芸術劇場 2010年10月15日(金) サイトウキネンオーケストラ
小澤征爾が「復帰」したが、腰痛のため舞台に立てる時間が制約され、10分程度ならOKということで、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」の第1楽章だけを自ら演奏し、あとのプログラムは下野竜也に任せた、という内容。
弦楽セレナーデは今までに聴いたことにないような表情の豊かさで、本人がインタビューで「以前よりも時間が取れるので楽譜を深く読むようになったかも知れない」と言っていたことを反映した演奏となったようだ。ただ、ヘタをするとその表情づけは過度になってしまったのではないか。
また、下野に任せた「幻想」だが、下野の演奏を見ながら、小澤が日本フィルの常任だった頃、この曲を演奏していたときの映像と音を白黒で見聞きしたときのものを思い浮かべてしまった。
下野の演奏はそれなりに良かったし、終楽章のエルギッシュな盛り上がりも良かったが、現在の小澤にあのような演奏ができるのだろうか、と思ってしまったのである。
下野の演奏を聴きながらではあるが、「幻想」は、その後色々な作曲家が試みる「青春の交響曲」の系譜のスタートを切る曲だということを改めて実感したのである。当時としては異常と言ってよい管弦楽法であり、異常と言ってよい大規模な編成であり、おどろおどろしい響きもあり、かなりの「毒」もある。ベルリオーズ自身の「失恋の曲」でもある。
こんな曲を演奏するのは、やはりある程度は指揮者の年齢も若い方が適しているように思う。または、歳は重ねてもずっと青年のような心を持った指揮者でもいい。小澤は歳をとったし、「大家」になりすぎた。「弦楽セレナーデ」を聴いて、生き生きとした、音楽的な演奏であることに変わりはないが、どうしても「健全」すぎる印象が否めなかったのである。
また、小澤に今後「もしも」のことがあったとき、このフェスティバルは誰が続けてゆくのか、続けてゆけるのか、ということも気になってきた。
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