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2011年7月

2011年7月31日 (日)

題名のない音楽会 2011年7月31日 仮面ライダー

仮面ライダーが登場してから今年は40周年にあたるそうで、初期のシリーズから最新シリーズの「海賊戦隊ゴーカイジャー」までの内容を辿りながら、それぞれの音楽を演奏する、という企画。

端的に言って、余りにも愚につかない内容と音楽で、余程書くのをやめようかと思ったのだが、やはり、「下らない」と記録に残しておくべきと考え、書いておくことにした。
世代として仮面ライダーに親しむことはなかった、という為もあるかと思ったが、やはりどう考えても下らないとしか思えないのである。

私はクラシックを中心に聴いているが、決してクラシック「原理主義者」ではない。何でも聴くし、ポップス系の音楽にも好きなものはあるし、優れた作品に出会うと嬉しくなるし、共感できる曲も、心躍る曲も、心が揺さぶられる曲もある。
しかし、今回のこれはダメ。
そもそも、一体誰に聴かせようとしてこの番組を作っているのか。

この番組の企画力が落ちてきたようだ、と時々書いているが、佐渡裕が忙しくなりすぎたことに関係しているのか。
黛時代のことに今さら触れても仕方ないし、その後の長い暗黒時代を経てようやく佐渡裕が司会、という状況となって嬉しく思ったものだが、今回のような企画のものが入ってくると、つくづく黛時代のことを思い出さざるを得ない。

色々なホームページやブログなどをあたっていると、「題名のない音楽会」は、黛敏郎の他界とともに終ったと考えている人は多い。
私もそうだった。佐渡裕が司会となり、黛時代の題名のまま「題名のない音楽会」として再スタートを切るまでは。
この辺りのことは、私の「題名のない音楽館」内の「音楽番組評」の「音楽番組の貧困について」から始まる一連の記事に書いてある通りだ。

そこでも触れたが、黛時代のこの番組では、色々と教えられることが多かったし、当時としては最新の音楽事情も知ることができた。
初期のシンセサイザーを駆使し、当時の仕様だから音を一つ一つ創り出すことから始め、ドビュッシーのアルバムを制作するに至ったプロセスと方法を、冨田勲をゲストに呼び、スタジオに機材を持ち込んで紹介したときの番組など、今でも印象に残っているし、そのアルバムで私はドビュッシーを少しだが聴くようになっていったものである。そんな、私の音楽の聴き方に影響を与えてもくれたのである。

今、この番組でそうした刺激を受けることは殆どない。

音楽を聴き続けて長いので、教えられることが少なくなった、というわけでは決してないのは、N響アワーが再生してからかなり良くなったことと、現在「セレクション」として再放送中の「名曲探偵アマデウス」では音楽の分析的な聴き方で「ああ、そうたったのか」と改めて知ることが今でも多いことから、確かなことである。

とにかく、しっかりした企画で番組を作り続けてもらいたい。こんなことを続けていると、また見る気がしなくなってしまいそうだ。

2011年7月30日 (土)

Shriken 2010 設定完了

昨日、中々メールが使えるようにならないので往生したが、今朝気を取り直してJust Systemのサポートページをあたったら、解決したいことがFAQに載っているのを見つけた。

全く同じではなかったが、少しアレンジして適用してみたら、すぐにOKとなった。設定の修正に5分もかからなかった。

このShriken、中々メールソフト単体で「これ」というものが見つけられない現状では、貴重な存在だろう。
まだまだ詳細な使い方をマスターできてはいないが、推奨ソフトとして挙げておきたい。

2011年7月28日 (木)

題名のない音楽会 2011年7月24日 宮本文昭の挑戦

世界的なオーボエ奏者として名を馳せながら、奏者としての活動を止めて指揮者としての活動をメインにしている宮本文昭の、現在力を入れている弦楽合奏の演奏が今回のテーマ。

題名のない音楽会には、コメンテータや審査員としてこれまでにも登場しているが、指揮者としての登場は初めてである。

チャイコフスキーの「弦楽のためのセレナード」から第1楽章、第2楽章、第3楽章の一部を、解説を交えながら演奏した。番組内でも話題にしていたのだが、小澤征爾を彷彿とさせる指揮姿が印象に残った。
もう少し正確に言うと、若い頃の小澤征爾を彷彿とさせる指揮ぶりということになる。

ついこの間、闘病生活の中、サイトウキネンオーケストラの舞台に登場し、「弦楽のためのセレナード」の、第1楽章だけをやっと振った小澤征爾を見て、「歳をとるということは何と残酷なことか」と感慨深かったのだが、同じ曲を今回は宮本文昭が振ったので、余計に「若くて元気な頃の小澤征爾は、こんな感じで振っていたなあ」と感じたのだ。

もちろん、オケの巧さと、小澤の深くつきつめた演奏には及ばなかったと言って良いのだが、そもそも、この曲、そんなに深く突き詰めた音作りを必要とする曲なのかどうか私には分からない。宮本文昭の、カラッとした明るい演奏で良いのではないか。

さて、宮本文昭は、弦楽オーケストラに熱中することとなった理由として、
「木管楽器は音の出し方が大きく分けて3種類ある。オーボエのようにリードを2枚使うもの、クラリネットのように1枚のリードを使うもの、そしてフルートのようにリードを使わないもの。それよりも、弦楽器のように、全て弦をこすって鳴らすという、同じ音の出し方をするものの方が、自分の思い通りの音楽ができると思った」
と言っていた。ナルホド、これは面白い着眼点だと思った。

確かに、オーケストラで使う4種類の弦楽器は、弓で弦をこする弾き方が主たるものであり、音色も、ごく大まかに単純化すると、4種類とも鋸歯状波(きょしじょうは=ノコギリ波・・・ノコギリの歯のような波形をしている波)が主体となっていて、4種類がお互いに近い。
けど、それなら、金管楽器だって発音の仕方は同じなのだが・・・とも思った。どれも、奏者の唇そのものが振動体となって、それを菅で拡大するのだから。

