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2011年4月

2011年4月29日 (金)

題名のない音楽会 2011年4月24日 大震災復興応援(1)

素晴しい企画だった。

内容は掲題の通りだが、大ファンである森麻季と村治佳織の両名に加え、ファンとまでは行かないが一目を置いている平原綾香まで登場し、森麻季は「戦争レクイエム」から合唱団と共に1曲、村治佳織はビートルズの「ヒア・カムズ・サン」のギター編曲版を演奏し、平原綾香は「ジュピター」を歌った。

「戦争レクイエム」は、2011年3月3日の記事にも書いたが、ようやくその凄さが分かるような気がしてきていて、今回採り上げたのは「さあ眠ろう・・・楽園へ天使は汝を導かん」という部分だったが、まさに今この時期に演奏されてしかるべき曲だと思った。森麻季のソプラノと少年合唱団がラテン語で、他は英語の歌詞となっていることも、解説を聞いて初めて知った。

「戦争レクイエム」は、凄さが分かりつつあるので、作曲者ブリテンによるCDも入手した。大曲であり、中々聴くのは骨が折れそうで、まだ聴いていないのだが・・・。

「ジュピター」は、原曲の始めの部分と終わりの部分を活かした編曲。余りこの形では演奏されないのではないか。
平原綾香に一目置いていると書いた。私は本来、クラシックの器楽曲に適当な歌詞を勝手につけて歌うというのは全く価値を認めていないし、従って聴くこともないのだが、彼女の歌詞と歌は、私のそうした考えを打ち破るほどの力を感じるからだ。優しいのに力強いのだ。

まあしかし、「ジュピター」は、原曲で、通常平原綾香が歌っている部分が如何に効果的に挟まれているかを理解して聴くのが良い。私は結局、一番最初にこの曲を知った、カラヤン指揮ウィーン・フィルの演奏に決まってきている。
カラヤンにとっても、この曲の初めての録音なのだが、後にベルリン・フィルと録音したものよりも断然優れている。

現在は、信じられないほど安価に手に入る。

さて、番組の最後には、「フィンランディア」を合唱付きで演奏するというので、曲が始まる前、楽しみだと思ったのだが、何と日本語の歌詞で歌った。
これは全く頂けない。ここは元の歌詞であるべきだ。日本語とフィンランド語?では、パワーが違う。それに、今の日本の状況と重ねた歌詞にしていたが、ブィンランド独立を思った当時の歌詞でもいいではないか。
この合唱入りの版は、なかなか適切なCDがないようだ。
この記事を書くにあたり散々探したが、見つからなかった。

であればこそ、余り聴かれないこの曲の合唱入りは、原語で紹介すべきだったはずである。テレビはもちろん、会場にだって字幕が入るのだから内容は分かるではないか。

もう一点付言したいのは、今回、番組前後に通常入っているCMが殆ど入らなかったことである。
この番組、元々違う目的で進んでいたが急遽内容を変更する旨、スポンサーの出光興産が即刻理解した、と佐渡が言っていた。いくら永年にわたりスポンサーをやっているからと言っても中々できないことのはずだ。心から敬意を表したい。
CMを除いたことにより、通常よりも少し長めに曲を入れることができた点も、併せて敬意を表したい。

2011年4月27日 (水)

N響アワー 2011年4月24日 展覧会の絵 他

冒頭に新しい映像と新しいテーマ音楽を配し、ようやく通常の形となったのが、この日のN響アワー。

先週の予告で、「オリジナルを超える?編曲いろいろ」というテーマでやることが知らされていたので、多分、2011年2月25日の記事に書いた、イオン・マリン指揮による第1692回定期から持ってくるのだろうと予想していたのだが、見事に的中した。

定期演奏会のプログラムの中から「展覧会の絵」と「禿山の一夜」を採り上げたのだが、「展覧会の絵」が「オーケストレーション」で、「禿山の一夜」はリムスキー・コルサコフによる「リメーク」と称すべきものだとか、この他に「アレンジ」という形態があるとか、この辺りの解説は適切なものだった。

ピアノ版とオーケストラ版の違いも、最初のプロムナードの部分の両方の譜面を示しながら解説していた。これも、やり方としては良い。
ただ、どうせ説明するのであれば、両者に大きな違いが1箇所あることに言及すべきだった。

