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2011年3月

2011年3月11日 (金)

東北・関東大地震のため休載

本日の記事を書こうと、パソコンの前に座って、材料を手元に置いたときである。
何かユラユラと気味の悪い横揺れを感じた。
いやだな、椅子に座っていてめまいを起こす年齢になったか・・・と一瞬思ったが、どうも違う。

ひょっとして地震? と思い直し、テレビを見たら、とんでもないことになっている。

このブログの発信地は奈良なのだが、奈良の震度など表示されるような状況ではない。

東北と東京には、親戚知人が多数居るのだが、安否の確認はできない。

落ち着いて記事を書くような気分にはなれないので、少なくとも一両日は休載とします。

2011年3月 9日 (水)

辻井伸行のラアマニノフ2番 良い演奏には違いないが・・・

2010年3月5日の記事で、辻井伸行による「展覧会の絵」を紹介した。良い演奏だが、若干の物足りなさを感じる旨を書いた。

で、買ったまま放置していた「ラフマニノフ ピアノ協奏曲2番」を取り出して聴いてみた。
佐渡裕指揮 ベルリンドイツ交響楽団との共演。

これはかなり良い。オケの音色にもよるのだろうが、冒頭の部分、弦の響きが、これほど低く、暗く演奏されている例は余りない。そこにピアノが良いバランスで入ってくる。
そう、この曲はこう書かれているのだ。この曲を見直すことのできる演奏だと言える。CDの出来としては、「展覧会の絵」よりも優れていると思う。

しかし、どっちかと言うとオケの方が勝った響きであり、「普通に良い演奏」と言う以上のものではないし、以下でもない。

実の処、私は、ラフマニノフの協奏曲では2番よりも3番の方が好きだし、協奏曲と名付けられてはいないが、「パガニーニの主題による狂詩曲」の方がもっと好きだ。
もちろん私も、聴き始めたのは2番からで、色々な演奏を聴いてきたが、ある意味、聴き飽きたのだ。

そう感じ始めていたとき、「3番」をアルゲリッチが演奏した極めつけに凄いものが出て、「3番」をよく聴くようになったのである。いや、「3番」は、アルゲリッチでないと聴く気がしない。
今は信じられないほど安価で入手できるようだ。
まだ聴いたことがない方、是非とも聴いてみて欲しい。
第3楽章のテンポの速さったらない。そして最終部に向けての盛り上がり。
これに近いテンポで弾いた例としてはラン・ランがいる。しかし「凄味」という点で、アルゲリッチの比ではない。

辻井伸行の「2番」は、クライヴァーン・コンテテストで優勝した直後に、話題性ということもあり入手していたのだが、放置していたのは上記の事情による。

いや、実は、「2番」を再発見させてくれた演奏には、もう少し前に接していた。だから、余り期待しないでおこうと思ったりもして、聴かなかったのだとも言える。

エレーヌ・グリモーによる演奏である。
アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演。

クルマで移動中、ラジオで流れていたのだが、第1楽章の途中や、第2楽章の途中、何ともないようなメロディーで、泣けてしまったのだ。この曲がこのように鳴らされるのは初めてだった。

で、早速手元にCDを取り寄せたのだが、これも同様、「2番は飽きた」モードで、放置していた。
辻井の演奏を聴いたので、グリモーの演奏もちゃんと聴いてみよう、ということで、改めて全曲を聴いて確認した。

やはり、この方が数段良い。ラジオで聴いて泣けた部分と思われる箇所で、同様に泣けてきた。
全体の音の響きは辻井盤の方が優れているのだが、ピアノとオケの音量バランスはグリモー盤の方がより適切だ。飽きた曲なので今後何度も聴くことはないだろうが、聴くとしたら、迷わずグリモー盤を手に取るだろう。

それよりも、この「2番」が使われた映画のDVDを、何れの日にかは手に入れたいと思っている。DVDでなくとも、テレビで放送されることがあれば、何とか見たい。「七年目の浮気」は見たことがあるので、「逢びき」だけで良い。

この曲は、まず「逢びき」に使われ、それをパロディーとして使う形で、「七年目の浮気」に使われた。
後者が、マリリン・モンロー主演で、地下鉄の排気口の上でモンローのスカートがめくれ上がる有名なシーンのおかげで、この方が有名になってしまったのだ。これはテレビで放送されたことがあり、ちょうど見ていた。

2011年3月 7日 (月)

