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2010年11月

2010年11月29日 (月)

こだわり人物伝 ショパン

NHK教育TVで放送されていた「こだわり人物伝 バーンスタイン ショパン」の、ショパンに関する放送分が11月24日で終了した。

この番組については、10月15日付の記事で、バーンスタインに関して弟子の佐渡裕が語るという内容であったことで絶賛させてもらっていた。バーンスタインに続いてショパンが予定されていたのだが、テキストを読む限り余り期待しないでおこう、という主旨のことも書いていた。

4回分終わった結果だが、予想通りと云うべきか、殆ど共感できなかったし新たな知見を得ることも少なかった。

基本的な流れは、ショパンの波乱の生涯を追って、その時々に作曲された曲を併せて紹介し、「そうした時期にこんな曲が書かれた」ということで、ショパンの聴き方を深めようということだった。

もちろん、どんな聴き方をしようと自由だし、作曲家の生涯を知ることによって、曲を聴くときの理解が深まることがあるのは事実だ。
しかし、この番組では余りにも、作曲家ショパンとその作品が密着しているが如き語り口であって、かえって作品の本質から逸脱して行くように思った。
換言すれば、時代背景とか生涯に関して知ることとと、作品の魅力とは、もっと距離があって然るべきだ。

膨大な資料を駆使してショパンの生涯を追い、小説として著わすに至った労力と執念には感服するしかないし、生涯最後となった「伝説」の公開コンサートのプログラムの曲目リストを再現して、見せて聴かせることを第4回で行ったのも良かった。

「伝説」となった理由は、上記の通り、結果的に生涯最後のコンサートとなったからである。
また、もう一つの理由として、「舟歌」で最も盛り上がる部分を再弱音で弾いて意表をついたことにあるそうだが、そこに余りにも深読みした意味付けをしていたのも賛同できない。

既に体力の限界を覚えていたショパンが、自分はもうこの部分を最強音で弾くことができないと考えて、逆の弾き方を咄嗟に試み、それが聴衆の意表を突くと共に、結果的に感動を与えた・・・と、私なら考える。

また、サンドとの別れの決定的な理由を、サンドの二人の子供に対するショパンの接し方に対してサンドが激怒したということに求めているのだが、そんなことがあるのだろうか。
サンドは息子を溺愛して娘に冷たくあたっていたのだが、その反発から娘はショパンに甘えるようになり、娘をもっと可愛いがるようショパンがサンドに口出ししたことが発端だというのだ。
これも私は賛同できない。もっと深い、お互いのすれ違いのようなものが二人を追い詰めて行ったと想像するのが普通ではないか。

また、番組中では触れなかったが、テキストの中で、「『舟歌』を聴いた後で、人は犯罪を犯そうと考えはしないだろう」という主旨のことを述べている。優美な曲によって心が洗われるという意味だろうか。
私は、こんな文面を見ると心底ウンザリし、ガッカリする。

たとえショパンであっても、心が洗われるとは限らない。ショパンにも、暗く激情的な面がある。「舟歌」だって、どうしようもない寂しさを帯びた部分があり、それは、場合によっては暗い情熱を蓄えて行くものであったりもする。
また、犯罪者が全て邪悪な心から犯罪を犯すとは限らないし、邪悪な心を持っているから犯罪者になるとも限らない。また、邪悪な心を持っている者がショパンを愛聴している場合だってあるだろう。

「『舟歌』を聴くと犯罪を犯さない」などという論は、人間論として、また作曲家論として、余りにも雑駁に過ぎるのだ。こんなアプローチをするのは音楽評論の分野で過去にも現在でも結構存在するが、これは聴く者を却って音楽から遠ざけてしまう「悪論」である。
私は、こうした論を最も嫌う。

ホームページ「題名のない音楽館」内の「評論に関する評論」に、少し古い記事だが類似の主旨を書いているので併せてご覧頂くと幸いです。

尚、番組内では触れなかったが、テキストには、ショパンがパリに出てから生計を立てることができるようになるまで、如何にパリの人脈を上手く活用していったか、ということが書かれている。

不満の多い番組だったが、テキストにはそうした、余り語られて来なかった内容も含まれている。

番組専用のテキストがいつまで入手可能なのか分らないが、バーンスタインと併載されている点だけでも買い得と云うべきだろう。

2010年11月27日 (土)

ショパン ピアノ協奏曲第2番 リーズ・ドゥ・ラ・サール

2010年10月5日付の記事でルイージ指揮PMFオーケストラの演奏について書いた。その中で、リーズ・ドゥ・ラ・サールとの共演による、ショパンのピアノ協奏曲第2番を絶賛させてもらった。

関連して色々とwebを眺めているうちに、「BRAVO ! オペラ&クラシック音楽」さんのページに行き当たり、同じリーズとルイージによる同じ曲の演奏が、ドレスデン・シュターツカペレとのライブ録音で出ていることを教えて頂いた。

手元に取り寄せて聴いたが、やあ、これは参りました。驚いた。
オーケストラが変ると、こんなに曲の価値が上がるものなのか。

いや、予(かね)てからルイージ指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏は、オーソドックスでありながら熱のこもった演奏という点で、高く評価していたのだ。
だからこそ、定年で時間が自由に使えるようになったのを幸い、2009年4月26日に彼らが来阪したときも聴きに行ったのである。しかし、そのときは2009年4月28日付の記事にも書いた通り、R・シュトラウスがメインのプログラムであり、R・シュトラウスの中でも私が余り好きではない曲ばかりだったので、全面的には賞賛できなかったのである。

しかし、このCDで聴いてみると、まずオケのパートの分厚さ・・・録音によるのかも知れない、という点は分かってのことだが・・・にまず驚いた。ショパンのP協、とくに2番って、こんなオーケストレーションだったのか?! この曲なんて、救いようのないオケの薄さという欠点のある曲だったのではないのか?? 

