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2011年6月

2011年6月29日 (水)

題名のない音楽会 2011年5月29日 続き

続けるつもりはなかったのだが、書き残したことがあるように思えてならないので、続編。

この日のテーマは「琴の名曲はグレゴリオ聖歌?」というものだったが、主旨は、キリスト教の禁止令によって地下に潜行するしかなかった隠れキリシタンが、自分たち独自のミサを挙げるために創り出した曲が、やが「六段」という形になっていった、というものである。

どう聴いてもグレゴリオ聖歌と六段が似ているとは思わなかったので私は、この説はナンセンスだと考えるのだが、もし本当にそうだとしても、これらを一緒に演奏するというのは、うまく行くはずがない。

約250年もの間、カトリックの「正規な」教義や典礼から切り離されて生きてきたのが隠れキリシタンである。
250年も隔離されていたら、カトリック側も隠れキリシタン側も、大きく変化している。個々に発展するか、発展せずとも変容は遂げている。それも、お互いがお互いにとって夢にも思わない方向に向かって、教義も典礼も変ってしまっている。

明治維新とともにキリスト教の禁令が解かれ、改めて西洋のキリスト教徒が日本の隠れキリシタンと遭遇したとき、西洋側は、彼らがキリスト教徒だと分からず、認めることも出来なかったという話がある。
もともと日本にキリスト教が伝来したとき、多くの人たちは、仏教または神道の文脈で理解する場合が多かったと言うし、宣教師の側は、いつまで経っても日本人信徒がキリスト教的な信仰に入ることができないでいるのを困惑していた。

この辺りの宣教師の悩み、そして日本的な宗教のあり方について、色々な本が出ているが、どうしても思い出さずにおれないのが、遠藤周作の「沈黙」である。彼がキリスト教徒だったという事実も大きい。彼はこの1作だけでも文壇史に残る作家となっただろう。

まして、禁令によって「正規」の教えから切り離されてしまったのである。日本的な「宗教」のあり方や、地域の文化に根ざしたものとして独自の変化をしてしまうのも当然である。典礼用の音楽も、もし「正規の」グレゴリオ聖歌が伝わって残っていたのだとしても、日本風の音楽に変容してしまったはずだ。

その変化・変容は余りにも大きなものである。「モトは同じ」ということだけでコラボなどをやって、うまく行くはずがない。

それと、方向は異なっても、それぞれの音楽や文化の発展レベルという要素も考慮すめ必要がある。
西洋音楽の、「グレゴリオ聖歌」以後の目覚ましい発展は多くの人が現在まで続くクラシック音楽として耳にしているものだ。日本の音楽も、西洋音楽のような意味での発展はなかっただろうが、師匠から弟子に演奏を通じて伝えられて行った末、大きな変容を遂げたはずだ。

だから、もし演るとすれば、西洋の典礼用音楽の、その後の発展した形態のものと、「六段」とであれば、少しなりとも「らしい」ものとなったかも知れない。

「題名のない音楽会」は、黛敏郎時代から異質な音楽を組み合わせる、現在で言う「コラボ」を1つの「売り」にしてきた番組でもある。しかし、少なくとも黛時代のそれは、考え尽くされた上に出てきた企画だったと思う。
例えばクラシック音楽とジャズを組み合わせてうまく行くことがあるのは、もともとジャズというものが、クラシック音楽と同じ和声進行と変奏という要素があるからだし、使う楽器も共通するものが殆どだからである。

どうも最近は、何でも一緒に合せればよい、的な企画が多くなったように思えて残念なのである。

2011年6月27日 (月)

題名のない音楽会 2011年5月29日 琴の名曲がキリシタン音楽??