N響アワー 2011年3月6日 ベートーヴェンV協

かつてこのブログのどこかに書いたのだが(探せないのでリンクさせないが)、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が、退屈な曲だと思うようになって久しい。

その記事は、2009年6月7日のN響アワーで、ムストネンがこの曲のピアノ版を弾き振りしたときのもので、「この曲はピアノでやった方がむしろ良いのかも知れない」といったことを書いた記憶がある。

実は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をベートーヴェン自らがピアノ版として編曲したものの存在は知る人ぞ知る曲なのだが、どちらかと言うとゲテモノ扱いされていて、コンサートで採り上げる人は殆どいない。だからムストネンが弾き振りした演奏で、かえって「オッ」と感心したのである。

退屈な曲という印象はその後も変らず、少なくとも積極的に聴く気にはなれないでいた。
だから、今回のプログラムも、「まあ、せっかく録画してあるのだから」という、消極的な理由で聴いたにすぎない。

ところが、実に面白かった。
この曲、結構いいかも知れない。

これまでに聴いた演奏と何がどう違うのか説明し難いのだが、退屈することはなく、楽しく聴けた。この曲で退屈しなかったという経験は殆どない。

こんな経験をすることがあるから、クラシック音楽は汲めども尽きないわけである。また、こんな経験をさせてくれた演奏家に注目してゆくことになるわけだ。

ラクリンのヴァイオリン、チョン・ミョンフンの指揮。
2011年2月5日、NHKホールにおける演奏。

2011年3月 5日 (土)

辻井伸行 展覧会の絵

2010年2月25日付でN響第1692回定期に関する記事を書いた際、「展覧会の絵」については、「ラヴェルによる余りにも巧すぎる管弦楽編曲版よりも、原曲であるピアノ独奏による演奏を好む」と書き、続きとしての2月27日の記事で色々な演奏形態のCDを挙げる中、辻井伸行によるCDを見つけた旨、併せて紹介した。

で、入手し早速聴いてみた。
結構良かった。

全体としてややゆっくりしたテンポで、堂々たる演奏だと言い替えてもいい。
リストの「ため息」と「リゴレット・パラフレーズ」が併せて収録されていて、これがまた超絶技巧の曲だが、リストの、無闇に音符がたくさん書き込んであるように見えるのを、「リストはこの音を求めて音符をたくさん書き込んだのだ」と分からせてくれる、流麗な演奏。
この、リストが収録されていることだけで、手元に置いておく価値が十分ある、と言って良いだろう。

「展覧会の絵」もさることながら、リストの曲など、楽譜を見ずにどうやって暗譜(表現としては変だが)したのだろう、とつくづく感心する。

しかし・・・敢えて「しかし」なのだが、「展覧会の絵」については、もう少しグロテスクさや狂気じみた音も欲しい処である。この曲には鬼気迫る要素もあるはずだ。辻井の演奏は、まだまだその域には達していない。

というか、ネアカな人だし人生経験もまだ浅い処から、まだこうした曲の暗く深い面を表現し切るには早い、ということか。リストなどは、テクニックと共に、彼の優しさが良い方向に合い、ベストに近い演奏だ。

そこで、「展覧会の絵」について、2月27日に併せて紹介したアシュケナージ盤を聴き直してみた。

すごい。
これは凄い。改めて、この人が、ピアニストとして超一流だと再確認した。

ポリーニとかアルゲリッチがデビューした前後、即ち、まだ現在ほどにはビッグネームではなかった頃、比較的若い世代に属するピアニストとして挙げられていたのが、このアシュケナージなのだ。ショパンやベートーヴェンも聴いたが、この「展覧会の絵」は、それらに勝るとも劣らぬ超名演だ。

辻井と比べると若干早めのテンポで進んでゆく中、あるときは厳しい表情を出し、また上に書いた狂気じみた処や鬼気迫る箇所も多く、静かな曲では深い哀しさ、または淋しさを感じさせてくれる。

辻井伸行の今後が楽しみだし、彼のCDも良いが、併せてアシュケナージ盤でも聴いてみることをお奨めする。

2011年3月 3日 (木)

N響アワー 2011年2月27日 戦争レクイエム

「デュトア、大作の挑む」と称して、ブリテンの「戦争レクイエム」から第1部、第2部、第6部が演奏された。

実はこの曲、作曲された直後に作曲者自身が録音したものを、ラジオで聴いたことがある。ちなみに、例によって「クラシック音楽作品名辞典」で調べると、作曲は1960年から1961年にかけて行われ、1963年に初演されている。

