最近のトラックバック

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

2011年1月31日 (月)

N響第1688回定期 2011年1月16日放送 アヴデーエワのショパン 続き

(前稿からの続き)

さて、アヴデーエワのショパンで何が収穫だったかと言うと、ロシア人らしからぬ演奏センスとでも言うべきだろうか。

予(かね)てから、ロシア人のピアニストは、男女を問わず、音や響きの大きさ、ダイナミックレンジの広さを追求する傾向が大きく、それがともすれば雑な音楽づくりとなってしまうことがある、と見ている。それがチャイコフスキーなどでは良い方向になることがあるが、ショパンともなると、繊細さに欠けた、悪く言えば乱暴な演奏となってしまうことが多い。

しかし、アヴデーエワは違った。

N響アワーでP協1番だけを放送したときもそう感じたのだが、確信するに至ったのは、N響アワーでは放送されなかった、アンコール曲「マズルカOp.67 第4」を聴いたときである。繊細かつ深いマズルカだった。

P協1番では、「こういう演奏をすればいいんだ」と思った。この曲は実は余りにも聴きすぎて、飽きがきているほどで、もはや積極的に聴く気がしなくなっている。それもあってか、誰の演奏を聴いても、心から喜ぶ気がしないのである。いや、しなかった。

しかし、アヴデーエワの演奏によって、この曲もこうした演奏で聴けば、楽しく聴けるのだということを知らされた。よく出来ている曲だと改めて認識できた。
とくに、第3楽章・・・決して良いとは思っていなかった楽章なのだが・・・テンポや弾き方をすこしずつ変えて、どんどん乗ってゆくような表現で、楽しさが伝わるものだった。この楽章が名曲だと気付かせてくれて、結果としてこのP協1番全体が名曲なのだと再認識したわけである。

(この稿さらに続く)

2011年1月29日 (土)

N響第1688回定期 2011年1月16日放送 アヴデーエワのショパン

昨年2010年はショパン・イヤーだったが、中々「これ」という演奏に廻り会わなかった。ショパン・イヤーを意識した番組を見ても、ロクなのはなかった。

仲道郁代による「ショパンのレッスン」は、「初心者にも弾ける」というとを強調する余りに原曲から大きく外れた編曲によるもので面白くなかったし(2010年10月25日の記事)、作家の平野啓一郎による「こだわり人物伝 ショパン」は、作品論の内容から外れた、ショパンが生きていた頃の政治・社会情勢に重点を置いた(置いてばかりいた)ものだった(2010年10月26日の記事)。

少なくとも、仲道郁代を講師として呼ぶレッスンであれば、原曲の中から「これ」というものを選び、弾き方のコツやワザを伝授する内容とすべきだった。年齢・キャリアともまだ若いし、重鎮とは言えないだろうが、十分その資格はあると思うのである。

ただ、演奏については、リーズ・ドゥ・ラ・サールというピアニストを知ったのが大きな収穫だった。まずルイージ指揮PMFオーケストラによるP協第2番の演奏を聴いてスゴイと思い、同じ指揮者によるドレスデン・シュターツカペレとの同じ曲の演奏のCDを聴いて、それが確信となったのであった。彼女によって、ショパンのP協第2番の価値を改めて見直すこととなったし、イチ押し盤としてこのブログの右サイドに常時掲載することとしたのである。

(ルイージ指揮PMFオーケストラの演奏については2010年10月5日の記事、ドレスデン・シュターツカペレとのCDについては2010年11月27日の記事)

さて、これだけが唯一の「ショパンイヤー」における収穫か・・・と思っていたら、年末にもう一つ収穫があった。ショパン・コンクールが開催された年でもあり、優勝者のユリアンナ・アヴデーエワによるP協第1番を聴くことができたのである。
実はN響アワーの2010年12月26日で採り上げられたのだが、年末のゴタゴタと年末年始にわたった休載のため、書く機会を逃していたのだ。

で、1月16日のBS2による演奏で改めて聴いて(この記録が正しいとすれば、年末年始の番組で時々ある変則日時の放送となる。通常毎週金曜日の放送なのだが、16日は日曜だ)、やはり昨年のもう一つの収穫ではないかと改めて思ったのである。

(この稿続く)

2011年1月27日 (木)

