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2011年2月23日 (水)

N響アワー 2011年2月13日 広上淳一の「大地の歌」

「生誕150年 マーラー交響曲シリーズ」の第10回目で、「大地の歌」である。この曲はどんな演奏がN響として残っているのか分からなかったのだが、聴いた印象は、「へえ、こんな演奏が有ったんだ」ということで、可成り「まし」なものだった。「大地の歌」に限ると、中々良い演奏がないと思っているだけに、「相当良い」と言ってよい。

マーラーの交響曲には毒があり、その毒をさらけ出して見せてくれないと不満が残る、だから「健全なマーラー」なんて、マーラーではない、というのが私の持論だが、この演奏には若干の毒が含まれていたのではないか。

第1楽章と、第4楽章から第6楽章という抜粋で、メゾ・ソプラノが加納悦子、テノールがドナルド・リタカー。2003年11月7日、NHKホール。

第1楽章と第5楽章は、殆ど同じ主旨の歌詞をテノールが歌うのだが、歌詞からして、いかにも「呑んべのおっさん」が歌っているような感じにするのがよい。ドナルド・リタカーは、うまくその雰囲気を出していた。風貌もそんな感じ。

メゾ・ソプラノは若干声量不足を感じさせ、欲を言えばもっと深い響きが欲しい処だが、まあ、余り欲を言っていると、殆ど良い演奏というものに巡りあえなくなるので、若干の我慢は仕方ない処。

何よりも、広上淳一の指揮が良かった。熱を帯びる余りだろう、荒い息づかいがマイクに入ってしまっていたと思われ、若干邪魔にはなったが、半ば狂気じみた熱演。この曲、マーラーの演奏には、若干狂気じみたものが求められるのだ。

さて、もう一つだけ気になることがあった。
第6楽章のタイトルの和訳である。

画面では「別れ」と出ていたが、ここは「告別」とすべきなのだ。
曲の最後、「ミーレ、レード」というフシで終る、即ち、2度下がる音型またはその繰り返しは、ベートーヴェンのピアノソナタ「告別」の音型を思い出させるものであり、それによって「告別」という、この楽章の題名の意味がハッキリするからである。
ベートーヴェンのソナタが「告別」という題名なのだから、それに合せるべきなのである。まあ、この辺りのことは解説に含めて欲しくもあった。この部分について詳しくは、「題名のない音楽館」の「マーラーの交響曲について」の「大地の歌」をご参照ください。

さて、まあ「まし」な演奏ではあったが、やはりベストではない。そしてこの曲のベスト盤は、ワルター指揮ウィーン・フィルのものであり続けている。新しい演奏でこれを凌ぐものが、未だに出ないのだ。
ホームページではリマスター以前のものを挙げているが、新品の入手が困難なようなので、新品の入手が可能らしいリマスター盤をここでは挙げておく。
この演奏を聴いたら、他の演奏は、私のように、聴けなくなるかも知れない。

さて、蛇足。

マーラーのシリーズもあと「第3」を残すだけになった。
これは、最近チョン・ミュン・フンの演奏があったから、早速それを使うのではないだろうか。これはかなり自信のある予想。
どの楽章を抜粋するのか、これは予想しがたい処だ。第4楽章以降だろうか。

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