さて、ここで話は脱線するが、上記の鋸歯状波というのは波形の正式な呼称だと思うが、なぜ弦楽器がこの波形に近いものとなるかと言うと、弓で弦をこするとき、弓(馬のシッポを使う)と弦(確か、羊の腸?)それぞれの細かな凹凸がこすれ合って、少しだけ音が出て(右上に向かって直線的に上がり)、直後に凹凸で元に戻される(上がった処からストナと落ちる)。そして、また次の音が出て・・・という繰り返しが起こるためである。

また少し外れるが、これをノコギリ波と書くと、どうしても「ノコギリ音楽」というジャンルを連想していまうのである。
これは音楽用のノコギリ(歯はないので切断には使えない)を使う歴としたジャンルで、英語では music saw と称する。
これは、サキタハヂメという人がNHKの「トップランナー」に出て、その音楽を紹介したときの印象が強烈だったためである。

サキタハヂメは、独学でこれを始めたが、まず弟子入りを乞うたのが横山ホットブラザース゛だった、というので益々驚いたのだった。
ただ、横山ホットブラザーズの場合はノコギリを叩いて、有名な「おーまーえーはーアーホーかー」などとやるので打楽器みたいな使い方だが、サキタハヂメは弓でこするので弦楽器みたいな使い方である。そのためもあってだろう、胡弓に似た哀愁に満ちた音が出るのである。
何れも、ノコギリを膝の間に挟んで、曲げてゆくことによって音程を変化させる点では同じ。

私は持っていないが、興味ある方は下記のようなCDも出ているのでご紹介。この中に収録されている「蘇州夜曲」は絶品。「トップランナー」で演奏したのもこれで、参ってしまったのである。

2011年7月27日 (水)

N響アワー 2011年7月10日 プロコフィエフ 2つの協奏曲

「プロコフィエフの、2つのト短調協奏曲」と題して、ピアノ協奏曲第2番から第1楽章、第3楽章、第4楽章と、ヴァイオリン協奏曲第2番から第2楽章と第3楽章が演奏された。
前者はガヴリリュクのピアノ、後者は神尾真由子のヴァイオリン。

ピアノ協奏曲第2番というのは、初めて聴いたように思う。初めてだが、決して2度とは聴きたくない曲だ。殆ど凄まじい大音響に終始する曲と言ってよいだろう。交響曲で言うと、これもまた同じ番号の第2番と類似した音響世界である。
また、ヤタラに沢山の音符を書き連ねて、不要に演奏の困難度を上げているように見えた。

プロコフィエフという人は、実に不思議な作曲家だと、かねがね思っている。この第2番のピアノ協奏曲の前衛性が、亡命中の作品だから、ということでは必ずしもないのである。よく親しまれていて私も好きな第3番も、同様に亡命中の作品なのだ。第3楽章に越後獅子を思わせる楽句が出てくるのは、亡命のため経由地となった日本滞在で影響を受けたことによるので日本人にとって親しみやすい要素があるのは勿論だが、音楽全体を聴いても概ね聴きやすくできている。なぜ、この第2番の後に第3番のような曲が続くのか。
西村も、評する言葉が見つけにくかったと見えて、「凄まじい」とだけ言い、苦笑いを浮かべていた。

ピアノ協奏曲第3番の私のベスト盤はアルゲリッチの演奏。

ヴァイオリン協奏曲第2番は、遙かに聴きやすい曲だし、私も文句なく好きな曲である。何度か聴いている。これはソ連に帰国したあとに作曲されたもので、前衛性は余り感じられなくなっているが、ヒネリが効いている。私にとってのベスト盤はまだ確定できていないが、とりあえずヴェンゲーロフ盤を挙げておきたい。
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番とのカップリング。

2011年7月26日 (火)

名曲探偵アマデウス 2011年7月23日 フィンランディア

事件ファイルNo.は8番。
老舗の造り酒屋の若女将がクライアント。

隣に大メーカーが進出してきて、規模が違いすぎて価格では太刀打ちできず、このままでは廃業に追い込まれかねない。そこで、個性の強い昔ながらの味のものを止めて、一般受けしてユーザー層を拡大できそうなものに主力を切り替える方針を社内に示した。処が社内で猛反発を受け、昔から務めている杜氏の「源さん」まで姿をくらませてしまった。置き手紙を残されていて、そこには「フィンランディアを聴け」と。

番組内では、シベリウスのこの作品について、冒頭部から順に「苦難のモチーフ」「闘争のモチーフ」「勝利に向かうモチーフ」などと名付けて順に鳴らし、部分演奏なども交えながら説明していた。
そして、中間部の、後に合唱曲として独立し「フィンランド讃歌」となってフィンランドの第2の国歌となった部分の、所々詰まった感じの特徴的なメロディーは、フィンランド語の特徴でもある「促音(そくおん)」(小さな「っ」で書き表される、詰まった音)に由来するとのことであった。

フィンランド語に特有の促音と、ここの部分のメロディーとの関係については、何か別の番組で聞いたような記憶がある。改めて番組内で「フィンランド讃歌」となった部分のサワリを歌詞つきで聴いたが、歌詞の促音と、詰まったようなメロデーィが見事に合っていることに驚いた。勿論曲が先に出来たのだが、歌詞が先に出来たと言われても納得してしまいそうだ。

促音をイメージしたメロディーは、フィンランド語特有の言語感覚に基づく特徴的なものなのだが、フィンランド以外の国々では却ってそれが新鮮に聞こえ、幅広く愛される曲となった。

番組では、これにひっかけて、個性の強い味であることから却って幅広く受け入れられる可能性があるのだから、老舗として昔ながらの味を伝え続けるべきだ、という結論となり、事件解決となる。
ただ、「落ち」として、戻って来た杜氏の「源さん」が、実はフィンランド人であった、というエピソードが加わる。

私がこの曲を初めて聴いたのは、クラシックを聴き始めてまだ年月も浅い頃だった。聴いてすぐに好きになった、数少ない曲のひとつである。それほどにも、聴きやすく分かりやすい曲である。そして、何度か聴いているうちに、通して演奏しても8分ほどしか掛からない曲なのに極めて充実した内容を持つ曲であることを感じ、もの凄い情熱とエネルギーを感じさせる曲だと思うようになった。

