N響アワー 2011年5月22日 リスト生誕200年
今年はリストの生誕200年にあたるそうで、その特集。
曲は、ピアノ協奏曲第1番、交響詩「レ・プレリュード」(以下、邦題の「前奏曲」と記す)、そして「ファウスト交響曲」から「神秘の合唱」。
ピアノ協奏曲は、ピアノが横山幸雄、指揮が準・メルクル。公演が2005年4月9日。
「前奏曲」は、サヴァリッシュの指揮。1955年11月22日の公演。
「ファウスト」は、山路芳久のテノールと早稲田大学グリークラブ、指揮がクロプチャールで、1987年12月16日の公演。
会場は何れもNHKホール。
ゲストに、リスト研究が専門という、玉川大学教授の野本由紀夫が呼ばれた。この人、「名曲探偵アマデウス」の楽曲分析の処によく出ていたが、リストの研究が専門だとは知らなかった。
何でも、「前奏曲」の初期稿なるものを発見したそうだ。
「前奏曲」は、リストが、ラマルティーヌという詩人による詩の中に「人生は死への前奏曲である」とあったのに触発され、総譜にもそのプログラムを書いた。
しかし、これは「後付け」であり、元々別の詩人による男性合唱曲であった「四大元素」という曲の一部を流用し、それから「前奏曲」の初期稿ができて、さらに現在の形の「前奏曲」となった。そのときに、当てはめることができそうな詩として、ラマルティーヌを持ち出してきた。ここまでは割と知られていることである。
処が、その「前奏曲」が現在の形になる前に、初期稿に相当するものがあったと予想されたのだが、発見されないでいたそうだ。
それを発見したのが野本教授で、リスト研究家の中で、世界的に高い評価を獲得したと言う。
これはスゴイ。進化論における「ミッシングリング」となる生物を発見したようなものだ。
さて、演奏だが、ピアノ協奏曲は、まあまあという処。
しかし、「前奏曲」はどうにもならない。オケが下手なのか、指揮者のせいか。多分両方だろう。
そもそもサヴァリッシュは、若い頃はやたら振り回す棒で、ともすれば空回りになることさえあった。しかし歳をとってからは、逆にやたら冷静で全く燃えない演奏となってしまった。
公演の1995年は、デュトアが常任になる1996年の前の年だ。
デュトアが常任になってから、N響のレベルは格段の進歩を遂げた。それを裏付ける事例ともなろう。
私はこの曲、もっともっとデモーニッシュかつ熱い演奏を望む。ラマルティーヌの詩が後付けだと分かっていても、やはりその詩の強いメッセージ性に惹かれるわけで、そう考えられてきた演奏史というものがある。いや、演奏史などと言う必要もなく、曲自体に、強く心を動かす力がある。
私は、そうした、心を動かされる演奏として、バーンスタインかフルトヴェングラーで聴く。
そして「ファウスト」。
この曲はどうしても馴染めないし、そもそも「ファウスト」の世界自体、理解も共感もできない。
しかし、この、理解も共感もできない世界に、無理矢理だが、音楽の力によって連れて行かれ、圧倒的な感動を覚えさせる曲がある。
そう、マーラーの8番の第2部である。
マーラーの8番の後で「ファウスト交響曲」を知ったので、余計に「ファウスト」がかったるくて仕方がない。
「神秘の合唱」の部分では、優しい力による心の救済といったことを感じさせてくれる方が良い。そこで女性合唱の力が効果的に使われるのがマーラーの8番だ。「ファウスト交響曲はその女性合唱を欠いているだけでも、不満が大きい。
さて、リスト生誕200年だとして組まれた特集は、この1回だけのようだ。今後の予定も示されなかったし。
野本教授はリスト研究家らしく、もっともっとリストを聴けと言っていたが、私は、リストは何と言ってもピアノ曲の何曲かを聴くだけで十分で、それ以上でもそれ以下でもない作曲家だと思っている。
ピアノについては、新しい技巧の開発によってピアノという楽器の可能性を深く広くした。これだけでも大きい。
そしてチェルニーの弟子だったことは割と知られているが、実際にチェルニーの弟子だった期間はごく短い間だけで、あとは完全な独学で技巧を身につけていったのだと、番組内で紹介していた。それはまたスゴイことだ。
ピアノ曲に比べて、他の分野でそれほど今後とも残る曲があるのかどうか疑問である。
何と言っても、彼が創始し完成させた「交響詩」である。
そのジャンルが存在することによって、交響曲という分野で中々作曲できなかった・・・主としてベートーヴェンのせいで。また、ベートーヴェンを意識しすぎて少ない作品しか作れなかったブラームスのせいで・・・多くの作曲家に、別の手法で作曲できる管弦楽曲がある、と大いに助けになっただろう。
しかし、彼自身の交響詩は、13曲も書いたにも拘わらず、現在、第3番に相当する「前奏曲」以外の曲で、どれだけの曲が演奏されたり録音されたりしているだろうか。
ロマン派を通じ、またロマン派から現代音楽への架け橋として、大きな存在だったことは疑いないし、優れた教育者でもあったこともあり、残したものは大きい。
しかし、作曲家として、どれだけ後世に残る作品を残せたか、という点では、余り多くはないというのが正解ではなかろうか。
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