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2011年2月25日 (金)

N響 第1692回定期 イオン・マリン

BS2で2011年2月25日に放送された今回の定期は、イオン・マリンの指揮によるもの。

この名前とこの顔、どこかで見たナと思っていたら、昨年のベルリン・フィルのワルトビューネコンサートを指揮していた人だと、字幕で紹介していた。これは見た。2010年8月20日の芸術劇場で放送された。

今回の定期のプログラムは、まず「はげ山の一夜」、次いで「クープランの墓」、最後に「展覧会の絵」という順である。

最初がムソルグスキー作曲でリムスキー・コルサコフ編曲、次がラヴェル作曲、最後がムソルグスキー作曲でラヴェル編曲である。より正確には、「クープランの墓」はラヴェルがピアノ曲で作曲したものを作曲者自身がオーケストレーションしたものだから、「ラヴェル作曲、ラヴェル編曲」と称しても良い曲だ。
即ち、オーケストレーションの名人であるリムスキー・コルサコフとラヴェルによる、ムソルグスキーの作品を両側に配置し、ラヴェルが自ら編曲したものを間に挟む、という形である。このプログラムの組み方は面白い。

さて、演奏だが、「クープランの墓」が一番良かった。
この曲、面白さが分かるのに随分時間が必要だった。それは、つい最近のことだと言って良い。

色々な処で書いているので、このブログでも既に触れたかも知れないが、私には、音楽を聴く上での「師」と仰ぐ人が3人いる。「3人」というのは、母と、ヴァイオリンを教わっていた先生を除いてのことなのだが、出会った順序として最も古い「師」から、マーラーやブルックナーを聴くことを教えられた。ラヴェルもその中に入る。
ただ、ラヴェルの面白さが分かるようになったのはごく最近のことで、マーラーやブルックナーよりも遙かに遅い。とくにこの、「クープランの墓」など、その中でも極々最近のことだ。

「展覧会の絵」はよくできた編曲だが、オーケストレーションが余りにも巧すぎる ! 。これがむしろ欠点だと思っている。
私はむしろこの曲は、原曲のピアノで演奏されるのを好む。

そして今回の演奏は、とくに「キエフの大門」など、余りにもテンポが遅く、壮大な感じを出そうとしたのだろうが、むしろそれが空虚に聞こえてしまうのだった。この曲をそんなに大げさに鳴らすことに何の意味があるのか、と思った。

「はげ山の一夜」は、リムスキー・コルサコフの編曲によるもので、その編曲によって世に知られているわけだが、イオン・マリンは、通常聴かれているリムスキー・コルサコフ版に、一部ムソルグスキーの原案=原典版を採り入れたものによって演奏した。
これは上記の、ベルリン・フィルのワルトビューネコンサートでも採用していた。このやり方に拘りがあるのか、好きなのか。

しかし、これはハッキリ言って失敗だと思う。
原典にあるおどろおどろしい感じを出したいのだろうが、結果は何かゴチャゴチャと混乱した、メリハリのない音楽が鳴っただけである。
聴き慣れている版で何となく「次はこう鳴る」と期待していると、全然違った音で展開してゆくのは、結構辛い。

「慣れ」の問題もあるのかも知れないが、そうではないと思う。完成度が落ちてしまっていると思わざるを得ないのだ。

(この稿続く)

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