名曲探偵アマデウス 2011年1月23日 葬式にふさわしくないレクイエム

BS2で2011年1月23日(日)に放送された「名曲探偵アマデウス」は、ヴェルデイのレクイエムが採り上げられた。

ずっと喧嘩ばかりしていた亡父の葬儀に、この曲をかけるように遺言があったという息子が、「こんな曲をかけたら俺が恥をかく」と言って、代わりの曲を選ぶように依頼してくる、というストーリーである。
依頼者が「恥をかいてしまう」と嫌がったのは、よく知られている「怒りの日」の部分である。

結局は曲全体の流れ、構成などを説明され、またヴェルディがこの曲に込めた願いの深さを教えられ、遺言通りにこの曲をかけることを納得して帰るのだが、今回ほど依頼者の願いに強く賛同したいと思うことはなかった。いくら説明されても、またチョン・ミュンフンなども加わった楽曲分析を聞いても、その気持が変ることはなかった。

よく言われることだが、この曲の、とくにあの「怒りの日」の部分が流されると、驚きの余り死者が飛び起きてしまうのではないか。
まさか死者が蘇ることはないにしても、参列者が驚いてしまうのは間違いないはずだ。いくら曲全体の流れとか構成について説明されたところで、「怒りの日」そのもののインパクトが余りに強すぎ、音楽としては威圧的すぎ、おどろおどろし過ぎる。葬儀に鳴らすのには不適切だ。

モーツァルトと、確かフォーレと、このヴェルディのレクイエムを総称して「3大レクイエム」と称するのだが、曲自体の価値はともかく、ヴェルディの曲は、絶対に葬儀にはふさわしくない。

私は自分の葬式を仏式でやってもらいたくないと以前から思っており、無宗教でやるとしたら、モーツァルトかフォーレのレクイエムをかけて欲しいと思うようになってきている。

若い頃はマーラーの9番と思っていたのだが、余りにも切実すぎ、絶望の淵に堕とさせてしまうような処があり、参列者の中にこうした曲をよく聴く人がいたら、居ても立ってもいられなくなるのではないかと思うようになっていった(マーラーの9番については、私のホームページの「題名のない音楽館」の「マーラー」の「9番」をご参照ください)。

モーツァルトをずっと聴いていた時期、モーツァルトのレクイエムがいいか、と考えた時期もあったが、モーツァルトもやがて辛くなってきた。モーツァルトの音楽に込められたどうしようもない暗さが分かってくると、とくにこの曲などは聴くこと自体がチャレンジングなこととなってしまう。「モーツァルトの音楽は心を癒す」などとたわけたことを言うのが一時流行ったが、そんなことを言う人は、クラシック音楽を聴くのに必要な、何か徹底的なものが欠けている(これ、吉田秀和風の言い回し)。

結局現在は、フォーレの作品、ということに落ち着いている。ヴェルディのは嫌いだし、モーツァルトは優れているが(「3大レクイエム」の中で一番優れていると思っているが・・・本人が途中までし書けず、弟子が補筆完成させたというマンディを負っていても尚・・・作品として聴くのはいいにしても葬儀の参列者にとっては辛く、そして激しい。

フォーレのレクイエムは、涙にくれるだけでなく、和(なご)みをももたらす曲である。私は、これで送って欲しい。

ヴェルディのは嫌いだから持っていないが、モーツァルトとフォーレの演奏で私が持っている盤(その中でベストと考えている盤)を挙げておく。

2011年1月25日 (火)

題名のない音楽会 2011年1月23日 ローマの祭

2011年1月17日の記事で、「名曲探偵アマデウス」で「ローマの松」を採り上げたことを嬉しく思って書いたが、その1週間あとに同じレスピーギの「ローマの祭」を「題名のない音楽会」で採り上げるとは、何と言う偶然だろうか。

番組そのものが1週間しか開いていないのだから、示し合わせて、または参考にして曲目を選べるわけはないと思うので、やはり偶然なのだろう。
そして、「アマデウス」でもやっていたように、「音楽会」でも、レスピーギ自身が描いたプログラムをテロップに流しながら演奏していたので分かりやすかったし、第1部「チルチェンセス」と「主顕祭」の簡単な楽曲分析をしていたのも良かった。