休載していたので1ヵ月も前のこととなるのだが、上記の日に放送された内容がひどかったので、どうしても書いておきたい。

テーマは「琴の名曲はキリシタン音楽だった?」ということで、皆川達夫が登場しその説を展開するもの。

主として「六段」に関するもので、まず通常の箏曲は歌を伴うのに「六段」には歌がついていないこと、日本の曲には余りない形式の「変奏曲」の形を採っていること、八橋検校の作と伝わっているが実は作曲者不詳であることなどが示された。
また、「千々の悲しみ」という曲はマタイ受難曲の影響を受けているように聞こえることも。

そして、グレオリオ聖歌の「クレド第1番」と「六段」が似ているとも主張し、最後にこの「クレド」と「六段」を一緒に演奏するというものだった。

しかし、グレゴリオ聖歌の「クレド」、ここで初めて聴いたが、どこが「六段」に似ているというのか。私には全く分からなかった。どんな耳をしているのか。どんな耳なら似ていると感じるのか。
そして、似ていないと思う2曲を一緒に鳴らしたとき、それはもう耐えられないものとなった。
これほど合わないコラボはない。何でも合せたらいい、というものではないし、もともと私はグレゴリオ聖歌というものが気持悪い響きのものだと思っているので、気持悪さが余りにも強く、「コラボ」となどというものではないと思った。

率直に言って、愚にもつかない企画だ。
別のことで業績を十分に上げている学者先生の主張することには誰も反対できない、という構図ではないのか。

「お口汚し」ならぬ、正真正銘の「耳汚し」に遭ってしまったので、本来の「六段」を聴きたくなってしまった。
私は未だに宮城道雄の演奏したもの以上のものは知らないので、もっぱらこれである。

しかし、この「六段」に限らず琴の音楽を聴くと、何か「お正月」の雰囲気を感じてしまう。いつ頃誰が「お正月は琴の曲をかける」と決めたのだろうか。毎年、正月のテレビで琴の曲が流されるので、琴=正月 というイメージが固まってしまった。

ちょうど「第9=年末」というのが定着してしまったのと似ているようにも思う。年中行事と或る音楽の特定の結びつきは、曲の価値を高めることにはならないと考えるのだが・・・。ある意味、困ったことである。

2011年6月25日 (土)

名曲探偵アマデウス 2011年6月18日 モーツァルト P協ニ短調

事件ファイル7番に相当する内容を、スペシャル再放送したもの。

ただ楽しく明るい曲が主流だったというピアノ協奏曲の分野に、新しい表現方法を持ち込んで深さを増し、作曲当時からデモーニッシュな曲とされてきたニ短調K.466の作品である。

番組では、第1楽章冒頭の不安を感じさせる音型が、シンコペーションによるリズムによっていること、第2楽章の美しさ、そして第3楽章に第1楽章の主題の変形が出てきて、第1楽章で聴衆に与えた不安を解決するように聞こえることなどを、クライアントの相談の中味に合せて紹介していった。

さて、番組では扱わなかった中で、私は2点、どうしても付け加えたいことがある。この2点も加えて紹介していれば、更に良かったと思う。

まず、「デモーニッシュ」ということは「ニ短調」で書かれていることとも密接な関わりがあると思うが、恐らくそれもあってだろう、ベートーヴェンが好んでいたはずだという点である。

第1楽章の終結部の前、365小節目と366小節目の間に、カデンツァが挿入される。手許のスコアにはカデンツァの楽譜が含まれていないのだが(上掲のものは手許のものと異なるので、含まれているかも知れないが)、カデンツァとして残されているのは何曲かあるのだろうが、最もよく演奏されるのはベートーヴェンが作曲したものなのである。
ベートーヴェンがこの曲を評価したのはもちろん、自分でも演奏したのではないだろうかと推測させるに十分だ。

そして、このベートーヴェンによるカデンツァが入ったものを聴くと、途中まで「確かにデモーニッシュかも知れないが、やはりモーツァルトには違いない」と思って聴いていたのが、突然さらに激しい曲調になり、「ああ、これはベートーヴェンだ」と感じ、それでもモーツァルトの曲の中であるので、ベートーヴェンとしてはおとなしい曲調で、モーツァルトを聴きながらベートーヴェンも聴いているような、何とも不思議な感覚を味わうのである。