池辺晉一郎が、かつてN響アワーでシベリウスを採り上げたとき、シベリウスの曲を評して「寒い曲」だと言っていたことがある。それを聴いてこの人も大したことはないな、と思ったものだ。この「フィンランディア」をはじめ、交響曲第1番、第2番など、「寒い曲」などと感じるわけがない。殆どの人は、「熱い曲」だと感じるはずの曲である。
まあ、シベリウスの交響曲も、5番や7番などは初期の「熱さ」から距離を置いた作風となっているので、池辺氏の言うことも間違いではないのだが・・・。

さて、この曲は、聴き始めてすぐの頃、決定盤に近いと思う演奏に出会ってしまった。バーンスタイン盤である。

CD化されてから、交響曲第2番とのカップリングとなっている。そちらも名演なので、併せて聴いてみて欲しい。

2011年7月25日 (月)

N響フワー 2011年7月24日 ミュージック・トゥモロー

2011年7月24日のN響アワーは、日本の現代音楽作曲家の作品を集めた「ミュージック・トゥモロー」から、西村朗の作品を中心に放送された。
西村朗の作品は、「オーケストラのための『蘇莫者(そまくしゃ)』」から、第3楽章以降。他に3名だったか4名だったかの、これまでに「尾高賞」を受賞した作曲家の曲の一部が紹介された。

西村の作品は、四天王寺に伝わる「蘇莫者(そまくしゃ)」という舞楽を元にしたもので、大阪出身の彼が前々からオーケストラ曲にしたいと思っていて2009年に作曲したもの。舞楽も、伝統は踏まえつつ西村作品の合うように新しく構成されたものが使われる。

実はこの作品、以前何かの番組で見聞きしたことがある。大阪センチュリー交響楽団だったかの委嘱による作品ということだったから、「オーケストラの森」か何かで見たのだったかも知れない。舞楽も含め、面白い作品だと思った。

他の人の作品の中では、新美徳英という人の作品が、バッハのマタイ受難曲のコラールが引用されているという解説の後で紹介されたのが印象に残った。
ただ、印象に残ったというのは、作品自体についてではない。受難曲のコラールの引用はすぐに聴き取れるものだったのだが、一旦それが出て来てしまうと、バッハの曲の力が余りにも大きくて、ただの引用ではなく、それの方が耳に残ってしまう、という意味である。「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」という状態になってしまったのだ。

クラシック畑の現代音楽の作曲家というのは実に因果な商売だと思う。18世紀と19世紀に余りにも多くの偉大な西洋音楽が登場し、偉大な価値とともに永年の演奏史も積み重ねてきていて、人気もあるのに、それとは別の世界を自分なりに構成して世に問おうというのだから。同じ作曲家という肩書きの商売でも、大衆音楽畑であれば、ヒットということになれば大きく稼げるチャンスもあり得るが、クラシック畑では中々そうは行かないだろう。よく演奏されるようになったとしても、稼げる金額が違い過ぎる。

バッハを引用するというのは、後世に残り得る要素を担保しようとしたと見えなくもない。しかし、引用した曲の方がどう考えても大きすぎるのだ。
こんな矛盾を感じながら聴いた。

ミュージック・シゥモローという場は、数少ない「現代日本のクラシック畑の作曲家の作品を紹介する演奏会」として貴重な存在だと思う。N響でないと中々出来ないことだろう。
率直に言って、私はこうした演奏会に、カネを払って聴きに行くことは今後ともない、という聴き手である。古典派やロマン派の音楽の方が遙かに近い存在だ。
けど、N響アワーなどの番組で採り上げられるときは、なるだけ聴いておこうと思うのだ。

ところで、7月23日付の記事で、西村の作品が紹介されることと、7月17日の番組で、番組オープニングの曲が異例の早さで紹介されたことから、「ひょっとして西村が交代?」と心配したのだが、そういうことではなかったようだ。めでたし、めでたし。

2011年7月24日 (日)

N響アワー 2011年7月17日 パパ・ハイドンの栄光 続き

(前稿からの続き)

さて、私なりに今回の番組に「注文」を付けると、次の2点となる。

まず、「ハイドンの主題による変奏曲」で、前稿に書いた通り、最終変奏曲が、変奏曲の中にさらにパッサカリア形式を入れ込んだ構造となっていることである。それによって、曲そのものの価値が大きく上がっているのだから。
さらに、「ハイドンの主題」の原曲を、サワリだけでも聴かせて欲しかった。

もう1点は、ハイドン自身の曲として交響曲第104番をせっかく採り上げたのに・・・という点。104番の、しかも第1楽章を採り上げた、というのはそれなりに意志があってのことだろうと思ったのだが・・・。
ハイドンの影響は、実はショスタコーヴィチにも及んでいる。「題名のない音楽館」内の「ショスタコーヴィチ論」の「交響曲第15番」にも書いた通り、ショスタコーヴィチのあの曲の終結部は、ハイドンの104番の冒頭部を引用しているのた。そうとしか聞こえない。
しかも、N響アワーでも、つい1ヵ月前に、ショスタコーヴィチの交響曲第15番の終楽章を採り上げたばかりなのだ(2011年6月19日放送分)。

さて、ハイドンの偉大さは、何と言ってもモーツァルトと尊敬し合う関係だったということと、ベートーヴェンを見いだして弟子にしたということだけで十分に示されると私は考えている。
そして、ハイドンの手法がベートーヴェンに大きな影響を与えたというのを確かめるには、ハイドンの最後の方の交響曲と、ベートーヴェンの初期の交響曲とを聴き比べるとよく分かる。ここでは双方ともクレンペラーの演奏を紹介しておく。

また、ハイドンの104番冒頭がショスタコーヴィチの15番の終結部と同じだということは、ムラヴィンスキーの演奏によるショスタコーヴィチの15番の演奏で。また、イオン・マリンの愚演に接したので耳慣らしを私はしたい思いになった。私の愛聴盤はバーンスタインによる演奏である。

2011年7月23日 (土)

N響アワー 2011年7月17日 パパ・ハイドンの栄光

前週7月10日のN響アワーの最後に、17日の予告として「パパ・ハイドンの栄光と題して、ブラームスもプロコフィエフも出てくる」と言っていたので、「『ハイドンの主題による変奏曲』と『古典交響曲』をやるな」と予想していたら、ピッタリ的中した。

