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2010年11月17日 (水)

シューマン 交響曲第4番 もっと演奏されるべき 続き

(前稿から続く)

先に、「私はシューマンの交響曲は今一分からないが、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによる「4番」だけは別。ただ、中々コンサートで取上げられる機会が少ないようで、それが、他に中々『これ』という演奏に出会わないことに繋がっているのかも知れない」と書いた。

また、シューマンの曲の「毒」についても触れた。

ちなみにこのCDのライナーノートによると、フルトヴェングラーが1922年から1954年の間、ベルリン・フィルの常任指揮者だったとき、ベルリン・フィルの定期演奏会で取上げたシューマンの交響曲の回数は、

1番・・・4回
2番・・・1回
3番・・・1回
4番・・・7回

だそうである。
元々ベートーヴォンやブラームスの演奏回数が多かったのに対してシューマンは少ないのだが、その中では4番の回数が突出している。
ちなみにピアノ協奏曲は8回だそうである。

このことから推察されるのは、フルトヴェングラーにとって、シューマンの4番は得意であるか、または格別の思い入れがあったのではないかということである。

そして、フルトヴェングラーによるこの演奏だからこそ、シューマンの「毒」のようなものを感じるのかも知れない。また、こんな演奏があるからこそ、中々他の指揮者がやってみようという気を起こしにくいのかも知れない。

この記事のタイトルとは関係ないが、シューマンの、ある種の怪奇的な雰囲気を感じることのできる演奏として、ピアノ曲「クライスレリアーナ」を挙げる。

但し、この曲も中々「これ」というものに巡り会わない。ここに挙げたアルゲリッチだけである。しかも、これが大変素晴しいのである。

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