この曲は、古典派の二大天才の共作とも言える部分が含まれていて、実に贅沢な形で残されているのだ。

もう1点は、この番組ではサラッとしか触れなかった、第2楽章について。
第2楽章の冒頭、ピアノだけで示される旋律は余りにも有名で、楽章の中で何度も形を変えて出てくるのだが、最後にもう一度、原型に近いものが出てくる。

冒頭では、ピアノ独奏だけで8小節弾かれ、9小節目から同じ音型をオーケストラが鳴らして、ピアノとオーケストラが「対話」しているように聞こえるのだが、最後に出てくるときには、ピアノが弾き始めたメロディーにーケストラが一向に応えようとしない。冒頭の倍の16小節、ピアノだけて進められてゆくのである。
静けさが怖い・・・ベルリオーズの「幻想」の第3楽章の終わりの部分と似た雰囲気と言ってもよい。

「デモーニッシュ」というのは激しく騒がしく不安な感じを与えることだけとは限らない。暗く孤独な感じを与えることによっても成り立ち得るのだ。「闇」と言ってもいいだろう。

第2楽章のその部分についても、私はモーツァルトの「闇」を感じるようになってしまった。こんな感じを味わうこととなったのが、内田光子による演奏である。
そして、一度そんなことを感じてしまうと、中々モーツァルトを気軽に聴くということは、できなくなっていくのである。

2011年6月23日 (木)

ハーディング指揮 マーラー室内管弦楽団 ブラームス

2011年6月12日(日)。於ザ・シンフォニーホール。ブラームスの2番と4番。

コンサート会場に足を運んだのは、およそ2年ぶりのことだ。2009年は毎月のように何らかの演奏会に行ったものだが、2010年は、これといった演奏会を見つけることができず、また出かけるのが億劫にもなっていて、遠のいていた。

このコンサート、娘が「早めの『父の日のプレゼント』としてくれたもの。私の好みを完全に知っているわけでもないので、どちらかと言うと私が敬遠しているブラームスの演奏会のチケットをくれたのである。
100%喜んでやれなかったもう一つの理由は、ハーディングが、私の嫌う「ノン・ビブラート奏法」の人だからだ。

それでも折角くれたのだし、2年も遠のいていたコンサート会場に行くのもいいと思ったし、何よりも、ブラームスとは言っても、比較的好きな2番と、最高傑作と考えている4番をナマで聴いてみたい、という思いもあった。

行って良かった。実に良かった。

実は標題に「マーラー室内管弦楽団」と書いたが、正しくは「マーラー・チェンバー・オーケストラ」とすべきなのだ。過去からの慣習もあり、また他に適切な訳語もないからだろうが、「チェンバー・オーケストラ」を「室内管弦楽団」と訳すことになっているので仕方ないのだが、60名~70名という陣容から見て、決して「室内の」楽団ではない。
ハーディングによると、「室内楽的な響きを大切にしたオーケストラ」というほどの意味だそうた。

さて、2番から始まったのだが、冒頭、低弦が主題を奏で始めたとたん、「何といい曲なのか、これがドイツ音楽の真髄だ・・・」と唸らされ、続いて「1番を出して高い評価を勝ち取って、ようやくベートーヴェンの頸木(くびき)から脱することができたんだねぇ」と思い、さらに続いて「何でブラームスは、この曲のような明るい曲を書き続けなかったのか」と思った。

ところが、団員の入場と音合せを見ていて、弦がビブラートをかけない・・・ことはなかった。あれ? ! 練習のときだけビブラート?
そればかりか、曲が始まっても、キッチリとビブラートをかけているではないか。