これらの曲の前に、当のハイドンによる交響曲第104番の第1楽章が演奏された。指揮はホグウッド。この人はピリオド奏法で演奏を行うと認識していたので弦楽器奏者の左手を見ていたのだが、どうもビブラートはかけていたように見受けた。

これは好ましいことだ。
基本的に私は「ノン・ビブラート奏法」という演奏スタイルは嫌いだし、間違っているとさえ思っている。
それもあって、同じくノン・ビブラート奏法を採り入れているノリントンがN響を指揮したときの記事(2011年5月11日付)に書いた通り、私は彼の演奏を受容する気には到底なれない。大嫌いな指揮者で大嫌いな演奏スタイルだとも思う。
また2011年6月23日付の記事に書いた通り、ハーディングの演奏は、それなりに楽しめたのだが、どうもノン・ビブラートに拘って演奏させているようには見えなかったし、N響をノン・ビブラートで演奏したときも、余り嫌な演奏ではなかったと記憶していた。

さて、続く「古典交響曲」では、演奏の前に、第3楽章の「ガヴォット」が、古いスタイルを採りながら、いかに新しいリズム感や和声感覚で作曲されているか、という点を、西村がピアノで鳴らして解説してくれた。

この第3楽章は、この4月10日から番組オープニングの曲となったばかりの曲である。番組オープニングの曲について語ったり演奏を紹介するのは、これまでは司会者が交代するときとか、少なくともだいぶ経ってからのことだったはずだ。まだ3ヵ月ほどしか経っていないのに、ここで採り上げるのは異例のこと・・・って、まさか西村が交代? 来週の24日には西村の作品を採り上げると言っていたし、31日は「オーケストラの森」があってN響アワーは休みで、現時点で先の予告は見ることができない。怪しい、というか心配ではある。中々西村のような解説者には恵まれないと思うから。

古典交響曲では、楽器編成がハイドンの104番と殆ど同じであることも、総譜を見せながら説明された。

続く、ブラームス作曲「ハイドンの主題による変奏曲」は、ブラームスの作品の中では私が好きな数少ない曲の1つである。
ブラームスはベートーヴェンを尊敬していたのに、なぜベートーヴェンの曲で変奏曲を作らなかったのか、という黒崎アナの質問は当を得たものだった。西村の回答は、「ベートーヴェン自身も変奏曲作曲の達人で、自分の曲で既に変奏曲を幾つも書いているから、ブラームスとして手を加えるものがなかった」というものだった。

そうかなあ。
私はむしろ、敬愛するが余り、恐れ多くて手がだせなかった、というのが正解ではないかと考える。

さて、私がこの曲を、ブラームスの中で数少ない、好きな曲として認識するようになったのは、最後の変奏(終曲)が、それ自体パッサカリア形式による変奏曲となっている、と知り、聴くことができてからである。こんなスゴイ構造を作り上げようと考える作曲家は、当時には既にブラームスしかいなかっただろう。
この曲を手掛かりに、交響曲第4番の第4楽章(パッサカリア形式)の凄さが分かるような気がするようになり、やがては、「変奏曲という形式こそ、西洋音楽とそれ以外の音楽・・・とくに邦楽・・・を大きく別のものにしてゆく原動力となった」と考えるようになったのである。

それにしても、この曲、何回聴いても実の処は、「なぜ変奏曲なのか」ということを完全に捉え切るに至っていない。第1変奏から既に、「ハイドンの主題」から相当離れた処で展開しているように聞えるのだ。もちろん、何となく各変奏の背後に「ハイドンの主題」の影のようなものは感じるのだが、ハッキリしたものではない。
この日も、演奏が始まると字幕で「第何変奏」と字幕が出たし、それを見るまでもなく変奏と変奏の切れ目は分かるのだが、どの変奏を聴いても、「ハイドンの主題」から相当離れたものとしか聞えなかった。
これが「変奏曲」だと言うのは、ブラームスがそう称しているから「変奏曲」なのだ、と勝手に理解する程度のことしか私にはできない。

もちろん音楽のプロにとっては、これが「変奏曲」というのは疑いもない事実で、しかも極めて優れた変奏曲だからということで、確か以前池辺が司会のときも、今回の西村も、大学でこの曲を課題にして勉強した経験がある旨を語っていたと記憶する。

さて、演奏はイオン・マリンだった。
曲が始まる前、イヤな予感があったのだが、的中してしまった。この人、テンポを妙な処で触るし、最初と最後はとくに余りにも遅いテンポで大げさに演奏する、という癖(へき)があると感じるようになっていて、今回の演奏も、まさにさの通りの演奏となった。こんな演奏はイヤだ。

(この稿続く)

2011年7月22日 (金)

名曲探偵アマデウス 2011年7月16日 幻想交響曲

1週間の休載を終えて、この「ミニ音楽評」から再開します。休載期間も含めて音楽関係で書きたいことが溜ってきましたので、従来隔日更新としていましたが、暫時、連日更新の予定。

さて、名曲探偵アマデウスのセレクションシリーズ、この日はベルリオーズの幻想交響曲がテーマ。事件ファイル番号は11番。

初めて出来た彼女を、初めてクラシック音楽のコンサートに誘ってチケットを入手した。曲目は「幻想交響曲」。
すると、少し音楽に詳しいチャット仲間から「そんな曲を聴かせたら絶対振られてしまうぞ」と言われた。
実は依頼者である彼自身、生れて初めてのデートで、クラシック音楽のコンサートに行くのも初めて。このまま彼女とコンサートに行って大丈夫なのだろうか、という相談という設定である。

私の考えを先に書くと、相手が少しでも音楽の素養があるのであれば、止めた方がいい、ということだ。そう、依頼者のチャット仲間と同意見である。
何しろ、ベルリオーズが、惚れた女性に振られたことから、彼女への愛をテーマにした曲を書いた。その曲の中では彼女のテーマが全楽章を通じて登場する・・・と、ここまではいいとしても、物語の中で遂に彼女を殺してしまって彼自身も死刑に処せられ、最後には魔物たちの饗宴の中で彼女と再会を果たすが、そこでは彼女も醜い魔女と化してしまっていた、という曲なのである。初めてのデートで一緒に聴く曲目として、ふさわしいわけがない。

