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2010年9月

2010年9月29日 (水)

シベリウス 2番 バーンスタイン

2010年9月21日の本稿で、秋山和慶指揮広響による「シベリウス 交響曲第2番」を愚演だと書いた。

「口直し」という言葉はあるが、「耳直し」という言葉はない。
しかし、「つまらない演奏を聴いたあと、曲の価値を再度認識するため、通常の感覚に戻すべく、良い演奏で同じ曲を聴き直す、または聴き返す」という意味で、私は敢えて「耳直し」という言葉を使いたい。

シベリウスの2番の「耳直し」は、この曲を好きになったきっかけを与えてくれたバーンスタイン指揮NYフィル盤で行った。

そう、これこそがシベリウスの2番なのだ。と言うか、2番のはずだ。
上記の記事は、次のように続けていた。まさに、バーンスタインで知ったシベリウスの2番の魅力をそのまま書いたようなものだから、そのまま引用する。

以下、引用--------------------------

2番ともなれば、シベリウスの交響曲の中では最も人気があり、演奏される機会も多いはずだ。3番以降の曲とは異なり、聴いているうちに何か凄く熱いものを感じさせてくれる曲である。

とくに、第3楽章から第4楽章への移行部は筆舌に尽くしがたいもので、地の底から沸き上がってくるようなエネルギーを次第に貯めてゆき、遂に第4楽章の第1主題となって一旦解放される。そして、その第4楽章の第1主題は、階名でいうと「ドレミシドレド」という、メロディーとはとても呼べない単純な音型であるのに、聴く者を感動させずにはおかない。

そして、別の主題とともに静かになったり少し賑やかになったりしながら展開するうちに、再度次第にエネルギーを貯えてゆき、そのエネルギーは巨大なものとなってゆき、終結近くで大音響かつ充実した響きとして結実し、大きな解放感を与えてくれる。

私は、この曲はこんなふうに聴いてきた。3番以降とは少し違う要素、つまり、聴く者に熱いものを感じさせ、遂には熱狂の渦に巻き込んでゆくという要素が絶対にある曲だと思っている。

引用終り--------------------

バーンスタインと秋山和慶を比べるのは酷かも知れないが、そんなことはない。バーンスタインのナマ演奏に接する機会はもう永遠にないのだから、ナマ演奏を提供できる人は、それなりに名演として残る演奏をしてもらいたいのだ。個性や考え方が違い、目指す方向が少々異なっても、「名演」としてよい演奏というものは、あり得るはずだ。

そして、シベリウスのコアなファンは、ひょっとすると私の、上記に引用したような聴き方は、たとえ「2番」であっても邪道だと考える向きもあるかも知れない。

しかし、シベリウスを、とくにこの2番を好きになるというのは、上記に引用した体験を持つことができる、ということに他ならないのではないだろうか。こうしたことを抜きにしてシベリウスを語ることができるだろうか。

もちろん、こうした聴き方であれば、「4番」など全く理解できないわけで、私が「4番」を未だに全く理解できないのは、その辺りに原因があるのかも知れない、ということは一応付言しておくこととする。

2010年9月27日 (月)

「著者のホームページと別ブログ」に追加します

新たに「題名のない鉄道館」を加えましたのでご覧ください。

2010年9月25日 (土)

題名のない音楽会 2010年9月19日

この日の内容は、「題名を考える音楽会パート2」とということで、ラロの「スペイン交響曲」、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」、モーツァルトの「後宮からの逃走」または「後宮からの誘拐」そしてボロディンの「だったん人の踊り」がとりあげられた。

パート1では、作曲家の意図とは無関係に出版社が勝手に題名を付けたり、後世の人が付けるようになったりした曲の題名を再考しようというものであったが、この日のパート2では、作曲家が自ら付けた題名を再考してみようという、かなり無茶な企画である。

とは言え、言われてみれば確かにおかしな題名のものばかり揃った。

で、出演者が色々と案を出し合って、最終的に高島ちさ子が「これにしよう」と決めるのだが、交響曲とは名ばかりで演奏形態は明らかに「ヴァイオリン協奏曲」である「スペイン交響曲」を「スペイン交協曲」とする案は、結構いい処を突いていたと思う。

