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2011年5月 5日 (木)

名曲探偵アマデウス 2011年4月30日 悲愴交響曲 続き

(前稿からの続き)

さて、この曲は私にとって聴き飽きた曲に属する。
聴き飽きると同時に、第4楽章の陰々滅々たる雰囲気に、段々馴染めなくなっていった。嫌いな曲になっていったと言ってもよい。
「アマデウス」では、必ずしも暗いだけで終るだけではない、といった主旨のことを言っていた。確かに、陰々滅々だけではないため、人気があるのだとも言えるだろう。

しかし、楽章冒頭に「アダージォ ラメントーソ」と表示されている。これは、「非常にゆっくりと、死者を悼むように、悲哀をこめて」という意味であることを、これまた番組内で言っていたので、言葉通りに受け止めるならば、陰々滅々と感じるのが当然だとも言える。

嫌いな曲になっていったが、名曲であることに疑いはない。
とくに、第1楽章と第4楽章の価値はスゴイと思う。
第4楽章は嫌いだが、第1楽章だけであれば、タマには聴くことがある。

こんわけで余り聴かなくなったが、まずはムラヴィンスキー盤は外せない処だ。そして、カラヤンが意外と良い。

前稿に書いた通り、第2楽章と第3楽章の楽曲分析は省略された。
何れも、曲の価値は第1楽章や第4楽章よりかなり劣るが、第3楽章のヤタラに喧しく元気な・・・と聞こえる・・・ことについて、今でもよく分からない。これについて、こうした番組で何らかの考え方が紹介されたら嬉しいのだが、もうこの「アマデウス」のような番組は出てこないだろうから、まず無理なのだろう。
私は、現在の処、「哀しさの余り、ヤケクソな気持で、喧しく騒いでいる」みたいな処かと解している。

ただ、「悲愴」という題名が、ロシア語の原題案では、「悲愴」を意味するものではない、というのは今回の番組で初めて知った。
だとしたら、聴き方が変ってくるかも知れない。

即ち、作曲者の意図とは別に、フランス語で、恐らく誤訳された題名が流通し定着したのかも知れない。
作曲者が、自らこの曲を初演してすぐに急死した事実も、「悲愴」という題名が定着する大きな要因ともなったのだろう。
だとしても、「悲愴」という名で聴きつがれてきた歴史は余りにも永く、また、別の聴き方というのが中々困難な曲だというのも事実だろう。

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