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2010年10月 7日 (木)

題名のない音楽会 2010年10月3日 描写の音楽

番組表を見て「描写の音楽」となっていたので、どんな曲が出てくるのかと思っていたら、「序曲 1812年」だった。

・・・って、それはないだろう。

総譜が手元にないので確認はしていないが(買うつもりもないが)、あれを描写音楽とするのは、天国にいる(はずの)チャイコフスキーの苦笑を禁じ得ないのではないか。

確かにロシア民謡風のメロディーも、フランス国歌も、ロシア国歌も、教会の鐘も、祈りのようなメロディーも出てくるし、遂には大砲の音まで出てくるのがこの曲であり、フランス国歌が次第に弱々しくバラけてゆくのはナポレオン軍が劣勢になってゆき敗走してゆく様子を現しているのは確かである。

しかし、これを「描写音楽」と称し、音楽が鳴っている間、ひとつひとつのセクションごとに描写的な説明を付けてゆく、というのは、それはないだろう。色々な要素を提示し、それを斬ったり貼ったり組み合わせたりして音楽を形作って進めてゆくのは、クラシック音楽として当然のことを行っているだけであり、それが「描写音楽」というのであれば、かなりの曲が「描写音楽」となってしまうのではないだろうか。

もう1つ苦言。

「1812年」を演奏する前説として、より簡単な描写音楽の例のひとつとしてJ・シュトラウスの「ピッツィカート・ポルカ」を挙げていた。あのピッツィカートは、「剣を鳴らしている音」が元になっていると言う。それはそれで知らなかったことであり「へえ」と感心もしたが、分かりにくいのも確かだ。

J・シュトラウスであれば、もっとふさわしい曲があるではないか。貴婦人がたがペチャクチャお喋りをしている様子を描いたとされる、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の方が、より適切な例ではないか。

さらに言えば、ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」や「サンドペーパーバレエ」「ワルツィング・キャット」などがある。「タイプライター」も「サンドペーパー」も現物の音も使ってはいるが、オケでもそれを模した音を出す。「キャット」だと、オケだけでネコの声を模している。

夏にやっていた「N響ほっとコンサート」でルロイ・アンダーソンを何曲か取上げていた。改めて聴いて、決して古さを感じなかった。忘れられていい作曲家ではない。

ちなみに「1812年」だが、割と好きな曲だ。
レコードの時代、最後の大砲の部分をうまく再生できるかどうか(レコードの溝が極端に大きくなるので針が飛ぶのである)、再生できたとしててもスピーカーが保(も)つかどうか(余りに大きな振幅となり、壊れてしまうことがあった)が、仲間うちで話題となったものだ。
CDではそんな問題はなくなったのだろうか。

私はカンゼル指揮 シンシナティ・ポップスで聴くことが多いのだが、スピーカーが壊れてはイヤだと思い、いつも音量は下げ気味にしている。もしヘッドホンで聴くとして、絶対に音量は上げないようにしてもらいたい。

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