番組内では、ベルリオーズが初めて導入した、1つのテーマ(主題)を全楽章に登場させる手法、即ち「固定楽想」の説明、各楽章の管弦楽法の独創性と革新性などの説明などが続いた。

依頼者への答えとしては、この曲も結局最後には失恋の苦しみを乗り越えて行こうとする意思が感じられるのであり、デートにふさわしくない、とは必ずしも言えない、というものであった。ベルリオーズ自身、この曲を書くきっかけとなった失恋の相手と、後には結婚した、ということも言い添えていた。

私は、この曲が名曲であることは認めるが、上記の通り、やはりデートにはふさわしくないと考える。
「失恋の苦しみを乗り越える」云々だが、乗り越え方が違う。彼女を曲の中で殺し、自らともども地獄に堕ち、醜い魔女にしてしまい、思い切りさげすむことによって復讐しているようにしか聴けない。そして、確かにベルリオーズは失恋した相手と後には結婚したが、決して幸せな結婚ではなかったはずである。

演奏例はコバケンによる日本フィルで、第5楽章の抜粋であった。この演奏を聴いて、巧いものだと思い、感慨も深かった。小澤征爾が若い頃、日本フィルの常任?だったことがあり、そのときにこの「幻想」の、まさに第5楽章を演奏したときの映像(白黒)を放送したのを見たことがあるのだが、まあ、決して巧いとは言えないものだった。小澤もまだキャリアの緒についたばかりで、やたらに棒を振ったり不要な部分で力を入れすぎたりしていたし・・・。そこから、日本のオーケストラの水準も指揮者の水準も随分上がったものである。

さて、この曲の私のベスト盤は、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団のものである(パリ管弦楽団のものではない)。曲の初め、「恋人」のテーマが登場するまでの間のときめき感、「恋人」が登場してからの胸が締め付けられるような感じ、第3楽章でオーボエとイングリッシュホルンが呼び合う箇所の寂しい感じ、そして第4楽章「断頭台への行進」以降のエゲツナさ。どれをとっても、中々この水準の演奏にはお目にかかれないでいる。

2011年7月13日 (水)

DTMを始めた 時間がかかり一時休載します

DTMとは、Desktop Musicの略。
私はPCを使い始めた頃、Macでこれをやってみてスッカリハマッタことがある。その後Macから離れたこともあって縁遠くなっていたが、今回、ホームページに譜例を入れることを目的に再度始めた。

ところが、始めてしまうとキリが中々つかず、また、これをやっているとアタマの中で入力中の音楽が鳴りっぱなしとなりちゃんとした番組評などを書く気になれない。

キリがつき次第、ホームページに少しずつ掲載してゆくつもりだが、一応の区切りがつくまで休載することとします。
また、このブログでも機会あるごとに採り上げるべく、「DTM」というカテゴリーを新設しました。

2011年7月11日 (月)

名曲探偵アマデウス 2011年7月9日 こどもの情景

事件ファイルNoは10番。

ピアニスト兼女優役の斉藤由貴が、次の撮影で使う曲として渡された譜面がシューマンの「こどもの情景」。これまでどんな曲でも弾いけていたのに、この曲を弾こうとすると、譜面づらは簡単そうなのに、指がどうしても動かなくなっとしまう、という相談。

1曲目の「見知らぬ国と人々」では、6度の跳躍によるメロディーが憧れを現す音型となっている。4曲目「ねだる子ども」に全く同じ音型が出てくるし、2曲目「不思議なお話」にも同じ音型が隠れていて、曲の統一を図っている。
13曲全てに付いている標題は、イメージの固定を狙うよりは、むしろイメージを膨らませるべく付けられている。これは文筆家としても名をなしたシューマンの文才によるものである由。

7曲目の「トロイメライ」は、8回出てくる主題の「ド」の音が出てまるたびに短くなって行き、開けそうで開けない「心のフタ」を現すようだが、最後の方でハ長調の主和音が鳴り、解決を図る。
このハ長調の主和音にはフェルマータがついていて、ピアニストによって色々な思い・・・子どもの頃を思い出すのに、それぞれの人生経験によって、色々な思い出し方があるので・・・を込めて弾くようだ。
という処で、仲道郁代が色々な弾き方を実演しながら説明してくれた。

ここまで聴いて、どうしても子どもの頃など思い出したくない、という斉藤由貴に、探偵は最後の曲「詩人のお話」を聴かせ、この詩人こそシューマン自身であり、これは結局子どものために曲ではなく、大人のための曲として書いた旨をシューマン自身が語っていることを告げる。

子どもの頃にどうやらイヤな思いをずっとしてきたらしい斉藤由貴は、何とかその思い出と折り合いをつけてゆくことを決めて、一応解決ということになる。

何度か聴いている曲ではあるが、「トロイメライ」のハ長調の主和音の、ファルマータの話や、最終曲の「詩人は語る」にカデンツァがあることなど、何点か改めて確認できたことがあり、収穫だった。

また、中間での解説の一部と演奏例、そして最後の演奏が、ベートーヴェンの「月光」に続いて仲道郁代だったことも嬉しかった。

そう言えば、彼女のデビューの頃は、シューマンを何枚か出していたのを思い出した。それは余り優れた演奏とは思わなかった。
それだけしか知らない頃、偶々近くの会場でショパンをメインにした演奏会があり、全然期待せずに聴きに行ったら、ショパンの、とくに「バラード第3番」で陶然とさせられ、瞬時にファンになったのである。「バラード」の中でも第3番はそれまで全く良さが分からなかったのが、仲道郁代の演奏で扉が開いたというわけだ。

というわけで、彼女のシューマンは現在に至るまでよく分からないのだが、ショパンから1枚。
そして「子どもの情景」は、何と言ってもアルゲリッチ盤にトドメを差す。アルゲリッチ盤は、「クライスレリアーナ」との組み合わせで、これがまた実にスゴイ演奏なのである。どこか不思議な、そして怪奇的な趣きのあるこの曲、アルゲリッチ盤を聴いてしまったら、中々他の演奏では聴けなくなってしまう。ある意味で困ったことでもあるが、インパクトのある演奏に接してしまうことは、他の聴取経験を捨ててしまうことにも繋がる、という例でもある。

