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2011年5月29日 (日)

題名のない音楽会 2011年5月8日 高嶋ちさ子 何をしたいのか

「楽しくなければ音楽じゃない」というテーマで、彼女のデビュー15周年記念企画として構成された。

彼女の率いる「12人のヴァイオリニスト」や、コンビを組むことが多い加羽沢美濃、そして恩師の徳永二男が登場し、デビュー以来の足跡を辿りながら4曲が演奏された。

率直に言って、彼女は、トークはそれなりに面白いと思うが・・・それも佐渡裕によって活かされているのだと思うが・・・演奏それ自体、何がやりたいのか、いつも分からないでいる。「12人のヴァイオリニスト」も、一緒に演奏して何が良いのか。

そもそも、「楽しくなければ」というテーマにも拘わらず、本当に楽しく聴けたのは1曲目の「フィドル・ファドル」だけであった。これは、曲そのものが良くできているためである。私などはアーサー・フィードラー指揮のボストン・ポップスによるレコードで親しんだ口であり、ルロイ・アンダーソンという作曲家が、ガーシュウィンなどとはまた異なった、典型的な「良きアメリカ」の時代を象徴するものとして、別格の存在でもある。

CDでも買い直して今でも時々聴くが、楽しさと共に、もの凄く懐かしい思いに囚われるのだ。

あとの曲と演奏は、一々触れないが、一点だけ。

恩師である徳永二男との共演、これは苦しいものがあった。
別の稿でも触れたことがあるが、現役時代にはそれなりに演奏していたプレーヤーが、教師という立場になったりして公の演奏会などの場から遠のくと、途端に技量が落ちてしまう傾向があるように思う。

高嶋さち子が何をしたいのか分からない演奏だと述べたが、それに比べてもハッキリ落ちるものだった。N響のコンマスをやっていたときには、それなりに良い音楽をやっていたように思わないでもないが・・・。いや、元々そんなに高いレベルではなかったのが、当時は現在よりも全体的な水準が高くなかったから目立たなかっただけなのか?

チェロの堤剛がN響と共演したとき、同様のことを感じたものだ(2011年1月21日公開の記事)。

そもそも、高嶋ちさ子が徳永二男に師事していたことは知らなかった。確か彼女の著書だったと記憶するが、江藤俊哉に師事していたことがある、と書かれていて、ひどいイジメに遭ったようなことさえも明かしている。
もう2008年1月に他界しているので招きようもなかっただろうが、存命であっても呼んだかどうか。

そんなエピソードを知っている目から見ると、徳永二男は高嶋にとって良い先生だったように見受けた。共演しているときの雰囲気から、そう伝わってきた。
教師として優れていても、演奏家としてどこまでのレベルか、というのは中々難しいものがあるようだ。

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