「プロムナード」は、最初のものを含めてビアノ原曲版では、独立した形で5回出てくるのだが、ラヴェルのオーケストラ版では最後のプロムナードを省略しているのである。
これは、少し後にある「カタコンベ」の中でプロムナードが少し含まれていることと、何よりも、最後の「キエフの大門」がプロムナードを発展させたものなので、大音響で鳴らす「キエフの大門」が一層効果的に聞こえるように、ラヴェルが一工夫したのだと考えられているのである。

だから、厳密に言うと単なるオーケストレーションではないわけだ。

また、先の記事にも書いたが、このときのプログラムには、ラヴェル自身によりオーケストレーションされた「クープランの墓」もあった。当日のプログラムを見せて、その凝った内容を紹介しても良かったのではないだうか。

それにしても、この演奏、実に疲れるものだった。
「展覧会の絵」、余りにもテンポが遅い。
初めの方は、この編曲をラヴェルに依頼したクーセヴィツキーの慧眼に感心したり、冒頭トランペット一発で始めたり、アルトサックスを使ったり、それらがまた見事に嵌ったり、やはりラヴェルはスゴイと思いながら聴いていたのだが、余りのテンポの遅さに辟易し始め、やがて聞き流す程度となり、遂には睡魔が襲ってきたほどだ。

そして、「禿山の一夜」。これは、最後の方だけ原典版を使う旨説明があり、画面で「ここから原典版」と示してくれたので理解しやすかったが、それだけのことである。
まさに木に竹をつないだ感じで、リムスキー・コルサコフによる巧みなオーケストレーションと、原典版の荒削りな感じが全く繋がらない。折角「名曲」に値するレベルにまでリメークされた編曲なのに、原典版が最後に来ることで、全部ぶちこわしになった感じだ。本来のリムスキー・コルサコフ編曲で、最後に朝を迎え、魔物が飛び去って浄化された感じというのが、やはりふさわしいし、曲としての完成度も高くなるに決まっている。

以上、2011年2月25日の記事にも書いたが、番組の内容に即して書いた。この記事の最後に、その記事でも紹介した、「展覧会の絵」のピアノ原典版を2点、紹介しておきたい。

2011年4月25日 (月)

名曲探偵アマデウス 2011年4月19日 ブラームス4番

BSプレミアムに移行後、「セレクション」としての2回目の放送。事件ファイル番号も「2」である。

私はブラームスは嫌いだが、この4番(以下、「ブラ4」と略す)の、とくに第4楽章は偉大な作品だと認めざるを得ない。偉大なものに接したいという思いから、たまには聴く。

番組では、まず第1楽章のテーマについて語られ、モーツァルトの40番の二度下がりの繰り返しと、ブラ4の三度下がりのテーマがよく似ていて、「ため息のモチーフ」とでも称するのがふさわしいと説き、三度下がって6度降りてくるが、6度の音程を展開すると三度下がりと同じことになる、と言う。
モーツァルトの40番と近いというのは、私にはコジツケとしか思えないのだが、6度下がる音程が展開すると三度下がるのと同じというのは、ブラームスならあり得ることと納得できた。

第2楽章はホ長調なのに明るくなく、かといって暗すぎることもない雰囲気があり、それは古い聖歌のフリギア旋法による・・・古い旋法なので長調とも短調とも判然としない雰囲気を出している由。

第3楽章については解説がなく、第4楽章。
ここで冒頭に提示されるのは、バッハのカンタータ第150番からの引用だそうで、パッサカリアの手法によって31回繰り返される。
そして、古い手法であるパッサカリアに、溢れんばかりの情熱を込めたのが、ブラームスのブラームスらしい処で、クララとの思い出を秘めたとされ、事実、この部分についてクララとは分かりあっていた由。

さて、私が偉大な作品と認めざるを得ないと冒頭に記したこの第4楽章だが、パッサカリアの主題が聴き取れるようになってから、ようやく偉大さが分かったのである。それでも、バッハのカンタータから採られたものとしうのは知らなかったし、また、31回繰り返し変奏されていくという、その主題も、未だに途中からは分からなくなってしまうのだ。