2011年7月 9日 (土)

名曲探偵アマデウス 2011年6月25日 月光ソナタ

ファイルNo.は9番にあたる。

結婚式を30分後に控えた花嫁が、当日の今日になって元カレが式でピアノを演奏することを知ったが、その曲が月光ソナタを弾くというので最初をレコードで聴いてみたら、やたらに暗い曲だ。きっとこれは嫌がらせに違いないから、何とか止めさせたい、という相談で駆け込んで来る、という設定。

探偵は、確かに第1楽章は暗い感じがするが、アタッカ(楽章の間に休みを入れず、すぐに次の楽章を始めること)で続く第2楽章の明るめの響きによって、第1楽章とのコントラストを付けていること、そして第3楽章が実はこの曲のメインであることなどを説いて行く。

第2楽章で半音ずつ下がってゆく音型は第1楽章の左手に出てくる音型と同じであること、そして、第3楽章の主題の音型も、第1楽章の右手の音型に関係していることなどを説明し、少ない音型で曲を作りあげてゆくベートーヴェンの作風が確立した、当時では革命的な作品であることも説明する。
そもそも、第1楽章をアダージオ・ソステヌートなどという指定で始めるのも異例である。

結局、この曲に始まる「終楽章がメイン」という作り方は、やがて交響曲第5番や、第9番に受け継がれてゆくことになる。

さて、この曲、私は何度も譜面を見ていて、さらに第1楽章だけは弾いて遊んだことがある。しかし、番組の中で触れていて初めて気が付いたように思ったのが・・・譜面を見ているのに、そこがシロートの悲しさ・・・第3楽章の強弱記号の殆どが弱音であるということだ。焦燥感に満ちた激しい曲想なので、聴いていると、強い音の指定ばかりのように聞こえる。

実は、途中に何度かfやffで叩きつけるように弾く箇所があり、それによって更に効果を挙げるという、この作り方こそ、ベートーヴェンの巧さなのだということである。探偵の説明に加え、仲道郁代が実際に強い音ばかりで弾いたらどうなるか、実演で解説してくれた。

探偵への相談は、結局、この曲がベートーヴェンが耳の病に苦しみ、やがて乗り越えてゆく頃に作曲されたものである、ということから、元カレは、「大切な人を失った悲しみをもう乗り越えて、新たなステージに向かうつもり」というメッセージを伝えたいのだろうということで決着する。

最後の演奏例は仲道郁代が第3楽章を弾いた。

そのとき字幕で説明があったが、彼女、ベートーヴェンのソナタ全作品の録音を進めていたが、既に完成した由である。
私は彼女の演奏するショパンはかなり持っているが、ベーシーヴェンは録音が始まった当時の1枚だけである。この「田園」が入っている盤だ。中々良かったので、何れ買い集めたいと思ってはいたのだ。

全曲録音が完成したのであれば、この際一気買いしたい処だが、現在の私の経済状況からは無理なので、追々、順々に買い集めてゆくことになるだろう。まずは最後の3つのソナタ集あたりか。

ちなみにベートーヴェンのピアノソナタ全曲、私のリファレンス盤はバックハウス盤とクルダ盤である。

さて、私が一言付け加えると、終楽章に重点を置いた「終楽章交響曲(私のネーミング)」の例としてベートーヴェンの5番と9番を挙げていたが、実は6番もそうなのだと思う。静かだけど深く豊かな気持にさせてくれる終楽章。この終楽章があればこそ曲の価値が高いのである。

そして、ロマン派の作曲家となると、一々挙げていくとキリがないほどである。そして、静かに深く豊か・・・というベートーヴェンの6番の作り方も然りである。

余談だが、途中の解説で仲道郁代が出てきたとき、ピアノの鍵盤の上に置いた手の甲から映してズームアップしていったのだが、手の甲を見た瞬間、仲道郁代だと分かった。
・・・って、これ、惚れているということ?

2011年7月 7日 (木)

夢のタクトを振る日 毎日放送2011年6月5日

佐渡裕がベルリン・フィルを振ったことに関し、本来のコンサート以外でも幾つか特集番組があった。
タイトルの番組は国分太一が案内役そして佐渡との対話を務めた。

率直に言って、これは「受け狙い」が過ぎるという印象だ。誰に見せたくて企画したのだろう。ひょっとしてこれも、佐渡のベルリン・フィルのCDを出したAvexの仕掛けか? と思ったりもしたが、それは違うようだ。

佐渡はこの番組の中で、大震災のあと音楽家として何ができるか色々と考えている中、直後にケルンで「第9」を振る話があり、震災後に日本に向けて演奏する曲としてふさわしいのだろうか、と悩んだ末、歌詞の中に「おお、兄弟よ」という部分があることを思い出し、こうした曲もあり得るかも、と納得して演奏したことを披露した。

震災直後にメータが急遽来日して「第9」を振った演奏会について、私も、「こんなときに『第9』というのもなあ・・・」と違和感を覚えたものである。しかし、よくよく考えてみると、確かに祝祭的な気分のある曲ではあるが、「歓び」だけがテーマの曲ではなく、厳しさもある曲なのだ。この辺りのことは2011年5月9日付の記事に書いた。

その記事でも書いたように、年末のお祭り気分とともに、この曲と接することが多くなっているため、「歓び」の面に偏った受け止め方になってしまっているのかも知れない。即ち、年末に演奏されることが多いという日本的な慣習により、この曲の理解が浅くなってしまっていたのかも知れない。

佐渡も、そうした風潮にまみれていたのだろうか。
また、「おお兄弟よ」という歌詞によって考え直したと言っていたが、本来は極めて厳しい面を含んだ曲でもあること、また「苦悩から歓喜へ」というベートーヴェンの曲作りのコンセプトが強く示された曲でもある、ということを、併せて解説すべきであった。
何しろ、ケルンのオーケストラが提案してきた曲なのだし、上記の通り、メータが日本で来日して演奏した曲なのである。