そう言えば、何時のことだったか、N響に振りにきたとき、練習風景で、彼が最初に「ビブラートはどうしますか?」と聞いていたシーンがあった。そのときはコンサートマスターが即座に「かけないで演奏しましょう。問題ないです」と答えたのでノン・ビブラートで演奏したのだ。
で、何の曲だったか忘れたが、私は、ノン・ビブラートは嫌いだが、それなりに良い演奏だ。結構スゴイ指揮者なのかも知れない、と思ったものだ。

とすると、マーラー・チェンバー・オーケストラは、ノン・ビブラート奏法を拒絶しているのか。それとも、ノン・ビブラート奏法は音程を厳密に合わせないと響きが汚くなるので、技術的に自信がなかったのか・・・。

しかし、こんなことを考えながらも曲が進んでゆくうち、そんなことはどうでも良くなってしまった。ああ、この曲、ブラームスの中だけではなく、かなり好きなんだなあ・・・。もともとは、ブラームスの交響曲の中で一番最初に聴いた曲であり、即座に好きになった曲でもあった。
モントゥー指揮ロンドン交響楽団が来日したときの放送で、同じ組み合わせのレコードも比較的すぐに入手した。

とくに、第4楽章の、喜びが爆発するような感じは、ブラームスはブラームスなりに(ベートーヴェンとは違う書法で)喜びの表現を見いだしたような処があり、それでいて少しは自制もある(ベートーヴェンの曲における「喜び」の表現は、悪く言うとキチガイじみた処がある)。
なぜ折角こんな表現手段を見つけたのに、そのあと、二度とこんな曲を書かなかったのだろう。

・・・という思いに捉えられながら、4番の演奏に入った。これはこれで傑作だし、最高傑作だと認める。しかし、曲の雰囲気は・・・、あれ? !
第1楽章からして、全然重苦しさがない。ひょっとして、重苦しい曲だと思っていたのは、過去の演奏でそうしたものが多かったためか? これがこの曲の本当の姿に近いのか? ちなみに、私のよく聴いていたのはワルター盤だ。

そして、第4楽章。これは誰がみても最高傑作の曲の中でも最高の楽章である。演奏も良かった。

ひょっとすると、ハーディングという指揮者は、ルイージと並んで、ドイツ音楽の伝統を大切にした本格的な指揮者なのかも知れない。まあ、そんなことは私が言うまでもないことで、ラトルやアバドに認められ、21歳でベルリン・フィル、29歳でウィーン・フィルを振り、28歳でこのマーラー・チェンバーオーケストラの音楽監督、32歳でロンドン交響楽団の首席客演指揮者とスウェーデン放送交響楽団の音楽監督・・・という華々しい経歴を重ねてゆくことなど、余程の才能に恵まれていないと不可能だ。

聴衆の多くにとってもそんなことは先刻承知なのか、とくに2番の終った直後の拍手とブラボーの声は凄かった。

アンコールは3番の第3楽章。大嫌いな曲・・・いやだなー。
しかし、これも「あれ?」だった。悪く言うと軽いのだが、良く言うと重苦しさがなくスッキリした演奏。この曲も、本当の響きはこうなのか?

「!」や「?」は余り多用すべきものではないのだが、それほど、私にとっては発見と驚きのあった演奏会だった。
団員が、アンコール曲を終って引き上げ始めるとき、夫婦か恋人どうしらしきカップルが何組も抱き合ってキスするというシーンがあり驚いた。

また、団員が去った後、もう一度指揮者がステージに現れ挨拶する、というシーン、そのときの聴衆のスタンディングオーベーションというのも初めて見聞した。
人気あるんだなあ。

2011年6月21日 (火)

記事投稿を再開します

ホームページ改修作業のため休んでいましたが、終了しましたので再開します。
この「ミニ音楽評」は、23日からの予定です。

休載連絡の折、「数日」と書いていましたが、その後の作業が予想以上に手間取り、10日余りとなってしまいました。
ディスプレイの中央に表示されるようにすることがメインだったのですが、ついでに気になっていたことを改善したため、かなり時間がかかってしまいました。