しかし、あとがよくない。モーツァルトの「後宮からの」は、もともと2通りの呼ばれ方をしているのでおおこしいのだが、「後宮では分かりにくいから大奥にしよう」など、末節の論ばかり先に立ち、今録画を見直す気になれないので最終案がどうなったか忘れたが、何か変な題名になってしまっていた。

私は、このオペラは、捕らえられてトルコの後宮に押し込まれてしまった恋人を助け出すという物語なのだから、素直に「後宮からの奪還」としたらいいと思う。
「後宮」と「大奥」では状況が異なるので、「後宮」をわざわざ「大奥」に直す必要はない。「後宮」は「ハーレム」なのであり、多くの女性がそこの主の「手つき」になる。敵国から捕らえられてきた女性は奴隷の身分に落とされる。
「大奥」でもときの主によっては多くの女性が「手つき」になるが、歴代の徳川将軍家を見ても、「手つき」が複数いることはあっても、多くの場合は正妻=正室 という存在が内部を仕切っていたし、正室を除いた他の女性とは、歴とした身分の差があった。身分の差はあっても、また徳川家に対する忠誠がアヤシイ藩から送り込まれていたとしても、決して奴隷としての扱いはされなかった。

もうひとつの候補として、私は「後宮からの脱走」でもいいかと思っている。映画「大脱走」の「脱走」である。仲間と協力し合いながら、気付かれないように作戦を練り、実行してゆくプロセスは、結構似たものがあると思う。

最後に論じられていたのは「だったん人の踊り」である。「だったん人」という呼称は、中央アジアをメインとしてユーラシア大陸の広大な草原地帯に住んでいた多くの民族をゴッチャにした呼称であり、日本独特の呼称だ、ということは番組内でも紹介されていたが、だからといって、番組内で案として決まった「あの辺りの人たち」というのはナシだろう。

これは単純に、原題の「ボロヴェッツ人の踊り」とすればいいのである。現に、CDによっては、既に「ボロヴェッツ人の踊り」と表記されているものもあるのだ。

また、番組内で「だったん人の踊り」を鳴らすにあたって、最も有名な、女性たちの踊りの部分が取上げられていたのだが、その部分だけであれば、もっと適切な題名がある。

もう50年近く前になるが、当時珍しかったロシアオペラの来日公演があり、テレビで放送されたことがあった。いや、ひょっとするとイタリアオペラがこのロシアのオペラをやったのだったか・・・

その放送で、まさにこの「だったん人の踊り」の部分が演じられるのを見ることができた。で、その中の女性たちの踊りの部分で、白黒テレビだったが、妖しい美しさと同時に、その歌声と踊りに、いー何かもの凄くモノ悲しい雰囲気を感じて強烈に印象に残ったのである。今に至るまで、そのときの映像と歌声は記憶に新しい。

で、あるとき、その歌声の、歌詞の概要を知って納得したのである。
あそこで歌われる歌詞の概要は、「今こんな処に住まわされているけど、私の故郷はもっといい処だった。早くもと居た処に帰りたい」ということで、囚(とら)われの身となった女性たちの、望郷の歌なのだ。もの悲しい曲調は、それが原因というか、それを現しているのである。

そのことを知ると、あの部分を単に「美しい」とか言うだけの評価で、手軽にCMなどで使うという神経は、結構許せないものを感じるようになった。あの部分からそうした雰囲気とか、何かウラにあるナ?!と感じないのは、音楽を聴くセンスの、かなりの部分が欠けているとさえ思う。

私などは、ひとりでいるときなど、あの部分を聴くと涙が出てきそうになる。

このオペラ全体をまだちゃんと見たことがないので、このあとは想像になるが、さらに言うと・・・多分間違ってはいないと思うが・・・、おそらく「戦利品」として連れ去られ、奴隷に落とされた女性たちなのではないか。

