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2010年11月23日 (火)

N響アワー 2010年11月21日

今年10月の定期公演から、サンティ指揮によるメンデルスゾーンの「イタリア」交響曲全曲、そして10月の別の公演からベートーヴェンの第5交響曲の第3楽章と第4楽章が採り上げられた。

何と言う組み合わせであろうか。余りこんな組み合わせて聴くことはないだろうに・・・と思ったのだが、演奏そのものは何れも大変良かった。

「イタリア」交響曲。
この曲を嫌いな人なんて殆どいないだろう、と常々思っている曲である。難を言えば余りにも明るすぎて、深みがないと感じられることくらいである。それもあって、私も、嫌いというわけではないが、そう度々聴く曲ではない。

しかし、改めて聴いて、どうだろう。曲の冒頭の弾けるような楽節から、次々と繰り出されるメロディーの、流れるような自然さ。こんなに自然に音楽が進む曲は、滅多にあるものではない。モーツァルトのような天才をクラシック音楽史上でもう1人挙げるならば、やはりメンデルスゾーンで決まりだ。いや、モーツァルトを超えるかも知れない。
そしてこの曲は、イタリア的な明るさとともに、ドイツ的なガッチリとした構成も併せ持った曲だ。それを再認識させてくれる演奏だった。

サンティはベートーヴェンも得意と言ってよく、今回放送の「第5」の後半も見事だった。

解説で西村朗が、この第5について、「全曲をダダダダーンで統一したり、第3楽章から第4楽章にかけてブリッジのように繋げたり、そのブリッジを経て第4楽章の輝かしい世界に突入させたり、当時としては非常に実験的な曲」と評していたのも適切だったし、「実験的」と言われると、それもナルホドと思った。また、第3楽章を、「一風変った、神秘的な、またはある意味不気味な雰囲気を持った曲」と評してもいた。これも、最初にこの曲を聴いた人の多くが感じることだろう。

そして、「交響曲が4つの楽章で成り立っていることの意味、第4楽章に重点を置いたということについても画期的」とも評していた。私もこれは兼ねてから感じていたことであり、ナルホドと改めて思った人も多いのではないだろか。

画期的かつ実験的と言える証拠としてよいと思うが、ベートーヴェンでさえ、最終楽章に最大の位置づけを与える交響曲は、この5番のあとは「第9」を待つしかない。もう1曲敢えて挙げるなら、第6も加えていいだろうが・・・。勿論、他の交響曲は必ずしもそんな構成にはなっていない。

しかし、ベートーヴェンが最終楽章に最も大きな位置づけを与えるたことは、その後のロマン派以降の交響曲に多大な影響を与えることとなったわけである。

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