題名のない音楽会 2011年7月31日 仮面ライダー
仮面ライダーが登場してから今年は40周年にあたるそうで、初期のシリーズから最新シリーズの「海賊戦隊ゴーカイジャー」までの内容を辿りながら、それぞれの音楽を演奏する、という企画。
端的に言って、余りにも愚につかない内容と音楽で、余程書くのをやめようかと思ったのだが、やはり、「下らない」と記録に残しておくべきと考え、書いておくことにした。
世代として仮面ライダーに親しむことはなかった、という為もあるかと思ったが、やはりどう考えても下らないとしか思えないのである。
私はクラシックを中心に聴いているが、決してクラシック「原理主義者」ではない。何でも聴くし、ポップス系の音楽にも好きなものはあるし、優れた作品に出会うと嬉しくなるし、共感できる曲も、心躍る曲も、心が揺さぶられる曲もある。
しかし、今回のこれはダメ。
そもそも、一体誰に聴かせようとしてこの番組を作っているのか。
この番組の企画力が落ちてきたようだ、と時々書いているが、佐渡裕が忙しくなりすぎたことに関係しているのか。
黛時代のことに今さら触れても仕方ないし、その後の長い暗黒時代を経てようやく佐渡裕が司会、という状況となって嬉しく思ったものだが、今回のような企画のものが入ってくると、つくづく黛時代のことを思い出さざるを得ない。
色々なホームページやブログなどをあたっていると、「題名のない音楽会」は、黛敏郎の他界とともに終ったと考えている人は多い。
私もそうだった。佐渡裕が司会となり、黛時代の題名のまま「題名のない音楽会」として再スタートを切るまでは。
この辺りのことは、私の「題名のない音楽館」内の「音楽番組評」の「音楽番組の貧困について」から始まる一連の記事に書いてある通りだ。
そこでも触れたが、黛時代のこの番組では、色々と教えられることが多かったし、当時としては最新の音楽事情も知ることができた。
初期のシンセサイザーを駆使し、当時の仕様だから音を一つ一つ創り出すことから始め、ドビュッシーのアルバムを制作するに至ったプロセスと方法を、冨田勲をゲストに呼び、スタジオに機材を持ち込んで紹介したときの番組など、今でも印象に残っているし、そのアルバムで私はドビュッシーを少しだが聴くようになっていったものである。そんな、私の音楽の聴き方に影響を与えてもくれたのである。
今、この番組でそうした刺激を受けることは殆どない。
音楽を聴き続けて長いので、教えられることが少なくなった、というわけでは決してないのは、N響アワーが再生してからかなり良くなったことと、現在「セレクション」として再放送中の「名曲探偵アマデウス」では音楽の分析的な聴き方で「ああ、そうたったのか」と改めて知ることが今でも多いことから、確かなことである。
とにかく、しっかりした企画で番組を作り続けてもらいたい。こんなことを続けていると、また見る気がしなくなってしまいそうだ。
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