であれば、その部分だけは、「囚(とら)われ女(ひと)の踊り」などが、適切な題名の候補だと思うのだ。

テーマは面白かったが、企画倒れに終わったと言える回になった。或いは、あと1名か2名、題名を付けるのが巧い人でクラシック音楽にも詳しいゲストを呼んで、もう少しだけでいいから、議論を深めるべきだったと思う。

2010年9月23日 (木)

N響アワー 2010年9月19日

2010年9月19日の放送は、ドヴォルザークの旋律の魅力について、ということで、スラヴ舞曲、チェロ協奏曲から第1楽章、そして交響曲第8番から第3楽章と第4楽章が取上げられた。

どれも好きな曲であり、8番などは大好きと言ってよい。それぞれの曲のメロディーに対する岩槻アナの反応も実に良かった。この日の放送でも言っていたが、ヴァイオリンを習っていたことがあるそうで、やはりある程度のクラシックの素養がないと、この番組のアシスタントとしては不的確なのだと改めて思った。とにかく、ひどいアシスタントが続いていた頃があったのだから。これについては、「題名のない音楽館」の「続・音楽番組の貧困について」で書いたことがある。そして岩槻アナの登場で番組自体が生き返った思いがしたことについては「『題なし』復活万歳!N響アワー立て直し万歳!」に書いた。

さて、メロディーを作るのが実にうまいのは、まさに天才のワザとしか言いようがないわけだが、私は、それだけではないと思う。端的に例を挙げると、8番の4楽章の冒頭のトランペットによるファンファーレである。番組内では言及されなかったが、あのファンファーレは、ドヴォルザークが最終稿として仕上げる寸前に書き足したものだ、という説を何かの解説書で読んだことがある。あのファンファーレがあることによって、見事に「ツカミ」を取ることができ、また、チェロで静かに始まる第1主題も一層活きてくるわけである。

また、もうひとつの例として、9番の第2楽章の第1主題。
誰でも知っている「家路」として歌にもなっている主題だが、オケではイングリッシュホルンが提示する。しかし、なぜオーボエでなくイングリッシュホルンなのか。

ここでイングリッシュホルンを使おうという発想は、まさに天才の直感とも言うべきものだ、と改めて感じたのは、大フィルでナマ演奏を聴いたとこであった。
2009年12月3日(木)、井上道義指揮。会場は梅田芸術劇場。「大フィル名曲セレクション」として。
わざわざ「今さら」とも言うべき曲の演奏会に行ったのは、「朝比奈隆指揮の大フィル」でこの9番を演奏したのを昔聴きに行ったことがあり、余りにも退屈だったことと、井上道義という指揮者にずっと興味があったためである。この辺りのことは、「題名のない音楽館」の「朝比奈隆 引き際を失った大家」に書いたことがある。朝比奈の生前に初稿を書いており、当時井上道義は京響の指揮者だった。

で、当日のコンサートだが、ボーッと聴いているうちに第2楽章が始まり、イングリッシュホルンが主題を提示したとき、「ああ、ここはイングリッシュホルンでなければならなかったのだ!」と感じたのだった。

オーボエであの主題が提示されていたら、あの郷愁に溢れた雰囲気は出ず、全く違った印象の曲になってしまったはずだ。あれは、シングリッシュホルンでなければならないし、それを採用したのは、作曲者の天才のなせるワザだ。こうした、ちょっとしたことにも、天才のワザは行き届いているのだ。

2010年9月21日 (火)

秋山和慶 広響 シベリウス2番 何たる愚演!

いったい、どうしたらこんなにつまらない演奏ができるのだろうか。

2010年9月17日(金)、BS2の「クラシック倶楽部」で、広島交響楽団を秋山和慶が指揮したのを聴いたとき、まっさきに思ったことである。

2010年5月14日(金)に広島市文化交流会館で行われた第299回定期の録画であった。
まず2曲、余り聴いたことのない曲が演奏され、最後がシベリウスの2番だった。録画で視聴しているので、余り聴いたことのない曲は飛ばして、シベリウスだけを聴いたのである。

