N響 第1685回定期 プレヴィンのプロコ5 最高!
(公演 2010年11月13日。於NHKホール。放送 2010年12月17日 BS2 クラシック倶楽部)
武満徹の「グリーン」、ガーシュウィンの「コンチェルト・イン・F」、そしてプロコフィエフの交響曲第5番が演奏された。この中でガーシュウィンについては2010年12月5日のN響アワーで採り上げられていて、この曲の素晴らしさについて2010年12月7日付けの記事に書いた。
さて、他の2曲だが、武満徹については、私はまだよく分からないので論評は控える。しかし、プロコフィエフの5番は好きで、しかもプレヴィンのCDで好きになったので、改めて歓びを感じるとともに、ナマ演奏を聴きに行けた人を羨ましくも思った。
この曲が1944年に作曲されたという事実だけで、まず驚きを禁じ得ない。第2次大戦のまっただ中なのである。
ちなみに、ショスタコーヴィチと対比すると、ショスタコーヴィチが大戦中に作曲した曲を交響曲だけ見ると、第7番が1941年、第8番が1943年である。
(ヒトラーがポランドに侵攻した年から第2次大戦は始まっているが、ここでは、1941年に日本が太平洋戦争を始めた年から第2次大戦の始まりとした)
ショスタコーヴィチの曲と比べて、何と言う違いだろう。
ショスタコーヴィチの7番はレニングラード攻防戦の中で作曲され、アメリカでもトスカニーニらよって演奏されてソ連国民に放送を通じてエールを送る形となったし、勝利を信じて高らかで輝かしく終る曲だ。一方、8番は激しい哀しみに満ちた鬱屈とした曲である。
(これらの曲については「題名のない音楽館」内の「ショスタコーヴィチ論」の「7番」と「8番」をご参照頂くと嬉しいです)。
相反する曲調の交響曲だが、何れも戦争中の曲らしいと言えば言える曲だ。それだけに、戦争という背景を抜きにして、現代において再評価するのは結構難しい面がある。
それに対し、プロコフィエフの5番は、最初から時代性を超えてしまったような処がある。大戦中のソ連でこの曲が歓迎され成功したというのがむしろ不思議だが、従って、戦争の時代から遠く離れて聴いても、純粋に音楽の歓びに浸ることができるのだ。時代性に深く関わっていない曲のように聞こえるから、むしろショスタコーヴィチよりも、普遍的に聴くことができるわけである。
「ショスタコーヴィチ論」を一通り書いたあと、ショスタコーヴィチの別のジャンルの曲にチャレンジして書いてみようと思った。しかし、余りにも疲れる曲が多かったので、ショスタコーヴィチの曲とカップリングされていることが多いプロコフィエフの曲を聴き始めた。そのうちに、この5番あたりに行き着いて、ショスタコーヴィチとは全く異なるプロコフィエフの作風に親しむようになったことにより、ショスタコーヴィチの別のジャンルに挑戦する気が失せてしまったのである。
さて、私がプロコフィエフの5番に親しむようになった最初のCDは、まさにプレヴィンの指揮によるものだと冒頭に書いた。新品が入手しにくいようだが一応下に紹介。
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