむしろ、敬愛するが余り、恐れ多くて手がだせなかった、というのが正解ではないかと考える。

さて、私がこの曲を、ブラームスの中で数少ない、好きな曲として認識するようになったのは、最後の変奏(終曲)が、それ自体パッサカリア形式による変奏曲となっている、と知り、聴くことができてからである。こんなスゴイ構造を作り上げようと考える作曲家は、当時には既にブラームスしかいなかっただろう。
この曲を手掛かりに、交響曲第4番の第4楽章(パッサカリア形式)の凄さが分かるような気がするようになり、やがては、「変奏曲という形式こそ、西洋音楽とそれ以外の音楽・・・とくに邦楽・・・を大きく別のものにしてゆく原動力となった」と考えるようになったのである。

それにしても、この曲、何回聴いても実の処は、「なぜ変奏曲なのか」ということを完全に捉え切るに至っていない。第1変奏から既に、「ハイドンの主題」から相当離れた処で展開しているように聞えるのだ。もちろん、何となく各変奏の背後に「ハイドンの主題」の影のようなものは感じるのだが、ハッキリしたものではない。
この日も、演奏が始まると字幕で「第何変奏」と字幕が出たし、それを見るまでもなく変奏と変奏の切れ目は分かるのだが、どの変奏を聴いても、「ハイドンの主題」から相当離れたものとしか聞えなかった。
これが「変奏曲」だと言うのは、ブラームスがそう称しているから「変奏曲」なのだ、と勝手に理解する程度のことしか私にはできない。

もちろん音楽のプロにとっては、これが「変奏曲」というのは疑いもない事実で、しかも極めて優れた変奏曲だからということで、確か以前池辺が司会のときも、今回の西村も、大学でこの曲を課題にして勉強した経験がある旨を語っていたと記憶する。

さて、演奏はイオン・マリンだった。
曲が始まる前、イヤな予感があったのだが、的中してしまった。この人、テンポを妙な処で触るし、最初と最後はとくに余りにも遅いテンポで大げさに演奏する、という癖(へき)があると感じるようになっていて、今回の演奏も、まさにさの通りの演奏となった。こんな演奏はイヤだ。

(この稿続く)

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