特集N響アワー大河の調べとわに
タイトルは変りますが、N響大阪公演2009年11月6日の記事からの続きです。
2009年11月15日のN響アワーは、大河の調べとわに、と題し、第1部が「和の大河」として大河ドラマのテーマ集、第2部が「洋の大河」としてシューマンのライン交響曲他というラインアップだった。時間も通常の1時間から1時間半に拡大。
実は、大河ドラマのテーマ集というのは、以前からやって欲しかった企画であった。何しろ大河ドラマのテーマというのは、日本の現代音楽の色々な作曲家が担当してきたのであり、日本の現代音楽界の縮図と言ってもよい状態となっているのだ。この放送で取り上げたドラマと作曲家を並べてみると・・・
赤穂浪士(芥川也寸志)、元禄太平記(湯浅譲二)、花神(林光)、翔ぶが如く(一柳慧)、独眼竜政宗(池辺晉一郎)、利家とまつ(渡辺俊幸)、篤姫(吉俣良)、天地人(大島ミチル)といった具合だ。1時間半と時間拡大したのも大変結構だ。
しかし、である。最初から、聴き慣れたテンポと違うのが気になりだした。聴き進めるに従い、だんだんイライラしてきた。そして、第2部で「ライン」が始まったとき、イライラは頂点に達し、そして確信に似たものを感じた。
あの大阪公演で何となくシックリこなかったのは、この指揮者の演奏に違和感を覚えたのが最大の要因だったのではないか、ということである。
私とて大河ドラマを毎年見ているわけではない。花神、利家とまつ、篤姫は大好きだったし、篤姫については宮崎あおいが好きということもあって全編録画したほどだ。宮崎あおいに惹かれて全部見ているうちに、幕末から維新にかけての幕府と薩長の関係について、それまでの見方を変えんといかんな、と考えるようになっのは大きな収穫だった。
篤姫が良すぎたと思うこともあって、それ以降の大河は見る気にならず、また過去も必ずしも毎年見ているわけではない。
しかし、見ていなくても家族が見ているとイヤでも(?)耳にするし、曲は曲でそれなりに良いものが揃っている。
日本の現代音楽の作曲家が粋を凝らして作曲したとはいえ、そこは勿論多くの人が聴いて聴きやすい作り方をしているわけだが、一般向けに作ったからといって曲の価値が下がるものでもない。
このときの演奏で、第1部で覚えた違和感も、曲に対する懐かしい思いや、その大河を見ていたときはとくに、その頃の色々な思い出がよみがえってきて、ゴマカシが効いたのかと思う。しかし、「ライン」となると、大河ドラマのテーマ曲にまとわりついているものは全て剥がされてしまう。それで、N響大阪公演のときに感じ始めていたことが、確信に近いものとなったのである。
何でこの人は、こんなつまらない演奏をするのか!という思いである。
(タイトルは変りますが、この稿続きます)
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