大きく異なるのは、シエナ・ウィンド・オーケストラによる吹奏楽版だという点。

最近吹奏楽コンテストでこの曲を選ぶ学校が増えたとのことで、見本演奏を兼ねてという意味がある。まあ、これはこれでも良いだろう。オーケストラの曲を吹奏楽に編曲して聴いて、弦楽器がないことにイライラすることが余りないのは不思議だが、吹奏楽版にしてもそれなりに聴ける曲を選んで編曲しているのだろうし、それなりに聴けるように編曲しているということなのだろう。

「祭」とともに「松」も吹奏楽コンクールなどでよく採り上げられているように思う。これなどは冒頭の弦楽器主体のきらびやかな音色が管楽器だけだと少し無理があるようにも思うが、どのような音になるのか、聴いたことがあるのに記憶にはない。「無茶をするなあ」と半ば呆れているだけで、記憶に残る演奏ではなかったのだろう。

さて、先の記事で、「松」の、とくに「アッピア街道の松」が、ハリウッドの歴史物のスペクタクル映画に多大な影響を与えたと書いたが、この「祭」の冒頭の「チルチェンセス」も、皇帝ネロがキリスト教徒を迫害するため猛獣と闘わせたというクダリ、とくにアァンファーレは、まさにハリウッド映画そのものだ。

さて、この曲も、私は「松」と同様に、ムーティー盤とデュトア盤で聴いている。「松」ほど好きではないのでスコアは持っていないが、これも同様に、最近では国内版で安く入手できるようなので、併せて紹介しておく。

ひょっとして吹奏楽版を聴き慣れている人の方が多いかも知れないが、であれば是非ともオーケストラ版を聴いてもらいたいし、スコアを吹奏楽版と見比べてみて欲しい。

2011年1月23日 (日)

NHK-FM2011年1月23日 大フィル青少年コンサート2010

記事を書こう書こうと思いながら、FMチューナーのアンテナを替えたことに伴う受信チェックにかかった処、標題の番組に出会い、聴きこんでしまい夕方になってしまった。

これは14時から18時までのワイド放送で、前半は京阪神の主要オケが代わる代わる出てきて演奏するという主旨のもの。NHKならではの贅沢な企画である。

実は後半から聴き始めた。後半は「大フィル青少年コンサート2010」である。2009年の青少年コンサートは聴きに行ったのだが2010年は行かなかったので、どんな具合か聴いてみようと思っているうちに聴きこんでしまったのである。

「スポーツに関する音楽」ということで、行進曲がメインかと思っていたら、チャイコフスキーの「花のワルツ」など、強引にスポーツに結びつけてしまったりしていたのだが、「トランペット吹きの休日」など実にうまいと思った。とにかく、コンサート全体を通じて安心して聴けるのである。

大植英次になってからの大フィルの音を聴いたことがなく、朝比奈の末期のときの音は一緒に聴きにいったことのある妻に、聴くように勧めたら、やはり良くなったとの感想だった。

「安心して聴ける」ということは、意外と、オケの常任指揮者として求められるにふさわしい大きな要素なのである。

2011年1月21日 (金)

N響 第1683回定期 堤剛は過去の人

BS2の「クラシック倶楽部」で、2011年1月7日放送。

実は、聴くのを途中でやめた。
最近こうした番組に余り出てきていなかった、過去に活躍した演奏家が、久しぶりに登場したとき、ロクな演奏をしない、という経験則があり、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を堤剛が演奏する、と出たので、期待しないで一応聴いて見ようか、と聴き始めたのである。しかし、見事に!?期待を大きく下回るものだったので、途中で止めたのだ。

過去には日本を代表するチェリストのように謳われ、それなりに活躍した人だが、演奏会の回数を減らすとダメになってしまうのか、それとも、元々大したひとはないのに持ち上げられ過ぎたのか。
彼が活躍していた頃と比べて、遙かに優れてチェリストの演奏をナマに限らず録音などでも聴く機会が増えたためか。つまり、「日本人のチェリスト」としては良い方に部類されたとしても、世界レベルでは、元々大したことはなかったのか。

とにかく、音程は外すし、大げさな自己陶酔型の演奏スタイルでありながら殆ど説得力はないし、全くダメだった。とにかく聴いていてイライラするだけだったので、途中でやめたのだ。何れにせよ、既に過去の人だと考えてよい。