私が、オケを鳴らすことが巧いと高く評価しているデュトアの指揮、アルゲリッチによる同じ曲の演奏でもこんな響きは出せていなかったのに(ホームページ内の関連記事はこちら)。

こうした万全のサポートを得て、リーズの演奏はPMFオーケストラとの共演時のものよりも完成度が高く、とくに第2楽章はますます素晴しいものだった。

PMFとの共演でも感じたのだが、ショパン特有の、メロディーの一部と化した、装飾音符的なパッセージ。
このパッセージを、「メロディーの一部」に近い形でほぼ均一の音量・タッチで弾く人が多い中、リーズは「装飾音符的」に寄った音量・タッチで弾き、そのパッセージの中で微妙にニュアンスも変えて行く。これは凄まじいテクニックに裏付けされていないと不可能な演奏である。
そのことにより聴く者はショパンの魅力を再発見することになるのだ。それは感情の揺れと言ってもいいだろうし、深さを増す仕掛けと言ってもいいだろう。このCDだと益々それが際立って感じることができる。

アルゲリッチとデュトアによる上記の盤をこの曲のベストと考えていたが、リーズ盤を聴いた今、このリーズ盤がベストだと確信する。

「イチ押しCD」として、当面の間ねサイドバーに入れることとした。

さて、このCDには、4曲のバラードが併せて収録されている。
このバラードは、別の意味でちょっと驚く演奏だった。

何しろ、4曲とも、かなり遅いテンポで、弱めの音で始まるのである。しかし、あれ?と思って聴いているうちに次第にテンポが速くなり、音量も増して行き、熱も帯びてゆくのである。面白い演奏だと思ったし、これはこれでアリだと思ったが、少しやり過ぎかも知れない。

2010年11月25日 (木)

N響アワー 2010年11月14日

11月23日付でN響アワーの2010年11月21日放送分について書いたので、順序は前後するが、ここでは14日放送分について。

マーラー生誕150年記念として毎月1曲ずつ交響曲を採り上げている中、この日は第10番が演奏された。

この曲についての私の考え方は「題名のない音楽館」内の「マーラーの交響曲について」の「第10番」に書いた。
クックの補筆版は評価していなかったが、ラトルで聴くとまあまあ許せるかも知れない。それでも補筆された楽章の音楽の薄さはどうしようもない、という主旨である。

さらに、マーラーが殆ど完成させていたという第1楽章も、マーラー自身、これを最終形としたかどうかは怪しい、とも書いた。

この日の放送は第1楽章のみで、ジンマン指揮による2009年1月16日の公演からのもの。西村朗の解説の中で補筆された楽章の音を少しずつ被せていたが、キッチリ流したのは第1楽章だけという点、まず評価したい。

そして、この演奏は一言で云うと「何と見晴らしの良い演奏だろう」ということであった。
この曲は何とも聴きづらく、音楽の進む方向が見えづらいという印象があり、それはクック版による第2楽章以降となるとますます、暗闇の中でもがき続けるような感じ、または悪い夢を見ていて次の展開が予想しづらいのに、自分では何ともならないもどかしさ・・・になって行くのだが、ジンマンの演奏は、珍しく聴きやすいものだった。

これは、事前に西村朗が、ピアノで主要主題2つと強烈な響きの和音を鳴らして解説していたためかも知れない。その功によるのか、または耳がそれなりに慣れてきたのかも知れないが・・・。
その和音を鳴らすのに、両手では足りないということで、岩槻アナに1つだけの音を受け持たせたのも微笑ましかった。岩槻アナでないと、こんなヘルプはできなかっただろう。

そして西村は、演奏終了後、この曲から受ける印象について、「何という音楽。言葉には到底表せない。マーラーの最後の最後の悲痛な響き」という主旨のことを語っていた。
この曲は確か池辺晉一郎が司会のときも採り上げられたはずだが、そのときの池辺の言は「とにかく、深く、深く、どんどん沈んでゆく曲」という主旨だった。
作曲家の観点から音楽を解説するにあたり、言葉の表現が苦手な人とそうでない人がいるが、池辺は苦手な方だったかも知れない。西村はそうではない方に属する。しゃべり過ぎになることもあるが・・・。

岩槻「この曲、完成していたらどんな曲になったんでしょう。西村さんならどうしますか」
西村「いやあ、この曲に続く音楽なんて考えられない。マーラーが残したスケッチはあるが、それでも、この曲の後には何も続けられない」

というやりとりも好感が持てた。そうですよね。
とは言え、それを再確認するのは、補筆完成版を聴いてみてからでも良いかも知れない。

残りの時間は「さすらう若者の歌」。ブロムシュテットの指揮でゲルハーレルのバリトン。2008年1月23日の公演から。

久しぶりに聴いたが、結構良かった。

この曲を最初に聴いた時は、この曲の中から幾つかのメロディーが第1交響曲で使われていることから、第1交響曲のパロディーみたいに聴こえて仕方がなかった。もちろん第1交響曲の方が後から作曲されたので「パロディー」はおかしいのだが、どうにも、そんな感じが拭えなかった。

最近でこそ、交響曲第1番の中でこの「若者の歌」のメロディーが聴こえると、「若者の歌」の歌詞・・・ドイツ語を全て分かっているわけではないので、正確には、歌詞の主旨・・・がタブッてきて、メロディーの効果を上げているのだと分かってきたのだが、それを改めて再確認させてくれる演奏だったと思う。

2010年11月23日 (火)

N響アワー 2010年11月21日

今年10月の定期公演から、サンティ指揮によるメンデルスゾーンの「イタリア」交響曲全曲、そして10月の別の公演からベートーヴェンの第5交響曲の第3楽章と第4楽章が採り上げられた。

何と言う組み合わせであろうか。余りこんな組み合わせて聴くことはないだろうに・・・と思ったのだが、演奏そのものは何れも大変良かった。

「イタリア」交響曲。
この曲を嫌いな人なんて殆どいないだろう、と常々思っている曲である。難を言えば余りにも明るすぎて、深みがないと感じられることくらいである。それもあって、私も、嫌いというわけではないが、そう度々聴く曲ではない。

しかし、改めて聴いて、どうだろう。曲の冒頭の弾けるような楽節から、次々と繰り出されるメロディーの、流れるような自然さ。こんなに自然に音楽が進む曲は、滅多にあるものではない。モーツァルトのような天才をクラシック音楽史上でもう1人挙げるならば、やはりメンデルスゾーンで決まりだ。いや、モーツァルトを超えるかも知れない。
そしてこの曲は、イタリア的な明るさとともに、ドイツ的なガッチリとした構成も併せ持った曲だ。それを再認識させてくれる演奏だった。

