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2011年7月22日 (金)

名曲探偵アマデウス 2011年7月16日 幻想交響曲

1週間の休載を終えて、この「ミニ音楽評」から再開します。休載期間も含めて音楽関係で書きたいことが溜ってきましたので、従来隔日更新としていましたが、暫時、連日更新の予定。

さて、名曲探偵アマデウスのセレクションシリーズ、この日はベルリオーズの幻想交響曲がテーマ。事件ファイル番号は11番。

初めて出来た彼女を、初めてクラシック音楽のコンサートに誘ってチケットを入手した。曲目は「幻想交響曲」。
すると、少し音楽に詳しいチャット仲間から「そんな曲を聴かせたら絶対振られてしまうぞ」と言われた。
実は依頼者である彼自身、生れて初めてのデートで、クラシック音楽のコンサートに行くのも初めて。このまま彼女とコンサートに行って大丈夫なのだろうか、という相談という設定である。

私の考えを先に書くと、相手が少しでも音楽の素養があるのであれば、止めた方がいい、ということだ。そう、依頼者のチャット仲間と同意見である。
何しろ、ベルリオーズが、惚れた女性に振られたことから、彼女への愛をテーマにした曲を書いた。その曲の中では彼女のテーマが全楽章を通じて登場する・・・と、ここまではいいとしても、物語の中で遂に彼女を殺してしまって彼自身も死刑に処せられ、最後には魔物たちの饗宴の中で彼女と再会を果たすが、そこでは彼女も醜い魔女と化してしまっていた、という曲なのである。初めてのデートで一緒に聴く曲目として、ふさわしいわけがない。

番組内では、ベルリオーズが初めて導入した、1つのテーマ(主題)を全楽章に登場させる手法、即ち「固定楽想」の説明、各楽章の管弦楽法の独創性と革新性などの説明などが続いた。

依頼者への答えとしては、この曲も結局最後には失恋の苦しみを乗り越えて行こうとする意思が感じられるのであり、デートにふさわしくない、とは必ずしも言えない、というものであった。ベルリオーズ自身、この曲を書くきっかけとなった失恋の相手と、後には結婚した、ということも言い添えていた。

私は、この曲が名曲であることは認めるが、上記の通り、やはりデートにはふさわしくないと考える。
「失恋の苦しみを乗り越える」云々だが、乗り越え方が違う。彼女を曲の中で殺し、自らともども地獄に堕ち、醜い魔女にしてしまい、思い切りさげすむことによって復讐しているようにしか聴けない。そして、確かにベルリオーズは失恋した相手と後には結婚したが、決して幸せな結婚ではなかったはずである。

演奏例はコバケンによる日本フィルで、第5楽章の抜粋であった。この演奏を聴いて、巧いものだと思い、感慨も深かった。小澤征爾が若い頃、日本フィルの常任?だったことがあり、そのときにこの「幻想」の、まさに第5楽章を演奏したときの映像(白黒)を放送したのを見たことがあるのだが、まあ、決して巧いとは言えないものだった。小澤もまだキャリアの緒についたばかりで、やたらに棒を振ったり不要な部分で力を入れすぎたりしていたし・・・。そこから、日本のオーケストラの水準も指揮者の水準も随分上がったものである。

さて、この曲の私のベスト盤は、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団のものである(パリ管弦楽団のものではない)。曲の初め、「恋人」のテーマが登場するまでの間のときめき感、「恋人」が登場してからの胸が締め付けられるような感じ、第3楽章でオーボエとイングリッシュホルンが呼び合う箇所の寂しい感じ、そして第4楽章「断頭台への行進」以降のエゲツナさ。どれをとっても、中々この水準の演奏にはお目にかかれないでいる。

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