その意味で、未だに全容の把握ができていないことになる。聴く度に新しい発見がある、と言ってもいい。

番組では最後に、第4楽章だけを全部演奏した。N響によるものだが、スタジオ録音したもののようで、事件ファイルの新しい方とは演奏の引用のしかたが異なるようだ。
また、「事件」について色々と話合っている中で、例示してみせる音楽は、CDでなくレコードだというのも愉快だった。どんな時代の探偵事務所だっと言うのだ。
ちなみに、鳴らしていたレコードは、クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団のもの。演奏者を明示してレコードを鳴らすというのも、事件ファイルの新しい方ではやっていない。

さらに、アシスタントの黒木芽依がキーボードで少し鳴らして見せるというシーンもあり、これも事件ファイルの新しい方とは異なる演出だ。

さて、このブラ4。
上記の通り、番組内ではクレンペラー盤を鳴らした。この盤、LP時代に聴いたことがあるが、今少しだけ聴き直すと、ゴチャゴチャして整理がつかない印象がある。
私は、クレンペラーは20世紀最大の指揮者の一人と認めるのだが、ブラームスなどを聴いている間は、その偉大さが全く分からなかった。

むしろ、第1楽章の主題のわびしさ、淋しさをこれでもか、と表現仕切った演奏として、ワルター盤を私は聴くことが多い。最初にブラ4を聴いたのは、この盤によるのだが、未だに第1楽章については、このワルター盤を超える演奏には出会わない。

2011年4月23日 (土)

名曲探偵アマデウス 2011年4月9日 ラヴェル ボレロ

「名曲探偵アマデウス」は、この3月までで一通りの放送が終わり、4月からはNHK BSハイビジョンと統合された「BSプレミアム」で、「セレクション」が放送されることとなった。

予定表を見ると、初期のものから、飛ばすものもあるが概ね「事件ファイル」の順を追って放送されるようだ。
この番組の存在を知ったのはかなり後なので、初期のものは見ていない。その意味で、楽しみだし、有り難くもある。

ただ、基本は毎週土曜の13時からとなっているのだが、このラヴェルの「ボレロ」(事件ファイル1)が放送されたのは土曜の13時15分であり、この後も基本日程からは外れた放送日時のようだ。録画し損ねないように気をつけねばならない。

さて、「ボレロ」だが、事件は、ブラスバンドで小太鼓を担当する生徒、トロンボーンを担当する生徒が次々に逃げ出してしまい、発表会に間に合わない!と指導の先生が駆け込んでくるという設定。

親しみやすい曲だからと与えた曲と言っていたが、見ながら、「それは逃げ出したくなるだろう」と突っ込んでいた。
小太鼓は同じリズムを延々と叩き続けながら、しかも徐々に音量を上げて行かねばならず、しかも、オーケストラ全体の音量とのバランスも考えなければならない。
トロンボーンは、直前まで幾つかの楽器が合わさって演奏されていたのに、突如、ソロで出なければならない。しかも、とんでもない高音で。

番組では、N響のそれぞれの奏者を呼び、いかにそれぞれが難しいか、いかに苦労するかといったことを、演奏を交えながら解説していた。

さて、この「ボレロ」、私にとって半ば聴き飽きた曲とも言えるのだが、実際には、ときどき放送で流されると、ついつい聴き入ってしまう。それだけ名曲なのだろう。単純なようでいて、実は結構奥深いのである。

また、よくラヴェルやドビュッシーなどの管弦楽作品を「色彩的」と評することがあるが、これは、音と色を同時に感じる人の言い方か、または単に聴いた印象を比喩として表しているのだと思っていた。

それはそれで間違いないはずだが、実演を目にすると、実際に絵を描くとき、パレットで色を混ぜ合せるような感覚もあるのだということに初めて気がついた。かなり最近のことだが、詳しくは2009年10月28日付の「ボレロ 音のパレットは見てもパレット」に書いた。

さてこの曲、スコアも持っているが、まだ私が入手した頃は、輸入版の高価なものしかなかった。
現在では国内版で比較的安価に手に入る。
私が愛聴盤としているデュトア指揮のCDと併せて以下に挙げておく。

2011年4月21日 (木)

