広上淳一のプロコフィエフ N響アワー2010年2月21日
この日放送されたのは、N響第1666回定期(2010年1月20日 於 サントリーホール)からプロコの7番。この曲は、この定期がBSシンフォニーアワーで放送されたとき(2010年2月19日)も聴いたのだが、改めて聴き直してみて、また別の演奏とも聞きくらべてみて、自分の感覚が正しいと信ずるに至った。
「やっぱり、これはプロコの曲の中で最大の愚作のひとつだ」ということ。また何よりも、「こんな終わり方はないで!」ということである。
最大の愚作というのは、「題名のない音楽館」の「ショスタコーヴィチ第15番」の稿に書いたことがあるのだが、この曲につけられた「青春」という標題と、余りにも大衆受けを狙ったようなメロディーと曲調についてゆけないことである。
当時のソ連はまだスターリンが生きていて・・・というより、プロコフィエフはスターリンが死んだ、同じ年に死んだので、スターリンの死後に少しだけ明かりが見え始めたときのことを知らないままこの世を去ったことになるのだが・・・「社会主義リアリスムに則した音楽を書け」という圧力がずっとかけられていた。簡単に言うと、「もっと大衆に分かりやすく、明るい、元気になる作品を書け」ということである。言うことを聞かないでいると、そして一度「言うことに従わないヤツ」として睨まれると、容赦なく活動の場を奪われ、多くの場合は死刑に処せられてしまう。物理的にも芸術家としての生命を絶たれる結果となるわけだ。
だから、プロコフィエフとしては、最後の交響曲となるこの作品で、彼なりの「答」を出したわけである。しかし、プロコフィエフはショスタコーヴィチのように、「当局」に従っているように見せて実はとんでもなく強烈な皮肉を込めたものを書くことはできず、真っ正直に「答」を作った。ソ連で生きた二大巨匠の性格の違いだろう。
しかし、余りにもこの「第7」は拙劣としか思えない。上記の「ショスタコーヴィチ第15番」の稿にも書いたが、私は「青春交響曲」と言うと昔から真っ先に思い出すのはマーラーの第1交響曲であった。広上の演奏はそれなりに面白かったが、やはり作品じたい愚作だという思いを強くした。
(この稿続く)
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