そして、作曲者自身による録音が1963年で、発売当時、レコード誌でも激賞されていた。これはCD化されて現在まで名盤として語り継がれている。

作曲され、作曲者自身による録音が出てきた当時は、冷戦のまっただ中であり、第3次世界大戦の勃発も、十分あり得た状況となっていた。

1962年10月には、キューバ危機があった。キューバにソ連がミサイルを配備していたことに対抗し、アメリカが海上封鎖で応じた事件である。
1963年にはジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺され、1964年のトンキン湾事件を契機に1965年からは、アメリカの北爆(当時南北に分かれていたベトナムの、北半分=北ベトナム に対して米軍機が無差別爆撃を実施したもの)が開始された。

そんな混沌とした国際情勢にあって、この曲が発していたメッセージは、率直に言ってよく分からなかった。
分からなかったと言うよりは、分かるには荷が重すぎたと言うのが正確かも知れない。

録音の発売された当時、レコード誌で「ラテン語の典礼文とオーウェンによる反戦詩が交互に歌われ 云々」と解説され、「ブリテンが後世にまで残る大作曲家になったと言える作品」と激賞していたが、そうした音楽的な意義についても、十分に分かったわけではなかった。

クラシック音楽を本格的に聴き始めてまだ日も浅かったし、何と言っても、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレによる「レクイエム」という曲種を、まだどれも聴いたことがなかったのだから、ある意味で仕方がないことではあった。そして、その後この曲をちゃんと聴いたことはなかったはずだ。

で、今回の番組で、改めてこの曲の凄さを知ることとなった。
西村朗が、オーケストラの楽器配置図を示し、外側に配置された大管弦楽と合唱が本来のレクイエムの部分を担当し、内側に配置された小管弦楽と独唱がオーウェンの詩を担当する、と解説していたので、よりよく理解を深めることができた。

しかも、曲の終わりにかけて、レクイエムの部分と詩の部分が融合・呼応し合うようになり、盛り上がり、やがて静かに「アーメン」の繰り返しで終るあたり、この曲でないと得られない体験をすることになる。
・・・と思って聴いていたら、曲の終了後に岩槻アナが、この部分の凄さについて語っていたので、サスガと感心した。やはりこの人でないといけない。この曲について、このように語れるアシスタントは、これまでのN響アワーの歴史には存在しなかった。

この曲が発するメッセージにも拘わらず、戦争のない世界はまだまだ来る様子はない。だからこそ、もっと演奏されるべき曲だ。

2011年3月 1日 (火)

題名のない音楽会 2011年2月27日 舘野泉

舘野泉はシベリウスの演奏で定評のあるピアニストだったが、脳出血により半身が不自由になり、その後左手だけで演奏するピアニストとして復帰した。

この日演奏したのは、吉松隆がカッチーニの「アヴェ・マリア」を左手用に編曲したもの等だったが、何と言ってもメインはラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」だろう。
忌憚なく書けば、私の見た処、「衰えたなあ」ということに尽きる。

この日本で、「左手のためのピアノ協奏曲」を、本当にこの曲を必要とするピアニストによって演奏されるのを見聞することとなるなど、思いもしなかった。それだけに期待も少ししたのだが、オーケストラのテンポとピアノのテンポが合っていないし(ピアノが遅い)、音もかなり外した。

健康であった頃、シベリウスのピアノ曲を中心に弾く人ということもあり、シベリウスのピアノ曲というものに当時も現在も余り親しんでいないこともあり、ちゃんと聴いたことは殆どなかったのだが、黛敏郎時代の「題名のない音楽会」などに出演していた当時の記憶を辿っても、こんなではなかったはずだ。
やはり、衰えたと言うべきだろう。

吉松隆が編曲したものを演奏したりして、業界内では尊敬されバックアップされている人なのだろう。また、テクニックの衰えは隠し切れないのだとしても、それなりに「味」が出てきて良いはずだ。しかし、残念ながら、余りそうしたものは感じることができなかった。

このラヴェルの「左手」は、私が最初に好きになったラヴェルの作品で、両手のための「ト長調の協奏曲」よりもずっと前のことだ。

参考までに「左手」の、私の愛聴盤を挙げておく。
ロジェのピアノ、デュトア指揮モントリオール響の演奏。両手のための協奏曲も一緒に入っている。

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