処で、番組の中で「指揮者とは何か」を簡単に説明する、ということで、佐渡の指揮によってベートーヴェンの「第5」の冒頭を、国分太一がピアノで応じる、という場面があった。
この曲の冒頭は、ご存じの方も多いと思うが、最初の音は半拍の休符であり、このために、アタマの音が中々合せ辛いのである。勿論国分も見事にズレた。

しかし、そんなことよりも驚いたのは、国分がこの曲のアタマを、意外にシッカリと、ピアノで弾いたことである。
で、気になっていたので調べたら、「そんなこと、今頃知ったのか」と言われても仕方ないことだと分かった。
彼はTOKIOのキーボード担当であるばかりか、ホップス系の日本のキーボード奏者としては3本の指に数えられることもあるそうで、メンバーの曲のアレンジだけではなく、他のグループからの編曲依頼なども多いとのことだ。

よく一人で色々な番組に出ているが、ジャニーズ系ということでタレント性はあるが音楽的にそんなスキルを持っている人である、ということは全く知らなかった。知っている人はとっくに知っているのだろうが、私のように知らなかった人も多いと勝手に考え、追記した。

2011年7月 5日 (火)

題名のない音楽会 2011年6月26日 歌い継ぎたい歌謡曲

「歌い継ぎたい歌謡曲」を、「継ぐ」に掛けて歌詞の「尻取り」で次々に歌って行こうという企画。

歌うのは、天童よしみ、加山雄三、ジェロ、サーカス等に加え、お笑いタレントの友近。友近はパラエティ番組などで歌唱力に定評があるので、特別に、佐渡の要望もあって加わったもの。

番組が進んで行くと、前の曲の終りの歌詞の文字を、次の曲のアタマの歌詞の文字で継いでいて、うまく作ったなと思っていたのだが、やがて次の歌の歌詞の途中の文字で繋ぐものも増えてきて、少し制約をゆるめてしまった。

多くの曲をやるためもあり、友近は歌手としてはプロでないから当然としても、歌手陣も、持ち歌ではない他人の歌を歌う場合が殆どということになる。
持ち歌ではない歌を歌うときこそ、その歌手の歌唱力の本当の力が分かるもので、その点からも天童よしみとジェロの歌唱力には改めて感心した。

とくに天童よしみは、美空ひばりの曲をカバーしたCDを何枚か出していて、私も、ここに挙げたものと同じものではないが手許に置いている。私は美空ひばりは嫌いだ。とくに晩年の、やたら深刻で暗く悲劇的に歌うようになった頃のものは大嫌い。
しかし天童よしみが歌うと、曲の良さと、美空ひばりがまだ若くて元気に歌っていた頃のことがオーバーラップする感じの、豊かな気分にさせてくれる。天童よしみの声が、若い頃の美空ひばりに似ているためもあるだろう。
「悲しい酒」など、晩年の極めて遅いテンポで歌っていた頃の美空ひばりで聴き慣れた人は戸惑うかも知れないが、最初にリリースされた当時は、むしろ天童よしみのテンポに近かった。晩年の美空ひばりのように遅くはなかったし、そのため、「悲しい」し言っても、もっと後味のスッキリしたものだった。

さて、私が注目したことはもう一点。
番組のテーマとして「歌謡曲」という言葉が使われたことである。これは実に珍しいことだ。
私は、「歌謡曲」という言葉は阿久悠の他界とともに死語になったと考えているが(これについては、「題名のない音楽館」内の「阿久悠論」に詳しく記載)、そうは言っても、まだまだ「歌謡曲」と称せざるを得ない曲がまだまだ現在でも出ている。また、「歌謡曲」というジャンル名で呼ぶほうが、幅広い傾向の曲を包括できる。

何と言っても今回歌われた歌は、それこそ「歌謡曲」というジャンル名で呼ぶのが最もふさわしい曲ばかりだったし。

阿久悠が作詞した曲の中からピックアップした「阿久悠を歌った100人」というCDが出ている。これは上記のページでも紹介しているが、このラインアップを一瞥するだけでも、「歌謡曲」というジャンルが如何に幅広い傾向の楽曲を指していたかが分かる。
この中で、私の最大のお奨めは、「ざんげの値打ちもない」というタイトルのもの。このCDの冒頭の、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を是非とも聴いてみて欲しい。痺(しび)れますよ。編曲のカッコ良さとリズム感の良さ、そして若い頃の和田アキ子の巧さに。

この「歌謡曲とは何か」という問題について、また「今、歌謡曲という分野はどうなっているか」についても、一言二言、番組の中で言及して欲しかった。敢えて番組のテーマに「歌謡曲」という言葉を使ったのには、それなりの企画意図があったと推測するからである。

2011年7月 3日 (日)

リーズ・ドゥ・ラ・サール ピアノリサイタル 2011年7月1日

放送は上記の午前6時からBSプレミアム。公演は2011年5月17日、於 紀尾井ホール。

プログラムは全てリストの作曲または編曲によるもので、作曲した作品は「バラード第2番」と「詩的で宗教的な調べ」から「葬送曲」。編曲モノは「モーツァルトの『レクイエム』から『ラクリモサ』、シューベルトの「セレナード」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の、「イゾルデの愛の死」であった。

私は、リストに関しては、まだ率直な処、よく分からないことが多い。管弦楽作品よりはピアノ曲の方が遙かに優れた作品が多いとは思っているのだが、やたらに細かな音符を沢山書き込み、やたらに技巧的に、またきらびやかに作り過ぎていてウルサイと感じることが多い。
そういう側面だけではないかも知れない、と思えるようになってきたのは、ごく最近のことである。

それでも、積極的にどしどし聴いてみたい、と思うには至っていない。今回のプログラムも、作曲した作品は2曲とも初めて聴くはずだし、編曲モノも、モーツァルトもシューベルトも聴いた記憶がない。

だからこの放送も、リーズ・ドゥ・ラ・サールがソリストでなかったら、聴いてみようとは思わなかったことだろう。放送時間が早いことから、録画して見ることになるが、勿論、録画しようとも思わなかっただろう。