シベリウスの交響曲は、私にはまだよく分からない処がある。とくに、4番などは何がいいのか何度聴いてもサッパリ分からない。5番は結構いいと思うが、その終わり方・・・折角盛り上がっていった処でバサッと断ち切るような終り方・・・は、未だにシックリこない。7番もいいが、聴いたあとに充実した気持ちが残るかというと、さほどでもない。

しかし、1番は好きだし、大好きといってもよい。
そして、2番ともなれば、シベリウスの交響曲の中では最も人気があり、演奏される機会も多いはずだ。3番以降の曲とは異なり、聴いているうちに何か凄く熱いものを感じさせてくれる曲である。

とくに、第3楽章から第4楽章への移行部は筆舌に尽くしがたいもので、地の底から沸き上がってくるようなエネルギーを次第に貯めてゆき、遂に第4楽章の第1主題となって一旦解放される。そして、その第4楽章の第1主題は、階名でいうと「ドレミシドレド」という、メロディーとはとても呼べない単純な音型であるのに、聴く者を感動させずにはおかない。

そして、別の主題とともに静かになったり少し賑やかになったりしながら展開するうちに、再度次第にエネルギーを貯えてゆき、そのエネルギーは巨大なものとなってゆき、終結近くで大音響かつ充実した響きとして結実し、大きな解放感を与えてくれる。

私は、この曲はこんなふうに聴いてきた。3番以降とは少し違う要素、つまり、聴く者に熱いものを感じさせ、遂には熱狂の渦に巻き込んでゆくという要素が絶対にある曲だと思っている。

しかるに、この、秋山和慶指揮広響の演奏は、まったくそんなものを味わうことのできない演奏だった。余りにもつまらない。何にも感じさせない。このつまらなさは、逆に見事だと言ってよいほどだ。
同じ曲を同志社大学のオケが演奏したものを録画で視聴したことがある。もちろんアマのオケとプロのオケの違いはあり、オケは間違いなくヘタだったのだが、この2番の魅力を十二分に感じさせる演奏で、結構いいと思った。その、アマの演奏の方が、よっぽど「いいシベリウスを聴けた」と思わせるものだった。

広響の本来の実力がどの程度のものかは知らないが、私は秋山和慶という指揮者のせいだと思う。
秋山和慶という指揮者の演奏がつまらないということは、私の中では既に結論が出ている。これは昨年、N響の大阪公演を聴いたとき思い始め、そのあとN響アワー(2009年11月15日放送)の「大河の調べ とわに」での演奏を聴いて確信するに至ったのだ。(関連記事はこちら)

バンクーバー響の常任を務めたあと、桂冠指揮者として残り、国内でも各地のオケの音楽監督や音楽アドバイザーなどを務めているので、まあ「大家」であるかどうかは分からないが、少なくとも「重鎮」とされているのであろうことは間違いない。
しかし、「大家」ないしは「重鎮」とされてしまうと、その人の演奏には誰も口出しができなくなってしまう。その演奏が、誰が聴いても高い水準のものであれば問題は少ないが、「どうしようもない演奏なのに、熱狂的なファンが『それで良し』としたり、・・・実際、曲が終わるとすぐに、「ギャー」というのに近い「ブラボー」の声が掛かったのである・・・楽団員からは尊敬され」ることによって続いてゆくというのは、楽団にとっても、その楽団の聴衆にとっても不幸なことだ。

朝比奈隆が大フィルに君臨していた間の、そうした問題点を、まだ健在だった頃に書いたことがあり、その後、私の考えが正しかったことを裏付けるような本も出た。(「朝比奈隆 引き際を失った大家」)

秋山和慶も、どうも、朝日奈的な処に行きつつあるのではないだろうか。秋山和慶の指揮を見ているうちに、「デジャブ」の感じになっていった。そう、まさに朝比奈の演奏がこんなだった。テンポ感覚も、朝比奈とそっくりな感じさえしたのである。

2010年9月19日 (日)

メータ指揮N響の「巨人」

2010年9月12日の「N響アワー」は、マーラー交響曲シリーズ第5夜として、第1番「巨人」が取り上げられた。マーラーの交響曲の中では短い方なので全曲が放送時間内に収まったので、それなりに「聴いた」感があった。

