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2011年6月 7日 (火)

N響アワー 2011年6月5日 チャイコフスキー6番

「永遠の名曲たち」シリーズ第3弾として、チャイコフスキーの第6交響曲「悲愴」が採り上げられた。
ゲルギエフの指揮による、2009年11月30日の公演である。

私は、この曲、聴かなくなって久しい。終わり方が余りにも陰々滅々としていて救いがない感じであるのが、イヤになってしまったからである。
それでも、クラシックを聴き始めた頃は、まだよく聴いた。第1楽章は何と言っても素晴しいし、第3楽章のイケイケドンドンな感じは捨てがたいものがあった、第4楽章も、表面的になぞるだけであれば、まあまあ聴けないことはなかった。

しかし、年月を重ね、次第にこの楽章を重く感じるようになっていった。年月と共に、重く感じる気持が強くなっていった。

N響アワーは、現在全て録画・保存するようにしているが、殆ど聴かないで楽章間にチャプターを切るだけで済ませてしまうものもある。余り聴きたくない曲のときは、そのようになる。だからこの曲も、その類の扱いが本来の付き合い方となる。
それでも、ゲルギエフの演奏だからということで、殆どリアルタイムで聴いた。まあ、いい演奏だった。

西村は、第1楽章の内容を絶賛し、「数々のドラマが1つの楽章に盛り込まれていて、これだけでも1つの交響詩として成り立つ」と言い、第3楽章が賑やかに終った直後に始まる第4楽章の明暗の対比の凄さを誉めた。

そして、これだけの曲を書くに至ったチャイコフスキーは、まさに作曲技術においても絶頂期にあったと言えるのに、初演から9日後に死んでしまったことによって、チャイコフスキーの芸術全般に大きな影と深みを与えることとなった、と。

確かにその通りだろうと思うし、偉大な作品だということに私も異議はない。しかし、やはりついていけないものを感じてしまった。
聴きながらフト思ったのだが、同じ「6番」という番号を付ける曲として、マーラーが自分の「第6」を書くとき、チャイコフスキーのこの「6番」を意識しなかっただろうか。直接の証拠はないが、意識したのではないだろうか。マーラーの6番も、私は嫌いだが、もの凄い作品であることは認めざるを得ない(「題名のない音楽館」内の「マーラーの6番」)。

「永遠の名曲たち」のシリーズは、クラシック音楽の入門者を意識した企画とのことだ。このシリーズで採り上げる曲として、チャイコフスキーの6番をピックアップしたのは間違いではないと思う。
しかし、聴き進めるにつれ、この曲の余りの陰鬱さに嫌気がさしたり、余りの深淵に怖さを感じるようになる曲だということも、私は指摘しておきたい。

番組の解説だが、もう一点触れておいて欲しかったことがある。
チャイコフスキーの死因である。コレラにかかって死んだというのが永年言われてきていたが、最近では服毒自殺説が有力のはずだ。曲を書いているとき、「自分の最後を飾る『大交響曲』にする」と言って板という話が番組内でも紹介されていて、これは自殺を覚悟していた証拠にもなる。初演の評判は良くなかったが、いつものチャイコフスキーのようにそのことで悩んだりせず、自信に溢れていたようだ、というのも、もうどうせ後の曲はないのだから、と割り切っていたとしたら説明がつきそうだ。

ひょっとすると、放送時間があと3分長ければ、このエピソードに触れることができたのかも知れない。4月から、以前の60分の放送時間が57分に短縮されてしまった。余った3分で「NHKクラシックガイド」なるものを放送しているのだが、こんな番宣、必要だろうか。本仮屋ユイカはカワイイから、見ている限りは不満ないのだが、別の枠でやったらいいじゃないか。

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