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2010年10月21日 (木)

クラシックカフエ 2010年10月18日(月)からブラームス4番

ブラームスの交響曲第3番は嫌いだ・・・という記事を頭の中で纏めていたとき、たまたま所用でクルマに乗っていたら4番がかかっていた。NHK-FMで平日の午後2時から放送している「クラシックカフエ」である。始めからそのつもりでかけていたわけではないので、第3楽章の後半からだったが、この曲は凄い、と改めて思った。

吉田秀和も書いているが、ブラームスという作曲家は、歌曲においてはモーツァルトやシューベルトほどの才能はなく、交響曲においてはベートーヴェンほどの構成力はなく、とにかく先輩にあたる作曲家に対して才能のないことに悩んでいた(はず)、ということになっている。

吉田秀和の、こうした指摘を見つけたことによって、私がどうしてもブラームスの作品の、こねくり回した感じのつきまとうことに馴染めないでいたことの理由のひとつが分かったような気がしたものである。

交響曲でいうと第1交響曲など典型的な例だ。若い頃、この曲を聴き始めたときはそれでも何とか聴いていたが、歳を重ねるごとに、段々と鬱陶しくなっていって遠ざかったのである。

2番はまあ聴くし好きな方だが、3番となるともういけない。

しかし、4番は、好きかどうか自分でも分からないのだが、3番までと違った凄さがある。
第1楽章、第2楽章の諦観、第3楽章の激しさ、そして何といっても第4楽章のパッサカリアには圧倒される。この曲は第4楽章によって価値を高めている。パッサカリアなどという形式を交響曲にもってくるなど、ブラームスでないとできないことだったた゜ろう。いや、他の人が既にやっていたのかもかも知れないが、ブラームスほどには成功しなかっただろう。

色々な点で先輩にあたる作曲家たちに比べて才能がないことを多分自らも認めざるを得なかったはずのブラームスが、数少ない、自らがプライオリティとして居場所を見つけたのが、「変奏曲の達人」ということであった。変奏曲形式を交響曲の終楽章に持ってきた例はブラームスよりも以前に何人もの作曲家の作品があるが、変奏曲でも、パッサカリアという形式によるものは、彼でないと成功しなかったはず、というのは前述の通りである。

尚、この日のクラシックカフェでかかっていたのは、ラトル指揮ベルリンフィルの演奏だった。この組み合わせの演奏には、結構良いものがある。

ちなみに、私の第4交響曲のベスト盤は、ワルター指揮コロンビア交響楽団のものである。

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