この曲の前にはサンティによって「イタリア」が演奏され、N響アワーの2010年11月21日に放送された。2010年11月21日付の記事に書いた通り、これは名演だった。その後にこれだからなぁ。

久しぶりに演奏会に出て、ひどい演奏しか披露できないというのは、弦楽器奏者に多いように思う。江藤俊哉の晩年もひどかったし。
聴衆は厳しいものである。何時までも過去の栄光と共に聴いてくれるわけではない。とは言え、アンコールも演奏されたみたいだから、当日の会場はされなりに盛り上がったみたいだが。。。 だから、N響定期の聴衆というのが今一信じられない思いが時々するのだが。

ところで、この日のチェロ協奏曲が、次回2011年1月23日のN響アワーで放送されるそうである。

N響アワーは全て録画・保存しているので、これも録画・保存するが、「全てこれからは地デジのハイビジョン規格で録画」という方針は撤回するつもりだ。
ときにはこうした愚演が放送されることもあるのがN響アワーであり、そうしたものまでハイビジョン規格で録画し、BDに保存するのは、もったいないと思うためである。
アナログ放送が終了したら、また考え直すこととして、とりあえずは従来のアナログ規格の保存と、地デジ規格の保存の、両方を並行して使い分けるしかないようだ。

2011年1月19日 (水)

N響アワー 2011年1月16日 マーラー「復活」

N響アワー2011年1月9日」の記事でも書いたが、シュテンツ指揮による「復活」の演奏。

この演奏は第1686回定期のもので、定期の演奏はBS2で放送されたものだったので、音声も映像も最善のものではなかった。
そこで、BDレコーダ導入後初めてN響アワーを録画するのが楽しみだった。他の番組を見る関係で、どうしても後から録画で視聴するしかないためである。

最初、テレビからの音で聴きかけたのだが、やはりマーラーとなれば、大音量で聴きたい。そこでオーディオシステムに切り替えて、大音量で聴いた。地デジによる高画質の放送を37型ワイドの大画面で見て、音はオーディオで聴く。これが、我が家における現状で最善の視聴方法である。

何という贅沢。何と言う幸福。

私は「題名のない音楽館」内の「マーラーの交響曲について」の中の「第2番」でも書いたが、マーラーがこの曲だけ残したのだとしても、音楽史に残ったと思っている。それほど素晴しい、また格別の体験をさせてくれる曲である。だが、中々「これ」という演奏に廻り合わないのも事実だ。ワルター指揮またはバーンスタイン指揮で、何れもNYフィルを振った演奏を超えるものはない。

超えるものではないが、シュテンツの演奏は、十分良かった。

会社時代、オーディオと映像をシステマチックに融合させた商品の企画に携わったことがあった。その当時、画面はブラウン管の29型程度が最大で、当然画質も現在のものとは比べようがないほどプアなものだった。オーディオの方は既にそれなりの音を出せたので、「これは、映像の方が全てハイビジョンで撮影・放送されるようにならないと、オーディオが勝ち過ぎて、システムとしては無理があるねぇ」などと仲間と話したものだ。

それが、大げさではなく「生きているうち」に実現してしまったわけである。私のシステムは映像が初期の37型で、まだまだ大きな画面が欲しいと思っているし、この放送を視聴して益々その気持が募って居るところだが、それでも、地デジによるハイビジョン画質の大画面と、オーディオの組み合わせで、既に所有している機器だけで満喫することができた。

処で、2010年12月13日付で、このときの定期演奏について書いたときも言及してているのだが、字幕表示される訳語、何とかならないものか。その記事でも合唱の冒頭、

「Aufersteh'n, Ja aufersteh'n wirst du,mein Staub, nach kurzer Ruh ! 」

の訳語を例示して、何でもやたらになめらかな日本語にすればいいというものではない、と書いたが、今回もう一つ気がついたことがある。

ドイツ語を習ったことのある人なら覚えていると思うが、ドイツ語の二人称には du と Sie の二通りあって、du は比較的親しい間柄のときに使い、余り親しくないときには Sie を使う。
du は家族の間またはかなり親しい友人どうし、または恋人どうし。ただ、恋人どうしでも、付き合い始めたばかりの頃であれば Sie 。
英語では I love you の一通りしかないが、ドイツ語では Ich liebe Sich と Ich liebe dich の二通りあり、Sie(Sich)とdu(dich)の使い分けによって微妙に距離感の違いを表すことができるのである。