サンティはベートーヴェンも得意と言ってよく、今回放送の「第5」の後半も見事だった。

解説で西村朗が、この第5について、「全曲をダダダダーンで統一したり、第3楽章から第4楽章にかけてブリッジのように繋げたり、そのブリッジを経て第4楽章の輝かしい世界に突入させたり、当時としては非常に実験的な曲」と評していたのも適切だったし、「実験的」と言われると、それもナルホドと思った。また、第3楽章を、「一風変った、神秘的な、またはある意味不気味な雰囲気を持った曲」と評してもいた。これも、最初にこの曲を聴いた人の多くが感じることだろう。

そして、「交響曲が4つの楽章で成り立っていることの意味、第4楽章に重点を置いたということについても画期的」とも評していた。私もこれは兼ねてから感じていたことであり、ナルホドと改めて思った人も多いのではないだろか。

画期的かつ実験的と言える証拠としてよいと思うが、ベートーヴェンでさえ、最終楽章に最大の位置づけを与える交響曲は、この5番のあとは「第9」を待つしかない。もう1曲敢えて挙げるなら、第6も加えていいだろうが・・・。勿論、他の交響曲は必ずしもそんな構成にはなっていない。

しかし、ベートーヴェンが最終楽章に最も大きな位置づけを与えるたことは、その後のロマン派以降の交響曲に多大な影響を与えることとなったわけである。

2010年11月21日 (日)

題名のない音楽会 2010年11月21日

この日は、「第20回出光音楽賞受賞者ガラ・コンサート」の第1回目という内容で、ヴァイオリンの三浦文彰とオーボエの荒絵里子を招いての演奏。オケは東京シティ・フィル。指揮はもちろん佐渡裕。

この、毎年行われる出光音楽賞というのは、通常のスポンサー料とは別に出光興産(の財団か?)が拠出しているのだと思うが、ともかく20回も続けてきていること自体、「題名のない音楽会」という番組そのものが永年にわたり出光興産の単独スポンサーとして提供されていることと併せ、この会社の心意気を感じさせてくれ、敬意を覚えざるを得ない。

で、毎年このガラ・コンサートの前に歴代の受賞者が紹介されるのだが、佐渡裕は勿論のこと、沼尻竜典、庄司紗矢香、村治佳織など、私が現在注目したりフアンだったりする演奏家がズラリと並んでいるのが壮観である。
この番組で初めて知り、価値を見いださせてくれて、その後の活躍を見守る形となっている人だったり、自分で注目するようになった後でこの受賞者だったと分かった人だったりするのだ。

今回の、ヴァイオリンの三浦文彰も、確かに注目に値する人だということは、すぐに分かった。

プロコフィエフの協奏曲第2番の抜粋を演奏したのだが、それこそ1つめの音を弾き始めたとき、これはスゴイと感じたのである。中で彼が話していたのは、幼い頃から聴いていて好きだった曲だそうである。
ただ、この曲をどのように感じて弾いているかについて述べた部分は、何となく幼いものを感じたし、私の捉え方とは違う。
違うのだが、出てくる音楽は、彼の述べた表現を大きくはみ出す巨(おお)きなものとなっていた。言葉よりも音楽の方が大きいというのは、優れた演奏家には時々見られる現象でもある。

オーボエの荒絵里子は、既に東京交響楽団の首席を務めているそうで、この楽団のコンサートに行っている人にとってはお馴染みなのだろうし、私も東京交響楽団が出演する番組・・・この「題名のない音楽会」を含む・・・で見たことがあるような気がした。

曰く、「東京交響楽団で難しい曲を多く取上げているが、ここでは比較的易しくて聴きやすいものを選んだ」として、フンメルの「オーボエとオーケストラのための序奏、主題と変奏曲」を演奏した。
この曲は初めて聴いたが、確かに「易しくて聴きやすい」もので、却ってオーボエの音をじっくり楽しむことができる曲だった。

フンメルは、ピアノの演奏においてベートーヴェンと人気を二分する存在だったそうである。そうした背景を知って聴くと、「ああ、音楽って本来はこういうもので良かったんだ」と思った。

これで十分だったはずのクラシック音楽の世界を、乱暴に、荒々しく破壊し、力強く激しい要素を加え、大きな、何かを語るような内容を持つものとしてしまったベートーヴェンという人の存在の巨大さを改めて思わざるを得なかったのである。

2010年11月19日 (金)

題名のない音楽会 2010年11月19日

今年2010年はマーラー生誕150年ということで、「N響アワー」では毎月交響曲を1曲ずつ取上げているが、「題名のない音楽会」では取上げずにいた。ようやく今回(11月19日)になって、マーラーをテーマにした内容となった。

当然年内には1曲しか取上げられない。どの曲にするかと思ったら、やはり5番だった。

私は、ホームページ「題名のない音楽館」に「マーラーの交響曲」を書いたとき、「5番を代表作とするのは疑問。もっと優れた作品がある」という主旨のことを述べていて、「やはり5番なのか」と少々ウンザリしたのだが、内容はかなり良かった。

この番組で作曲家論をやるときは、作曲家の青島広志を呼んできて、取上げる作曲家の変装をさせてコミカルに紹介することが多いのだが、今回のゲストは同じ作曲家でも千住明。そしてオーボエ奏者で最近は指揮活動に注力している宮本文昭を加えて、5番に込められた作曲上の技巧だけでなく、演奏者側からの見方・・・ここは難しい、ここは出るまでイライラして待っている、など・・・についても説明され、その説明に該当する部分を実際にオケで鳴らして見せるというものだった。

青島広志が、取上げる作曲家の変装をしてコント風に紹介するという方式は、余り頂けないと思っているし、内容も少し核心を外した処があったりしたのだが、千住明なら、色々なテレビ番組の音楽を作曲しているから、よく耳にしている。
つい最近も、TBS開局60周年記念として11月3日から7日まで5夜連続放送されたドラマ「99年の愛」の音楽を担当していて、センスの良さに感じ入ったばかりである。
この日の説明も的確だった。