N響アワー 2011年4月10日 ルイージのベト7

西村朗の相手が黒崎アナに交代して2回目。

この日の放送分から番組のオープニングが変った。曲はプロコフィエフの「古典交響曲」の第3楽章。オーソドックスなドイツ音楽のひとつとされることもあるシューマンの「ライン」冒頭から、ちょっと軽めでやや気取った感じの曲に変えてみました、という処か。

併せて、オープニングの映像も、ベートーヴェンをカリカチャライズしたキャラクターが動き回るものに変った。

この日の放送は、新しく「永遠の名曲たち」というシリーズを始めるとかで、ベートーヴェンの7番(以下、ベト7と略記)を採り上げた。

第1楽章の解説→第1楽章→第2楽章の解説→第2楽章→第3、第4楽章の解説→第3、第4楽章というように進められていった。

こうしたシリーズを始めることに特に異議はないが、まず最初に採り上げたのがベト7というのには、かなり違和感を覚えた。
そもそも、この曲がよく知られるようになったのは、黒崎アナも言及していたが、テレビで上野樹里が演じた「のだめカンタービレ」で使われたことがきっかけだったはずだ。

しかし、この曲、名曲だろうか。
エネルギッシュにどんどん進んで行くこの曲のパワーには圧倒されることが多いが、あとに何も残らないという感じが昔からしている。少なくとも、3番、5番、6番などに比べて、曲の価値は、どうしようもなく低いと思う。

ただ、このベト7で唯一私が「スゴイ」と考えているのは、第2楽章である。
何がスゴいって、同じ音を繰り返しているのに、刻々と移りゆく和声を付けることによって、表情が次々に変ってゆく点である。こんな作り方をした曲はそう見つかるものではない。

さらに言うと、ボサノバの名曲「ワン・ノート・サンバ」は、このベト7の第2楽章にヒントを得たのだと思えるのだ。このことは、「題名のない音楽館」の「小野リサ」の記事にも書いたことがある。
参考までに、小野リサによるこの曲が収録されたCDで、当該ページにも挙げたものをここにも掲げておく。

さて、ルイージについては、私は最近の指揮者の中で最もオーソドックスであり、本格的な指揮者の一人だと高く評価している。オーソドックスとは言え、熱を帯びるべき箇所は十二分に燃焼させるので、聴いていて不満が残ることが殆どない。
このベト7も、曲の価値そのものは別として、演奏は中々良いものだった。

しかし、せっかく途中に解説を入れながら進めるのであれば、上記の、第2楽章の、ひとつの音だけで進んで行くということに関する解説も欲しい処だった。西村がピアノでチョイと鳴らして見せるだけで済んだのに。

2011年4月19日 (火)

N響アワー 2011年4月3日 エルガーのチェロ協奏曲他

4月3日放送分から、新年度に突入した。結果、マーラーの3番は3月13日放送される予定だったのが飛び、5月29日に改めて放送する由である。

新年度に入りはしたが、西村も黒崎アナも沈鬱な表情に終始した。

大震災の翌日、N響は予定していたアメリカ公演に向かったそうで、そのアメリカ公演の中、3月20日にニューヨークで行われたコンサートから、エルガーのチェロ協奏曲、そして、コンサートの最初に演奏された、バッハのアリアが放送された。
また、演奏の紹介の前後、会場に詰めかけたお客さんとの触れあい、日本への心遣いなど、心温まる情景も映していた。

さて、私はチェロ協奏曲というジャンルには比較的疎く、もちろんドヴォルザークのものは好んで聴くが、あとはショスタコーヴィチやプロコフィエフの作品に飛んでしまい、ロマン派の作曲家をはじめ、今回採り上げられたエルガーなども、まだ「親しんで聴く」という段階にはない。

だから詳しい批評は避けるが、この曲も、何度か聴いているうちに少しは全体を見渡せるようになってきたとは言える。沈んだ、重たい雰囲気は、震災直後ということもあって、また演奏者(ショットのチェロ、プレヴィン指揮)の思い入れもあってだろう、深く心に染みいるものだった。

さて、バッハのアリアだが、番組内で「G線上のアリア」と紹介していたのが、どうにも気になってしまった。

実はこの曲、阪神淡路大震災の直後に神戸で小澤征爾の指揮によって演奏されたこともあり(オケはどこだったか忘れたが、映像は録ってある)、こうした厳しい現実があるときに演奏されることが多くなったのか。まあ、厳しい音楽が多いバッハの作品の中では、比較的適していると、誰かが思いついたのか。

