R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」
2010年1月10日のN響アワー(第1661回N響定期から)のうち、既にBS2で全曲放送済かつ録画済だが余り気が進まず聴いていなかったのが「ドン・キホーテ」だった、と前回書いた。で、N響アワーで放送された機会に聴いてみた。
まあ、それなりに楽しめた。チェロのゴーディエ・カプソンと指揮のデュトアが、楽しめるレベルにしてくれた、とも言うべきか。とくに、終曲(ドン・キホーテが若い頃の冒険を懐かしみながら死んでゆく場面)の寂しさ、哀しさを込めた美しさは素晴しかった。この曲にこんな面があったことに改めて気づかされた。
しかし、である。どうも好きになれないのは同じであった。以前、R・シュトラウスの曲はどうも分からない=感性が合わない と書いた。アルプス交響曲やツァラストラはそれでも聴くようななった方だが、他の曲はどうも。。。 とくにドン・キホーテは失敗作と言ってよいのではないか、と思う。
ストーリーに従って音楽が進んでよくのだが、場面ごとに曲が変化してゆくのにどうもついてゆけないのだ。「ティル」であれば殆どついてよくことができるし分かりやすいのだが。チェロとヴィオラとヴァイオリンという3種類の独奏楽器を持つ一種の三重協奏曲の形をとり、変奏曲という枠組を持たせたのが、曲の現そうとしたことに合わなかったのではないか、とも思う。だいたい、一種の三重協奏曲の形をとったとは言え、主役はチェロであり、チェロに終始する。三重協奏曲の意味は殆どない。だからこそ、こうした公演でも、チェロにソリストを呼ぶことはあっても、ヴィオラやヴァイオリンはオケのメンバーで済ませるのではないか。ソリストを外部から呼ぶのはいかにもコストパフォーマンスが悪い。
年譜を見ると、「ドン・キホーテ」はOp.35で1897年作曲。「ツァラトゥストラ」はOp.30で、前年1896年の作曲、「ティル」はOp.28で1895年の作曲である。こうして並べてみると、交響詩という分野でストーリーとオーケストラの音をうまく合わせてゆくのに限界を感じていったのではないか、または、交響詩という分野では、もうやるべきことをやり尽くしたと思うようになったのではないか。1898年に自分の業績を讃える「英雄の生涯」Op.40を書いて、いったん交響詩の作曲に自分で幕を下ろしたのも、そうした気持ちによるのではないか、と考えたりもするのである。
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