青島広志が作曲家としてどれほど大きな仕事をしているのかは全く知らないのだが、私は、彼がNHK芸術劇場だったかに登場したときに取上げたことによって「のだめカンタービレ」を知ったので、恩義(?)を感じている。コント風に登場させるのは本人の意志なのかどうか。作曲家には作曲家としての視点があるはずで、その立場から紹介させるべきだ。

で、5番の第5楽章の後半部を最後に演奏したのだが、中々のもの。私がベスト盤と思っているバーンスタイン=NYフィル盤の面影を僅かだが見たようにも思った(サスガ一番? 弟子 !)。

オケは兵庫県立芸術文化センター管弦楽団。佐渡が育て、佐渡の手兵たるオケである。このオケは何度か聴きに行っているて、若手を育成するという目的もあるオケで、良く言うと若々しい音で、悪く言うと深みのない音を出すが、水準は決して悪くないと思っている。
このオケによるマーラーは聴いたことがない。この日の演奏を聴いて、マーラーを佐渡が振る機会があれば、曲にもよるが、聴きに行ってもいいか・・・などとも思った。

第5楽章で、第4楽章の旋律が引用されている、という説明があったのだが、私は気がつかないでいた。余り好きとは言えない曲だからかも知れない。それでも、この点を含めて何点か、新しい知見を得ることができたのは収穫だった。

2010年11月17日 (水)

シューマン 交響曲第4番 もっと演奏されるべき 続き

(前稿から続く)

先に、「私はシューマンの交響曲は今一分からないが、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによる「4番」だけは別。ただ、中々コンサートで取上げられる機会が少ないようで、それが、他に中々『これ』という演奏に出会わないことに繋がっているのかも知れない」と書いた。

また、シューマンの曲の「毒」についても触れた。

ちなみにこのCDのライナーノートによると、フルトヴェングラーが1922年から1954年の間、ベルリン・フィルの常任指揮者だったとき、ベルリン・フィルの定期演奏会で取上げたシューマンの交響曲の回数は、

1番・・・4回
2番・・・1回
3番・・・1回
4番・・・7回

だそうである。
元々ベートーヴォンやブラームスの演奏回数が多かったのに対してシューマンは少ないのだが、その中では4番の回数が突出している。
ちなみにピアノ協奏曲は8回だそうである。

このことから推察されるのは、フルトヴェングラーにとって、シューマンの4番は得意であるか、または格別の思い入れがあったのではないかということである。

そして、フルトヴェングラーによるこの演奏だからこそ、シューマンの「毒」のようなものを感じるのかも知れない。また、こんな演奏があるからこそ、中々他の指揮者がやってみようという気を起こしにくいのかも知れない。

この記事のタイトルとは関係ないが、シューマンの、ある種の怪奇的な雰囲気を感じることのできる演奏として、ピアノ曲「クライスレリアーナ」を挙げる。

但し、この曲も中々「これ」というものに巡り会わない。ここに挙げたアルゲリッチだけである。しかも、これが大変素晴しいのである。

2010年11月15日 (月)

シューマン 交響曲第4番 もっと演奏されるべき

シューマンの作品は、未だによく分からないでいる。私は主に管弦楽作品とピアノ曲を聴いてきたので、他のジャンルについては元々どの作曲家についてもよく分からないのだが、それでも、シューマンの交響曲は今いちよく分からない。ピアノ協奏曲は間違いなく名曲だと思うが、好きかどうかはよく分からない。

交響曲はレコード時代にサヴァリッシュやカラヤンの盤を購入して何度かは聴いたのだが、もっと聴こうとは決して思わなかった。CD時代になってからバーンスタインが振ったものも然りである。

唯一の例外は、第4番だ。4曲しかない中の1曲だから若干おかしな表現だが、最近の演奏で「これ」というものに中々巡り会わないでいるためである。それは、知っている限り、コンサートのプログラムで取上げられることが少ないためでもある。

第3番はよく演奏されるし、N響の定期でも先日マリナーの指揮で演奏されて、ひょっとすると名曲かも知れないと思わせてくれる演奏だったが(N響第1681回定期に関する記事をご参照)、他の交響曲は余り取上げられた記憶がない。

もっと取上げられる機会が増えたら、もっと「これ」という演奏に出会うかも知れないが、その機会がないので、結局今の処は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによる演奏にトドメを指す。このため「唯一の例外」と書いたわけである。

第3番「ライン」を聴き始めてから間もない頃、次に知った(聴いた)シューマンの交響曲が、このフルトヴェングラーによる第4番だった。ラジオから流れていて、途中の第3楽章からだったが、たちまちトリコになってしまった。その後上記のように何通りかの「全集」の中の曲として聴いたのだが、それでも「ライン」よりも先に良さが分かった。ただ、良さは分かったのだが、今一シックリこない処があった。

それからもっと経って、フルトヴェングラーの演奏をCDになってから手に入れて、やはりこれしかないと確信したのである。

この曲は第4番となっているが、作曲された順序は第1番と第2番のあとであり、改訂に時間を要して出版する順序が変ったため第4番と称するようになった。4つの楽章から成るが、全曲切れ目なく演奏される。

第1楽章はたった一つだけの主題を繰り返しグルグルウネウネと続けてゆく。

第2楽章は第1楽章の要素が出て来たあと、ヴァイオリン独奏もからむ新たな要素が出てくる。ここのヴァイオリン独奏は美しいが、美しいことに徹し切れないもどかしさがある。

第3楽章は、異様なインパクトのあるスケルツォ。ここを初めて耳にしたとき、私がトリコになった楽章。トリオらしき部分に、第2楽章の要素が来る。

第4楽章の始まりは、薄暗い雰囲気の中から次第に光りと力を増してゆき、輝きに満たされてゆく。ここはブルックナーみたいだ。しかし、輝きの頂点に立ったかと思うとすぐにグダグタウネウネが始まり、ゴチャゴチャと少し混乱したあと、もう一度力を増して輝きの中で終る。