で、組曲第3番のアリア、というのが正式名称なのに、いつの間にか「G線上のアリア」と呼ぶようになったのは、どこかに書いたと記憶するが、困ったものだと、つくづく思う。

調を替えてヴァイオリンのG線だけで弾けるようにしたのが「G線上のアリア」であって、管弦楽で原曲を演奏するときにその名称を流用するのは、音楽的に誤っているのである。
普段の放送であれば、この愛称の由来などをせめて西村が解説したりしたはずと推測するのだが、特別な回ということを意識してか、そんな解説は一切飛ばしてしまった。

この曲をこんな間違った愛称で呼ぶことは、こうした状況の中で採り上げるようになったことと併せ、私にとっては不可解なのである。

2011年4月17日 (日)

NHKクリシック プレミアムシアター クライバー演奏会 続き

(前稿からの続き)

4月11日の放送は、まず「最新ドキュメンタリー 目的地なきシュプール」と題し、クライバーの演奏に関わったフムロデューサー、オケのメンバー、メイク担当、後輩の指揮者、そして実の姉さんが登場し、リハーサルの映像や実演の映像を見せながら、当時の状況を振り返るという構成。

ここで採り上げられたリハーサルや実演の映像は若い頃のものが中心で、何れも断片的だったが、断片的であってもその凄さは十二分に伝わるもので、確かにメキメキ頭角を現してゆく存在だったと分かるもの。バレエのように見えた優雅な指揮ぶりも、実は丹念に計算され尽くしていて、鏡を見ながら「どうしたら、より優雅に見えるか」を常に研究していたらしい。また、通常の指揮者とは異なる棒の振り方をしたが、それでいてテンポの指示は全く的確だった由。

さらに、父であるエーリヒ・クライバーの演奏が常に最上のものと思っていて、自分が中々その域に達しないことを嘆いていたとか。

こんなエピソードの後、1991年のウィーン・フィルとの演奏会。曲目はモーツァルトの36番と、ブラームスの2番。
ドキュメンタリーに出てきていた当時と比べて年をとったということもあってか、また、その当時の映像を見たあとということもあってか、心なしか動きが硬くなり、乗っていないように見えたモーツァルトだったが、ブラームスは良かった。

そして、1992年のウィーン・フィル ニューイヤーコンサート。これが大収穫。
まず第1に、ハイビジョン規格による放送だったということ。今みたいに地デジによってハイビジョン画質が当たり前のようになっている時代とは違い、1992年の時点で本当にハイビジョン規格で録っていたとは驚きで・・・リマスターとは表記されていなかったので、元の録画だと信じるのだが・・・毎年の元日に放送されているニューイヤーコンサートと同等の画質で、20年近く前のものが楽しめるという、この上ない贅沢を味わえた。
私は持っていないが、このときの演奏は、CDでは出ている。

第2に、私の好きな「千一夜物語」と「天体の音楽」を採り上げたこと。
とくに「天体の音楽」は、もともとサントリーが、その昔、オールド(妙な単語重複!)のCMに序奏部を使ったことによって知り、その後全曲を聴いて大好きになった曲である。
作曲者はヨーゼフ・シュトラウスで、ヨハン2世の弟だが、ヨハンよりヨーゼフの方が才能があるのではないか、と、この曲によって思うようになったのである。いや、もっと強く言うと、確信するようになった。

ニューイヤーコンサートでは、1987年にカラヤンが採り上げたとき以来、このクライバーのとき以降、やったのかどうか。

やった、やっていないは別にして、「天体の音楽」は、カラヤンとクライバーによる、何れもニューイヤーコンサートにおける演奏がベストだろう。
そう言えば、クライバーはカラヤンを、半ば毛嫌いはしていたが尊敬の念の方が強く、ザルツブルクに行ったときは、カラヤンの墓参りをするのが常だったと、先のドキュメンタリー「目的地なきシュプール」で証言している人がいた。意識して採り上げたのかも知れない。