是非とも一度お立ち寄りください。

http://homepage3.nifty.com/tkoikawa/

2011年6月 9日 (木)

数日間 休載します

ホームページの改装作業中で、作業が佳境に入ってきたため、集中するため数日間休載します。

2011年6月 7日 (火)

N響アワー 2011年6月5日 チャイコフスキー6番

「永遠の名曲たち」シリーズ第3弾として、チャイコフスキーの第6交響曲「悲愴」が採り上げられた。
ゲルギエフの指揮による、2009年11月30日の公演である。

私は、この曲、聴かなくなって久しい。終わり方が余りにも陰々滅々としていて救いがない感じであるのが、イヤになってしまったからである。
それでも、クラシックを聴き始めた頃は、まだよく聴いた。第1楽章は何と言っても素晴しいし、第3楽章のイケイケドンドンな感じは捨てがたいものがあった、第4楽章も、表面的になぞるだけであれば、まあまあ聴けないことはなかった。

しかし、年月を重ね、次第にこの楽章を重く感じるようになっていった。年月と共に、重く感じる気持が強くなっていった。

N響アワーは、現在全て録画・保存するようにしているが、殆ど聴かないで楽章間にチャプターを切るだけで済ませてしまうものもある。余り聴きたくない曲のときは、そのようになる。だからこの曲も、その類の扱いが本来の付き合い方となる。
それでも、ゲルギエフの演奏だからということで、殆どリアルタイムで聴いた。まあ、いい演奏だった。

西村は、第1楽章の内容を絶賛し、「数々のドラマが1つの楽章に盛り込まれていて、これだけでも1つの交響詩として成り立つ」と言い、第3楽章が賑やかに終った直後に始まる第4楽章の明暗の対比の凄さを誉めた。

そして、これだけの曲を書くに至ったチャイコフスキーは、まさに作曲技術においても絶頂期にあったと言えるのに、初演から9日後に死んでしまったことによって、チャイコフスキーの芸術全般に大きな影と深みを与えることとなった、と。

確かにその通りだろうと思うし、偉大な作品だということに私も異議はない。しかし、やはりついていけないものを感じてしまった。
聴きながらフト思ったのだが、同じ「6番」という番号を付ける曲として、マーラーが自分の「第6」を書くとき、チャイコフスキーのこの「6番」を意識しなかっただろうか。直接の証拠はないが、意識したのではないだろうか。マーラーの6番も、私は嫌いだが、もの凄い作品であることは認めざるを得ない(「題名のない音楽館」内の「マーラーの6番」)。

「永遠の名曲たち」のシリーズは、クラシック音楽の入門者を意識した企画とのことだ。このシリーズで採り上げる曲として、チャイコフスキーの6番をピックアップしたのは間違いではないと思う。
しかし、聴き進めるにつれ、この曲の余りの陰鬱さに嫌気がさしたり、余りの深淵に怖さを感じるようになる曲だということも、私は指摘しておきたい。

番組の解説だが、もう一点触れておいて欲しかったことがある。
チャイコフスキーの死因である。コレラにかかって死んだというのが永年言われてきていたが、最近では服毒自殺説が有力のはずだ。曲を書いているとき、「自分の最後を飾る『大交響曲』にする」と言って板という話が番組内でも紹介されていて、これは自殺を覚悟していた証拠にもなる。初演の評判は良くなかったが、いつものチャイコフスキーのようにそのことで悩んだりせず、自信に溢れていたようだ、というのも、もうどうせ後の曲はないのだから、と割り切っていたとしたら説明がつきそうだ。

ひょっとすると、放送時間があと3分長ければ、このエピソードに触れることができたのかも知れない。4月から、以前の60分の放送時間が57分に短縮されてしまった。余った3分で「NHKクラシックガイド」なるものを放送しているのだが、こんな番宣、必要だろうか。本仮屋ユイカはカワイイから、見ている限りは不満ないのだが、別の枠でやったらいいじゃないか。