上記にグダグタとかウネウネとか書き、「美しいが、美しさに徹し切れない」と書いた。中々他にうまい表現を思いつくことができないのでそう書いたのだが、私は、シューマンの本質はそこにあると思っているのである。さらに言うと、ある種の怪奇性も伴っている。シューマンの「毒」と言ってもよい。

ヴァーグナーやマーラーの「毒」は、陶酔させ我を忘れさせる「毒」である。ヴァーグナーは地獄の中に引っ張り込むような恐ろしい力に抗し切りなくなりそうな「毒」であるが、マーラーは異様な響きと美しいメロディーによる「毒」。

シューマンの「毒」は彼らとは全く異なるが、グダグタウネウネとしか私が表現できなかった、何かハッキリしないことを繰り返しながら進んでゆく、ということが、ある意味で魅力となっていて、一旦そこに囚われると、中々そこから這い上がれない・・・という意味での「毒」とでも言うべきか。

こう考えるので、マリナーによる「3番」は名演だったし「この曲は良い曲かも知れない」と再認識させてくれるものだったが、如何せん、全体が明るすぎるのだ。

(この稿続く)

2010年11月13日 (土)

N響アワー 2010年11月7日 続き

(11月11日付の前稿からの続き)

「アイーダ」によって漸く、ヴェルディはヴァーグナーと同等に位置に立つことができたのでないか、という私の考えについて、このN響アワーの放送を機に手元の「クラシック音楽作品名辞典」で確認してみた。

ヴェルディは1813年生れ。「アイーダ」の初演は1871年にエジプト カイロで行われたので、生れ月を考慮しない単純計算で、このとき58歳。ヴァーグナーもヴェルディと同じ年に生れているので、同様に単純計算で58歳である。

この1871年までにヴァーグナーは、「トリスタンとイゾルデ」(初演1865年、ミュンヘン)以降「歌劇」から「楽劇」へと名称を変更したあと「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(初演1868年、ミュンヘン)を経て、「指環」の序夜である「ラインの黄金」(初演1869年、ミュンヘン)と、「指環」の第1夜である「ヴァルキューレ」(主演1870年、ミュンヘン)まで発表を終えている。

従って、ワーグナーの始めた新しい手法に対して、「アイーダ」に取り組んでいたヴェルディは十分知っていたと推測できる。いや、私は、知っていたというレベルを超えて、衝撃を受けたのではないかとさえ思う。

この辞典によると、ヴェルディの作品はこの「アイーダ」から後期と区分されるのだそうで、その後期は、ヴァーグナーの影響を色濃く受けたものとなった、ということである。私が推測し感じていたことは当を得ていたのである。
ちなみに、プッチーニは1858年生れであり、「アイーダ」初演の1871年時点では、単純計算で13歳。

プッチーニはその後、単純計算で35歳のとき「マノン・レスコー」(初演1893年、トリノ)そして38歳のとき「ラ・ボエーム」(1896年、トリノ)そして「トスカ」(初演1900年、ローマ)を発表する。
ヴェルディは1901年まで生きていたので、これらを見ることができたであろう。半世紀近く年下の、新たな才能を、ヴェルデイはどのように受け止めたことだろうか。

2010年11月11日 (木)

N響アワー 2010年11月7日

11月7日のN響アワーは、10月15日にNHKホールで行われた、ヴェルディの「アイーダ」。時間の関係で抜粋。演奏会形式によるもの。指揮はサンティ。

名演だった。

番組の中で、演奏会形式とするのはサンティなりの拘りがあった由で、曰く、「ヴェルディの作品の中で、初めてシンフォニックに書かれた曲であり、音楽だけで場面が見えてくる。だから、演奏会形式にして、音楽に集中してもらうべきだ」とのことだった。
西村朗が補足して、「オペラで色々な演出が試みられるが、時代を無視した場面設定などをすることにより、音楽とぶつかってしまう場合もある。サンティさんは、そうした風潮に批判的らしい」

よくぞ言った。よくぞ言ってくれた。

かねてから私は、設定されているはずの時代背景を無視し、奇抜さだけを訴求する、奇妙な演出でオペラを遊ばないでもらいたいものだと思っていたのである。
「指環」を、現代に置き換えたり未来のSFみたいな設定にしたり、とくにヴァーグナーで例が多い。

しかし、ヴァーグナーの「指環」などは、舞台設定などなくても音楽だけで十分に場面が見えるほどに音楽が作り込まれている。だから、音楽を聴くだけでも十分なほどで、もし舞台付きで視聴したとき、音楽によって見えてくる場面と、奇妙な演出によって目の前に示される場面が食い違い過ぎたりすると、もの凄いストレスを感じ、見続ける気力を失うのだ。

今はどうなっているのか知らないが、DVDに残された、レヴァイン指揮ニューヨーク・メトのものは、オーソドックスで、ストレスを感じさせない、好感のもてる演出だ。

「アイーダ」の話に戻す。
私はヴェルディのオペラを全て見たわけではないし、ヴェルディについてキッチリと調べたわけではないので確信があったわけではないが、以前から、「アイーダ」は、「リゴレット」「トロヴァトーレ」「椿姫」など以前に作曲されたオペラとは異なる次元に高められた作品ではないかと感じていた。
端的に言うと、「アイーダ」によってヴェルデイはようやくヴァーグナーと同等の位置に立つことができたのではないか、ということである。

ヴェルディのオペラのメロディーには確かに良いものがあるし、音楽も劇的な部分があるが、メロディーについては、後輩のプッチーニの、甘美で、聴く者をとろけさせてしまうほどの魅力はない。
また、劇的な部分があっても、単に力強くグイグイとこちらに向かってくるだけのようなヴェルディの音楽は、軽さも感じさせる。これに対し、ヴァーグナーの音楽は量り知れない深さを持つ。どこか恐ろしい処に引きずりこまれるような感じを受けることさえある。

それが、「アイーダ」では、ヴァーグナーの底知れない感じの深さまではないが、音楽の「つくり」についてはヴァーグナーが指向し続けた手法に近づいたように聴けるのだ。
そう感じていたので、サンティの「初めてシンフォニックに書かれた曲であり、音楽だけで場面が見えてくる。だから、演奏会形式にして、音楽に集中してもらうべきだ」との言は、全く共感できたわけである。

