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2010年9月25日 (土)

題名のない音楽会 2010年9月19日

この日の内容は、「題名を考える音楽会パート2」とということで、ラロの「スペイン交響曲」、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」、モーツァルトの「後宮からの逃走」または「後宮からの誘拐」そしてボロディンの「だったん人の踊り」がとりあげられた。

パート1では、作曲家の意図とは無関係に出版社が勝手に題名を付けたり、後世の人が付けるようになったりした曲の題名を再考しようというものであったが、この日のパート2では、作曲家が自ら付けた題名を再考してみようという、かなり無茶な企画である。

とは言え、言われてみれば確かにおかしな題名のものばかり揃った。

で、出演者が色々と案を出し合って、最終的に高島ちさ子が「これにしよう」と決めるのだが、交響曲とは名ばかりで演奏形態は明らかに「ヴァイオリン協奏曲」である「スペイン交響曲」を「スペイン交協曲」とする案は、結構いい処を突いていたと思う。

しかし、あとがよくない。モーツァルトの「後宮からの」は、もともと2通りの呼ばれ方をしているのでおおこしいのだが、「後宮では分かりにくいから大奥にしよう」など、末節の論ばかり先に立ち、今録画を見直す気になれないので最終案がどうなったか忘れたが、何か変な題名になってしまっていた。

私は、このオペラは、捕らえられてトルコの後宮に押し込まれてしまった恋人を助け出すという物語なのだから、素直に「後宮からの奪還」としたらいいと思う。
「後宮」と「大奥」では状況が異なるので、「後宮」をわざわざ「大奥」に直す必要はない。「後宮」は「ハーレム」なのであり、多くの女性がそこの主の「手つき」になる。敵国から捕らえられてきた女性は奴隷の身分に落とされる。
「大奥」でもときの主によっては多くの女性が「手つき」になるが、歴代の徳川将軍家を見ても、「手つき」が複数いることはあっても、多くの場合は正妻=正室 という存在が内部を仕切っていたし、正室を除いた他の女性とは、歴とした身分の差があった。身分の差はあっても、また徳川家に対する忠誠がアヤシイ藩から送り込まれていたとしても、決して奴隷としての扱いはされなかった。

もうひとつの候補として、私は「後宮からの脱走」でもいいかと思っている。映画「大脱走」の「脱走」である。仲間と協力し合いながら、気付かれないように作戦を練り、実行してゆくプロセスは、結構似たものがあると思う。

最後に論じられていたのは「だったん人の踊り」である。「だったん人」という呼称は、中央アジアをメインとしてユーラシア大陸の広大な草原地帯に住んでいた多くの民族をゴッチャにした呼称であり、日本独特の呼称だ、ということは番組内でも紹介されていたが、だからといって、番組内で案として決まった「あの辺りの人たち」というのはナシだろう。

これは単純に、原題の「ボロヴェッツ人の踊り」とすればいいのである。現に、CDによっては、既に「ボロヴェッツ人の踊り」と表記されているものもあるのだ。

また、番組内で「だったん人の踊り」を鳴らすにあたって、最も有名な、女性たちの踊りの部分が取上げられていたのだが、その部分だけであれば、もっと適切な題名がある。

もう50年近く前になるが、当時珍しかったロシアオペラの来日公演があり、テレビで放送されたことがあった。いや、ひょっとするとイタリアオペラがこのロシアのオペラをやったのだったか・・・

その放送で、まさにこの「だったん人の踊り」の部分が演じられるのを見ることができた。で、その中の女性たちの踊りの部分で、白黒テレビだったが、妖しい美しさと同時に、その歌声と踊りに、いー何かもの凄くモノ悲しい雰囲気を感じて強烈に印象に残ったのである。今に至るまで、そのときの映像と歌声は記憶に新しい。

で、あるとき、その歌声の、歌詞の概要を知って納得したのである。
あそこで歌われる歌詞の概要は、「今こんな処に住まわされているけど、私の故郷はもっといい処だった。早くもと居た処に帰りたい」ということで、囚(とら)われの身となった女性たちの、望郷の歌なのだ。もの悲しい曲調は、それが原因というか、それを現しているのである。

そのことを知ると、あの部分を単に「美しい」とか言うだけの評価で、手軽にCMなどで使うという神経は、結構許せないものを感じるようになった。あの部分からそうした雰囲気とか、何かウラにあるナ?!と感じないのは、音楽を聴くセンスの、かなりの部分が欠けているとさえ思う。

私などは、ひとりでいるときなど、あの部分を聴くと涙が出てきそうになる。

このオペラ全体をまだちゃんと見たことがないので、このあとは想像になるが、さらに言うと・・・多分間違ってはいないと思うが・・・、おそらく「戦利品」として連れ去られ、奴隷に落とされた女性たちなのではないか。

であれば、その部分だけは、「囚(とら)われ女(ひと)の踊り」などが、適切な題名の候補だと思うのだ。

テーマは面白かったが、企画倒れに終わったと言える回になった。或いは、あと1名か2名、題名を付けるのが巧い人でクラシック音楽にも詳しいゲストを呼んで、もう少しだけでいいから、議論を深めるべきだったと思う。

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