ニューイヤーコンサートにおけるクライバーの指揮ぶりだが、始めの方は、硬いというか、何か乗り切れない感じだったが、後半にかけて、次第に熱を帯び、体も動きを増し、健在ぶりを見せたように思う。

何しろ「プレミアムシアター」は、4時間に及ぶ番組である。いくら録画して日中に見たとしても、通して聴くのはさすがに疲れる。
録画したものを2日に分けて聴いたが、クライバーの凄さを再認識でき、もうこんな指揮者は二度と現れないのだろうと思った。

見逃した人は、また、まだこの人の演奏を聴いたことのない人は、是非ともCDなりDVDなりを手元に置いて、聴いたり見たりして欲しい。

ちょっとカゲキなクラシック評論」さんも同趣旨のことを書いておられるのかと受け取ったが、この人の指揮ぶりや演奏の凄さは、自ら接してみないと説明しづらいし、自ら接したら、必ず凄さが分かると思う。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートだが、カラヤンの時のものしかCDは持っていない。
最近、ニューイヤーコンサートというものに殆ど関心を持てなくなってしまった。カラヤンの後、余りにもつまらない演奏ばかりになってしまったと感じていたためである。
このため、クライバーのときのものを見逃していたのだが、クライバーの時のものは、こうして録画できたわけだ。

だから「カラヤンとクライバー以降、ニューイヤーコンサートはつまらなくなった」と言い替えることにする。
この二人以降、もうこんな人は現れないのだろう。

2011年4月15日 (金)

NHKクラシック プレミアムシアター クライバー演奏会

NHK教育でやっていた「芸術劇場」が、2011年3月限りで終了した。

この番組では、演劇などもあったがクラシック音楽を放送する日があり、楽しみにしていたので、チャンネルの改変によってどこに行くのかと思っていたら、BSプレミアムで「プレミアムシアター」と称する番組があり、どうやらこれが、「芸術劇場」を継ぐものらしい。

その中で4月はクライバーと小澤征爾をやるらしいということは、本仮屋ユイカが担当する番宣で知っていたが、通常の地デジチャンネルを見るのに忙しく・・・というよりも大震災の報道が続いて暗い気持になっていた最中だったこともあって、4月2日(土)に放送された分は、チラっと見ただけであった。
いや、気がついたのだが、気がついた時は番組の途中であって、録画予約をしていなかったので、途中で諦めたのである。

何しろ放送されるのと同じ時間で見ようとすると、日を越して未明に及んでしまう。「芸術劇場」もそうだったが、録画してあとで見る方がいい。

私はDVDレコーダもBDレコーダも、テレビから音を出すのと、オーディオシステムから音を出すのとを選べるように配線していて、録画して日中に見るのであれば、場合によってはオーディオからガーンと大音量で聴くこともできる。放送時間帯と同じ時間にそうするのは、サスガに気がひけるというものだ。

そんなことで、ようやく4月9日の放送分は全て録画して、あとで見ることができた。

結論として、4月2日に放送された分より、内容は濃かったのではないだろうか。
4月2日は、1986年5月2日の来日公演で(於 昭和女子大学人見記念講堂)、ベートーヴェンの4番と7番がメイン。

それでも4月2日の放送時、4番と7番、そしてアンコールの「こうもり」序曲と「雷鳴と電光」は、見たし、改めて凄い演奏だと思ったのだが、ベートーヴェンの4番と7番はCDで持っているし、「こうもり」序曲は、「こうもり」全曲の形でLD(DVD化されているが新品の入手は困難か)を持っている。
録画できなかったと言っても、まあ諦めはつくというものだ。

それに対し、4月9日放送分は、秘蔵映像?を交えた、遙かに充実したものだった。

(この稿続く)

2011年4月13日 (水)

N響アワー 司会者(アナウンサー)交代

新年度から、N響アワーの司会者(アナウンサー)が交代した。

前任者の岩槻アナに惚れ込んでいただけに、残念でならない。新任の黒崎アナは、西村と、どのように噛み合わさってゆくのだろうか。

4月3日と10日の放送については何れ別の日に書くが、2回だけ見た感じでは、まあ、余り悪化はせずに済んだ、という処だ。
「悪化は最小限で済むかもしれない」と言い替えた方が良いか。