(この稿続く)

2010年11月 9日 (火)

名曲探偵アマデウス 2010年11月4日放送 ショパン「舟歌」

この番組は、内容は良いのだが放送日が変則的だし、高校野球や国会中継などがあると飛ぶことが多い。また、以前やった内容を何度か再放送しながらやっていて、再放送のときも再放送である旨の表示がなかったりするので面食らうことが多い。
この日の「舟歌」も、直前に見逃したときのものの再放送だと思うのだがよく分からない。

しかし、内容は良かった。ショパンの「舟歌」Op.60嬰へ長調の楽曲分析である。

ショパン晩年の作品で、しかもサンドとの別れが迫りつつあった時期に作曲されたことによって、ゴンドラに揺られているような心地よいメロディーがメインなのだが、微妙な翳りがある。また、最後にかけて長いクレッシェンドで盛り上がってゆく箇所は、聴いていてワクワクするだけでなく、小山実稚恵によると、弾いていても興奮させられる曲だと言う。番組内では「ショパンの最高傑作」と称していた。

この番組では、最後に、短めの曲であれば全曲を、また長い曲であれば「サワリ」の箇所を演奏するのだが、その前も、楽曲分析を進めながら断片的に曲を流してゆく。

で、この、分析しながら断片的に曲を流す間、そして、最後に、短めの曲だから全曲演奏された時、聴きながらずっと、「ああ、この曲、ずっと昔から大好きなんだ」と改めて思ったのである。

この曲に初めて接したのはクラシック音楽を聴き始めてすぐの頃で、ペルルミューテルの演奏によってである(本稿執筆時点では入手困難)。その後、記憶によるとルビンシュタインの演奏だったはずだが、それを入手した頃から好きになり、現在に至るまでずっと好き、というわけだ。

また、当時住んでいた実家にピアノが入ったときには、楽譜も買って鳴らしてみようとしたが・・・とんでもない譜面だった。

何しろ嬰へ長調というと、シャープが6つもつくのである。正規にピアノを練習した人でも難しいはずの曲に、正規に習ったことのない私が太刀打ちできるわけはない。
シャープが6つもつくと、まず読むことが困難である。かろうじて1つずつの音符は読めても、繋げて演奏できるように練習する気力が追いつかない。でも、レコード(CDがなかった頃である)で聴きながら譜面を追うだけでも、何となく、よりショパンの世界に近づけたような気になったものである。

そしてこの日の放送で、細かく楽曲分析しているのを聞くにつれ、なぜ自分が昔から好きなのか、僅かだが分かった気になれたし、最高傑作とする人も多い、ということで、以前から好きだった自分の感性も誉めたくなった。

この曲は、後半部からずっと盛り上がってゆくが、激しさを感じる部分はない。私は、激しい部分が含まれている曲こそショパンの神髄だと考えているが、そうした部分がなくても、最高傑作のひとつであると称することに異議はない。

現在、聴くときは上記のルビンシュタイン盤か、アルゲリッチ盤を聴いている。

ところで、作曲家の吉松隆が書いた「『運命』はなぜハ短調で扉を叩くのか」(ヤマハミュージックメディア。2010年9月初版)によると、ショパンやリストにシャープやフラットが沢山付いた曲が多いのは、人間の手の形が中指を中心に山形状になっているため、白鍵だけの曲よりも、黒鍵を多用する方が却って指を速く動かすことができ、テクニックを駆使しやすいためだとのことである。

そうした、演奏する上での便宜によってもシャープやフラットを多くしている場合がある、というのは余り聞いたことのない視点であって極めて面白かった。
しかし、本書の後半でシャープやフラットの数ごとに代表的な曲を1曲から2曲例示している部分で、シャープ6個の嬰へ長調と、フラット6個の変ト長調の何れも「クラシック音楽では代表例なし」となっていて、「あれ??」と思ったのである。

嬰へ長調ではショパンの「舟歌」があるではないか。

記憶が正しいことを確かめるために、手早く引ける「クラシック音楽作品名辞典」で調べたら、記憶は正しかった。付記すると、変ト長調では、同じくショパンの「黒鍵のエチュード」(12の練習曲作品10 第5)がそうだったはずと思ったが、同様に、記憶は正しかった。

上記のように、「舟歌」は、多くの人がショパンの最高傑作と称している曲である。これを除外して「クラシックでは該当曲なし」として私などに指摘されるのは、かなり恥ずかしいことではないだろうか。

もちろん、著者によって得手不得手があるから、吉松隆が、ショパンが余り得意ではないのかも知れない。しかし、著者がもし気がつかないとしても、編集者が気付いて修正すべきものである。出版社名を見るとヤマハの系列だと思うのだが、どうしたことか。
何よりも、本書の前半部で、ショパンやリストの曲にシャープやフラットのたくさん付く曲が多い理由を解き明かしているのである。「係り結び」の、「結び」のひとつを欠いたようなものである。

2010年11月 7日 (日)

N響 第1681回定期 2010年11月5日(金)放送

BS2でこの日に放送された定期公演は、9月25日にNHKホールで行われたもので、マリナーの指揮。シューマンばかり3曲を取上げたプログラムであった。

このコンサートの一部は10月24日(日)のN響アワーでも放送され、そのときの印象を書いたとき、ゲストがしゃべり過ぎで耳障りだったが、演奏は良かった。とくに「ライン」が良かった、という記事にしていた。

N響アワーで「ライン」は第5楽章だけだったので、まだ「確信」するという段階には至っていなかったのだが、言わば見切り発車的に「名演」だったと書いたのであった。

改めて全曲を通して聴いて、間違いではなかったと思う。これは名演だ。

シューマンの交響曲は無用にオーケストラがぶ厚かったり、同じようなフレーズをしつこく繰り返したりするのが目立ち、辟易することが多い。それはこの「ライン」についても言える。しかし、この日の演奏は、それが必然だったかも知れない、と思わせてくれるだけの説得力があった。