2011年6月 5日 (日)

題名のない音楽会 2011年6月5日 佐渡裕BPOデビュー

2011年5月20日、佐渡裕がベルリン・フィルの定期に客演した。

NHKのBSプレミアムをはじめ、幾つかの番組でその模様を放送する旨が告知されていたが、結局この「題名のない音楽会」が最初の放送となった。曲は演奏会で取上げられたショスタコーヴィチの5番から、第1楽章の冒頭部と第4楽章全部。

番組や演奏に関することは、BSプレミアムで全曲を聴いてからにしようとも思ったのだが、聴いてしまった以上は書くことにした。

ひとことで言うと、「ああ、ベルリン・フィルの音って、やはり格別なんだなあ」ということである。
ショスタコーヴィチの5番の冒頭部が鳴り出したとたん、震えがきた。

そして、第4楽章。
この楽章は、ムラヴィンスキーの来日公演やロストロポーヴィチのCDが出たあと、どんなテンポで演奏するのが正しいのか、よく分からなくなってしまったような処がある。
佐渡のことだから、師であるバーンスタインの盤のように終始走りっぱなしの演奏をするのか、それても、最近主流となっている観のある、最後にかけてテンポを落とすやり方か、見守っていると、後者であったので安心した。

この曲の第4楽章のテンポは重要なポイントである。「題名のない音楽館」内の「ショスタコーヴィチ論」の「第5番」を見てください。

それにしても、番組内で紹介されていたのだが、日本人がベルリンフィルを振るのは、小澤征爾以来2人目だそうである。快挙と言ってよいだろう。

昔、身近な音楽ファンが二人で話していて、「世界一のオーケストラはどこか」という話になり、それはベルリン・フィルだ、と言うことになった。続けて「世界一の指揮者は誰か」という問いに対し、彼は「ワルター」と言った。今では余り考えられないかも知れないが、当時は、ワルターという指揮者が結構人気もあり、ベストの指揮者と考えられた頃があったのである。

話はさらに続き、「しかし、ワルターはベルリン・フィルを振っていない。世界一のオーケストラを振っていないのだから、ワルターは世界一だと言えなくなる」となった。
ハタで聞いていて、つまらないことを議論するものだと半ば呆れたのだが、「どんな矛でも防ぐ盾と、どん盾でも貫く矛が戦ったらどうなるか」という話=「矛盾」の語源となった話=みたいで、言葉遊びとしては面白いと思ったものである。

ワルターはともかく、ベルリン・フィルが世界一のオーケストラであるというのは、今でも真実だろう。

ちなみに、「ワルターはベルリン・フィル」を振っていない、というのは、後になって、誤りであることが分かっている。そんな話をしていた当時はまだ知られていなかっただけのことであった。
(新品が入手困難みたいだから、ここには挙げない)

それにしても、佐渡裕が「題名のない音楽会」の司会をやるということで、こうしたことができるわけである。もっとも、就任当初はどこまで展望できていたのか。・・・と書いているうち、逆の心配もできてきた。
ビッグな存在となっていって忙しくなっても、是非ともこの番組は続けてもらいたいものである。

2011年6月 3日 (金)

N響アワー 2011年5月29日 マーラー3番

ようやく日の目を見た放送である。

もともとこれは、2011年3月13日に放送される予定だった。なぜ延期されてしまったのか疑問をぶつけた2011年4月9日の記事に続いて、N響アワーより先んじてBSプレミアムで4月17日に全曲が放送され、そのときのことを2011年5月1日の記事にも書いた。

だから、私の関心事の1つは、当時用意していたままの編集で放送するのか、新しく編集し直すのか、ということであった。
結論としては後者であった。前者ならもう一度岩槻アナを見ることができると期待していたのだが・・・。

