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2011年2月21日 (月)

名曲探偵アマデウス 2011年2月13日 続き

2月15日の記事の続き。
続きを書くつもりはなかったのだが、付け加えておきたいことが出てきた。

ブルックナーを聴き始めた人が戸惑うのは、音楽がどこに向かっているのか分からず、そしていつの間にか眠くなってしまうことである。

私がもう一つ付け加えたいのは、「旋律らしい旋律が殆どない」ことではないだろうか。

若い頃にマーラーを集中的に聴いているとき、並行してブルックナーも聴き始めたのだが、閉口したのは、この「旋律らしい旋律が殆どない」ことであった。マーラーの旋律の強烈な印象と対比したのでそう思ったこともあるかも知れない。
しかし、今聴いてもブルックナーの音楽は、旋律で引きつける要素が決定的に欠けていると思う。そこは、音型の繰り返しと和声の推移、そしてオルガン的な響きが殆どという音楽空間である。

今回のアマデウスで採り上げた「7番」の第2楽章は、メロディーが良く分かる、数少ない例である。番組でも、「ブルックナーの書いた、最も美しい旋律」と評していた。
ここで鳴らされる旋律は、敬愛するワーグナーの死を予感したブルックナーが、涙ながらに書き始めたという話があり、さらに、実際に訃報に接したとき、コーダの部分を書き足したとも言われている。

そして、番組で説明されて再確認したのが、そのコーダにワーグナーチューバを使用したことの意味である。

ワーグナーチューバは、ワーグナーが自分の音楽で鳴らしたい響きを出すために「発明」したものである。敬意と追悼の意をこめてブルックナーが7番第2楽章のコーダに使ったわけだが、巧まずして、この楽器のくぐもった響きが、深い哀しみを表現するのに最適な響きまたは音色を持った部分となったのである。

ブルックナーが音色というものにどれだけ注意を払ったのか不明なので「巧まずして」と書いたのだが、音色も加味してこの楽器を使ったのだとしたら、凄いことである。

いや、私は、ブルックナーが弟子たちや仲間たちから、善意をもってではあるが、交響曲を作曲する度に、構成やオーケストレーションに関して酷評され続け、本人の意図と関係ない「改訂版」を作られたりしてきたことを知っているため、また、作曲家の生存当時、「素人作曲家」と評されていたことにも知っているため、その知識が「巧まずして」という表現になったのかも知れない。
「音色も加味して、この楽器を使った」と考えるべきなのも知れない。

意図したにせよ、巧まずしてそうなったにせよ、このコーダの響きは実に効果的なものとなった。現代の我々が聴いても理解しやすい、深く悲しい響きとなった。
ワーグナーが如何なる意図でこの楽器を「発明」したのか、今一よく分からない。しかし、こうした使い方をしたブルックナーに対し、「そんな手があったか ! 」と・・・天国においてか、地獄においてかは不明だが・・・喜んでいるように思えてならない。

さて、番組中の解説の一人として、私にとって懐かしい人が出てきた。金子建志である。一時彼の本をよく読んだ。マーラーの交響曲やブルックナーの交響曲を聴き進んでいたとき、随分参考にしたものである。最近余り新しい本を出していないな、と思っていたが、元気そうで安心した。
ここでは、新品は入手し難いかも知れないが、私にとって大いに参考になった2冊を挙げておく。二人の作曲家の、オーケストレーションの推移などについて、驚くべき事実が明らかにされてゆく(内容は、ここに書かない)。また、新品入手が可能と思われる、関連する本も。

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