親しい間柄だけでなく、神が人間に呼びかけるときも、du である。だから、この冒頭部分も du である。

Aufersteh'n, Ja aufersteh'n wirst du, mein Staub

だから訳すとしても、「復活する、そう復活するのだ、私の小さい者であるあなた」ではなく、「復活する、そう復活する、、我がホコリよ」とすべきであり、歌詞の途中何カ所も出てくる「あなた」は、「お前」または「」とせねば、文法的に誤りなのである。

2011年1月17日 (月)

名曲探偵アマデウス 2011年1月16日 ローマの松

2011年1月16日にBS2で放送されたのは、レスピーギの「ローマの松」。

曲の最初が鳴り始めたとき、「ああ、この曲、大好きだった」と思った。やたらに賑やかで華々しく明るく始まるのである。
とにかくツカミが良い。まだ輸入盤の高価なスコアしかなかったとき、それを入手して、冒頭の部分がとにかく楽譜というよりも「模様」みたいになっていて、こう書くとこんな響きになるんだ、と感心したりしていた。現在は国内盤で安価に入手できるので、一度見てみられることをお奨めする。

第3部で実際に録音したレコードで、ナイチンゲールの声を鳴らすというアイデアも面白い。

何よりも、第4部「アッピア街道の松」で、古代ローマの軍勢が歩んで来るような情景は、初めて聴いた人でも興奮を覚えること間違いなしだ。

この日の番組は、「聴くだけでローマ旅行をした気分になれる曲」としてこの曲を選んだという設定もあり、それぞれの部分で描かれている処の実際の情景を映像で見せながら進めて行った。この構成もテレビならではという処だ。

さて、古代ローマの軍勢が歩んで来るように聞える第4部だが、以前から私は、「これは、まるでハリウッド映画のスペクタル場面のようだ」と思っていた。どの映画と特定するわけではないが、古代をテーマにした映画で鳴っていてもおかしくないような響きを持っているのである。

ところが、番組の中で、この部分と特定して言及したわけではなく、この曲全体についてだが、「後のハリウッド映画に多大な影響を与えた」と言っていたので驚いた。共通したものがあるという点では、私の耳が正しかったことになるが、順序が逆だというわけである。

確かに手元の辞典を再確認すると、この「ローマの松」の作曲と初演は、1924年である。ハリウッド映画が大きく花開き、古代をテーマにした大作が次々に登場するのは、戦後のことであるはずだから、ハリウッドの映画音楽の方がレスピーギよりも後ということになる。

私はムーティー盤とデュトア盤で聴いている。最近はデュトア盤の方が多い(現在、新品は入手困難かも知れない)。
デュトアがN響の音楽監督になった当時、N響でこの曲を演奏したことがあり、N響の音が変った、素晴しく良くなった、と興奮を覚えたのが、ついこの間のような気がする。

2011年1月15日 (土)

N響アワー 2011年1月9日

デュトアの指揮で、ドビュッシーの「海」と、ストラヴィンスキーの「うぐいすの歌」の2曲が紹介された。何れも2010年12月4日にNHKホールで収録されたもの。

「海」。

この曲をはじめ、ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲を聴きながら眠くなって聴き続けることができなくなってしまう時期が随分長く続いた。かなり最近になって、ラヴェルは何とか眠くなることが少なくなったが、ドビュッシーにはまだ余り慣れていない、というのが正直な処だ。

ドビュッシーやラヴェルの曲が、まだ聴き慣れていない段階だと眠くなるというのは私だけではなく、周りにも何人かいた。理由はハッキリと分からないが、多くのドイツ音楽のように、音楽の方向がよく把握できる要素が少ないためだろう。また、賑やかというか、やかましい部分が少ないからだろう。

事実、この日の演奏も途中で少し眠くなったのだが、デュトアが振ったときのN響の響きが明らかに違うのに改めて驚き、何とか続けることができた。そして第4楽章の盛り上がる箇所ではちょっとした興奮を覚えたのである。結果としてこの「海」は名演だった。西村朗も絶賛していた。