驚いたのは、ズビン・メータが1回だけN響を振ったことがあったとかで、そのときの演奏が放送されたことである。1996年11月8日、サントリーホールでの公演。

私はマーラーの演奏には「毒」が必要だと思っていて(「マーラーの交響曲について」へ)、メータで改めて聴いてみて、どれほどの「毒」が含まれているか、「毒見?」をしながら聴いた。

結論として、毒は余りなかった。が、それはそれとして結構いい演奏だった。テンポや間合いの取り方もうまい。それなりに「熱狂」もあった。
西村朗が「N響演奏史上に残る名演」と賞賛していたのも分からないではない。
N響もそれなりに頑張っていた。

が、しかし、ちょっと響きが粗かったのではないだろうか。

1996年11月というと、デュトアが常任に就任した直後かと思うが、まだ、本格的な「響きの改革」に取り組めてはいなかったのではないだろう。もっとハッキリ言うと、ヘタなのだ。

ちなみに、メータが手兵のイスラエル・フィルを振った演奏、またはロス・フィル時代のものを聴いてみたらよい。現在ロス・フィル時代のものは入手困難なようだが、当時レコードで聴いたことがあり、やはり「毒」の程度は少ないが、それなりに良かったという記憶がある。
手兵たるオーケストラに比べると、やはりN響の響きには満足できないものがある。

デュトアが音楽監督になるのは1996年。以後2003年に退任するまでの間、N響を改造し、「超一流」とはいかないにしても、「1.5流」の程度にまでは到達したオーケストラに育てていってくれたのである。

2010年9月17日 (金)

日野てる子 って知ってますか

ちょっと前の話だが、9月9日は、日野てる子の命日だと気がついた。

「日野てる子」は本名「日野輝子」に由来する。殆ど本名そのままの芸名。作曲家の一ノ瀬義孝と結婚し、一ノ瀬輝子が本名となった。

2008年の9月9日、肺癌で他界。

音楽館」の改装に取り組んでいたとき、「私的小柳ルミ子論」の中に日野てる子に関することが少しだけ記載してあったのに気付き、日野てる子に関する部分をふくらませて1つの記事にしたくなった。そこで書き始めたら思わぬ大作?となった。(「日野てる子 って知ってますか」)

私にとっては、小柳ルミ子よりも日野てる子の方が、その後の音楽の楽しみ方に大きな影響を受けたからである。初めて「女性歌手のファンになる」ということを経験したのが日野てる子だったし、若い頃だったから殆ど恋愛感情に近いものとなっていった。

もともとハワイアンの歌手としてデビューしたのだが、当時のレコード会社の政策によって歌謡曲のレコードの方が多くなっていった。
私は今でも彼女の歌を初めて聴いたときの衝撃を忘れることができない。そして歌謡曲よりもハワイアンの方が断然優れていると思っている。

最近もたまに「元祖・癒し系」として古い映像とともに紹介されることもある。しかし、既に彼女を知らない世代の人も多くなった・・・というよりは、もともと若干マイナーな処があった。

CDで何枚か出ているので、是非とも聴いてみて欲しい歌手である。

2010年9月15日 (水)

「毒」のないマーラーなんて

今年2010年はマーラー生誕150年ということで、あちこちでマーラーの演奏が行われているようだ。N響アワーでも毎月1回、交響曲を1曲ずつ抜粋で採り上げている。

しかし、ここまでの演奏を聴く限り、どうにも違和感が残って仕方がない。とくにブロムシュテットによる「9番」は最悪だった。菜食主義者で敬虔なクリスチャンだという彼のクソマジメな性格には合わないのではないか。

一言でいうと、「健康的」に過ぎるのだ。マーラーの曲には「毒」がある。「毒」のないマーラーなんて、マーラーではない。

こんな思いが募って、「毒」と、私がそれぞれの曲にどう接してきたかを軸として、交響曲全曲について書くこととなってしまった。本館の「題名のない音楽館」の更新に時間を取られるきっかけとなったのは、その要因が大きい。そして、過去の全てのページの見直しへと進んでいくこととなったのである。