交代に伴って両アナのプロフィールが番組のホームページに掲載され、比較することができた。
改めて驚いたのは、岩槻アナは、ヴァイオリンを幼い頃から習い、大学オケで弾いたこともある、ということ。
何度か目を通しているはずなのに、今さら気がつくのは我ながらウカツだった。

楽器をやっていた、というのが大きなポイント。しかもヴァイオリンであること、そして大学のオケに入っていた、という点は特筆して良いことだ。

こうしたことを経験している人は、オーケストラの演奏や色々な作曲家の特質について、自分なりの感じ方、考え方ができている。クラシック音楽の楽しさも、深さも知っている。だからこそ、西村とのやりとりについて、時折「オッ」と感心する発言を返したり、彼女自身が番組内で深く音楽に入り込んでいたことが見てとれる表情をしたりできるわけだ。

後智恵になるが、そうした素養があるかどうかは、何となく分かるものなのである。

私も楽器をやっていたことがある。
大学オケこそ入らなかったが、中学、高校とブラスバンドに入っていたし、幼い頃にはヴァイオリンを習っていた。浪人時代から暫くの間、独学でピアノで遊んでいたこともある。高校時代、所属していたブラスバンド用に、総譜を書くまねごともやった。
音楽鑑賞において「総譜」を手元に置いて聴くこともある、という習慣も、当時の同級生の影響による。

ピアノやヴァイオリンを弾く女性演奏家に弱いのも、こうしたことの影響なのだろう。いや、演奏家に限らない。女性として。

黒崎アナのプロフィールによると、舞台芸術には関心があるが、クラシック音楽には余り接してこなかったようである。
どの程度、期待に即して踏ん張ってくれるか、怖いような、楽しみなような、という処である。

2011年4月11日 (月)

名曲探偵アマデウス 2011年3月20日 マタイ受難曲

BS2で上記の日時に放送されたのだが、3月11日の大震災から10日ほどしか経っていないときである。
こうした心理的状態のとき、この曲を部分的にせよ聴くことになるとは思わなかった。人によっては慰めともなるだろうし、却って悲しみを増幅させてしまいかねない曲である。聴き方によっては厳しい曲なのである。

この曲の凄さについては、これを初めて通して聴いたときに最初の1音から感じ、キリスト教の音楽だがキリスト教を大きく超えて理解し得る旨を、「題名のない音楽館」の「音楽は『マタイ』で終った?」に書いたことがある。

そこに書いていないことを一つだけ加えると、崇高さ、気高さとともに、人間につきまとう裏切りや哀しさというものが、キリスト教とは関係なく誰でも共感できる、という点である。
イエスがペテロに、「お前は今夜、私を『知らない』と3度言う」と予言し、ペテロが「そんなことはありません」と否定したが、イエスが捕らえられたとき、街の人々から次々に「お前はイエスと一緒に居ただろう」と聞かれると、「そんな人は知らない」と3度言い、後で自分の弱さを悔いやんで激しく泣いた、という有名な件(くだり)・・・マタイ伝第26章34、35 及び同69-75・・・などは、その代表的な例だ。

また、「音楽は『マタイ』で終った?」にも書いた通り、永らく埋もれていたこの曲の楽譜を少年の頃手に入れて、後に再演にこぎつけたメンデルスゾーンの才能にも脱帽するばかりである。

さらに、これは番組内でも言及していたが、同じメロディーが・・・最大6回だったか・・・何度か繰り返し出てくる。番組ではこの繰り返しの意味について分析していたが、私なり言うと、同じメロディーが間を置いて何度か出てくるのは、心理学で「間歇刺激」というものにあたり、学習効果を上げるのに有効に作用するのである。
まあ、単純に言うと、ときどき聞いたことのあるメロディーが出てくると、覚えやすいということである。そして、音楽の中でこれが行われると、一種のトランス状態をも導くことになる。要は「ハマる」のだ。

だから「題名のない音楽館」内の「語り部多くしてオペラ敬遠さる?」や「汝、まず長きより始むべし」にも書いたが、却って長い曲の方が早く自分のものになる、ということがある。長い中にときどき出てくる、聞いたことのあるメロディーにより、そこが核となって段々と全体が見通せるようになって行くし、やがてはハマって行くことにもなる。

