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2011年5月23日 (月)

名曲探偵アマデウス 2011年5月21日 ドビュッシー 前奏曲集

つぶれかけたフランス料理店のオーナーシェフが、フランスで修行していた頃の師匠にアドバイスを求めたら、意味がよく分からない添え書きのついたメニュー案を送ってきた。探偵がどうやらこれはドビュッシーの「前奏曲第1巻」の曲が手掛かりになっていると考え、その分析を行うという設定。

前奏曲集第1巻は、ショパンの前奏曲集と同様に24曲から成るが、ドビュッシーのは全ての曲に標題がついている。
その中で今回取上げたのは、第2曲「帆」、第8曲「亜麻色の髪の乙女」、第4曲「音とかおりは夕暮れの大気に漂う」、そして第10曲「沈める寺」である。

「帆」では、ドビュッシーが考案した「全音音階」(半音をふくまない音階)が使われている。この音階を使うと調性がハッキリしないことから、帆が風にたなびく浮遊感を出していること、そして全音音階で鳴らすと、色々な曲がドビュッシー風に聞こえることなどが説明された。
「ちょうちょ」や「ロンドン橋」でそれを実演して見せたのは、HIROSHI。
また、全音音階は果てしない感じも出せることから、宇宙空間をイメージさせるべく、「鉄腕アトム」のイントロ部にも使われている由。

「亜麻色の髪の乙女」は最もよく親しまれている曲。変ト長調と♭が多く、譜面づらは難しそうに見えるが、「5音音階」(いわゆる「ヨナ抜き」)で作曲されている。それはスコットランド民謡や日本の民謡や歌謡曲でよく使われている音階でもあり、日本人にとっても耳馴染みやすいことが説明された。そしてHIROSHIが「亜麻色の髪の乙女」を途中から「函館の女」に変えてゆくパフォーマンスを見せた。

ドビュッシーがヨナ抜き音階を採り入れたのは、パリ万博の折、ドビュッシーがジャワ島のガムラン音楽に接し、西洋音楽にない響きに衝撃を受けた影響とのこと。

「音とかおりは夕暮れの大気に漂う」は、イ長調にシ♭を加えた響きと、属七で半音ずつ繋げてゆく音型によって、夕暮れの景色のグラデーションを表している由。

そして「沈める寺」は、最初3度抜きの和音(ベートーヴェンの「第9」の冒頭に使われている)により、霧に被われた風景と、その中にある水中から寺院が浮かび上がってくる様子を表し、ハッキリ見えるようになった処では3度の加わった完全な和音がそれを支え、最後の部分ではペダルを多用した濁った響きにより、再び沈んでゆく寺を表している。

こういった解説・分析の後、演奏例としては「沈める寺」。ピアノは、日本人として初めてドビュッシーの全てのピアノ曲を録音したという中井正子。そして、事件解決後のエピソード付き。

曲ごとの解説はそれなりに参考になったし、演奏もまあ良かった方だろう。

この曲集、私は未だに中々全曲通して聴く気にならないのだが、「沈める寺」は大好きだ。何も解説がなくても、水の中から何か建物が浮かび上がってきて再び沈んでゆく様子が見えるように書かれている。
今回、ドビッシーの、和音の使い方の妙技を知ったので、深く楽しめるようになるというものだ。

そもそも、ドビュッシーのピアノ曲を少しは聴くようになったキッカケは、冨田勲が初期のシンセサイザーを駆使して録音した、伝説と言ってよいアルパムを聴いてからだ。シンセによってまず曲の面白さが分かり、そしてピアノの原曲で聴いて音の響きの素晴らしさと、調性の破壊によって現代音楽につながる足跡を改めて知るようになったのである。

この曲集、何人かの演奏で聴いてきたが、何と言ってもミケランジェリ盤は外せない・・・ちょっとクセがあるが。
冨田勲のシンセ盤にも「沈める寺」が含まれている。

最後に、どうしても気になるので是非とも書いておきたいことがある。

「沈める寺」とか「沈んだ寺」とか称されているが、これは誤訳である。上記の文では「沈める寺」で通したが、逐一注書きするのが面倒なので、通称されている名前を踏襲しただけのこと。

題名の「寺」に相当する単語は、英語で cathedral で、フランス語による原題も、ほぼ英語と同じ。
これは普通、キリスト教の大聖堂を現すものである。キリスト教の教会を「寺」とは言わない。仏教の「寺」は、tempie だ。
このことは、念のため手元にある英和辞典で確かめた。

聴き始めた頃、この日本語の題名に、違和感を覚えた記憶がある。「寺」だと、どうしても仏教の寺だから。
まあドビュッシーが日本の「寺」をイメージして書いたとは考えにくいので、西洋の教会なのだろうと思い直し、その後 英訳題に cathedral が含まれていることを知って納得したわけである。

クラシック音楽界の専門家たちは、なぜこうしたことに無頓着なのか不思議でならない。かなりハッキリした間違いだし、誰かが直したらよさそうなものなのに。「大聖堂」では邦訳としてなじまないとでも思っているのだろうか。であれば、せめて「聖堂」またはいっそのこと「教会」とでもすれば良いわけだ。

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