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2011年6月29日 (水)

題名のない音楽会 2011年5月29日 続き

続けるつもりはなかったのだが、書き残したことがあるように思えてならないので、続編。

この日のテーマは「琴の名曲はグレゴリオ聖歌?」というものだったが、主旨は、キリスト教の禁止令によって地下に潜行するしかなかった隠れキリシタンが、自分たち独自のミサを挙げるために創り出した曲が、やが「六段」という形になっていった、というものである。

どう聴いてもグレゴリオ聖歌と六段が似ているとは思わなかったので私は、この説はナンセンスだと考えるのだが、もし本当にそうだとしても、これらを一緒に演奏するというのは、うまく行くはずがない。

約250年もの間、カトリックの「正規な」教義や典礼から切り離されて生きてきたのが隠れキリシタンである。
250年も隔離されていたら、カトリック側も隠れキリシタン側も、大きく変化している。個々に発展するか、発展せずとも変容は遂げている。それも、お互いがお互いにとって夢にも思わない方向に向かって、教義も典礼も変ってしまっている。

明治維新とともにキリスト教の禁令が解かれ、改めて西洋のキリスト教徒が日本の隠れキリシタンと遭遇したとき、西洋側は、彼らがキリスト教徒だと分からず、認めることも出来なかったという話がある。
もともと日本にキリスト教が伝来したとき、多くの人たちは、仏教または神道の文脈で理解する場合が多かったと言うし、宣教師の側は、いつまで経っても日本人信徒がキリスト教的な信仰に入ることができないでいるのを困惑していた。

この辺りの宣教師の悩み、そして日本的な宗教のあり方について、色々な本が出ているが、どうしても思い出さずにおれないのが、遠藤周作の「沈黙」である。彼がキリスト教徒だったという事実も大きい。彼はこの1作だけでも文壇史に残る作家となっただろう。

まして、禁令によって「正規」の教えから切り離されてしまったのである。日本的な「宗教」のあり方や、地域の文化に根ざしたものとして独自の変化をしてしまうのも当然である。典礼用の音楽も、もし「正規の」グレゴリオ聖歌が伝わって残っていたのだとしても、日本風の音楽に変容してしまったはずだ。

その変化・変容は余りにも大きなものである。「モトは同じ」ということだけでコラボなどをやって、うまく行くはずがない。

それと、方向は異なっても、それぞれの音楽や文化の発展レベルという要素も考慮すめ必要がある。
西洋音楽の、「グレゴリオ聖歌」以後の目覚ましい発展は多くの人が現在まで続くクラシック音楽として耳にしているものだ。日本の音楽も、西洋音楽のような意味での発展はなかっただろうが、師匠から弟子に演奏を通じて伝えられて行った末、大きな変容を遂げたはずだ。

だから、もし演るとすれば、西洋の典礼用音楽の、その後の発展した形態のものと、「六段」とであれば、少しなりとも「らしい」ものとなったかも知れない。

「題名のない音楽会」は、黛敏郎時代から異質な音楽を組み合わせる、現在で言う「コラボ」を1つの「売り」にしてきた番組でもある。しかし、少なくとも黛時代のそれは、考え尽くされた上に出てきた企画だったと思う。
例えばクラシック音楽とジャズを組み合わせてうまく行くことがあるのは、もともとジャズというものが、クラシック音楽と同じ和声進行と変奏という要素があるからだし、使う楽器も共通するものが殆どだからである。

どうも最近は、何でも一緒に合せればよい、的な企画が多くなったように思えて残念なのである。

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