即ち、シューマンは、こういう音を出したかったので、あれだけのぶ厚いオーケストレーションを施したということなのかも知れない、ということである。
朝比奈隆が生前に、何かのシンタビューに応えて、シューマンの交響曲のオーケストレーションに対し、色々と手を加えたりすることがあった風潮を批判して、「シューマンが書いた通りに演奏すべきものだ。その響きこそがシューマンの作風なのだから」と言っていたことがある。

私は朝比奈隆の演奏、とくに晩年のものは全く評価しないが、こうしたコメントの類には中々良い発言があると思っていて、マリナーの演奏を聴き進めながら、まさに「そうか、確かにこれがシューマンの作風なのかも知れない」と感じるようになって行ったのである。
ただ、朝比奈の演奏でこの曲を聴いたことはないのだが、恐らく朝比奈の演奏では、皮肉なことに「そうか、これがシューマンの作風か」と感じることはなかったはずである。
それは、朝比奈だったらやらなかったであろう「テンポや強弱の変化」に関係することでもある。

テンポや強弱の変化についても、マリナーの演奏はかなり適切なものだと思ったし、それによって、この曲が結構面白い曲なのだとも思わせてくれたのである。

2010年11月 5日 (金)

こだわり人物伝 バーンスタイン 残した大きな影響 テキストから

NHK教育TVで水曜22時から放送されていた「こだわり人物伝 愛弟子が語るバーンスタイン」が、10月24日の放送分で終了した。

同じ時間帯で引き続きショパンが取上げられるので、以前10月15日投稿分では「こだわり人物伝 バーンスタイン ショパン」と、二人を並列したタイトルとしたが、とりあえずバーンスタインの4回分は文句なしに素晴しい内容だった。

ただ、その記事でも書いたように、こうした番組の常として、テキストに書いてある内容と番組の中で放送される内容が必ずしも一致しない処が随所にあった。
で、テキストには掲載されているのに、番組の中では触れられなかったことの中で、私としてはどうしても外すことのできない内容があったので、ここに記しておきたい。ある番組専用の、こうしたテキストが、何時までも入手できるとは限らないからである。

番組を全部見終るよりも前に、就寝すべくベッドに入ってテキストに目を通していたときのことである。読み進めて、ある箇所に差し掛かったとき、まさに鳥肌が立つ、という経験をしたのである。
季節が涼しくなりかけていた頃にもあたり、本当に寒くなって、また気持の高揚もあってかっかり目が覚めてしまい、暫くの間寝付くことができなかったのである。本を読んでいてこうした体験をしたことはない。

私の「題名のない音楽館」の中に「音楽番組評」というコーナーがあり、「題名のない音楽会」の司会に佐渡裕が就任するより遙か以前に書いた「音楽番組の貧困」という記事がある。もう10年以上も前の記事だが、古くなっていないことも多いので最近改訂し残してある。

そこに書いたことだが、かつては民放でも、クラシック音楽に軸を置いた音楽番組として、「題名のない音楽会」だけでなく、山本直純がやっていた「オーケストラがやってきた」、そして団伊玖磨(だったと思う)がやっていた「ポップスコンサート(だったと思う)」という3つの番組が鼎立(ていりつ)する状況があった。

そして、日曜日放送の「オーケストラがやってきた」は、比較的長く続き、同じく日曜放送の「題名のない音楽会」とともに、教えられることの多い番組として、私にとって大切な番組だったのである。とくに「題名のない音楽会」は大きな存在だ。

そして、ここからが「テキストに載っているけど番組で触れなかったこと」である。テキストの内容をそのまま書き写す方が、私が衝撃を受けた感じが少しでも伝わりやすいだろうが、著作権の問題があると思うので、省略して簡単に書くと、こうである。

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1961年、バーンスタイン指揮ニューヨークフィルが、黛敏郎の「饗宴」を演奏することになった。作曲した黛敏郎は、その演奏のためアメリカに行っていて、バーンスタインと、副指揮者だった小澤征爾と知り合った。

そのときアメリカで、バーンスタインが制作し放送していた「ヤング・ピープルズ・コンサート」がいいね、という話が盛り上がり、日本でも是非同様の番組を作ろうじゃないか・・・ということになった。

そして、3年後の1964年、その構想によって黛敏郎が始めた番組が「題名のない音楽会」だった。そして小澤征爾は、山本直純と組んで「オーケストラがやってきた」を始めた。

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何と!! 私にとって大切な番組の二つとも、バーンスタインの影響のもとで制作されたものだったというわけである。

そして、1961年に生れた佐渡裕は、これらの番組を見ながら育ち、やがて指揮という仕事に憧れ、指揮者になり、バーンスタインの弟子になった。そして、「題名のない音楽会」の司会者に就任するということにもなったわけだ。

ところで、「題名のない音楽会」では、1年の間で最も注目すべき新人に「出光音楽賞」を授与する、ということを続けてきている。佐渡裕も受賞したことがあり、そのときの映像を、初めて司会を受け継ぐこととなったときに放映した。(「題なし復活万歳」)

で、ここからは佐渡裕著「僕はいかにして指揮者になったのか」で明かされていることだが、当時フランスを中心に活動していて日本では殆ど知られていなかった佐渡を、出光賞選考会に推薦したのは、渡欧中に佐渡の演奏のテープ録音を聴いた岩城宏之だった由である。

2010年11月 3日 (水)

スコラ 坂本龍一 音楽の学校 特別講座(2)

10月24日に始まった特別講座の2回目は、「音で楽しむスコラ バッハ編」と題し、バッハの組曲第3番の「アリア」(俗に云う「G線上のアリア」)やカンタータ147番の「コラール」(俗に言う「主よ、人の望みの喜びよ」)を題材にして、ワークショップに参加した中高生に、独自の編曲をさせて一緒に楽しむという内容だった。

そう、これが「スコラ」なのだ。1回目の、音楽とは直接関係ない部分のトークを中心としたものよりも、今回の方が遙かに優れた内容である。

組曲第3番の「アリア」が、聞き慣れたメロディーだけでは如何に薄っぺらな音楽となるか、それに対旋律がつき、通奏低音がつくことによって、如何に深い内容のものか、ということを東京芸大のアンサンブルで聴かせてみたり、カンタータ147番の「コラール」が、対旋律の存在によってあたかも2つの音楽を同時に聴いているような感覚を味わうことができるか、ということをやって見せたりした。