結論として、聴いて良かった。

「バラード」と「葬送曲」は、「リストで、こんないい曲をまだ聴いて来なかったのか」と思わせてくれる作品であり、演奏だった。
字幕の解説によると「葬送曲」は、ハンガリー独立運動が弾圧されて旧友の多くを喪ったこと、そしてショパンが他界して間もなくだったことから、これらの友人たちを悼む思いから作曲されたものだそうである。
ショパンの「英雄ポロネーズ」からの引用もあるとのことだった。聴いてみると確かに出てくる。扱いは少しリスト風なテクニックもあるが、暗く思い曲調に変っていて、自分自身の故郷ハンガリーへの思いと、結局終生祖国に戻れなかったショパンの心情とを重ね合せているように感じさせられた。

編曲作品で、「ラクリモサ」は全然良いと思わなかった。演奏ではなく、これは作品がダメなのだと思う。ハッキリ言って失敗作だ。リストの、私にとって鼻につく、嫌な面が目立った。過剰な音符が原曲の本来持つ哀しさ・切なさを完全に損なってしまっているように思った。モーツァルトは、リストに合わないのかも知れない。

「セレナード」も、こんな調子で編曲したのだったらイヤだなあ、と思っていたら、これは良かった。というより、参ってしまった。
余り飾り立てない編曲と思われたのも良かったのだと思うが、恐らくその価値を十二分に出し切ったのは、彼女の演奏に依る処が大きいのではないか。
原曲を歌曲で聴くときにはこれまで全くなかったことなのだが、聴いているうちに涙が溢れて止まらなくなってしまった。
これは聴衆の多くも感じたことなのではないだろうか。ここまでで最も大きな拍手と、演奏会で最初の「ブラボー」が発せられた。

「愛の死」。これはもうリストにとってお手のものだ。ワーグナーのゴチャゴチャした音楽は、最もリストに向いているのかも知れないし、娘婿となったワーグナーへの敬愛が現れているのかも知れない。編曲モノとしての価値も高いと思った。

そして、音符のひとつひとつに異なった色合いを出しながら表現できる、彼女のテクニックの凄さも、タップリと見聞きすることができた。

とは言え、原曲でも中々「これ」という演奏に廻り会わないのも確かである。
「愛の死」の原曲の演奏で私が最も優れていると考えるのは、カラヤン指揮ウィーン・フィルで、ジェシー・ノーマンが歌ったものである。今回のリーズ・ドゥ・ラ・サールの演奏は、編曲版ではあるが、ひょっとするとそれに並ぶと言っても良いかも知れない。

聴いて良かった。これからも注視し続けていきたいピアニストだ。

2011年7月 1日 (金)

題名のない音楽会 2011年6月5日 補足 BPO振った日本人は二人ではない

タイトルの記事について、続編を書くつもりはなかったのだが、間違ったことを書いてしまったので、遅ればせながら修正したい。

録画したBDのレーベルプリントのネタを色々と探していたら、ベルリン・フィルを振った日本人が、小澤に次いで佐渡が二人目・・・ということが間違いだと分かったのである。
主にJIROさんのページで知った。このJIROさんの記事の投稿日でも分かるように、佐渡がベルリン・フィルを指揮することが決まった昨年(2010年)、既に詳しい人の間では「二人ではない、二人ではない」と、アピールされていた。

実は、「題名のない音楽会」で、「小澤征爾に次いで二人目」と紹介していたとき、僅かに違和感を覚えたのも事実だ。記憶の中で、「いや、他にもいたような気がするが・・・」ということと、しかしそれが誰だったか思い出せない、というもどかしさが混じった感じとでも言おうか。
しかし、6月5日付の記事は、番組の中で紹介していたのを鵜呑みにして、そのまま書いてしまったのである。

改めて他のサイトを色々と調べてみると、asahi.comの2011年5月21日付の記事に、小澤、佐渡を含めて合計14人と記載されていた。多分これが正解だろう。他のページでも、少なくとも朝比奈隆と岩城宏之を落とすな、忘れるな・・・と色々言及されている。

まあ、こういうことが分かってくると、上記の記事で紹介した、「ベルリン・フィルを振る指揮者が、一流の指揮者」という、友人の中で流行っていた命題が、そもそもナンセンスだった、ということも分かろうというものだ。

さて、このように1年も前から詳しいファンの間から「二人目というのは間違い」と指摘されていて、しかも「題名のない音楽会」は、asahi.comと同じ朝日新聞系のテレビ局である。「二人目」という説明が何でそのまま通ってしまったのか。ちょっとだけでも確認すれば直ぐに分かることなのに。
この番組のスタッフの力も落ちたものである。残念だ。

さて、佐渡がBPOを振ったのは快挙だし喜ばしいことではあるが、JIROさんを始め色々な方が指摘されているように、確かに、少し騒ぎという気もする。常任指揮者に就任・・・というわけではないのに。また、佐渡自身にとっても、幼い頃に夢見ていたのは「ベルリン・フィルの常任指揮者になって」ということであったので、今回の件はあくまでも、そのための第一歩というに過ぎないはずだ。

そして、樫本大進がBPOの第1コンサートマスターに就任(2009年9月内定、2010年12月正式就任)したとき、今回と同様に色々な番組が組まれたかというと、そんなことはなかった。それに比べるとやはり騒ぎ過ぎかも。

そう言えば、樫本大進がコンサートマスターに就任したとき、BPOのコンサートマスターの大先輩として安永徹という人がいたことに触れた記事にもお目にかからなかったように記憶する。(JIROさんの上記の記事でもきつく指摘されている)

で、他のページも色々と調べているうち、どうやらこれはAvexが仕掛けたものではないか、ということが分かってきた。そう言えばAvexにもクラシック部門ってあったような・・・。
いや、結構これはハッキリしていて、現に早くも当日の録音が、この6月29日にAvexClassicsから発売された。この早さはかなり尋常ではないと思う。

いや、こうした商売のやり方を批判しているわけではない。うまくやるものだ、と感心しているだけのことである。
私は既に放送をBDに録ったのだが、CDで聴くのはまた別だし(私のシステムは、CDの方が音がいいこともある)、どうしようか迷い中だ。
放送を聴かなかった人には、持っていてもよいCDとしてお奨めする。

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