構成は、1年間各曲を振ってきた指揮者のコメントから抜粋したものを付け加え、第1楽章の冒頭部と、第4楽章、第5楽章、第6楽章だった。

西村曰く、この曲だけ残されていたとしても、マーラーの名前は後世まで伝わることとなっただろう。マーラーの最高傑作だ・・・。
この辺り、私の考えと近いので嬉しくなる。私もそう思うし、とくに第6楽章の素晴らしさは例えようもない。この楽章だけ残ったとしても・・・と言いたいほどだ(「題名のない音楽館」の「マーラーの交響曲について」の「第3番」)。

指揮のチョン曰く、人生に対する色々な疑問は、音楽が鳴っていると全て忘れてしまう・・・。
これに西村が強く反応し、さらに、曲の持つ力を引き出す、良い演奏だった、とコメント。

改めて、何でこの曲、震災自粛により延期と判断されたのか分からないと思った。既にチョン指揮で全曲聴いているのだが、今回聴き直して、ますますそのように思った。

尚、ついでながら調べたのだが、この曲の第4楽章で歌われるニーチェの「ツァラトゥストラ」。どの部分かと言うと、「第4・最終部」の「酔歌」の第12章である。またそれよりも前、殆ど同じ形で、「第3部」の「後の舞踏の歌」にも出てくる。
ここの詩、攻撃的なイメージの強い本書の中では「生きる」ことを強調した感じが大きいし、何よりも第5楽章、第6楽章と続くことにより、大きな安らぎに繋がってゆくのだ。震災のとき、自粛するような曲ではなく、むしろ流すべき曲だったのではないか。

2011年6月 1日 (水)

題名のない音楽会 2011年5月22日 ブラームス 二重協奏曲

名曲百選として、ブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」を取上げた。

ブラームスが、親友でありヴァイオリン協奏曲を献呈したヴァイオリニストのヨアヒムと仲違いした時期があり、仲直りを願って作曲した曲とのことである。
この曲、私はちゃんと聴いたことはないはずだ。随分シブイ曲を「名曲百選」に入れたものだと思う。
題名のない音楽会であるから、時間の制約もあって一部しか演奏されなかったが、まあそれなりに良い曲だと思った。

しかし、この曲については殆ど初めて聴くに等しいので、演奏等についての論評は差し控える。

仲直りをするため、元々5番目の交響曲のつもりで書き始めていたものを二重協奏曲用に書き改めたそうで、「だから交響曲みたいに響きが豊か」だと、解説していた。

そんな解説のあと、曲を聴きながらつくづく思ったのは、ブラームスという人は何と優しい人なのかと思った。
確か、ピアノ協奏曲第1番も、交響曲として書き始めていたものを協奏曲に仕上げたという話を聞いたことがある。

ベートーヴェンを尊敬する余り、またはベートーヴェンの呪縛から中々自分を解放するに至らず、ようやく40歳を超えてから第1交響曲を発表するに至ったわけだが、ピアノ協奏曲第1番がもし第1交響曲となっていたら、もう1曲余分に交響曲を書いていたことになる。
そして、「二重協奏曲」が当初の予定通りに交響曲となっていたら、もう1曲加わることになっていたわけである。

ようやくベートーヴェンの呪縛から少しは解放され、あと1曲でも多く交響曲を書きたいと思い、次の曲を準備していたのではなかったか。それを、親友との仲直りのためとは言え、協奏曲に転用してしまうのだから、何と優しい人だろうと思ったわけである。

尚、交響曲のように充実した響きを持つ協奏曲としては、ヴァイオリン協奏曲もそうだし、ピアノ協奏曲第2番に至っては、「ピアノ付き交響曲」とさえ言われるほどだ。
だから、今回取上げた二重協奏曲だけの特徴というわけではない。「交響曲として書いていたから響きが充実」というのは、分かりやすい説明ではあるが、必ずしも正確ではないということを付記しておく。

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