そのあと、参加した中高生が、自分なりのオリジナルで、別の主旋律や対旋律を付けて見せたのだが、これが実に巧いので驚いた。もちろん、バッハのオリジナルを超えるものが出てくるなどと云うことはなかったが、それなりに面白いものとなった。

また、坂本龍一が、チェロの藤原真理と「マタイ受難曲」の1節を演奏したり、初めてだというチェンバロによって「ゴルトベルク変奏曲」の第32変奏だったかを演奏したりした。これによって、番組の価値をさらに上げることとなった。

さて、上記に、バッハの組曲第3番の「アリア」(俗に云う「G線上のアリア」)とか、カンタータ147番の「コラール」」(俗に云う「主よ、人の望みの喜びよ」)などと云う書き方をした。
番組の中では双方とも「俗に云う」方の名称で進めてしまっていたが、できれば後者は、カンタータとしての正式な名称が「心と口と行いと生きざまは」であるということを紹介して欲しかった。

そして前者は、最近色々な番組でも「G線上のアリア」として紹介されることが多いので今回の番組に限ったことではないのだが、明らかに間違った名前なので、やめてもらいたいと思うばかりである。

組曲第3番の「アリア」はニ長調なのだが、これを八長調に移調すると、ヴァイオリンのG線(一番低い『G』の音の線)だけで弾けるということに気付いた19世紀後半のヴァイオリニストが、そうした編曲を行って自ら演奏したことに由来するものである。これは番組内でも言及していた。

しかし、私は、原曲がニ長調であるのにハ長調に移調したら、2度低い調になってしまうので、別の曲となってしまう。ハ長調で、ヴァイオリンで、G線だけで演奏するのが「G線上のアリア」であって、組曲第3番の「アリア」まで「G線上のアリア」と呼ぶのは、俗称だとしても、かなり低レベルのものだ。

もともと、線1本で弾いてみせるというのは、19世紀の、アクロバティックな演奏をしたいというニーズによる部分も大きいのではないだろうか。

何よりも、音楽的に間違いである。事実、こんなことが広まってしまったのは、かなり最近のことだと記憶する。

さて、番組中にチェロとピアノだけで演奏された「マタイ受難曲」の一節だが、こんな簡素な演奏形態であっても、「マタイ受難曲」が如何に深い内容で心を震わせる力を持った曲であるかを改めて感じ、今さらながら凄いと思った。私はキリスト教徒でも何でもないが、宗教とか宗派など何の関係もなく、音楽として凄いのである。ここは、まだ聴いたことにない人には、是非とも一度で良いから全曲を通して聴いてみることをお薦めする。

このことは、私の「題名のない音楽館」内の「音楽はマタイで終った?」に書いたことがあるので、ご覧ください。

さて、「主よ、人の望みの喜びよ」は、ピアノ編曲版でも親しまれている。

また、ギター版もあるようだ。村治佳織のCDが素晴しい。
バッハの曲は、古典派の曲に比べて「この楽器で演奏しなくてはならない」という縛りが少ないのは事実である。しかし、それでも演奏者や演奏形態によって、音楽性の有無は自ずから問われるわけであって、可成りひどいものも散見するのだが、これはいい。

さて、この「主よ人の望みの喜びよ」は、カンタータ「心と口と行いと生きざまは」の中の第6曲と第10曲のコラールが原曲である。ピアノ編曲版は「さわり」の部分だけをやっていることになるが、原曲全体に中でこれが出てくると如何に凄い効果を上げることとなるかを、これも、まだ聴いたことのない人は是非聴いてみることをお薦めする。

2010年11月 1日 (月)

スコラ 坂本龍一 音楽の学校 特別講座

このこの番組の本編は、今年の4月から6月にかけてNHK教育テレビで放送されたもので、この「課外授業編」としてこの10月からテーマを変えて放送することになったものである。

10月24日の第1回はベートーヴェンをテーマとし、なぜ人はベートーヴェンを聴くのか、ベートーヴェンの音楽というものはどんな意味を我々に伝えようとしているか、ということが話し合われた。

ここで、ゲストの浅田彰が時代背景、とくにベートーヴェンがナポレオンを意識していた、といった事柄をとうとうとしゃべり、いつまでたっても音楽そのものの話にならず、実にイライラした。ウラ番組で「名曲探偵アマデウス」があり、いつもは「アマデウス」を録画・保存しているのに、「スコラ」があるので、「課外授業」がある間は「スコラ」を録画することに決めていたので、「しまった」と思ったのである。「アマデウス」をリアルで見ると、この日はショパンのP協2番がテーマだったので、ますます「しまった」と思ったのである。

浅田彰は、1983年、26歳のときに書いた「構造と力」が大ベストセラーになって有名になった。しかし、当時私は読む気がしなかったし、今でも読むつもりはない。読んでいないのに言うのもおかしな話だが、少なくとも学生時代にもっと基本的な書籍を何冊かは読んだ身としては、周りで少しではあるが「構造と力」を読んだ人が色々とそれに影響された発言をしているのを見聞きして、非常に薄っぺらいものを感じたのは確かで、だから余計に読む気がしなかったのである。

現に、彼の著作や論文は「構造と力」が殆ど全てであり、京大の准教授だったのに京大に残ることはできなかった(残らないことを選んだのかも知れないが、あえて「残ることはできなかった」と書く)。「構造と力」という著作についても、覚えている人はもはや少ないだろう。

要は、もともと大嫌いなのだ。その彼が滔々としゃべるのを聞いているのは、かなり堪えられなかった。そして何よりも、文科系の人の音楽の聴き方、聴くときのモノの考え方のプロセスなどが、私の考えているものとかなり異なる、ということを改めて実感したのである。

番組は、後半のさしかかってようやく坂本龍一が、ベートーヴェンのソナタを少し弾いて見せながら・・・坂本龍一がベートーヴェンを弾くなんて、結構珍しい「絵」ですよね・・・ベートーヴェンの音楽の特質について話したので、前半の内容の空疎な点を何とか少しはリカバリーした。

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