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2010年9月23日 (木)

N響アワー 2010年9月19日

2010年9月19日の放送は、ドヴォルザークの旋律の魅力について、ということで、スラヴ舞曲、チェロ協奏曲から第1楽章、そして交響曲第8番から第3楽章と第4楽章が取上げられた。

どれも好きな曲であり、8番などは大好きと言ってよい。それぞれの曲のメロディーに対する岩槻アナの反応も実に良かった。この日の放送でも言っていたが、ヴァイオリンを習っていたことがあるそうで、やはりある程度のクラシックの素養がないと、この番組のアシスタントとしては不的確なのだと改めて思った。とにかく、ひどいアシスタントが続いていた頃があったのだから。これについては、「題名のない音楽館」の「続・音楽番組の貧困について」で書いたことがある。そして岩槻アナの登場で番組自体が生き返った思いがしたことについては「『題なし』復活万歳!N響アワー立て直し万歳!」に書いた。

さて、メロディーを作るのが実にうまいのは、まさに天才のワザとしか言いようがないわけだが、私は、それだけではないと思う。端的に例を挙げると、8番の4楽章の冒頭のトランペットによるファンファーレである。番組内では言及されなかったが、あのファンファーレは、ドヴォルザークが最終稿として仕上げる寸前に書き足したものだ、という説を何かの解説書で読んだことがある。あのファンファーレがあることによって、見事に「ツカミ」を取ることができ、また、チェロで静かに始まる第1主題も一層活きてくるわけである。

また、もうひとつの例として、9番の第2楽章の第1主題。
誰でも知っている「家路」として歌にもなっている主題だが、オケではイングリッシュホルンが提示する。しかし、なぜオーボエでなくイングリッシュホルンなのか。

ここでイングリッシュホルンを使おうという発想は、まさに天才の直感とも言うべきものだ、と改めて感じたのは、大フィルでナマ演奏を聴いたとこであった。
2009年12月3日(木)、井上道義指揮。会場は梅田芸術劇場。「大フィル名曲セレクション」として。
わざわざ「今さら」とも言うべき曲の演奏会に行ったのは、「朝比奈隆指揮の大フィル」でこの9番を演奏したのを昔聴きに行ったことがあり、余りにも退屈だったことと、井上道義という指揮者にずっと興味があったためである。この辺りのことは、「題名のない音楽館」の「朝比奈隆 引き際を失った大家」に書いたことがある。朝比奈の生前に初稿を書いており、当時井上道義は京響の指揮者だった。

で、当日のコンサートだが、ボーッと聴いているうちに第2楽章が始まり、イングリッシュホルンが主題を提示したとき、「ああ、ここはイングリッシュホルンでなければならなかったのだ!」と感じたのだった。

オーボエであの主題が提示されていたら、あの郷愁に溢れた雰囲気は出ず、全く違った印象の曲になってしまったはずだ。あれは、シングリッシュホルンでなければならないし、それを採用したのは、作曲者の天才のなせるワザだ。こうした、ちょっとしたことにも、天才のワザは行き届いているのだ。

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