繰り返すが、「毒」のないマーラー演奏なんて、マーラーではない。

マーラーの記事はこちら

2010年9月13日 (月)

「ドラクエ」の音楽はワーグナーだ

「題名のない音楽会」2010年8月29日放送は、ゲーム音楽特集。

私はゲーム音楽というとドラクエしか知らないのだが、番組内では中々出てこなかったのでイライラしていた。ところが、後半になって「ゲーム音楽の最高峰はドラクエだ」として、序曲をはじめ何曲かが採り上げられたので意を強くした。

最後にすぎやまこういちの指揮でドラクエ3の「そして伝説へ」が演奏されたとき、「3」をやっていた頃のことを色々と思い出して懐かしい気分になった。

そして何よりも、佐渡裕が「ドラクエ」の音楽ってワーグナーのオペラみたいだ」と言ったのには驚いた。

私も、随分前に似たことを感じたからである。もっと言うと、「3」でなく「4」の音楽についてなのだが、ゲームの進行とともに耳にし、エンディングになったとき「これはワーグナーだ」と思ったのである。

それまでワーグナーをはじめオペラというものに余り親しんで来なかった私が、意を決してワーグナーを聴き始めたのは、それがきっかけであった。そして、暫くの期間、いわゆる「ワーグナーの毒」にズッポリと浸かってしまったのである。詳しくは「題名のない音楽館」の「語り部多くしてオペラ敬遠さる?」に掲載。

2010年9月12日 (日)

般若心経を漢文として読もう

題なし」の改装・改訂にあたり、古い記事もできるだけ活かすべく取り組んでいるうちに、派生して新しい記事に発展することがありました。

題名のない図書館」の「エッセイ」の中にお経に関する「なぜ『お経』を音読するのか」という記事がありましたが、これから派生して「般若心経 漢文読み下しの試み」という記事ができました。

何で「お経」はダラダラと漢字の音読みで唱えられ、それを退屈ながらも一応は有り難そうに聴くということがまかり通っているのか、不思議に思ったことのある人は多いはずです。

漢文として、「読み下し文」として読めば、ある程度は分かったような気分にもなろうというものです。誰もやらにいようなのでやってみました。自信作です。是非ともお立ち寄りください。

2010年9月11日 (土)

群響による超名演!ショスタコーヴィチ12番

NHK教育TVで毎週日曜21時から放送している「N響アワー」だが、第5日曜まである月は、同じ枠で「オーケストラの森」というタイトルで、主として地方に拠点を置くオーケストラの活動状況や最近の演奏会の模様を紹介している。

2010年8月29日は、群馬交響楽団。通称「群響」。5月22日(土)に行われた第463回定期から、チャイコのP協第2楽章以降と、ショスタコーヴィチの12番全曲。

ショスタコーヴィチの12番を演奏会でやるのは珍しいのではないだろうか。ひょっとして「1917年」というタイトルがついていて、どうしても「共産革命の讃歌みたいな曲であって価値の低い曲」と思われていないだろうか。とくに第4楽章は「人類の夜明け」なんて題されている。

私もずっとそう思っていたのだが、あるとき、この曲は決して「革命讃歌」などではないと感じるようになった。これについては、「題名のない音楽館」の「ショスタコーヴィチ論」の「交響曲第12番」を参照ください。

で、この演奏会が群響の「首席指揮者・芸術アドバイザー就任記念」となった沼尻竜典の指揮だが、この曲の価値を再認識させるに十分な名演だった。超名演といってよいだろう。

2010年9月10日 (金)

「お知らせ」のカテゴリーを新設します

私のホームページは「題名のない音楽館」「題名のない図書館」など複数のテーマの「館」から成り立っています。

2010年4月26日、全体の名称を「題なし」としました。

これを機に、新しい記事とスタイルが合っていなかった古い記事について、スタイル統一とアフィリエイト対応を兼ねた改訂を行っていて、このブログへの投稿の間隔が開いてしまいました。

今後もこうした状況は起こると思い、このブログ「題なし別館」のいわば「本館」に関するお知らせなどを担うように、「『題なし』からのお知らせ」をカテゴリーとして新設します。

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