ストラヴィンスキーの「うぐいすの歌」は初めて聴いた。
曲そのものは意外と面白く聴けたのだが、中国のうぐいすと日本から中国に輸入された「からくり人形のうぐいす」が登場するということが描かれているとのことだったが、どの部分が中国でどの部分か日本製の機械なのか、よく分からなかった。「うぐいす」は、正確には「夜鳴きうぐいす」または「ナイチンゲール」であって日本のウグイスとは異なるので、より分かり辛かったのだろう。

それよりも、この曲が作曲された当時、現在ロボット大国となっている日本を予見していたような設定がスゴイと思った。手元の辞典によると、この曲が原曲のオペラから編集されて交響詩として作曲されたのは1917年。初演は1919年なのである。

さて、ちょっと嬉しいことがあった。

来週のN響アワーは、マーラー生誕150年交響曲シリーズとして「復活」が採り上げられるとの予告があった。
ここで使われる演奏について、私の予想がピタリ的中したのである。

2010年12月13日付の記事に、シュテンツの指揮で、「久しぶりにマトモな『復活』が聴けた」と書いたあと、15日付の記事で、スヴェトラーノフによる「7番」を酷評した最後に、「2番は、シュテンツのものが使える」としていたのである。

第3楽章以降が放送されるとのことで、この切り方も適切だ。既にBS2で全曲が放送されたときに録画・保存しているが、ようやくBDレコーダで地デジ対応の録画が可能となったので、より高画質になった映像との相乗効果も確かめてみたいと思っている。

2011年1月13日 (木)

N響アワー 1993年4月17日 八長調はピアニストにとって嬉しくないらしい

この記事が投稿されるのは2011年1月13日である。タイトルのN響アワーの記事の日付は間違いではない。

地デジ化対策の一環としてBDレコーダを入手し、既存のDVDレコーダとの役割分担をすることにした。
BDレコーダの購入は予定より早くなったのだが、これは大河ドラマ「江」を是非とも放送画質で録りたかったためである。

「N響アワー」「題名のない音楽会」と、この「江」を今後BDレコーダで録ることにして、アナログ放送のものはDVDレコーダに録ることとした。
現在CATVだが、アンテナからの線を分配器で分けて対応した。

DVDレコーダには、以前からもう一つ役割があって、それは昔ビデオテープに録っていた音楽番組等を、DVDに焼き直すというものである。

保管場所が劣悪だったこともあって、保存していたビデオテープの多くにカビが生えてしまったのだ。一見して何ともないように見えるビデオテープでも、白い点のようなものが見えたら、それはカビである。正常に再生できないだけでなく、VTRデッキを壊してしまう怖れがある。従って、そうしたものは捨てるしかない。何とか無事なテープを残し、早急にDVDに焼くことにして既に何年にもなる。

今回の配線替えで、テープからのダビング専用にしていたDVDレコーダを、BDレコーダに次ぐ「準・メイン」の位置づけにしたので、HDDにコピーしただけで放置してあったものを見る機会が増えた。それで、チャプターを切るなどのため改めて手を入れる段階に進めることにしたのである。尚、DVDレコーダはもう1台あり、従来はこれがメインだった。そのDVDレコーダは、別室のテレビ用となった。

こうしてHDDにコピーしただけのものを見ていたとき、上記の1993年4月17日のN響アワーの中で、当時司会をしていた中村紘子が、大変気になる発言をしたので、是非とも書いておこうと思ったのだ。

この日のテーマは「偉大なるハ長調」ということで、モーツァルトの41番などが演奏されたのだが、中村紘子曰く、
「ピアニストにとって、八長調というのは、実は余り嬉しい調ではない。人の手は、5本の指の長さが違っていて、ハ長調だと、黒鍵に触れないように指を縮めて弾かないといけない。ショパンも、『ピアノの練習を始めるなら、ニ長調から始めるべきである。ニ長調なら、一番長い中指が、黒鍵に自然に触れるように手を置くことができるから』と言っている」

これは、2010年11月10日付で「ミニ書評館」で採り上げた「運命はなぜハ短調で扉を叩くのか」で吉松隆が言及していたことと同じである。即ち、ピアニストにとってハ長調は決して弾きやすい調ではなく、むしろ黒鍵の多い調の方が弾きやすいということであり、それはむしろ常識というレベルのものなのだということである。