番組内の楽曲分析では、メロディーの中に「神」やバッハ自身の刻印が刻まれているなどの説も展開されていたが、私は、そうしたことに余り価値を置かない。考えすぎではないかと思う。

まずは虚心坦懐に聴いてみることをお奨めする。番組内でやっていたバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏も良いが、より「人類の財産」と称してよいのは、リヒター指揮によるものである。

ところで、この番組は毎回ごとに「事件ファィル」としての番号が振られているのだが、今回は事件ファイル番号89。
この回を通して、家賃滞納により大家からオフィスの立ち退きを要求される、というのがコント仕立部分の状況で、結論としては、どうやら立ち退いてしまうことになりそうだ。
中途半端な「89」というファイル数だが、どうやらこの回が最後になるようだ。

新年度からは「セレクション」という形で新装なった「BSプレミアム」で放送される由だった。

2011年4月 9日 (土)

マーラーの3番は大災害に配慮して放送延期の必要あったのか?

大震災のあった3月11日以降、数日間は全てのテレビもラジオも、震災の続報や安否情報一色になってしまった。

N響アワーの3月13日放送予定は、マーラーの3番だった。
で、3月13日は放送自体が休止となったので、これは仕方ないかと思ったのだが、3月20日も3月27日も過去の再放送で済ませたのはどうも解せない。そのまま、女性アナが黒崎めぐみに交代し、新年度としての4月の放送に雪崩れ込んでしまった。

岩槻アナに殆ど惚れ込んでしまっていただけに、彼女の最後の挨拶など聴きたかったのだが・・・。

まあ、オクラ入りさせたのではないらしく、5月29日にちゃんと放送するというのだが、そうすると、震災の直後にはふさわしくない曲だとして、3月13日に放送するのを避けたのだとしか考えられない。

しかし、マーラーの「3番」って、そんな曲だろうか。震災に配慮して延期せざるを得ないような曲だろうか。

100分もかかる曲なので、どの楽章を抜粋するのかは分からないが、第5楽章と第6楽章は外さないはずだ。

これは私の「題名のない音楽館」の中の「マーラーの交響曲について」の「第3番」でも言及しているのだが、ニーチェの「ツァラストゥストラ」に基づく第4楽章こそ少し怖いが、続く第5楽章の女性合唱と子どもの合唱、そして豊かな愛に溢れた第6楽章とも、マーラーとしては「毒」の少ない方で、震災の後で聴くのも決しておかしくない内容であり、曲だと思う。むしろ、大きな慰めと・・・こんな表現は使いたくないが・・・いわゆる「癒し」となるはずの曲ではないか。

そして、同じページで紹介している通り、演奏はバーンスタイン指揮ニューヨークフィルのものがベスト。

2011年4月 7日 (木)

大震災の報に接して聴いた「大地の歌」

2011年3月11日は、歴史に残る大災害の日として、永く語り継がれる日となった。

この音楽評のブログで、当日、余りの事態に、一両日休む旨を書いたのだが、次々に報じられる映像の凄まじさに驚き、衝撃の余り何もする気がしなくなり、そのままの気分が続き、結局1ヵ月近くの休載となってしまった。

こうした中、無性に聴きたくなったのが、マーラーの「大地の歌」。
この曲の私にとっての決定盤はワルター指揮ウィーンフィルのものだが、余りにも毒が強いかと思い、2月23日に触れた、広上淳一指揮による、N響アワー(2011年2月13日放送)を録画したものにした。それも、第6楽章「告別」だけである。

ブロムシュテットが、この曲についてだったか、「9番」についてだったか、「辛さだけなく、生きることの喜びが含まれている」と言ったことがあり、「毒」のないマーラーなんてマーラーではないと信じる私は、「何を言ってんだか。だから『健康的な』マーラーを演奏する人は困ったものだ」と思ったものだったが(どこかで書いたような気もするが)、この大災害の報道のあとに聴くと、確かにそんな聴き方もできるとも思うことができた。

友と別れたあと・・・・恐らくこの友は、死を覚悟した、永の旅に出るのだ・・・春になれば美しい大地が廻ってくる、永遠に・・・という主旨の歌詞、そして途中のメロディーの美しさには本当に泣かされた。

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