吉松隆の同著は色々と欠点がありお薦め度は満点にしなかったが、中村紘子の言により、改めて好著だと認識したわけだ。

ただ、そうすると次の疑問が残る。

一つ目は、ピアノの初心者向けのレッスンなどの番組で、基本的に八長調から始めているのは間違いではないのか。以前2010年10月25日付の記事「仲道郁代の 初心者にも弾けるショパン」で採り上げた、仲道郁代のレッスンもそうだった。私はそもそも、何でも八長調に移調して練習するのは誤りだと思っているし、この番組の最大の難点でもあると書いた。

二つ目は、吉松隆の書を改めてジックリ読んだら書いてあったたかも知れないのだが(確か書いていなかったと思うが)、そもそも、何で鍵盤楽器が八長調を基本とし、金管楽器などは変ロ長調が基本なのか、と言う点である。弦楽器はニ長調が基本だ。何でこれだけバラバラなのか。これは改めて別の機会に考えてみたいと思う。

今後も、以前ビデオテープに録ってあった音楽放送から、気になるネタが見つかったら採り上げてゆくつもりである。

2011年1月11日 (火)

名曲探偵アマデウス 2011年1月9日 ラヴェルP協

今回は、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調が採り上げられた。

第1楽章の懐かしいメロディーはラヴェルの生地であるバスク地方の民謡から採られたものではないか、それに続く曲調はジャズの影響、それもラヴェル風に解釈したジャズテテイストと言うべきものだろう、など、色々と解き明かしてくれた。

そして、第2楽章の、少しひっかかりを感じさせるリズムに乗って延々と歌い続けられるメロディーは、左手と右手で異なる調性で、しかも異なるリズムで書かれているとのことで、ラヴェルが緻密に計算して少しずつ書いていった、というエピソードも紹介された。
即ち、第2楽章は、複合リズム(ポリリズム)と複調によって新しい響きを効果的に創り出しているというわけである。

私はこの曲がいつの間にか大好きになっていて、「題名のない音楽館」の「作品を中心に」の中の「この曲大好き」に掲載すべく、資料として総譜も用意していたのだが(現在入手困難)、素人の哀しさで、総譜を見ても、この楽章がポリリズムと複調で書かれているということには気付かなかった。しかも、この曲が好きになっていったのは、この第2楽章が好きになっていったからだと言うのに。。。

この曲がジャズテテイストに彩られているのは、ラヴェルがニューヨークに行ったとき、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーが人気を博して何度も演奏会が開かれていて、ラヴェルが「ジャズとの融合」にクラシック音楽の新たな方向性を感じ、またそれを通じてガーシュウィンと知遇を得たことに由来するとの話もあった。

ガーシュウィンがパリに行ったとき、ラヴェルに弟子入りを願い、それに対してラヴェルが「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、私の弟子になって二流のラヴェルになる必要はない」と言って断ったという話がある。
私は、2010年12月9日の記事で、「ひょっとすると、このときガーシュウィンは自作の「コンチェルト・イン・F」の総譜を見せていたのではないかと書いたが、今回の番組の内容が正しいのであれば、「コンチェルト・イン・F」を待つまでもなく、既にラプソディ・イン・ブルーのときにラヴェルはガーシュウィンの才能を認めていたことになる。

と、ここまで書いて気が付いたのだが、ラプソディ・イン・ブルーはガーシユウィン自身がオーケストレーションしたわけではなく、恐らく現在でも一番聴かれるグロフェの編曲によるものであったはずだ。「コンチェルト・イン・F」はガーシュウィン自身がオーケストレーションしたわけだから、私の想像を撤回する必要は当分なさそうだ。
「自分で、ここまでオーケストレーションしてみたのですが、ラヴェルさん、是非ともアドバイス頂けませんか」といった程度の話はあったと考えても不思議ではないからである。

2011年1月10日 (月)

再開します

年初に数日間休むこととしてお知らせしていましたが、結局10日ほどの休載となりました。

地デジ対策の一環としてBDレコーダを購入したことに伴い、既存のDVDレコーダの配線替えや位置替え、そして予約番組の設定替えなどに意外と時間がかかったことによるものです。

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

書評 資料室

Amazonアソシエイト

無料ブログはココログ